はじめの一歩 Beyond Glory   作:紅乃 晴@小説アカ

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the First beyond(3)

 

 

「……二ラウンド目、行きましたね」

 

宮田の低い声。視線の先では、幕之内が息を切らしながらも立っている。膝は震え、意識も薄れているように見えるが、それでも倒れない。

 

ボディや顔面にパンチを受け続ける幕之内の姿。それでも尚立ち上がる根性に、宮田は思わず息を飲んだ。

 

「まぁ、守くんが連れてきた相手だからね」

 

リング脇で腕を組む獅子御が、にへらと笑う。だがその笑みは軽さよりも、不気味さを漂わせていた。

 

「それに打たれ強い。不気味だねぇ」

 

その一言に引っかかりを覚え、宮田は顔を顰めた。

 

「……不気味って、どういう意味ですか?」

 

「次のラウンドも要観察ってことさ。ただし――」

 

言いながら獅子御はスッと半歩前に出た。拳が閃き、軽いジャブが宮田へと伸びる。

 

「相手が攻めてきた場合に限る」

 

宮田は瞬時に反応し、頭を大きく振らずにスウェーで躱す。かすめた風が頬を撫で、二人の間に緊張の糸がピンと張った。

 

「足を使って躱すんだ。ガードを下げて、全てを足で処理する。……これも練習だよ」

 

淡々と告げる獅子御の言葉。

 

内容は単純そうだが、その裏には「見えていないものを見ろ」という強烈な要求が含まれていた。

 

宮田は息を吐く。幕之内のスタイルは自分とは真逆。距離を詰め、ガードを固めて撃ち合うインファイターだ。

 

自分にとっては最も苦手な相手。距離を潰され、撃ち合いに引きずり込まれれば、瞬く間にペースを奪われる。

 

(だからこそ……これ以上ない練習相手だ)

 

脳裏に蘇るのは、獅子御が繰り返し口にしてきた言葉。

 

【接近戦は、いかに相手に打たせず、自分が打ち続けられる状況を作るかによって決まる】

 

ただ避けるだけではダメだ。

ただ打つだけでもダメだ。

 

両立した上で「自分の有利な空間」を作らなければならない。

 

リングサイドでそのやり取りを黙って聞いていた篠田トレーナーも、顎に手を添えて小さく頷く。

 

(格下相手の捌き方か……。プロを目指すなら、こういう局面での立ち回りは必ず求められる。なるほど、いい実験台ってわけか)

 

獅子御はさらに口を開く。

 

「返せそうなら返してもいい。相手は打たれ強いが……耐えられるのはせいぜい八割。油断さえしなければ大丈夫だ」

 

「……了解」

 

宮田は短く答え、拳を合わせた。バシン、とグローブがぶつかり合う音がジムに響く。

 

その瞬間、宮田の顔から迷いが消えた。

 

幕之内の圧に呑まれれば即座に負ける。

 

ならば、自分の距離を保ち、突き続け、撃ち抜く。

 

足先から視線の動きまで、すべてを一点に集中させる。

 

(油断はしない……絶対に)

 

胸の奥で固く誓いを反芻しながら、宮田は一歩一歩、リングの中央へと歩み出た。その背筋は真っ直ぐに伸び、瞳の奥は鋭く研ぎ澄まされている。

観ている者にさえ伝わる、覚悟の重み。ジムの空気はさらに濃く、張り詰めていく。

 

対する幕之内もまた、その瞳に迷いはなかった。

 

先ほどの荒い動きとは一転、教科書通りの綺麗なオーソドックススタイル。足幅、手の位置、顎の引き……まるで「別人」のように整ったファイティングポーズを組んでいた。

 

「えっと……すり足で前に出て……葉っぱが掴める間合いに入るまで……」

 

小さく呟きながらも、全身に力をみなぎらせて前進する幕之内。

 

その動きはぎこちなくも、確実に距離を詰めてくる。すり足で擦る音がリングに響くたび、観る者の胸が妙な圧迫感を覚える。

 

(……不気味、か。確かに獅子御さんの言った通りだ。何をしてくるかわからない――なら、試す価値はある)

 

宮田は腰を沈め、ステップで間合いを調整しながら応じる。じわじわと縮まる距離。

 

(入った!)

 

葉っぱが掴める距離。

 

その瞬間、閃光のようなジャブが宮田へと走った。火花を散らすような速度。

 

だが宮田は踏み込んだ足を軸に身体を半身へと回転、かすめる寸前で紙一重の回避。

 

「っ……当たらない!?」

 

焦りの色が幕之内の目に浮かぶ。

 

次の瞬間、幕之内は歯を食いしばり、矢継ぎ早にジャブを連打した。

 

風を裂く音が絶え間なく響く。

 

鋭い、重い。ただの刺突ではなく、まるで杭を打ち込むような一撃。

 

だが宮田は冷静だった。スウェー、サイドステップ、重心移動。すべてが最小限の動きで、ジャブを拳一つ分だけ空に泳がせる。

 

(いいジャブだ……威力も速度も並じゃない。下手にガードしたら、腕ごと削られる……。だから、当てさせない)

 

鋭い観察眼が一歩の攻撃を見極める。迫りくる拳の軌道を読み、寸前で外す。攻撃を受け止めることなく、全て空振りへと変えていく。

 

(もっとも……そのジャブの連打だ。スタミナが切れるのも時間の問題……)

 

だが、その読みを裏切るかのように、幕之内の動きは止まらない。

 

汗で前髪が張り付き、腕は鉛のように重いはず。それでも彼は、打つ。打ち続ける。

 

目の奥で燃えているのは、ただ一つの願い。

 

(死ぬほど腕は重い……それでも、やめられるか! ボクは、ボクサーになるんだ!!)

 

一歩の想いが込められた連打に、観客の目には「幕之内が宮田を押している」ようにすら映る。

 

だが宮田の瞳は熱を帯びることなく、冷たく澄み切っていた。

 

受け流し、見極め、打ち返す。宮田は気を抜かず、虎視眈々とチャンスがくる、その瞬間を待っていた。

 

「おいおい!素人が押してるじゃん!」

 

「宮田のやつ、下がってばっかじゃねぇか!」

 

新人選手たちが興奮気味に騒ぎ立てる。

 

リング下で腕を組んでいた鷹村は、内心で舌打ちをした。

 

(チッ……何もわかってねぇ小物共が。押してるように見えても、実際は違う。宮田はまだ一度も捕まってない。全部見切って、泳がせてんだ……!)

 

鋭い眼光を走らせながら、鷹村はふと頭に思い浮かべる。

 

(……まるで誠司の真似事だな。小物なりに小癪な真似をしやがって。けど……まぁ、悪くねぇ)

 

リング上、宮田は相変わらず冷静だった。

 

(強引なボクシングの素質がある……技を力でねじ伏せるタイプ。けど――甘い!)

 

幕之内のジャブが戻る、その一瞬の隙。宮田はすかさずステップイン、無防備な顔面に鋭いワンツーを突き刺す。威力は抑え気味、あくまで牽制。だが十分だった。

 

(ダメージを与える必要はない。目的はリズムを狂わせること――!)

 

「っ……!」

 

幕之内の顔がわずかに歪む。その瞬間、本能が告げていた。

 

(打ち戻しのタイミングで攻撃される……!このままじゃ――やられる!)

 

焦燥が拳を遅らせた。そのわずかな“間”を見逃さず、宮田は一気に踏み込む。

 

「これだ!」

 

鋭い左のリバーブロー。深く脇腹に突き刺さり、一歩の動きが止まった。

 

(ガードは上がったままだが……横がガラ空きだ! 撃ち抜く!!)

 

回り込みながらの完璧なフック。

 

試合を支配する一撃。

 

だが、一歩の目から闘志の炎が消えることはなかった。

 

(ボクサーに……なるんだぁ!!)

 

重すぎる腕を、それでも振り抜く。迎撃の右――。

それは偶然か、必然か。宮田の得意とする“カウンター”に酷似した動きだった。

 

「なにっ!?」

 

宮田の頬を掠めるように通過する幕之内の拳。

 

わずかなズレが生んだ生存本能の一撃。

 

宮田のフックも、わずかに外れる。

 

互いの拳が空を切ったその瞬間。

 

カァァァンッ!

 

ゴングが鳴り響く。リングの中央で、顔を突き合わせる二人。

 

肩で荒く息をする幕之内。汗に濡れ、膝も震えている。だが、その目だけは、まだ死んでいなかった。

 

宮田は僅かに眉をひそめ、その眼差しを真正面から受け止める。

 

(この目……まだ終わっちゃいないって目だ……!)

 

観客も外野も、言葉を失っていた。

 

そこには、明らかに「素人のスパー」などではない、ボクサー同士の戦いがあった。

 

 

 

 

 

幕之内vs宮田について

  • 試合のダイジェストでアメリカ編を早く
  • しっかり二人の試合を書く
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