殺しが上手い忍のはなし   作:海野ミウ

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鬼を殺す

 

 (はや)く。(はや)く。もっと(はや)く。

 鋭く。鋭利に。断てぬものなどないほど。

 肺を絞れ。深く速く、音が鳴るほど息をしろ。いつでも、どこでも、眠っていても、血と酸素を回し続けろ。

 霹靂一閃を思い出せ。あの至高の居合いをなぞれ。

 空を切り裂く雷鳴のように。

 

 (しず)かに。(しず)かに。もっと(しず)かに。

 柔らかく。柔軟に。対応できぬ状況などないほど。

()()()を殺せ。技の起こりを、予備動作を削れ。いつでも、どこでも、どんな姿勢からでも、即座に行動に移れ。

 流流舞を思い出せ。あの至上の足運びを模倣しろ。

 流れては形を変える水のように。

 

 手の皮が剥けるほど刀を振った。寝食を忘れて天兄上や水柱さまに実力行使で休まされることもしょっちゅうだった。

 教えを請うた水柱さまは流派の違う私に非常によくしてくださった。全ての水の型を教えてくださって、呼吸の違いゆえに模倣しきれない部分があっても、穏やかに許していただいた。水の呼吸の型は私によく馴染んだ。変幻自在を旨とする剣技と体さばきは合理的だ。しまいにはお前が水の呼吸を修めていればよかったのにな、と言われてしまうほどだった。

 もちろん訓練だけをこなしていたわけではない。任務の中でも私は答えを探していた。そちらに意識が偏って細かい傷が増えたけれど、その痛みも掌の傷も、呼吸を派生させるためには些細なことだった。

 

 そうして──その果てに、ちかりと光る一条の幻光を見た。

 

 私は呆然と立ち尽くす。そのときの稽古場は音屋敷の庭だった。離れたところで素振りをしていた天兄上が、手を止めてこちらを見ていた。

 汗で滑った額当てが視界を塞ぐ。左手で押し上げて、どうにか私は言葉を絞り出した。

 

「……天兄上、今の……」

「ああ。見えた」

「……」

 

 私は一度納刀して、そっと柄に手を掛けた。

 もう一度やれるという確信があった。身体の奥底で、なにかがしっくり嵌りこむような感覚があった。

 ──シィイイ。

 それは、やはり光だった。雷のように音を伴うのではなく、ただ(はや)く、(しず)かに閃いて消えた。そういう幻だった。呼吸を修めたものだけが周囲に見せることができる、視覚化された剣気。

 

「……できた」

 

 確かめるためにそう言ってみた。

 

「私、できた……」

「やったなあ黎!」

「う、わ」

 

 飛びかかるようにしてきた天兄上に私はぎゅうぎゅうに締められた。頭が揺れるほど豪快に撫で回される。

 

「それがお前の呼吸だ! よくやった! さすが俺の弟だ!」

 

 天兄上の太い腕に閉じ込められて狭苦しい。まだ兄上より小さいから筋肉に埋まっている。

 ……ええと、こういうときは、どうするのだっけ。

 遠い記憶を探って、私はゆっくりと両腕を天兄上の背中に回した。絞め技だと思われたら嫌だから、触れるだけにした。

 ぎゅっと天兄上の腕にさらに力が入って──常人なら圧死している──足の裏が地面から離れた。三半規管によればそのままぐるぐる回されている。私、もう子供ではないのに。体重十五貫はある。

 天兄上の顔は見えない。ただ心底嬉しそうに、高らかに笑う声がする。

 ……兄上が嬉しいなら、よかった。

 

「兄上、天兄上、降ろしてください」

「お、悪いな」

 

 小包か何かのように軽く地面に降ろされる。……筋肉をつけよう。天兄上みたいに。

 整った顔をくしゃくしゃに破顔させる天兄上は存外に子供っぽい。そんなに笑って頬が攣らないだろうか。

 

「呼吸の名前はどうするんだ?」

「……どうしましょう」

「仕方ねぇなあ、俺様が一発派手なのを考えてやる」

 

 笑顔がだんだん滑り落ちて、少し目を伏せた真顔になる。真剣に考えている顔だ。こだわりはなかったから、その表情を間近で見上げながらただ待った。

 

「……かげの呼吸、でどうだ」

「陰……ですか。派手でしょうか……」

 

 それはどうにも、そぐわない気がする。私に見えたのは光の剣気だ。薄暗かったり視界を奪ったりはしない。

 

「違う。こっちだ」

 

 そう言って、天兄上は私の掌を取って指を滑らせた。

 

「かたち、すがた。──ひかり、が元々の意味だろ。合ってると思うがなぁ? 光の呼吸じゃあ安直でいけねえ。このほうが派手に粋じゃねえか」

「派手……ですか、これ」

「何だやけにこだわるな、お前もやっと派手好きに転向か?」

「い、……あの、天兄上らしくないと思っただけで……」

「ンなこたねぇ、安心しろ!」

 

 不安なわけではないけれど。

 天兄上は再び私の頭を鷲掴むようにして撫でた。もう髪は乱れに乱れて、括っていた形の見る影もない。

 

「俺もお前も、雷の呼吸から派生した流派だ。俺が稲妻の轟きを継ぎ、お前は閃光を継ぐ。兄弟で最高だろ? いいねぇいいねぇ、俺様派手に天才かもしれん」

「……(はい)(はい)、天兄上」

 

 空中に字をなぞる。天兄上と揃いだと、そう言われればとても好ましい気がした。

 その日から私は、影の呼吸の使い手になった。

 

 やっと真の意味で呼吸を修得したことで、鬼狩りの効率は格段に跳ね上がった。

 それは恐らく剣技の精度が増したからでも、答えを探りながら戦うのをやめたからでもあった。

 天兄上と共に戦うことも許された。普段稽古をしているから、連携はとても取りやすかった。

 

 鬼を殺す。鬼を殺す。幾多の頸を落とす。刎ねる。

 

 成長した体躯に合わせて得物も新調した。天兄上には及ばないものの縦に長く伸びたので、必然的に刀は太刀の長さになった。場所によっては取り回しづらいので脇差も持った。

 

 鬼を殺す。鬼を殺す。身体に傷を刻みながら、それより多くの鬼を狩る。

 

 効率と共に階級も上がっていく。いきおい強い鬼と戦うことが増える。

 ──そうして私は、人生で二度目の『勝てない鬼』に遭遇した。

 

 

 

 

 

 隊士が戻ってこないのだという。その数、今までに五人。任を見届けるはずの鎹鴉も消えているらしく、仔細は不明。

 いくら私がそれなりの階級になったとはいえ、そんな任地に単独で向かわせるのはどうなのだろう。鬼殺隊は人員不足からか人を組ませるのを嫌うようだが、その態度が人手の不足に拍車をかけているような気がする。

 まあ。命令の善悪を考えても詮無いことだ。私は任地に向かって駆けながら軽く首を振った。

 

「からす」

「何ダ」

「戦闘に入ったらお前は上空で待機。仕留めるまで降りてくるな。とにかく離れていろ」

「言ワレズトモ」

「目安は、そうだな、半里」

「遠クナイカ⁉」

「煩い」

 

 鎹鴉が戻ってこないのは血鬼術のはずだ。よほど慎重でわざわざ狙っているのか、巻き込まれているのか。どちらにせよ離れていれば多少は危険性が減るだろう。

 ……飛ぶ烏さえ落ちる術に抗えというのだから、鬼というやつは度し難い。

 この先半里、と道を示したからすが併走をやめて舞い上がった。指示を守る心づもりはあるらしい。

 真円にほど近い月は既に天頂にかかっている。残り半分の夜で討伐できるのかどうか。

 

 脚に酸素を回して道を駆ける。

 真っ先に鬼の存在を確認したのは、血臭でも視認でもなく聴覚だった。

 ──悲鳴。

 恐怖でも、驚きでもなく、今まさに命を潰されようとしている者だけが上げる、全身を裂くような喚声。

 まだ何も見えない。大丈夫。音の出どころがわかる、距離がわかる。

 

 ──全集中、影の呼吸。

 力の限り地面を蹴った。

 

 壱ノ像・雷火(らいか)、三連。

 

 私の身体は弾ける稲妻の幻影を残して加速する。音はなく、光だけがある。居合いの踏み込みは刀を抜かなければ最速の移動手段だ。

 狙い違わず、三度目の踏み込みの時点で鬼が見えた。

 ぐったりと弛緩したまま絶叫する隊士を、手先から貪り喰う鬼が。

 きろり、とこちらを見た。

 ──雷火。

 その軌道は直線だ。あっさりと見切った鬼が右腕を振りかぶる。

 間合いの外でもう一度地面を踏みしめる。勢いはそのままに流れを変える。

 

 伍ノ像・蜃気楼。

 

 死角への回り込み。今までの速度からの急変は、並の鬼なら容易く幻影を見させる。頸めがけて刀を振った。

 それでもぎりぎりで腕を割り込ませてきたあたり、なるほど本当に手強い鬼であるらしい。くたばれ。

 腕を──頸を庇った腕でなく、人間を捕らえていた腕を落とす。乱雑に蹴り飛ばして離れさせる程度の余裕しかない。生きていろ。

 

 斬り飛ばした断面から霧状の血液が散った。

 霧状?

 

「……!」

 

 私は違和感に従った。それに触れたり吸い込んだりするのを避け、一旦距離を取る。

 シィ。シィイ。呼吸を整える。大丈夫だ。影響はない──今のところ。

 

「避けたか、避けたか、避けちまったか。強い、強い、強いなあ、お前」

 

 鬼が笑う。断面から元通りの腕が再生されるのが尋常でなく早い。そこら中噎せ返るほどの血臭がする。

 

「叫ばせてれば強いのが釣れると思ったんだ、思ったんだ、思ったんだよなあ! お前が来たか」

 

 動く。ぎょろりと動く。爬虫類か何かのように、その左目が動く。

 

「おれの血はなあ、毒、毒だぜ、猛毒だぜ。お前はいつまで立っていられるかな」

 

 下参、とそこにはあった。

 

「──お前を殺すまで」

 

 影の呼吸、伍ノ像・蜃気楼。

 再び鬼の死角へ飛び込む。一閃。

 鬼は僅かに身体を引いた。切っ先が首の血管を掻き裂いて──それだけ。再び霧状に飛び散る血液を息を止めてやり過ごす。距離は取れない。取らせることもできない。同じことの繰り返しになる。

 

 影の呼吸、陸ノ像・映日(えいじつ)、四連。

 陸ノ像が示す幻影は横ざまの光帯だ。刀を振った軌跡を追うようにして光が(はし)る。足を入れ替えながら続けざまに血霧を斬り払う。

 鬼の頸まで斬るつもりの斬閃なのに、動きを鈍らせることすらできない。奴は飛びずさって離れていく。追えない。いい加減息を吸わなければ。

 

 さっき蹴り飛ばした隊士は──無事だ。たぶん。這いずって逃げようとしているけれど、手足が動かないらしい。他にも人間と鳥──鎹鴉だ、がいくつか倒れている。動いているかどうかは差があるけれど。

 動いている者の様子からして意識は明瞭。吐血も喀血も見られない。呼吸に影響しない種類の麻痺毒だろう。致死毒ではないとは舐めている。

 私は毒に耐性がある。それを頼みに押し切れるか。

 

 鬼が顔面を引き裂くようにして笑った。人外の容貌でもそれが嘲笑だとはっきりわかった。

 

「強い、強いなあ、やっぱり強いなあ、お前! お前を食べたら、喰ったら、貪り喰ったら、おれはきっと、もっと、ずっと強くなれる!」

 

 強い。私ではなく、鬼が。

 麻痺毒とてこの戦況で致命的なことには変わりない。一撃で頸を落とさなければ毒を喰らうのに、鬼は速い。反応も再生も。

 シィイイイイ、と空気を鳴らす。やるしかない。やるべきことは一つしかない。下弦の鬼だろうが頸を落とせば死ぬ。

 全身を押さえつけるような圧迫感は、本能の警鐘は、顎先から落ちる汗は、意地で無視した。

 影の呼吸、弐ノ像、

 

「血鬼術、」

 

 畜生初動を被せるな。寸前で型を変更する。

 

「彼岸花!」

 

 漆ノ像・影渡り。

 

 地面を突き破って生えてくる何か。

 悠長に正体を見定めていられない。音と、視界の下方と、殺気。頼れるのはそれくらい。移動に特化した型でぎりぎり避けきる。

 嘘だ、一発避けきれない。のけ反った額を掠めて額当てが弾け飛んだ。くそ。

 

 束の間の空隙。連発はできない仕様か。いや罠か。しかしここで距離を詰めないわけにいかない。それだけの実力差がある。

 抜重、瞬歩。間合いまで半呼吸で入る。

 影の呼吸、弐ノ像・天使の梯子。

 幾条の光が射す。鬼を突き刺す。そういう幻。突きを連撃で叩き込む型。血を浴びるのは覚悟の上。

 

「血鬼術」

 

 隙が作れない。首を落とせない。回避。

 影の呼吸漆ノ像・かげわ、

 

「曼陀羅華!」

 

 漆ノ像が出せない。咄嗟にただ急所を庇う。全身に衝撃。たたらを踏んだ。脚が動かない。

 それでやっと、脚を撃ち抜かれたと理解した。速い。地面と相手の傷口から生まれた弾丸だった。

 

「う、ぐっ……!」

 

 遅れて痛み。右腿、左脛、脇腹と、額。その他多数。

 退いたら死ぬ、と直感した。汗で柄が僅かに滑った。

 どうせ右脚はもう駄目だ。地面が踏めない。それでもいい。この距離なら倒れ込むほうが(はや)い。

 陸ノ像・映日。

 薙いだ、その先に鬼がいない。消えた。

 

「こっち、こっち、こっちだぜ」

 

 後ろ。悠長に喋っている。殺す。

 参ノ像・後ろ影。

 無拍子最速の後ろ突き。刺さった。手応えと呻き声。逃がすものか。反転する。相手と同じく自分も身動きが取れない。隙を晒して引き抜くか。このまま縦に裂くには筋力が足りない。

 ──そんなの知らない。

 シィイ。酸素を回せ。肺を絞れ。その分吸え。脚はもういい。腕と肩。筋肉の一筋まで強化しろ。血を燃やせ、回せ、──私は天兄上の弟だぞ!

 腕から嫌な音が鳴ったのはきっと幻聴。

 叫びながら刀を振ったのは初めてだった。

 

「──あぁああああああっ‼」

 

 左腕を振り上げて鬼の肩口までを裂いた。再生が始まる前に返す刀で頸を取る。

 すとん、と目線が下がった。

 ──自分の。

 

「……あ」

 

 脚に、力が、入らない。

 頸椎に刃が当たって、そのまま弾かれて滑るのが、なぜかはっきりと分かった。

 為す術なく背中から倒れ込む。

 ()()()()()()()()

 頸を中ほどまで切り裂かれながら鬼は嗤った。喉をやられたくせに空気の混じらない、鬼特有の声がした。

 

「やっと、やっと、ようやく効いたなあ。待ちくたびれたぜ」

 

 背中を打った。その衝撃で手足が火箸を刺されたように痛かった。

 

「おれの血は猛毒だ、って言ったろ、言ったなあ、言ったよな」

 

 濃い血の匂い。噎せ返るほどの──地面に染み込むほどの。

 

「それがこれだけ撃ち込まないと倒れないんだから、驚いた驚いた、驚きだ」

「……毒には耐性があるからな」

 

 けれど耐性とは無効を意味しない。まして天兄上より短い期間しか里にいなかったわけだから、その耐性だってきっと高くはない。

 顔に影が差した。月明かりが明るい。鬼は私を覗き込むようにしていた。表情は陰になってよくわからない。ただ、裂けたまままだ治らず、ぼとぼとと血を落とす首筋、それだけが見える。月明かりに血は黒い。

 口に入った。鉄臭くて苦い。舌が痺れた。

 

 身体の左側に太刀は投げ出してある。その柄を握るうちの左手をあっさりと持ち上げられて、手にも力が上手く入らないことに気付いた。

 鬼に手を撫でられている。その感覚はおぞましいだけでなくぴりぴりとした痛みを伴った。

 

「おれの毒はな、おれの毒はな、おれの毒はな」

 

 がり、と。

 牙を立てられた瞬間、初めに聞いた絶叫の意味を思い知った。

 

「……っぁ、あ゛ぁっ──!」

 

 噛み殺そうとして失敗した悲鳴が濁る。自由になる背筋が知らず反った。

 痛い。痛い。異様に痛い。脳髄に直接爪を差し込まれるような痛み。

 

「痛いだろう、おれの毒は痛いだろう! 鋭敏になって全部が痛いだろう! おれはその悲鳴が好きなんだ!」

「い……あ゛っ」

 

 一言ごとに牙が食いこんで身体が跳ねた。痛い。熱い。全身に(おびただ)しい汗をかく。食い縛ろうとした歯が合わずにがちがちと鳴った。

 

「泣けよ、哭けよ、鳴けよ! 堪えるな、つまらないだろう!」

「ぎ、あ……っ‼」

「お前は強いからなあ、強いからなあ、強いからなあ! 喰ったらきっと美味いだろうなあ!」

 

 激痛に目が霞む。剥き出しの神経に焼き鏝を擦り付けられるよう。心臓が早鐘を打つ。胸を突き破りそうだ。

 ──好都合だ。

 ここで喰われたいか、死にたいか。痛いだけなら呼吸をしろ。血を回せ。解毒しろ。右腕だけでいい。発汗でも毒は抜ける。相手が恍惚と、油断しきっているうちに。頸の傷が治らないうちに。早く。はやく。

 

「人間の踊り喰いはなあ、美味いんだぜ」

 

 痛い。激烈な痛みに思考が塗り潰される。余分なことが考えられない。──逆に頭が澄む。

 殺せ。任務だ。刀。右手。持てる。動く。首が、屈んで、すぐ手の届くところにある──

 ──殺せ!

 

「……っあ、あぁ!」

 

 陸ノ像・映日。

 右腕一本で抜いた脇差が、下弦の参の頸を叩き落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伝令、伝令! 甲・宇髄黎元、下弦ノ参ト交戦シ重傷! 至急救援ヲ求厶! 救援ヲ求厶‼」

 




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