殺しが上手い忍のはなし   作:海野ミウ

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そうしたら、とっておきの温泉に連れていってやったのに。


エピローグ

 兄上様 

 

 私はちゃんと鬼を斬って死ねたでしょうか。

 私を鬼殺隊に招いてくださったこと、継子にしてくださったこと、呼吸を修めるまで導いてくださったこと、何度感謝しても足りぬほどの御恩であると思っております。

 私物は兄上のお好きに処分していただいて構いません。ご面倒をお掛けします。

 兄上と義姉上がたがご息災でありますように。

 

鬼殺隊影柱 宇髄黎元

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 天元のほかに誰もいない部屋に、深く重い溜息が落ちた。今しがた開いた短すぎる書状を畳み、開き、裏返し、また元通りに畳む。

 

 表書きはない。白く飾り気のない紙には手垢の汚れも日焼けの跡もなく。折り目はわずかに毛羽立って柔らかい。

 封をされてから明らかに長い時間が経った、それは遺書だった。

 

 鬼舞辻無惨との決戦から数えてわずかに二日。悪鬼は斃され、人間は月夜の安寧を手に入れたが、代償にあまりに多くの人命が失われた。柱であっても例外ではなく、影柱——天元の弟もまた、死者の列に名を連ねることとなった。

 覚悟はしていたが哀しみはまだ新鮮なままだ。

 

 はあ——……と、天元はまたため息をつく。

 周囲を見回す。黎元の私室は殺風景だ。刀掛け。文机。小物入れ。行李。目に付くものはその程度。押入を開ければ畳んだ布団が覗くだろう。唯一使い込んだ形跡があるのは刀の手入れ道具一式くらいのもので、文机——遺書を発見したのはこの抽斗——も、その上の墨と筆も、天元が買い与えてやった万年筆も螺鈿の小物入れも、人の手など知らぬかのような佇まいをしている。

 好きに処分しろ、と弟は書いたが。

 

「処分するほどのもん、ねぇじゃんかよ……」

 

 黎元はものを欲しがらなかった。うまく欲しがる方法をついぞ知らないまま逝った。

 もちろん、天元はそれをよくわかっていた。私室に入ったのだってこれが初めてではない。彼は弟の私物といえる持ち物がごく少ないことを知っていたし、その部屋が殺風景なことも知っていた。今更驚きはしない。

 

 書状をみたび開いて、几帳面に整った文字の形を眺めた。万年筆の筆跡だ。その紙の感触と綴られた内容だけが、彼の知らなかったことだった。

 面倒をかけてでも私物の処分を頼むべきだと思っていたこと。そしてそれが、おそらくは数年前——少なくとも柱稽古が実施される前に書かれ、書き直された形跡のないこと。

 天元にとっては無いに等しい量の私物で、書き遺すには尚早すぎる遺書だが——弟にとっては、どうもそうではなかったらしい。

 

 天元はふと手を伸ばして、数少ない私物——文机の上の小物入れを手繰り寄せた。漆に豪快に螺鈿を乗せたそれはやはり彼が送ったもので、正直黎元が「兄が贈ったから」以上の理由で好むとは思えないたぐいの派手さをしている。そもそも好き嫌いで物事を語るのは弟には難しかったから、天元はそう理解していたから、兄としての権限で受け取らせた。そういうものは他にもいくつかあった。

 留め具を上げて蓋を開ける。

 

「……あぁ」

 

 爪紅。

 もちろん天元は知っている。兄弟で揃いにしようと指先の飾り方を教えてやったこと。それから弟が律儀に爪を染め続けていたこと。刀を振る以上色だけでなく爪本体の傷や欠けが日常茶飯事だった中で、こまめに色を乗せていたこと。互いに多忙だったとはいえ、同じ屋根の下で暮らす兄弟だったのだ。よく知っている。

 それでもこうやって、ほとんど空っぽの箱の中に、中身の減った爪紅が保管してあるのを見ると、たまらなかった。

 天元はそっと、まるでそれが薄く脆い玻璃でできているかのような手つきで、爪紅の容器を取り上げた。

 確か弟の遺体には右手の指が二本か三本残っていたはずだ。送り出す前に塗ってやろうと思った。

 

 黎元の体は既に棺に収まっているが、まだ荼毘には付していない。出棺を急いでいるわけではないからだ——そうやって容器に入れておかなければ、体をひとまとめにしておけないからだ。肉体が残っているだけ恵まれているほうだろう。

 散らばってしまった弟に対する動揺はない。もとより彼は黎元が生きて帰ってくるとは思っていなかったし、ましてや五体満足で戻ってくるなどとは——棺に納めるべき遺体が揃っているとは期待してすらいなかった。

 それは弟の実力を疑っていたからではない。決戦が文字通りの死闘であることを理解していたからだ。

 

 ……そして、ああこいつは行ったきり帰ってこないだろうな、という、確信に近い予感があったからだ。

 

 弟は殺しが上手かった——人殺しが誰よりも上手かった。その才能を鬼殺に転用してもあまりあるほどに。鬼への怒りもなく、憎しみもなく、さりとてその他の目的も意志もなく、天元がそう命じたからという理由だけで、柱に登りつめるくらいに。

 そんな人間が、鬼も忍も滅んだ世でどうやって生きていけるだろう?

 今、天元の手の中にあるひとつの遺書が、本人にもその想像ができなかったことを証明している。

 

 哀しみと同じように、記憶もまだ鮮明だ。黎元の剣筋を覚えている。深い呼吸を覚えている。その剣気が見せる幻影を、あの鋭利に閃く光を、鬼を斬るためだけに研ぎ澄まされた一挙手一投足を覚えている。

 ただ一度だけ、ひどい、と自分をなじった声を、幸せの箱どころか人間性の箱を置くことすら苦しがった声を、覚えている。

 もう戦うなと命じれば、きっと弟は苦しんだだろう。

 

 ……それでも、と天元は思ってやまない。

 

「お前が、生きて帰ってきたらよかったのになァ……」

 




 歴代最強の柱たちが八割死んでるのに夢主ごときが生き残れるわけないじゃないですかー!
 生存エンド(たぶん痣出してるのでいずれ死にますが)はこちらです。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13651099

 評価、お気に入り、コメント、ここすき等々、シリーズ通してお付き合いいただきありがとうございました!
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