はじめの一歩 Beyond Glory   作:紅乃 晴@小説アカ

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プロローグ

 

 

 

 

あれは、俺様がまだプロライセンスを取る前の事だった。小物の青木や木村…一歩が鴨川ジムに入るよりも前。

 

宮田のやつは知っているだろう。ジジィや、宮田の親父、八木ちゃんや篠田のおっさんもか。

 

忘れる事はねぇ。忘れちゃならねぇ。

 

まだ駆け出しのひよっこだった俺様が……連戦KOの俺様が……最初で最後、負けた試合だった。

 

 

 

 

 

はじめの一歩

Beyond Glory

 

 

 

 

 

「剣術と居合は、まったくの別物である」

 

鴨川会長は、唐突にそんな言葉を投げかけてきた。

それは俺のボクシングを見た、彼の最初の一言だった。

 

俺、獅子御(ししお)誠司は転生者だ。

 

この世界に来たとき、自分の苗字が『志々雄』と同じ読みであることに気づいた瞬間、天の悪戯に薄ら寒さを覚えたのは記憶に新しい。

 

だがそれ以上に、この世界が『はじめの一歩』の舞台そのものであるとは、まるで夢にも思っていなかった。

 

それを確信したのは、小学三年のときだった。

 

親の仕事の都合で東京に引っ越し、新しいクラスに馴染もうとしていたとき、ひときわ異質なガキ大将に出会った。

 

名は、鷹村守。

 

同年代とは思えない骨格と、無駄のない筋肉。

ギラついた眼光に、獣のようなオーラ。

第一印象は〝あぁ、こいつは世界チャンピオンになる男〟だった。

 

転校早々、名前の珍しさをネタに絡んできたいじめっ子たちを拳で一掃した直後に、彼は現れた。

 

彼の喧嘩スタイルは、まさに「力こそすべて」と言わんばかりの破壊力を備えていた。

 

その剛腕は、当たれば終わる。……ただし、「当たれば」の話だ。

 

そもそも格闘技とは、素手であれ、武器であれ、実戦を想定して磨き上げる技術の結晶である。

勝敗は理屈だけでは決まらない。

 

転生前の俺は、ただの農夫だった。

 

畑を耕し、野菜を売り、単調な日々を送る中で、唯一夢中になれたのがボクシングだった。

 

拳ひとつで世界を制する技。時代錯誤と笑われようが、俺はその芸術に心を奪われていた。

 

競う相手もいなければ、指導者もいない。

 

だが、時間だけはあった。

 

朝に畑を終わらせ、昼までの時間を拳に捧げる。

独学と反復。全ては「必殺の一撃」を目指すために。

 

子供じみた妄想だと笑われようが、俺は死ぬまでその幻想を信じ続けた。そして、何も成さないまま、静かに死んだ。

 

だが。

 

二度目の人生で目を覚ましたこの世界が、『はじめの一歩』。まったく、神様も趣味が悪い。

 

初めての鷹村戦は、当然のように惨敗だった。

練習こそ積んでいたが、「対人経験」はゼロに等しかった。

 

いじめっ子レベルならいなせても、鷹村は当時から“別格”だった。

 

気づけば、視界が一気に反転し、気絶していた。

目覚めたのは、夜。校庭の裏。

 

星が滲む夜空がやけに綺麗で、それが、俺の“覚悟”を決定づけた瞬間だった。

 

それ以来、俺のスタンスは変わった。

 

「暇があれば」から、「日々鍛錬」へ。

 

日の出前に起床し、拳を振る。朝食後も、登校前も、下校後も、夕飯後も。拳を振って、風呂に入り、倒れ込むように眠る。それが日課となった。

 

両親には随分と心配されたが、俺はやめなかった。

脳裏に焼き付いた鷹村の動きと拳。

 

そのイメージを投影して、何千回、何万回とシャドーを繰り返した。

 

鷹村が「最強の1」だとすれば、俺はその最強たる彼を凌駕してみせる。

 

その信念を胸に、半年間の猛練習を積み重ねた。

そして、夏休み明け。

 

俺は、鷹村守に再戦を挑んだ。

 

 

 

 

「鷹村。校庭裏に来い」

 

「はっ!やだね。俺様は、一度勝った小物になんざ興味ねぇーよ」

 

鼻をほじりながら「小物になんざ」と言い捨てた鷹村の言葉に、カチンときた。

 

一言返すより早く、俺の左拳が火を噴いた。

 

そのまま、鼻をほじっている鷹村の顔面にストレートを叩き込む。鼻先から血がほとばしり、予想外の一撃に彼の目が見開かれた。

 

鷹村は一瞬呆然とした後、鼻血をペロリと舐め取り、まるで悪魔のように口角を吊り上げた。

 

「……いいだろう。その喧嘩、買ってやる。ただし……死んでも文句言うなよ」

 

「望むところだ」

 

ギラついた怒気をまとう鷹村と、俺はまっすぐに睨み合う。言葉は必要ない。火花を散らしながら、俺たちは静かに校庭の裏へと歩いていった。

 

そこには、先日のいじめっ子たちや、鷹村の取り巻き、高学年のヤンキー気取りの連中まで集まっていた。

 

獣のような鷹村の眼光が俺を射抜く。

だが、俺の心は微塵も揺れない。

 

拳を打ちやすい位置に構え、息を整える。

 

張り詰めた空気のなか、先に仕掛けたのは鷹村だった。大ぶりのパンチで突進してくる。まさに喧嘩殺法そのもの。

 

しかし、俺の射程に入った瞬間、その足が止まった。鷹村の眼が鋭くなる。

 

気づいたか?いや、これは……。

 

(野生の勘か……!)

 

何かを察したかのように、攻撃の気配を止めた鷹村。怒りに任せていたはずの顔が、次第に冷静さを取り戻してゆく。

 

だが、もう遅い。

 

「……っ!?」

 

鷹村の顔が、大きく横に吹き飛んだ。静まり返るギャラリーのなか、驚愕のどよめきが走る。

一番、理解が追いついていないのは鷹村本人だった。呆然としたまま俺を見つめ、口元から赤いしぶきが零れる。

 

「ぐはっ……!」

 

続けざまにもう一撃、同じ位置へ。

反応が遅れた鷹村は、ふらつきながらタタラを踏んだ。

悪くない手応え。だが、痛みに膝を折らないその根性はさすがだ。

 

三発、四発、五発。

 

面白いように俺の左ストレートが鷹村の顔をとらえていく。

 

ついに本能が働いたのか、鷹村は両腕を上げてガードを固めた。

 

そう。それこそが狙い目だった。

 

即座に、全身の力を右拳に集中させ、飛び込む。奴のガードの間から俺を見る、その視線に迷いが見えた。

 

直後、下から突き上げたボディブローが、鷹村の右脇腹を貫いた。

 

「がっ……はぁぁぁ!!」

 

肺から全ての空気が抜けるような音を立て、鷹村のガードが崩れ落ちる。迷わず、返す刀で左の返しフックを顔面に叩き込む。

 

決まった。

 

そう思った。

 

だが。

 

「ふんっぬぅ!!」

 

倒れなかった。鷹村は両足で地面を踏みしめ、まるで相撲取りのように四股を踏みながら体勢を保った。

 

だが、その目を見てすぐにわかった。

 

もう、意識は飛んでいる。

本能だけが、奴を支えていた。

 

それ以上、拳を振るうことはなかった。

 

俺は鷹村に背を向け、静かに歩き出す。

ざわめくギャラリーの中を進むと、いじめっ子や取り巻き連中は何も言わずに道を開けた。

 

近くの花壇に放り出してあったランドセルを拾い上げ、俺はそのまま、家へと帰った。

 

 

 

 

翌朝。

校門前に、鷹村が立っていた。

 

また喧嘩をふっかけに来たのかと思ったが……彼は昨日のような獣の眼光ではなかった。

 

真剣な目で、俺をまっすぐに見つめてきた。

 

「……なぁ、俺様は……お前に、どんな攻撃を食らったんだ?」

 

唐突な問いだった。思わず「パンチだよ」と素っ気なく答えると、鷹村は即座に怒鳴った。

 

「違う!!」

 

その声には、苛立ちでも怒りでもない、戸惑いがあった。まるで、答えの見つからない問題を前にした不器用な少年のような声音だった。

 

「あんなのが、ただのパンチなわけねぇ。最初は俺様が油断してただけだと思ってた。けど……三発、四発って食らってくうちにわかった。これは、俺様の理解の範疇を超えてる」

 

あれが何だったのか、ずっと考えていた。

考えても考えても、答えが出ない。

 

「……情けねぇ話だけどよ。悔しいってより、わからなくて悔しいんだ」

 

その言葉に、俺は少し間を置いてから口を開いた。

 

「あれは、俺が突き詰めた“拳の打ち方”だよ」

 

「打ち方……?」

 

鷹村が眉をひそめる。言葉にすれば簡単だが、そこに込めた意味は単純なものじゃない。

 

まず拳を打つという行為には、いくつものモジュールがある。

 

ひとつ、拳を正しく握る。

ふたつ、打ちやすい位置に構え、スタンスを取り、大地を踏みしめる。

みっつ、足から腰へ、胴へ、肩へと力を連動させ……最終的に拳に乗せて、突き出す。

 

拳ひとつ打つにも、全身の連携と意識が求められる。それが“正しいパンチ”だ。

 

俺がやったのは、それらの“工程”を極限まで簡略化し、それでもなお、最大のインパクトを相手に届けるための方法だった。

 

「拳は、常に撃ち出せる位置にあるべきだ。そして、力の流れは最短で、一直線に貫く。その一点だけを考えた」

 

まっすぐ前に。軌跡は直線。最短距離をカットし、インパクトの頂点を到達点に持っていく。

 

それを繰り返した。

何十、何百、何千……いや、何万回と。

 

前世は畑の片隅で、己と向き合いながら拳を打ち、今は鍛錬のために自らに問い続けてきた。

 

考え、試し、失敗し、また試す。ただそれだけを、ひたすらに積み重ねてきた。

 

その時間が、ようやく昨日、鷹村に届いた。

 

鷹村は、しばらく黙っていた。

そして静かに、呟いた。

 

「……気づいたら、お前の拳が……目の前にあったんだよな」

 

その言葉が、妙に胸に残った。

あの“獣”が、初めて“何か”に触れた瞬間だったのかもしれない。

 

鷹村守。

 

天才で、破壊の申し子で――それでもまだ、“拳”の奥を知らなかった。

 

 

 

 

居合とは、「座した状態から斬る」ことを前提にした武技だ。

 

反撃の技。

あるいは、瞬時に斬りかかるための技。

 

その中にある“理合”。

「鞘の中の勝」。

 

刀を抜かずして勝つ。

精神論では、こう解釈される。

 

鍛え上げた心魂が敵を威圧し、刀を抜かずとも勝負が決まる、という境地。

 

だが技術的に見れば、話は違う。

 

「こちらだけが切れる角度と距離」を先に作る。

 

すると、相手にはわかってしまうのだ。

 

「下手に動けば返し技を食らう」と。

 

理屈で理解できてしまう。

だから、敵は動けなくなる。

手が出せなくなる。

 

“動けば斬られる”と知ってしまった者は、もう攻撃できない。

 

当時の俺様には、それがただの“比喩”にしか聞こえなかった。

 

あのジジィ(鴨川会長)の呟いた話も、どこか達観した昔語りのようで、正直ピンとこなかった。

 

だが、それを理解した瞬間があった。

 

俺様が、本気で奴と拳を交えた、あの一度きりの試合のときだ。

 

〝居合〟なんて、よく言ったもんだぜ。ったく。

 

奴の攻撃は、俺様のような熊を一撃で倒すような破壊力でもない。

 

青木のような軽妙な手数でも、木村のような距離感の巧さでもない。

 

一歩のように、前へ前へと出て殴るタイプでもない。宮田のような綺麗なアウトボクシングでもない。

 

あいつの拳は、形として〝静〟だった。

 

構えて動かない。

 

ただ、そこに“いる”。

 

……いや、ちげぇな。

 

「すでに構え終わっている」状態だったんだ。

 

あの一度きりの本気の試合。

 

奴の前に立ち、拳を構えたとき。

俺様は確かに見た。

 

奴のグローブに、〝鞘〟と〝刃〟が浮かび上がっていた。

 

そして、その柄に手をかけたまま、奴はじっと俺様を見据えていた。

 

まったく動かない。

 

だが、それが「抜く寸前」だと、俺様にはわかった。

 

下手に手を出せば、斬られる。

 

それを、理屈として理解できてしまう距離だった。

 

奴の攻撃は、至ってシンプルだ。

 

返す刃を構えたまま、

こちらの攻撃をダッキング、あるいはスウェーバックで受け流し、

その刹那、抜いた拳で急所を斬り裂く。

 

宮田の親父が言っていた。

あれは、いわゆる“カウンタースタイル”。

 

……だが、あれを“カウンター”と呼ぶのは、生ぬるすぎる。

 

なにせ、こっちの拳が届く前に、奴の拳はもう届いているんだ。

 

しかも、狙いは完璧だ。

 

顎先。耳の裏。鼻柱。テンプル。

 

急所ばかりだ。

寸分の狂いもなく、そこを撃ち抜いてくる。

 

まるで高精度のスナイパーライフルに撃ち抜かれる感覚。

 

どんな理不尽な場所に拳があっても、

最短距離を走る軌道で、急所に叩き込んでくる。

 

重さ。速さ。角度。軌道。

すべてが、異常なまでに噛み合っている。

 

顔が、体が、吹き飛ぶ。

 

……いや、違う。

 

断ち斬られる感覚だった。

 

刃を抜いた瞬間には、すでに勝負が終わっている。

 

それが、あいつの拳だった。

 

 

 

 

「鷹村ぁ!!」

 

ジジィ……鴨川の悲鳴のような声で、途切れていた意識が戻る。

 

倒れていなかった。ギリギリで踏みとどまっていた。

目の前、真っ赤なグローブが迫ってくる。

咄嗟に首を振ってかわす。紙一重だった。

 

背中に、コーナーのクッションがぶつかる。

鈍い音が響いた。

 

やべぇ。

今の一撃、モロに食らってたら終わってた。

 

瞬時に足を使ってコーナーを脱出する。

幸運だった。今の一発はホークのキメの一撃。そこに、わずかな隙が生まれていた。

 

だが、それも一瞬。

次の瞬間には、また刃が迫ってくる。

 

今、俺様が相手しているのは、ブライアン・ホーク。

 

数ある強敵の中でも、間違いなくトップクラスに危険なボクサーだ。

 

野生児のような直感と、鋭利すぎるパンチ。

急所を狙い澄まし、無茶な体勢からでもぶっ放してくる。

だが、そこに隙はない。油断もない。

すべてが……研ぎ澄まされた“刃”だ。

 

(これで慢心でもしてりゃ、楽だったんだけどな……)

 

だけど、泣き言は言わねぇ。

 

向こうは、こっちの正規ウェイトに合わせてマッチメイクしてくれてる。こっちも、万全のコンディションで仕上げてきたつもりだ。

 

だが、それでも上を行かれてる。

 

くそッ……ムカつくぜ。

 

全力を出してるってのに、勝つビジョンが浮かばねぇなんてな……!

 

ブライアン・ホーク。

 

デビュー当初は、粗暴で野生そのままの暴れ馬だった。だが、ある日を境に、まるで別人のように変わった。

 

静かなボクサーへと、変容を遂げたのだ。

 

最初は“頭でも打ったんじゃねぇか”とか、“薬でもキメたか”なんて言われていた。

 

でも今なら、わかる。

 

あいつを変えたのは、セコンドにいるあの男だ。

 

ミゲルの隣……そこにいる、日本人の男。

 

……見知った顔。

 

 

 

 

「守くんの、満足する相手を用意する。それが、俺がアメリカに行って為すことだ」

 

 

 

 

あの言葉。忘れてねぇ。

 

“留学”とか言って、プロになる道をあっさりやめて出て行ったくせに。こんな難敵を、ピンポイントで用意してくるとはなぁ。

 

どこまでいっても、てめぇは俺様の親友だ。

 

……上等だよ。

 

てめぇの用意した壁を、この拳でブチ抜いて。

 

俺様は、世界チャンプになってやるぜ!!!

 

 




気が向いたら続けます
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