ぬらりひょんの孫娘   作:佐藤 言京

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第零話 其ノ一

 かつて人は妖怪を畏れた。

 その妖怪の先頭に立ち、百鬼夜行を率いる男。

 人々はその者を妖怪の総大将―――あるいはこう呼んだ。

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)の主、ぬらりひょんと――――――

 

 関東平野のとある街、浮世絵町―――そこには、人々に今も畏れられる「極道一家」があるという―――

 

 

 

 燦々(さんさん)と降り注ぐ春の陽光が、古風を旨とした庭と、やっと芽吹き始めたばかりの庭木を優しく包んでいる。

 四月。新たな生活、年度の初め。厳しい冬の寒さから一変して、気温は徐々に暖かくなる。人々も陽春の候に感化され、気分が高揚してくる季節。そんな中、珱菜(ような)は世間一般の人とは真逆の方向で気持ちが沈んでいた。

 今、彼女がいるのは自宅の奴良家。今年で九つになる珱菜にとって奴良家は住み慣れた場所であり、数少ない心落ち着けることが出来る空間である。にもかかわらず、珱菜はこれで幾度目かの溜息を零した。

 珱菜が気を揉んでいるのは一つや二つの問題ではない。お小遣いが少ないとか、跡取りがどうとか、更には彼女の祖父なる人―――彼を人に含んでいいのかは分からないが―――がまた食い逃げをやらかしたとか。しかし、今一番彼女の心に重石を十個ほど乗せているのは、そう、もうすぐ新学期が始まるということだった。

 今年で小学生三年目になる珱菜は同年代の子供たちに余らず、この休日を楽しむはずだったのだ。

 その春休みの終盤の話。

 

 

 

 珱菜の通う浮世絵小学校は小中高を一貫して、関東の中で一・二を争うほど暦日がある学校で有名である。そんな学舎と校風には、やはり伝統というものが深く根付いていた。「春課題」というのもその伝統の一つであり、各学年に見合った宿題の量が出題される。そんな二週間ほどの短い休みで、生徒たちに課せられるのは漢字の書き取りや算数ノートといった簡単ですぐに終えることが出来るもの。しかし、三年生になる生徒にはそれに加えて「自由研究」が与えられるのである。

 珱菜は出された宿題をその日のうちに終わらせるタイプだ。去年、一昨年の春課題もサクサク済ませ、残りの休日を側近たちと謳歌した。しかし今年は、この「自由研究」が足を引っ張った。なかなかテーマが決まらないのだ。「自由」という言葉が無限の選択肢を生み出して、テーマを一つに絞れない。悩んで悩んで悩みぬいて出たものは、先生が決めてくれればいいのにという愚痴だった。

 どうすればいいのかと己が母に尋ねたところ「珱ちゃんが楽しいって思うことをやればいいのよ」との助言を貰った。

 珱菜が楽しいと思う事、それは料理のお手伝いだったり、読書だったり、側近たちとのおしゃべりだったり、そして友達と遊んだりすることだった。しかし、料理を研究するといってもどうすればいいか分からないし、本に関連した宿題というものは夏の「読書感想文」しか思い浮かばない。おしゃべりや遊びは「自由研究」には入らないということくらい珱菜は分かっていた。そんな訳で初日からずるずると主題を決めることが出来ないまま、日が過ぎて今に至る。

「……えっと、このままじゃ、マズいよね」

 どうしようもなく焦慮に駆られて、むむむっと学校で配布された未だ真っ白な発表用紙と睨めっこする。このB1用紙一枚以上を「自由研究」で埋め尽くし、更に学校が始まったらクラスで発表しなくてはいけない。

 しかしどんなに睨んでも良い案は浮かんでこない。然らば奥の手と珱菜は勢いよく立ち上がり、最後の助け手の元へ向かうのだった。

 

 

 

 第零幕 其ノ一

 

 

 

 気持ちの良いお天道様の恩恵を浴びながら、少女はいそいそと鮮やかな着物を揺らして和風の廊下を歩いていた。眩しそうに顔を上げ、冬より早く仕事をするようになったお日様に敬礼する。気分は洋々、足取りも軽く感じる。少女―――珱菜は自身の持つ「奥の手」に絶対の信頼を寄せていた。春休みも後片手で数えられる程。だが、珱菜は自由研究を終わらすことが出来ると確信していたのだ。彼女がそんなに自身ありげなのにはちゃんとした理由がある。

 「亀の甲より年の劫」という諺を二年生の国語の授業で教わっていた。長年かけて積んできた経験は貴く、価値があるという意味のこの俚諺(りげん)はまさに珱菜の「奥の手」つまりは「祖父」にぴったりなのだ。珱菜の祖父は少しばかり―――否、かなり人間離れしている。頭の形が歪だったり、いつの間にかふらりと屋敷から出ていって、誰にも見つからずに帰ってきたり、何百年も前から生きていたりと、正常な人の感覚なら理解に苦しむ事ばかりだろう。しかし、少しでも彼の裏の顔を知っている者はこう言う。―――奴良組総大将にして魑魅魍魎の主、ぬらりひょんと―――

 閑話休題、結論を言うと珱菜が確信めいたものを持っていた理由は、祖父が正真正銘の妖怪であり、人とは比べ物にならないほど現世に生きているからであった。

 歩きながら珱菜は考える。

 先にもあったように、ぬらりひょんは誰にも気付かれる事なくふらりと出ていく(あやかし)。しかし、そのぬらりひょんの孫である珱菜は彼がこの奴良家にいることをも確信していた。

「このじかん、このお日様のほうがくだとおじいさまはきっと―――」

 長い廊下を渡って、珱菜は目的地に着いていた。ぴしゃりと閉ざされている襖の前で立ち止まり、えいっと可愛らしい掛け声と共にそれらを両手で開け放った。

 

 

 

「はっはっはっ。そりゃ困ったのう。自由研究か。面白そうじゃな」

 一連の悩みを打ち明けたら、老爺は後ろに伸びた頭を上下に揺らしながら豪快に笑ってみせた。

「笑いごとじゃないよ! わたし、ほんとうにこまってたんだから」

 そんな彼を正面から恨みがましく見つめている珱菜。

 彼女達が座談しているのは茶の間。珱菜の予想は寸分も外れず、襖を開けるとそこには、未だ片付けられていない火燵(こたつ)でほうと緑茶を喫する妖怪総大将殿が鎮座していた。

 普段はぬらりくらりと生きている彼だが、毎朝行われる人ならざる者の朝会や月一で開かれる奴良組の総会での様子は、世の闇を統治する頭領に相応しい風格となす。だが、今「奴良組」と達筆な墨字でかかれた掛け軸を背後に座っている大妖怪は、珱菜のよく知る自由で気さくなおじいさまだった。

「ふむ。若菜さん、お母さんは何か言っておったかの?」

「おかあさまはわたしの楽しめるものをやりなさいって……」

「それならヨウナの好きな事を自由研究でやればいいと思うんじゃが」

「でもね、おじいさま。カナちゃんとおしゃべりすることは自由研究に入らないとおもうの」

「こりゃ、ヨウナや。お前の楽しみはそれだけなのかい」

 違うじゃろうというように、歳の数だけ刻まれているであろう細かい皺を深くして微笑む。珱菜はその言葉の意味を、料理だろうか読書だろうかと考えあぐねている内に、目の前の祖父が彼の歳とは似合わない軽やかな動作で立ち上がり口を開いた。「ワシを誰だか忘れちゃいないかい」

 珱菜が視線を上げると、ニヤリと頬を持ち上げている祖父がいた。穏やかな表情をしているようで、しかし、鋭い光を帯びた細い目は(さなが)ら彼の「世の裏の顔」の一部だった。

 大抵の者は首頭のこの顔を見ると恐怖を感じたりするのだけれども、珱菜は祖父がこの顔を作る時のことをよく知っていた。故に怖気づくこと無く飄々とした態度で言葉を返す。

「ぬらりひょんでしょ? よーかいの。それで、うちのそーたいしょう」

「なんじゃ、つれないのぉ。あとちょっとじゃな……もーちっとだけでも食いついてくれてもいいんじゃないかの……」

 孫のそんな様子にぬらりひょんは拍子抜けし、ストンと胡坐をかく。

「だって、また、おじいさまが若いころのお話でしょ? わたし、聞きあきちゃった」

 

 上体を後ろに倒し、それ毎日聞いてるんだものと頬を膨らませながら呟く珱菜。

 いつもおじいさまが話してくれる人生譚は、まるで御伽のようで。珱菜はそれらを好んで聞いていた。しかし、どんなに悠久で享楽的な話でも十週二十週と同じものを話されるのは御免蒙りたい。それに、だ。珱菜だって女の子だ。祖父のむさい武勇伝よりも心ときめく恋物語の方に興が湧くのも仕方のないことだろう。

「だからさ、お話するなら、おじいさまとおばあさまの恋初めのお話が聞きたいなぁ」

 首を傾けておねがいする。

 珱菜にとって家族はかけがえの無いもの。人間の母然り、妖怪の祖父然り。またごく一部を除くが、奴良組の面々もだ。父は物心つくか否かという時に先立ち、父の母は何世紀も前に生きた人らしい。そんな今は居ない肉親のことを聞きたがるのは至極当然といえた。

「うむ、珱姫(ようひめ)のことか。ヨウナよ、お前は本当にあやつに似ておる。その髪も、目も、顔立ちも。おそらくあやつが童子の時も、お前のような声をしていたのじゃろう」

 間をとってからもう一度口を開く。「お前がその不思議な“力”を宿していると知った時、ワシはやはりかと納得したほどじゃ」

「わたしの“おまじない”と同じもの、おばあさまはもってたの?」

「その通りじゃ。ヨウナのとはちーっとばかり違ったがの」

「ちがったの?」

「いずれ分かる」

 再度首を傾けて言う珱菜を見て、なおのこと笑みを深めたぬらりひょんは少しばかり己の“力”を使った。

「? あれ、おじいさま?」

 いつの間にか、目を合わせていたはずの祖父がふっと消えたことに驚いて、珱菜は祖母に似た大きい目を丸くする。直後、後ろから優しく頭を撫でられる感覚がして珱菜はまた頬を膨らませた。

「もう。いきなり消えないで!」

 膨れっ面のまま、くるりと体を反転させて|真後ろ(、、、)で微笑んでいる祖父に、めっと叱りつける。それをやんわりと受け流して、ぬらりひょんは釈然としない様子の少女に語りかけた。

「珱姫のことはいいが……ヨウナよ。お前がここに来た目的は何だったかの?」

「えっ……あっ!自由研究!」

「そうじゃの。自由研究」

 穏やかで諭すような声を珱菜は聞いた。

「さて、ワシを誰だか忘れちゃいないかい?」

 先ほどと全く同じ質問をされて困惑する珱菜。

「えと、おじいさまはぬらりひょんで、そうたいしょうで、ようかいで……あっ!」

 ぱぁっと困惑の表情から照る太陽が恥じる位の笑みが珱菜の顔に浮かんだ。

「何か思いついたかの?」

 珱菜は力強く頷き、目を輝かせながら答える。

「うん。ありがとう、おじいさま! ようかいだね。わたし、知ってるよ。こういうの“とうだいもとくらし”っていうんだよね」

 そういうなり珱菜は勢い良く立ち上がると、早くでも取り掛かりたいというようにそわそわと長い黒髪と目を揺らした。

「はっはっはっ。ワシはヨウナのじいさんじゃからな。いつでも頼ればいいぞい」

「うん、ありがとう。それじゃあわたし、つららのお話聞いてくるね」

「…………ワシのは聞かんのかい」

「だって、おじいさまのお話はぜんぶ覚えちゃうほど聞いたもの」

 肩を落とす高齢の祖父とは対称的に、幼い孫はうきうきと期待に満ちた様子であれやこれやと宿題のための質問を考える。

 

「じゃあ、おじいさま。ほんとうにありがとう! わたし、行ってくるね!」

 そう言ってそそくさと部屋を後にするのだった。

 

 

 

 茶の間に残された老人が佇む。その顔は先の穏やかなものとは一変し、いつになく険しいもの。目は鋭く細められ、纏うオーラは周囲の命無きものでさえも萎縮させる。この人物こそが珱菜の祖父であり、この姿こそがかつての百鬼夜行の主、奴良組総大将ぬらりひょんの裏の顔なのだ。

 彼の刃物のような視線は目の前の掛け軸へと向けられていた。

「灯台下暗し、か。確かにそうかもしれねぇな」

 彼はまた“力”を使う。孫が居た時よりも、何倍も何十倍も強く。

 それは彼自身を飲み込み―――目の前の「奴良組」の文字さえ巻き込んで消えた。

 




はじめまして。MeeCoと申します。
拙作はにじふぁん様より題名を変えて作品を転載させていただきました。


12/12/12 修正しました。
12/12/15 修正しました。
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