殺しが上手い忍のはなし   作:海野ミウ

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鬼を殺した

 半年に一度開かれる柱合会議。

 そこに重大な隊律違反を犯した隊士が引き出されてくるのは、さして珍しいことではない。

 

 柱たちは気性が激しく──あるいは隊律に関して厳格であったり、鬼への感情が苛烈であったりするので、当該の隊士が問答無用で斬首されかかるのも珍しいことではなかった。

 その場での処分ではなく柱合会議にかけられている時点で一筋縄ではいかない状況、多くは産屋敷家当主の思惑下にあることは明白であり、殺されかけた隊士が、比較的温厚な女の柱や産屋敷本人に宥められるのもまた、珍しくない。

 そうして白洲めいた産屋敷本邸庭に転がされる隊士が、鬼を庇ったとか協力したとかの咎を抱えているのも、やはりよくあることである。鬼に誑かされた新人の隊士や、家族が鬼になった隊士が多い。鬼殺隊士は(つよ)く強靭だが、同時にただの人でもあるからだ。

 

 ただし──竈門炭治郎がそれを知るよしはなかったし、たとえ知ったとしても彼は冷静にはなれなかっただろう。

 

「禰豆子は人を喰ったりしてない‼」

 

 喉を裂くほど必死に叫ぶ炭治郎の主張をひとまず耳に入れる者こそいれ、認める者も擁護する者もいない。彼を見下ろす柱たちはほとんどが大柄な男で、向けられる苛烈な怒気に鼻が痺れた。

 炭治郎の斬首を主張するのは燃え立つような髪の男、最も大柄な数珠の男、縦縞の羽織の男。

 

「人を喰ってないこと、これからも喰わないこと。口先だけでなくド派手に証明してみせろ」

 

 そう言い捨てる、先ほど直々に首を取ってやると言ったのが派手な装飾に赤目の男。

 離れたところに佇む義勇は無表情で俯いたまま。

 

「勝手に処分しちゃっていいんでしょうか……?」

 

 比較的温厚な姿勢を見せるのが桃色の髪の女性と、目の前に膝をつく藤の香りの女性。

 ここに炭治郎の味方はいない。禰豆子を守れるのは己しかいない。それを理解してなお、生来実直で素直な性格の彼はただ叫ぶことしかできなかった。

 ──玉砂利を踏む音。鼻を刺すような(はげ)しい憎悪の匂い。

 

「おいおい、面白いことになってンなァ」

「……!」

「鬼を連れた馬鹿隊員てのはそいつかィ」

「……っ‼」

 

 白髪の、隊服の前をはだけた、傷だらけの男。左手に禰豆子の箱を持っている。

 咄嗟に妹の名を呼ぶことが、あまりに強烈な感情に圧されてできなかった。

 控えていた隠が慌て、藤の女性が怒気を滲ませる。それでも男は気にした風もなく、目をぎらつかせて炭治郎を嗤った。

 

「鬼がなんだって? 坊主」

 

 そう問うて、炭治郎の主張を反復しつつ、男が微塵も彼を信用していないのは明らかだった。

 

「そんなことはなァ……ありえねェんだよ、馬鹿が‼」

 

 禰豆子が刺される、と思った。男が右手で鯉口を切る。それが見える。確実に刺される。那田蜘蛛山の死闘で疲弊した目でもそれはわかった。わかっただけで制止の声をあげることもできなかった。それほど男の手つきは鮮やかで、(はや)かった。

 

「よせ、不死川」

 

 だから、その手を止めたのは炭治郎ではなかった。

 

「あァ⁉」

「よせと言った」

 

 影のようにひっそりと現れて、男の後ろから手を伸ばすのは別の男だ。体格はよく、風柱と呼ばれた男より少し背が高い。額当てと、その他身につけた装飾が陽光を吸って光る。

 捻るようにして掴まれた手首はそれ以上動かせないらしく、風柱は刀身を四分の一ほど抜いたところで手を止めていた。血管を浮かせて震える腕に恐ろしいほどの力が入っているのは明らかだったが、額当ての男は苦労する様子もない。風柱が振りかぶった禰豆子の箱を静かに奪うと、男は手を離して炭治郎の方に歩んできた。

 拘束された炭治郎は呆然と男を見上げる。黒く、煌めきのない瞳と目が合った。派手な化粧のせいでいっそう漆黒が濃い。彼は音もなく箱を傍に置く。

 

「あ……ありがとうございます」

「何も」

 

 何も、何だろうか。言葉は短く、淡々としている。

 その上からはち切れるほどの怒気を孕んだ言葉が叩き付けられた。

 

「黎元……テメェ、どういうつもりだ。そいつを庇いだてすンなら容赦はしねェ」

「それを問うのは私の方だ」

 

 額当ての男が呼ばれたのは名前のようだった。隔意を露わにされても黎元というらしい男は揺らがない。

 

「これは柱合裁判だ。お前のやろうとしたことは私刑にすぎない」

「鬼とつるんでンだ! 裁判なんざするまでもねェ!」

「……私は、それをよせと言っている。殺すのはいつでもできる」

 

 布をぴんと張りつめたような緊張が場を満たす。炭治郎は箱を背中に庇ってじりじりと下がった。

 双方の身体に僅かに力が入った。柱の誰もそれを止めようとしない。炭治郎は救いを求めて辺りを盛んに見回した。

 

「──お館様の、お成りです」

 

 凛と空気を割った童女の声。

 玉砂利に頭を押さえつけられつつ、少なくとも強者同士の戦争が始まらなかったことに、炭治郎はほっと胸を撫で下ろした。

 もっともその後針の筵の上に座らされるのだが、それは少し別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 渦中の鬼を連れた隊士は、大勢の反対こそあれお館様のご要請と、三人の隊士の命で処分を免れた。私はそれに異議を唱えなかった。鬼に恨みがあるわけでもない。お館様からの保証があるなら、とやかく言うことは何もない。

 柱合会議にて、私が──つまり影柱が、意見を口にすることはほとんどない。冨岡と張る無口さだな借りてきた猫か、とは天兄上の談。そんなつもりはないけれど、求められない限り述べる意見もないのは確かだ。

 その後屋敷の中で行われた会議にも私の意見を差し挟む余地はなく、日が中天にかかったところで会議は解散になった。

 

「黎」

 

 手招きをする天兄上と肩を並べて歩く。長じた今でも肩の線は兄上のほうが半尺弱高い。

 柱の任を拝命しても取り立てて求めるものもなく、自分の屋敷も持たなかった私は、今も兄上と義姉上たちと音屋敷に暮らしている。緊急の任務が入っていない現状、帰路は同じだ。

 

「なぜ庇った?」

 

 歩調を緩めずに天兄上が訊いた。見上げた私と見下ろす天兄上で一瞬視線が絡んで、すぐに逸らした。

 尋ねられているのは件の隊士のことで間違いない。責めている語調ではなかったけれど、自分の中から理由を掘り出してくるのには時間がかかった。

 

「……そのように、見えたでしょうか」

「お前がわざわざ不死川に手まで出したんだ。私刑だ何だという話じゃあないだろ」

 

 怒ってないぞ、と天兄上は言った。(はい)、と私は答えた。

 

「……もし……」

 

 続ける言葉に迷って、呟く大きさで続けた。

 

「……もし、天兄上が鬼になったとしたら……私は、兄上を斬ることはできないでしょう。二度できなかったことが、三度目にできるとは思えません」

 

 一度目は兄上の里抜けのとき。二度目は助けられたとき。……あまり直視したくない事実だけれど、私が天兄上を殺したくないと思っていることは事実だ。

 

「ははぁ、同情したか」

「……違います。ただ……理解できただけです。()いて処刑するほどでもないと」

「そうかよ。まあわかる話だ。だがな──影柱」

 

 前半は笑い交じりだった兄上の声が、冷水をかけたように引き締まる。

 

「何だろうか、音柱殿」

「尋ねられたとはいえ、鬼を斬れないなどと冗談でも口にするものではない。慎んでおけよ」

「申し訳ない。わかっている……わかって、います」

 

 天兄上と、同じ階級にある柱として話すのはどうにも慣れない。言葉尻で口調が崩れた。

 

「わかればいい」

 

 兄上は声音を戻して、わしゃわしゃ私の頭を撫でた。兄上だけでなく義姉上がたも、私をまだ稚児であるかのように扱う。……実際はもう二十一になる。

 

「柱だって人なんだ、声高に吹聴しなきゃ咎められるはずもねぇ。マ、そもそも」

 

 ちらりと見上げた口元が歯を見せて笑う。

 

「この俺様がむざむざ鬼になるかよ」

(はい)

 

 そう言っていただけたほうが兄上らしくていい。

 肩の力を抜いた私は話題を変えた。

 

「義姉上がたは御息災ですか」

「定期連絡の手紙に遅れはねぇ。根気との勝負だなこりゃ」

「さようですか」

 

 吉原で人が消える、その噂を聞きつけた天兄上によって三人のくのいちが派遣されたのは、それほど前の話ではなかったはずだ。義姉上がたは兄上の妻で、その兄上は音柱だから、管轄外の私は詳しい状況を知らなかった。

 

「……お気を付けください。義姉上がたにもお伝えいただけますか」

 

 しばらく迷って、私はそれだけを言った。本当に吉原に潜み続けているなら強力な鬼だろう。まだ確定していない段階で柱たる天兄上とその妻たちに言えることは、それしかないように思えた。

 

「ああ」

 

 天兄上は頷いた。

 その口だけの言葉が何の効果も持たないことを、私たちはよく知っている。

 

 

 

 

 

 

 定期連絡が途絶えた、と天兄上が厳しい顔をしたのはそれから二ヶ月ほどが経ってからだった。

 それまで遅れがちだった文がとうとう届かなくなったらしい。誰か──普通はお館様に呼ばれるとき以外完全に夜型の生活をしている私は、実は兄上と顔を合わせることが少ない。けれど、それでもはっきりとわかるほど焦燥が濃い。

 

 互いに柱の任に就いているのだから、戦闘そのものへの応援要請がない限り私が干渉するべきではない。朝夕にすれ違うだけで何の構いもできず、淡々と夜が過ぎていく。

 薄暮に起きて、鬼を斬り、時間が空けば鍛錬をして、薄明のうちに眠りにつく。下弦の壱を斃してから、もうずっとそんな生活をしている。

 嫌な夢を見そうだから、夜には眠らないようにしている。……それだけ。

 

 まあ、だからといって昼間に出歩くことがないわけではない。特にここ数ヶ月は家を守る義姉上がたがいないから、幾ばくかにしろ家事をしなければ屋敷が荒れ果ててしまう。天兄上だけにお任せするわけにもいかない。

 

「お、珍しいな。買い出しか?」

 

 それでも珍しいと言われる程度の頻度ではあるのだけれど。

 

(はい)、おはようございます。天兄上こそ珍しい格好でいらっしゃる」

 

 昼の街ですれ違った天兄上は隊服ではなく、髪を下ろしていて、いつもの装飾品も化粧もしていなかった。この状態でも一般的に見て造作の整ったほうだと思うのだけれど、地味だと言って兄上は嫌う。確かに派手か地味かで言えば地味であることに間違いはないから、私は何も言わないでいる。

 

「これから昼見世にな」

「なるほ……」

「兄ィ──⁉」

 

 甲高い少年の声が鼓膜を貫いた。私は少し身を引き、兄上は心底煩そうに耳を塞いだ。

 

「オイ」

「兄⁉ オニーサンなのアンタ⁉ 三人も美人な嫁さんがいて? アンタ自身の顔面もそれはまーよくできた出来で? んでもって兄弟までイケメンなのぉ⁉ はー血筋がいい仕事しててやんなっちゃうねふざっけんなよ‼」

「うるせぇな‼」

 

 まくし立てていた黄色い髪の子供が天兄上の拳を食らって沈んだ。

 他にも黒髪の子供と市松模様の着物の子供がいて、全員が白粉を塗りたくって女の装いをしている。体格からして少年なのは確かだけれど、これは。

 聞きあぐねて子供らを眺め下ろしていると、天兄上が口を開いた。

 

「ああ、こいつらは借りてきた隊士だ。目星を付けた店に潜らせる」

「……女隊士ではありませんよね」

「伝手がなくてな。蝶屋敷のガキどもを使おうかと思ったが、胡蝶はいないわこいつらに騒がれるわ。代わりに行くっつーからこれでもいいかと」

 

 これって何だよ、と黒髪の子供が思いの外低い声で凄んだが、兄上は無視して笑んだ。

 

「まあ心配すんな。遊郭なんざ一度入った女はそうそう出さねえ。たとえ素人だろうが入れちまえばこっちのもんだ。俺様の顔と話術にかかればいちころよ」

 

(はい)。ご武運を」

 

 任務に赴く途中なら長々と立ち話をするものではない。私は会釈をしてその場を去ろうとする。

 

「あ、あの、黎元さん!」

 

 私は彼らに名を名乗っただろうか。

 呼び止められたので振り返る。声を発したのは市松模様の着物の子供らしかった。

 

「確かに私は黎元だが、何か」

「すみません! 俺は竈門炭治郎と言います!」

「……それが、何か」

 

 背筋を伸ばして声を張る隊士は礼儀正しいが、とても潜入などできそうにない。

 少年は直角に腰を折った。

 

「柱合会議の折は、禰豆子を助けてくれてありがとうございました!」

「……」

 

 何の話だ。

 私が理解していないのがわかったのか、天兄上が助け舟を出してくださった。

 

「ほら、柱合会議の前に裁判にかけられた隊士がいただろ。あれの鬼の妹。箱に入ってた」

「ああ……」

 

 そういえば当の隊士がそんな名前だったかもしれない。

 

「助けた……わけではないが。……励めよ」

 

 公言するなと天兄上から叱られたくらいだ。正面から礼を言われると奇妙な心地がする。

 私は見つめてくる目から目を逸らして、今度こそその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳥の羽音がする。夜色の鳥は視認するよりも耳で確認するほうが早い。

 私は刀についた血糊を払って空を見上げた。

 僅かな月明かりを反射して光るもの──あの装飾は天兄上の鎹鴉だ。額当ての紐を締め直す。

 

「カァー! 伝令、伝令! 花街・吉原ニテ上弦ノ陸出現! 音柱及ビ隊士三名ガ交戦中! 至急援護ニ向カウベシ! 向カイナサイッタラ‼」

 

 吉原──遊郭。では天兄上の見立ては正しかったのだ。

 

「聞イテンノカシラ⁉」

「痛い。聞いている。本部に連絡は」

 

 耳を齧られた。私は振り払ってから問う。

 

「マダヨ! アンタニ言ウ方ガ絶対早インダカラ!」

「違いない」

 

 全力で駆ければ夜半までには着くだろう。疲労は溜まるが、この時間に他の足を探すくらいなら走ったほうが早い。

 私は上弦の鬼の強さを知らない。ただ、鬼に負けて散っていった隊士の数だけを知っている。

 それは柱でさえ逃れえない運命だ。

 鎹鴉が飛び立つと同時に、私は地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 空気が重たい。遠くから伝わる空気の震え、啜り泣きの声、怪我人の呻き。逃げ惑う人間と息を殺して蹲る気配。

 絢爛なはずの楼閣はところどころ無惨に切り落とされ、巻き込まれたらしい人間の血の匂いが強い。私はその屋根を蹴り飛ばすようにして駆ける。

 ここまで来てしまえばどこに鬼がいるのかを察するのは容易い。剣戟の音、あるいは怒声。それが段々近くなるほうへ。花街の中心へ。

 

 戦力はどれくらい残っているのか。誰か死んではいないか。隊士は。義姉上がたは。天兄上は。

 戦闘音がはっきりと近くなる。足音が五人……いや、七人分。それを判別できるほどの距離になっても、まだ夜闇の向こうが見通せない。人間の目は弱く貧弱だ。歯嚙みしながら走る。呼吸を深くする。肺を鳴らす。

 

「雛鶴──っ‼」

 

 絶叫。天兄上の。屋根の上、朧に見える小柄な影。

 ──鼓膜を刺すような鬼の殺気。

 咄嗟に苦無を打ち放った。脳で認識するより早く、駆け参じるより(はや)く。

 そのための型が、影の呼吸にはある。

 

 ──肆ノ像・箒星。

 それは夜を裂く一条の幻影。太陽がなくとも尾を曳く、火花のような光の幻視。

 

 たとえ目が効かなくても、耳で正確な狙いがつけられる程度には距離が近い。鬼の唸りが手応えを伝える。

 その間に私の足は戦闘区域に到達していた。勢いは殺さない。その手間があまりにも惜しい。

 鬼は二体。屋根の上と下。どちらを狙うべきかは明白だ。より重い殺意をまとうほう、地面を踏んで、今まさに天兄上と対峙する男鬼──

 

 ──目が、合った。

 

 伍ノ像・蜃気楼。

 私の身体は揺らぐ。きっとそのように見える。三年をかけて洗練した幻惑の脚運び。走ってきた速度はそのまま、落ちるように斬りかかる。左前から──鬼の死角から。

 伍ノ像から続けて居合、壱ノ像・雷火。

 

「新手だなあ」

「チッ」

 

 鎌だ。鬼は赤黒い鎌を持っていて、それであっさり日輪刀を防いだ。(はや)い。

 

「黎!」

「黎元さん⁉」

「遅参をお許しください。義姉上は逃げて。状況は」

 

 投げられる呼びかけにも、降ってくる驚きの声にも、顔を向けて応える余裕がない。

 わかってるわ、という声の後に雛鶴義姉上の気配が遠ざかっていく。

 

「竈門! 女鬼を任す」

「はい‼」

 

 

 竈門、竈門炭治郎。兄上に女装させられていた、鬼を連れた隊士だ。屋根の上の、別の鬼の気配に向かっていく。

 鬼はぼりぼりと身体を掻きむしって、おもむろに私の方へ身体を開いた。

 隙だらけの動作だ──そのはずだ。なのに、どうしても斬りかかることができない。

 鬼の目は私を見ている。僅かな動きをも見逃すまいと、全身を観察している。……動いたら斬りかかってくる。そう思う。

 

「鬼は二体。同時に頸を斬らないと死なねえ。血鎌は毒だ、できるだけ食らうな」

「耐性は」

「致死毒、もって一晩。苦無の藤毒はろくに効かねえ。帚木(はわきぎ)の羽でどうだ」

(はい)

 

 厳しい。上弦の鬼とはこれほどか。耳を澄ませば天兄上の呼吸が少し浅い。……そういうことだ。

 

「なんだあ、お前、兄弟か」

「……弟だが、何か」

「あああああ、そうかよ」

 

 ゆっくりと会話を繋ぐ。膠を混ぜたような粘度の空気の中で、相手の隙を探る。……そんなものは、きっとできないけれど。

 鬼は頬を掻き抉りながら歯を剝いた。掻き傷が瞬時に治癒する。

 

「仲睦まじくていいことだなあ、羨ましいなあ、兄弟揃って出来た顔でなああ」

「ハッ、鬼になってまで嫉妬か。浅ましい野郎だぜ」

「うるせえなあ、瀕死の柱が」

「生憎瀕死でない柱もいるもんでね。テメェの頸はこっちのもんだ、馬鹿が」

「……なんだあ? お前、そこの黒いの、柱か」

「そうだ」

「腹立つ顔面だが喰いではありそうだなあ」

 

 柄を握る手に力を込める。

 

「──鬼殺隊影柱、宇髄黎元。お前ごときに喰わせる肉は持ち合わせていない」

「くたばっちめえよ。お前もそんな口は利けなくしてやろうなああ!」

 

 鬼が動く。私を見ている。──私だけを。血鎌の先に切っ先を合わせにいく。

 私は鬼と正対する。天兄上は右横から切り込む。鬼の左腕は上がり始めている。きっと天兄上の刃は届かないだろう。──それでいい。

 

 身体を引く。重心は左の踵。右の爪先を蹴り出す、勢いで仕込んであった分銅が伸びる。鬼はそれを一瞬見て、私と天兄上に意識を戻す。そのように眼球が動く。鬼といえど元は人だ。さしたる脅威ではないとでも思ったか。

 がん、と両の血鎌が私たちの日輪刀と噛む──押される。押し負ける。片足を上げているから踏ん張りがきかない。鬼がつまらなそうな顔をする。

 

「この程度か? 拍子抜けだなあ──」

 

 反動で上がった爪先を振る。分銅がしなって、撓んで、擦れる。火花が散る。

 

 隙はなければ作るもの。

 

 天兄上が裾から落とした火薬玉が──鎖に触れて爆発する。

 爆風に一瞬気を取られた、それこそが奴の明確な隙だ。

 押し負けた──押し返さなかった。力を受け流して地を踏みしめ直す。その隙は天兄上が埋めてくれる。足首の僅かな動きで分銅は私の身体を離れ、代わりに鬼の脚に絡む。引きちぎられようが、一瞬動きが鈍ればそれでいい。

 符丁『帚木の羽』。その意味は『火薬玉による陽動』、及び『分銅使用』。

 

「音の呼吸、弐ノ型──」

 

 影の呼吸、陸ノ像・映日──続けて弐ノ像・天使の梯子。

 

「血鬼術、」

 

 そうして、私と兄上が叩き込む斬撃よりも、

 

「跋扈跳梁!」

 

 鬼の防御の方がなお(はや)い。

 どす黒い血鎌が回る、回って、飛んで、とてもその中に踏み込んでいけない──()()()()()()()

 

「黎──馬鹿野郎ッ‼」

 

 兄上の声が退()がる。あの得物は盾になる。きっと大丈夫だろう。

 私はそうではない。持つのはただの太刀で、間合いは精々腕二本ぶんしかない。距離を空けてはいいように嬲られるだけ。

 退がって堪るものか。強く地面を踏みしめる──素早く抜重。腕は弐ノ像の形のまま。

 

 漆ノ像・影渡り。

 

 体捌きと突きの連打で血鎌をいなす。いくつか肌を切り裂いて、重く痺れる悪寒が駆け上がる。

 なるほどこれは致死毒だ。毒耐性など玩具と同じ。私が鬼の毒に勝ったことなど一度としてないのだから。

 脳裏に思考が閃く。その時間は血鎌が一寸飛ぶより短い。まるで稲光のように。強く瞬いて、灼けるような残光を残して。

 

 致死毒だ──即死ではなく、麻痺でもなく、昏倒でもなく。

 食らって、何刻か後に死ぬだけの。

 

 無数の血鎌が背後に抜ける。その向こうに、痣ごと顔を歪める鬼がいる。

 

「お前、なぜ」

 

 腕が動く。脚が動く。肺が動く。この瞬間は遅滞なく動く。ならば私は五体満足だ。そうだろう。

 踏み出した足が砂を噛む。シィ、と息をする。肺を絞る。絞って、瞬間的に開く。

 

 影の呼吸、弐ノ像・天使の梯子。

 

 鬼が血鎌を振る。突きとぶつかる。降り注ぐ光柱の幻影が砕け散る。

 

「音の呼吸、伍ノ型・鳴弦奏々!」

 

 背後から爆風。私は振り返らない。天兄上が邪魔をするわけがない。

 天兄上が左横合いから突っ込んでくる。鬼が合わせて指を振る。

 

「血鬼術──飛び血鎌!」

 

 兄上を近づけまいとする遠距離攻撃。兄上は双刀を片方手放す。振り子のように間合いが伸びて、鬼が喚きながら仰け反る。

 私は見る、兄上の手の空いたほう、爪紅を塗った右手が持っているもの、指先で撥ね上げた──―

 

「──っ!」

 

 気を散じた一瞬に殺気。咄嗟に拳を開いた、両手から得物が弾け飛ぶ。

 

「馬鹿野郎」

 

 鬼が嗤う。飛び血鎌だ、空中で曲がった。最初からこれが狙いか。指が落ちなかっただけマシ。

 隙を突こうと鬼が足を踏み出す、

 

「馬鹿はお前だ」

 

 絡んでいた分銅の鎖が鳴る。鳴って、張って、砕け散る──その、僅かな遅滞。それで十分。

 私は右手で脇差の柄を掴む。一歩間合いを詰める。それは太刀と脇差の長さの差。

 肺を鳴らす、空気を揺らす。

 

 影の呼吸、壱ノ像・雷火──

 

「血鬼術……!」

 

 ()()()肆ノ像・箒星。

 

 居合と同時に左手で苦無を打つ。さっき天兄上が身体に隠して投げ渡したもの。使えという無言の指示。

 居合の軌道は上下に動かねば避けられない。鬼が跳ぶ、予想通りだ。空振る雷火、その幻光に隠れて苦無が(はし)る。

 空に向けて墜ちる彗星。血鎌を掻いくぐって腿に刺さる。

 体勢を崩した鬼が落ちる。刀を返す。まだ動かない。

 

 ──()った。

 

「畜生──ちくしょうちくしょうちくしょ」

 

 陸ノ像・映日。

 

 頸は硬い。獣めいた唸り。最後の足搔きとばかりに腕から血鎌が湧き出る。

 それでも私の刀が頸を切断するほうが(はや)く、やはり天兄上が鬼の両腕を落とすほうが(はや)い。

 

 ごとん、と。

 聞き慣れた重い音がした。人の頭が落ちる音だった。痩せこけた男の頭。

 

 ──女鬼は。同時に頸を落とさなければいけないという。

 

 はっと思い出した瞬間、津波のように周囲の音が押し寄せてくる。狭窄していた視野が回復するのに似ていた。

 

「宇髄さん‼」

 

 それが天兄上を呼んだものか、私を呼んだものかはわからない。けれど屋根の上から響いたその声は、竈門のものに違いなかった。

 ほぼ同時に罵声を撒き散らす女の頭が降ってきて、男鬼の横にがらくたのように落ちた。

 

 ……(たお)した。上弦の陸を。

 それを確認できた途端に膝が折れた。倒れこむまいとする力がうまく入らなくて、それでやっと手足が厭に痺れていることと、あちこちに裂傷があることを思い出した。

 土嚢を落とすのに似た、中身の詰まった音がする。頭を上げると天兄上が横ざまに倒れ伏すところだった。

 

「天兄上、」

 

 日輪刀を取り落とす。膝と掌を地について、そこから動けない。呼吸が浅い。喉の奥から鉄の匂いがした。

 致死毒だと言った。上弦の陸発見の報せがきたのは何刻前だったか。私よりよほど回っていて当然だ。

 

「兄上……」

 

 天元さま、と三人分の声がする。私の脇を駆け抜けて義姉上がたが兄上へ泣き縋った。

 柱が二人も死ぬのはやりすぎだっただろうか。でも、兄上が死んでしまうなら、せめて頸は取らなくてはと思って。

 灰が崩れる音がする。それは砂時計の音に似ていた。残り僅かしかないときの、少し大きくなる砂粒の音。

 

「宇髄さっ……天元さん、黎元さん! 大丈夫ですか⁉」

「……竈門」

 

 首を曲げて、駆け寄ってくる市松の羽織を見た。大事ない、とは、流石に言えなかった。

 

「……上弦の陸は討伐した。怪我は……他の隊士は」

「無傷ではありませんが、無事です!」

「よし……」

 

 他に二人、聞き覚えのある声がする。討伐に安堵したのかやたらと煩く、耳を傾ける気力はなかった。

 

「……本部に報告を……」

 

 隠が来るまで私が生きているかどうかわからない。無様に四つ這いになったまま、今すべきことを考える。

 

「はい……あ、禰豆子! こらどこ行くんだ!」

「おい……」

 

 軽く小さな足音を追って竈門が離れていく。麻の葉模様の裾が翻るのが見えた。

 立ち上がって追うべきだろうが、脚の筋肉が震えてままならない。参戦するまで駆け通した疲労が今ごろ出ているのか、それとももう毒が回ったのか。

 知らず地面を向いていた顔を上げ直す。

 

 眼前で火柱が上がった。

 

「なっ……」

 

 咄嗟に腰を上げて、転ぶようにして天兄上に群がる人だかりに割って入った。どこにそんな力が残っていたのかわからないけれど。

 

「天兄上っ──」

「毒が消えた……」

「……え」

 

 驚愕に見開いた紅と目が合う。

 膝を地面に擦りつつ滑り込んだ私は、そのときやっと、天兄上が左目を切り裂かれていることを知った。

 

「あ、あにうえ、」

「よォ黎」

「む!」

 

 目の前に突き出される幼児の手。疑問を呈する前に、

 その掌ごと私の全身が燃えた。

 

「っ──!」

 

 反射で跳び下がって、仕込んだ暗器に手を伸ばす。

 ──()()()()()()

 

「なん……」

 

 動く。あの厭な痺れも呼吸のしづらさもなく。手足が──身体が。

 毒が消えたと天兄上は言った。私もそうとしか思えなかった。

 

「お前……」

 

 幼子を見た。よく見れば瞳孔は縦、爪は長い。鬼の風貌だ。

 竈門がその頭を撫でた。

 

「禰豆子の……妹の血鬼術です。他の血鬼術を無効化できるみたいで……」

 

 そうか、と答える時間が惜しい。急き立てられるようにして跳び下がったぶんの距離を戻った。

 

「天兄上」

「どうしたどうした、そんなに焦って」

 

 返答は笑い含みだった。義姉上がたも涙を拭いながら笑っている。

 

「焦ってなど……いませんが……」

 

 死んでしまうと思った。その危険がなくなったことを理解した。

 

「よかったですう‼」

「わ」

 

 須磨義姉上が飛びついてくるのに応えあぐねて尻餅をついた。義姉とはいえ人妻に無闇に触れてよいものだろうか。

 雛鶴義姉上とまきを義姉上も口々によかったねえと身体を寄せてきて、私は助けを求めて天兄上を見る。

 だって私、何も言ってはいないのに。

 

「──はっ」

 

 天兄上は笑って──もう一つきりしかなくなってしまった瞳で笑って、伸ばした手で私の頭を撫でた。

 

「よかったな、黎」

「……(はい)、天兄上」

 

 返事をするくらいなら、まあ構わないだろう。

 

「何なんだよあそこ美女と美男がイチャイチャイチャイチャ……!」

「おうテメェら、動けんなら救護しろや救護!」

「理不尽だな派手柱‼」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼殺隊音柱・宇髄天元

 鬼殺隊影柱・宇髄黎元

 庚・竈門炭治郎 我妻善逸 嘴平伊之助

 

 以上五名、上弦陸・妓夫太郎、堕姫ヲ討伐セリ。

 




殺しが上手い忍のはなし、おしまい。兄上の手が救済できたので満足です。

次回の蛇足回で最後となります。
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