朝。
1組の少年と少女が、ダブルベッド上で眠りについていた。
内、少年の方がモゾモゾと動き、パチリと目を開く。
彼の名は阿ノ玖多羅皆無〈アノクタラ カイナ〉。
阿栖魔台王国宰相を務める大悪魔〈グランドデビル〉である。
皆無は上体を起こし、腕を斜め上に伸ばしながら欠伸をする。
ふと、彼が壁にかかった時計を見ると午前9時を回った所であった。
「もう、こんな時間か・・・・」
普段であれば、3時間以上前倒しで起きた後、激務に追われている頃であるが、本日は久々の休み。
故に、慌てる必要はまるでなかった。
が、もう起きて身支度をしなければ。
皆無はそう思い、隣で眠る麗しの主にして愛しの妻-璃々栖・弩・羅・阿栖魔台〈リリス・ド・ラ・アスモデウス〉に声をかける。
「璃々栖、起きぃや、もう9時回っ・・・とる・・・で」
言いかけて、彼は気づいた。
スヤスヤと寝息を立てる璃々栖。
彼女の頭頂部、角の隣に1対の何かが生えている。
耳であった。それも毛で覆われた三角状の耳。
現代的に言えば、猫耳である。
「え?・・・・あ」
少々混乱しながらも、皆無は原因を推測した。
「もしかして、あれか?」
顔を向けた先には、テーブルに置かれた1升瓶。
話は、9時間ほど前に遡る。
皆無と璃々栖は、久々に2人で過ごせる休日を喜び、部屋で談笑していた。
「そうじゃ」
その折、璃々栖が話を切り出したのだ。
机の上に年季の入った木箱を置いて。
開けると、中には1升程の大きさの瓶が入っていた。
「?これは?」
「鐘是不々〈ベルゼブブ〉陛下から頂いたのじゃがな。猫酒と言うらしい」
「猫酒?」
「なんでも、数千年前の猫のミイラを漬け込んで造った、という何とも悪魔的〈デビリズム〉溢れる曰くを持った酒、との事じゃァッ」
「猫を!?そんな、ハブやマムシやあらへんのやで」
皆無は思わず白目を剥く。
「ていうか璃々栖、酒弱かった筈やなかった?」
「じゃから予も聞いてみた。そしたら度数は麦酒〈ビール〉よりも低いらしい。それくらいなら、少しは平気じゃ」
因みに、麦酒の度数は大体4-6%程である。
「一緒に飲むか?」
「否、遠慮しとくわ」
皆無は、下戸というわけではない。
それにこの当時、未成年飲酒禁止法は存在していない。
では、何故拒むのか。
それには、先日彼の身に起こった、猫に纏わるある事件が少なからず影響していた。
「また、あんな事になってもなぁ」
「あはァッ、あの時の其方、実に可愛いらしかったのぅ」
「・・・・今は、どうなん?」
皆無は、ふと聞いた。
「へ?い、今か?・・・それは、その、じゃな・・・」
不意をつかれ、璃々栖は顔を赤くし、しどろもどろになる。
「か、か、」
「か?」
「え、えぇい!言わずともわかるであろう!?」
「言葉に出して聞きたいなぁ」
「か、か、かっこ、」
瞳が渦を巻き右手をあたふたとさせる妻を見、皆無の口角は無意識に上がった。
「な、なんじゃ、その笑みは」
「いや、あまりにも可愛くて、つい」
「むぅ、揶揄いおって」
璃々栖は頬を膨らませる。
「よい、予1人で飲む。酌をせよ、皆無」
そして片手でグラスを持ち、皆無の前に差し出す。
「畏まりました我が君〈イエス、マイマジェスティ〉」
皆無は栓を抜き、透明な酒をグラスに注ぎ入れる。
口に含み、飲む璃々栖。
すると、彼女の目がトロンとし、惚けた表情になる。
「だ、大丈夫か?璃々栖」
「大・・・・丈夫・・・・じゃ・・・・」
そう言いながらも、彼女はうつらうつらとしている。
どうやらこの酒、眠気を誘う効果もあるらしい。
「もう0時近いし・・・・寝るか?」
「・・・・ス-ス-」
返事の代わりに帰って来たのは寝息であった。
「・・・・しゃあないなぁ、よっと」
皆無は璃々栖をお姫様抱っこをしながらベッドへ寝かした後、瓶に栓をして自身も彼女の隣に入った。
愛しの妻の、悪魔とは思えない無垢な子供のような寝顔を側で眺めつつ、彼もまた眠りに就いた。
話は現在に戻る。
「やっぱあの酒、仕込まれとったな」
皆無は、まだ酒の残る瓶を半目になって睨む。
万能解析〈アナライズ〉で効能を調べた所、酒を飲んだ者は身体の各所と行動が猫化する、と出た。
(大方、陛下の試練・・・・否、戯れやろなぁ・・・・)
陛下こと鐘是不々は元七大魔王〈セブンズサタン〉が1柱。
璃々栖以上に悪魔、否魔王な御方である。
(何処かでこの様子を、笑みを浮かべながら見ているかもしれへん)
彼は多少呆れると同時に、少し安堵し、後悔した。
若しこれが、劇物であったら。
調べを怠った事で自身の愛する妻が傷つき、万が一、万が一にも、命を落とす事になっていたら。
考えるだに恐ろしかった。
否、璃々栖は魔力〈エーテル〉総量5億越えの現魔王であるし、皆無自身も肉体を魔力と化した大悪魔〈グランドデビル〉である。
強大強力な魔術の行使や銃の扱いにも長けている。
更に、合体(物理)すれば魔王級の相手でさえ撃退できる。
並大抵の危機など危機ではないのが実際の所だった。
それでも、怖いものは怖い。
(陛下は打倒毘比白〈ベヒモス〉の為なら半ば手段を選ばへんからなぁ。以前も蘇生措置を施してだとはいえ璃々栖が死にかけるような事してたし、気ぃつけへんと)
皆無は再び視線を璃々栖の方に戻す。
「・・・」
彼女は既に目を覚ましていた。
そして、いつのまにかシーツの上で内股座りをし、彼を見つめていた。
その無垢な表情とピコピコ動く猫耳に、思わずドキッとする皆無。
「あ、えと、おはよう璃々ー!?」
言い終わるのを待たずし、璃々栖は皆無に抱きついて来た。
「かいにゃぁ♡」
「!!!?」
皆無は、動揺した。
「かいにゃぁ♡かいにゃぁ♡」
耳元で聞こえる蠱惑的な声。
パジャマ越しに触れ合う柔らかく温かい身体。
そして何より、自身の愛する妻が抱きつき甘えて来ている。
そんな状況で、動揺しない訳がなかった。
「璃、璃々栖・・・・!」
(落ち着け!落ち着くんや俺!もう朝やのに今恋戯〈イチャイチャ〉し出したら歯止めが効かなく・・・・ん?あれは?)
見れば、璃々栖の尾骶骨の辺りから、毛に覆われた20数センチ程の長さの何かが、縦に伸びながらうねうねと動いていた。
(あれは・・・・尻尾か?そういや、猫は尻尾の付け根を撫でられると喜ぶって聞いた気が・・・・)
ものは試しにと、皆無は璃々栖の付け根を優しく撫でる。
瞬間、尻尾がビクンと動いたかと思うと、
「!?・・・・に、にゃああああ♡」
彼女は身を震わせ、捩らせた。
「かいにゃぁ♡、そこ、気持ちいいッ♡」
「んっ!!!!」
(可愛すぎやろ、俺の愛しの妻〈リリス〉!!!!否、それは前からやけど)
皆無の読み通り、歯止めは効かなくなった。
同時刻。
廊下を足早に歩く女性が1人。
名は聖霊〈セアル〉。
璃々栖の従者を務める大悪魔である。
「休日とはいえ、2人ともお寝坊が過ぎますよ」
本来であれば、主夫妻はとっくに身支度をして朝食を食べ終えている時間帯。
が、9時を回っても一向に起きてくる気配がない。
痺れを切らした聖霊が直接呼びに行っている最中、というわけである。
皆無と璃々栖の居る部屋の前へと着いた聖霊。
ノックを2度。
応答無し。
再度ノックし、呼び掛けようとしたその時、
「にゃああああ♡」
部屋の中から声が聞こえて来た。
「ん?にゃあ?」
聖霊は戸惑った。
今のは自身の主、璃々栖の声。
が、猫の鳴き声のようにも聞こえたのだ。
扉に耳を当ててみる聖霊。
「ここかぁ?ここやなぁ?」
「にゃん♡にゃん♡」
「!?」
間違いなく、璃々栖が猫のように鳴いていた。
それに、皆無の声も聞こえてくる。
「一体中で何が・・・」
聖霊は意を決し、扉を開けようとドアノブを回そうとする。
瞬間、近づけた腕が何者かに掴まれた。
視線を向けると、そこには身長100センチ程の人物が、人差し指を口に当て、立っていた。
彼の名は阿ノ玖多羅正覚〈アノクタラ ショウガク〉。
皆無の父である。
「正覚殿!何故ここに」
「シー、声が大きいですよ聖霊卿。いやなに、朝方までかかった用事が済みましてね、帰る途中フラッと立ち寄ったのですよ」
「は、はぁ・・・・」
では何故玄関口から来なかったのか、という問いを彼女は喉の奥にしまった。
「それで正覚殿。何故中に入るのを止めたのです?というか、中で何が起こっているのです?」
「その答えは、ご覧になればわかります」
「?」
正覚はドアノブを回し、僅かな隙間を作る。
聖霊はそこを覗き込む。
「こ、これは・・・・!」
彼女の目に飛び込んできたのは、
「ここかぁ?ここが気持ち良いんやなぁ?」
「にゃあ♡」
満面の笑みを浮かべて妻の喉を撫でる皆無と、嬉しそうに喉を鳴らす璃々栖の姿であった。
「へ、陛下!なんと可愛らしい御姿に !」
「聖霊卿もそう思われますか。レディ・璃々栖の正に悪魔的と言うべき美しさに猫の可愛さが足されていますからね、凄い破壊力ですよ」
正覚も、隙間から2人の様子を眺める。
「それにご覧ください。あの2人の嬉しそうな顔。いやぁ、息子夫婦の仲睦まじい場面〈シーン〉というのは良いものですねぇ・・・・聖霊卿?」
聖霊は隣に正覚がいる事も忘れ、半ば猫と化した主の愛くるしい姿に魅入っていた。
「・・・・ダディ、聖霊、聞こえてるし見えてんで・・・・」
呆れたように呟く皆無。
「はっ!私は何を!」
その言葉で我に変える聖霊。
「やぁ皆無。よくわかったね」
扉を開け、中へと入る正覚。
「会話漏れてたし視線も凄かったで、ダディ達・・・・わぷっ!」
「にゃああああん♡」
従者に見られていた事に気づかず、夫に抱きつく璃々栖(半分猫化)。
確認各様のリアクションが、そこにはあった。
その後、猫化が解けた璃々栖に再度薦められ、猫酒を飲む事にした皆無。
結果、
「・・・・」
「あはァッ、とてもキュートじゃぞ、皆無」
猫耳と尻尾が生えた。
そして、
「・・・・にゃっ!」
「ひゃん!」
今度は反対に、彼の方から抱きついた。
璃々栖は片手で抱き留め、自身がされたように、尻尾の付け根を撫でる。
「にゃああああ♡」
「ここかぁ?ここが気持ち良いのじゃな?」
身を捩らせながら、頷く皆無。
(嗚呼、愛おしい、愛おしいぞ皆無。勿論、前からじゃがなァッ)
彼女らの幸せな恋戯撫々〈イチャイチャナデナデ〉は猫化が解けるまで、否、解けた後も行われるであろう。