シープビギニング。それは白濁色をした酒であった。
テーブルに置かれた時に表面がほとんど揺れなかったので、おそらくとろみがあるのだろう。
白濁の酒と言えばマッコリやにごり酒が出てくるが、その二つならばジョッキで出ても別におかしくない。
どちらも蒸留なんてしないので、度数は高くても二十そこいらだ。
こんな反応になるのはおかしい。
つまりこの酒は、どちらでもないのだろう。
ミリーさんを見ると、サムズアップをされた。
店員の言う通り全部飲めばタダになるのはありがたいが、なるべく騒ぎを起こさないで国境を越えようって話だったはず……だ。
後でミリーさんが騒ぎを起こしたと報告するとして、この酒はホロウスティアでも見たことがない。
考えても仕方ないし、とりあえず飲んでみるとするか。
下でシラキリがオレンジジュースをくぴくぴと飲むなか、ジョッキを片手で持ち上げる。
何故か店員は去らずに、じっと俺を見たままである。
先ずは口に少し含んでみるが……ほう。
何かの乳だと思うが、トロリとしていて仄かに甘い。
しかしレッドドライ程ではないが度数が高く、口の中をアルコールが蹂躙する。
シープビギニングと言う銘柄だから、羊の乳から作っているのだろうが、どうやって作っているのか気になるな……。
これまで飲んできた酒とはまた一風変わってるが、中々美味い。
レッドドライの様なキレは無いので、何杯も飲むってのは難しいが、とりあえず飲んでしまおう。
少しずつジョッキを傾けていき、顔を上げていく。
そのまま一気に飲み干して、そっとテーブルの上にジョッキを戻す。
「うっそー……」
ジョッキを置いたタイミングで、店員がボソッと呟く。
これだけ度数が高いものをジョッキで飲めるのは、かなり限られてくるだろう。
店員も俺なんかでは無理だと思ってミリーさんの口車に乗ったのかもしれないが、運が悪かったな。
「御馳走様でした。大変美味しかったです」
「あっ……えっと、料理も美味しいので、良かったら味わって下さい」
ひきつった笑みを浮かべてから、店員は下がっていく。
多分だが、このシープビギニング分はあの店員が払うのだろうな……。
「流石サレンちゃんだね。味はどうだった?」
「ミルクの様な味ですが、中々珍しい風味で美味しかったです。先程店員に何と言っていたのですか?」
「ちょっと賭けの話をね。もしもサレンちゃんが飲めなかったら、二倍の金額を払い、全部飲めたらタダにするってね」
案の定だが、とりあえず一杯飲めたので、文句も言い難い。
怒るのはライラに任せるとして、夕食を食べるとしよう。
出された肉は匂い的にラム肉だと思われるが、俺はラム肉が結構好きだ。
独特の臭いがあるものの、それが結構癖になる。
……そうか。シープビギニングはラム肉と一緒に、飲むのに適した酒だったのか。
匂い的にラム肉だと思っているが、シープビギニングの甘味はラム肉と合いそうである。
ふむ……シープビギニングは珍しい酒なだけあり、少々値段が高い。
ショットとならばそうでもないが、出来れば酒は豪快に飲みたいものだ。
この場で一番面倒なのは、アーサーだろう。
一応ライラの部下的な立ち位置であり、俺への忠誠を誓っているみたいだが、俺が良からぬ事をすれば間違いなく報告する。
先程の一杯はミリーさんのせいにすれば良いが、自主的に動けば俺も悪者となってしまう。
一気飲みなんて馬鹿なことをしなければ良かったのたが、駆けつけ一杯は大人の嗜みである。
間違いなく間違いだが。
どうにかして酒を、怒られること無く飲むかを考えながら、料理を食べる。
やはり羊独特の味がするので、間違いなくラム肉だ。
「おう姉ちゃんさっきは……いえ、何でもありません。失礼しました」
「はい?」
どうしたものかと悩んでいると、酔っ払いの男が話しかけてきたが、俺の顔を見ると顔を青くし、自分の席へと帰って行ってしまった。
何やら周りからなじられているが、俺と視線が合うと、サッと逸らされてしまう。
……諦めて、一般常識程度の酒を飲むしかないか……。
「いやー久々のミードはいいね! 生き返るよ」
「そうですね。ここ最近はワインばかりでしたからね」
「お二人とも、羽目を外さないようにお願いしますね」
おかしい。少しミリーさんとお酒の話をしただけなのに、何故アーサーに注意されているのだろうか?
料理を摘まみながら何を飲もうか悩んでいると、先程の店員が俺達の方に歩いて来た。
手には先程俺に出したジョッキと同じものを持っており、中には赤い色をした液体がギリギリまで注がれている。
「お客さんお酒に強いんですね。こちらサービスになります。――残さないで下さいね」
俺のせいで賭けに負けた腹いせだろうが、だからってこれを持ってくるか……。
俺としてはありがたいが、周りからの反応は驚愕の一言だろう。
「おいおいマリアンちゃん、それは流石に酷くないかい? しかも相手は神官様だろ?」
「さっきのだってどうせ、無理して飲んでるんだぜ? そんな物のんじゃあ倒れちまうよ」
「煩いわよ! 何ならあんたたちが代わりに飲む?」
巻角の店員は俺達に向けるお客用の笑顔から、知り合いに向ける容赦のない顔で怒鳴る。
怒られた男達はすごすごと引き下がり、こちらを窺いながら酒を飲む。
あちこちから笑い声も漏れるが、この提案に乗る以外の選択は無い。
乗るしかない――この
「出された物を拒むのは教義に反しますので、ありがたく頂きます」
「えっ、そ、そう? お客さんは流石ね」
何故か店員に引かれながらもジョッキを持ち上げ、ゆっくりと飲んでいく。
シープビギニングの様な口に残る感じではなく、ラム肉の油を洗い流すような、辛口の口触り。
喉を焼く様に高いアルコール度数。
僅かな甘みが最後に広がり、余韻を残す。
そう、それは……お馴染みのレッドドライである。
半分程飲んだ辺りで一度テーブルに戻し、ほっと一息つく。
すっと辺りを見ると、沢山の目が見開かれている。
ミリーさんは笑い出すのを我慢していて、店員は頬がひきつっている。
「お、お客さん……大丈夫?」
「はい。この程度は飲み慣れているので、問題ありません」
「うっそ……」
「ぐふ」
店員の驚きの声を聞き、ミリーさんから少し笑いが漏れる。
徹夜でピアノを弾きながら酒を飲んでいた俺にとって、この程度の酒は水……とまではいかないが、ジュースみたいなものだ。
このまま残りを飲み干しても良いが、料理を味わいながら飲むとしよう。
おっと、その前に礼を言っておくか。
「サービスありがとうございます。出されたものは飲みますので、良ければまたサービスをしてください」
「……はい」
ガックリと肩を落とした店員は、キッチンへと下がっていく。
二杯もタダ酒を頂けるなんて、本当に運が良い。
これくらいならば目くじらを立てる程でもないし、イノセンス教の教示の範囲内と言い訳も出来る。
出来ればもう一杯シープビギニングを飲みたいが、誰かくれないだろうか?
外野が少し煩いが、俺と店員のちょっとした戦いは、俺の勝ちとなった。
「流石サレンちゃんだね。普通なら無理だって断る所なのに、普通に飲んじゃうんだから」
「似たようなことが前にもありましたからね。分かっていれば問題ありません」
初めてミリーさん行きつけの、今はほぼイノセンス教第二支部となってしまっている酒場だが、あの時もレッドドライをジョッキで出された。
今となっては懐かしい記憶だが、こればかりは酒に強い、この身体に感謝である。
ただ、まるで罰ゲームみたいにレッドドライが使われているが、下手な酒よりもレッドドライの方が美味しい。
アイリスの街で買ったワインを二十点だとすれば、レッドドライは六十五点位ある。
ついでに決して高くはないが、安いと言う程でもない。
二杯飲んで、一食分位だろう。
「いやー、神官様なのに、良い飲みっぷりだな。惚れ惚れするぜ」
「ありがとうございます。食事も美味しくて、良い酒場ですね」
さっきの回れ右した客とは違う奴が、話しかけてくる。
アーロンさん程ではないが、大きな体格をしており、厳つい風貌をしている。
武器も持っているので、おそらく冒険者だろう。
「ああ。結構賑やかで気に入っているんだ。それも悪気があって出した訳じゃなくて、飲めなかったら飲めなかったで、ちゃんと処理してくれただろうさ」
店員を庇うとは、中々良い客だな。
まったく怒っていないし、何なら感謝をしているのだが、これはチャンスではないだろうか?
「大丈夫ですよ。店の雰囲気を見れば、あの方が慕われているのが分かります。それに、この程度のお酒はジュースみたいなものです」
「へぇ、言うじゃねえか。そこまで豪語出来るってなら……」
男は残っていた自分の酒を飲み干し、空になったコップを見せてくる。
俺も残っている料理を摘まんでから、残りのレッドドライを飲み干す。
向こうの考えは丸分かりだが、この程度は想定の範囲内だ。
「……野郎共! 今から俺とこの女で飲み比べをする。どっちが勝つか賭けの時間だ!」
あちこちから声が上がり、囃し立ててくる。
シラキリが男の物言いによって不機嫌になるので、再び頭を撫でて機嫌をとっておく。
気付いたら相手が死んでいた……なんてなっても困るからな。
俺に
ミリーさんもいつの間にか席を離れて賭けをしに行っているし、アーサーは天を仰いでいる。
「ライラには内緒にしてくださいね」
「分かっているのでしたら、自重してください」
「折角のお誘いですから。イノセンス教のシスターとして、断るわけにもいきません」
俺は今回何もしていない。
売られた喧嘩……誘いに乗っただけだ。
もしも悪者がいるとすれば、それは最初の切っ掛けを作ったミリーさんだろう。