はじめの一歩 Beyond Glory 作:紅乃 晴@小説アカ
第二ラウンド。
ゴングが鳴った瞬間、幕之内は再び突進する構えを見せた。前のラウンドで掴みかけた「距離を潰す」感覚を頼りに、真っ直ぐ宮田へ踏み込む──はずだった。
だが、その猛然とした一歩は、意外な形で止められることになる。
(こっちからだ!)
宮田が、先に飛び込んできたのだ。
(み、宮田くんから入ってきた……!?)
想定外の光景に、幕之内の思考は一瞬空白になる。いかに捕まえるか、逃げる相手を追うことばかり考えていた彼にとって、自ら間合いに踏み込んでくる宮田など予測の外だった。攻防の駆け引き、その経験の差がまざまざと表に出る。
「小僧ぉお!!相手から飛び込んでくるなら好都合じゃ!一気に迎え撃って流れを掴み取れぇえ!!」
鴨川会長の怒声がセコンドから飛ぶ。
(そ、そうだ……相手が来るなら、これはチャンスだ!迎え撃てる!)
一瞬混乱した幕之内も、必死に意識を切り替える。しかし、先に手を出したのは宮田だった。
スパンッと、軽やかで鋭いジャブが二連打で幕之内のガードを弾く。牽制、そして間合いの探り。しかしそのテンポは、幕之内の反応より一瞬速い。
(次は右のストレート……弾いて懐に飛び込む!)
幕之内は宮田のわずかな右手の動きに反応、パーリングの体勢をとった。だがその一瞬の思考を、宮田は逃さない。
三発目、左のジャブが顔面を直撃した。
(なっ、左!?どうして!?)
読みを外された幕之内の思考が、再びかき乱される。
(フェイントに引っかかる程度じゃ、まだ甘い!)
宮田の瞳が鋭く光る。
そのまま、さらに加速した。
ジャブ三連打のリズムで幕之内の動きを乱し、ステップバックから一気にステップイン。
出入りを自在に操るその足捌きは、幕之内の射程を弄ぶかのように軽やかだった。
(ち、近い!……いや、もう離れてる!?)
幕之内が打たれ、打ち返そうと手を伸ばす。
だが拳は空を切る。
宮田はすでに射程外へと飛び退いていた。
まるでリングの上で一人だけ違うリズムを刻んでいるかのようだ。
リング外の観客側からは驚嘆のどよめきが走る。
「な、なんだこのスピードは……!」
「幕之内のパンチが届かない……!」
観客のざわめきが、リングの緊張をさらに煽る。まるで宮田の足が地面から浮いているかのように、軽やかで滑らかなステップが続く。
リングの中央では、再び「ステップの魔術師」が舞っていた。
「おいおい、あんなの……ただの荷重移動だけで可能な動きなのかよ……」
カメラを構えたまま、藤井が思わず唸る。
レフェリーを務める鷹村も、その動きに目を細めた。
(宮田のやつ……軸足の切り替えまで織り込んでる。前後だけじゃねえ、左右の間合いまで完全にコントロールしてやがる……!サウスポーにスイッチしての打ち込みは流石に避けてるが……それでも、あんなステップをされたら一歩には手も足も出ねぇぞ)
その瞬間。
ドッ! バシィッ!
鈍い衝撃音が二重に重なった。
宮田が鋭くステップインし、打ち込んだジャブ。
その刹那、幕之内が本能的に拳を突き出したのだ。
宮田の頬と、幕之内の頬。両方に赤いグローブが突き刺さる。
「カ、カウンター!?」
「いや……違う、あれは相打ち覚悟のパンチだ!」
青木が絶叫し、木村が目を見開いた。
幕之内は迷わなかった。
頭で考える前に、体が勝手に反応した。打たれてもいい。
その代わり、必ず叩き返す。
(な、なんだと……!ジャブに合わせて……ジャブを打ってきやがった!?)
驚愕したのは宮田自身だった。
これまでの経験上、相手は怯むはずの場面。それを正面から「打ち返してきた」のだ。
「こ、小僧……!」
鴨川会長の声が震える。
──ある程度の被弾は覚悟の上。
幕之内が宣言した言葉は、決して虚勢ではなかった。まさに有言実行。
宮田の拳をまともに食らい、幕之内の頬は赤く腫れ始めていた。だが、その代償に宮田の動きも止まる。
(……攻めるしかない!今ここで!距離を奪い返す!!)
幕之内が一気に詰め寄る。
鋭いワンツーのコンビネーションが宮田に襲いかかる。宮田は冷静にガードを固め、肩で受け止める。
(……想像はしていた。だが、なんて破壊力だ……!まともに食らえば、間違いなく倒される!)
(引いちゃダメだ!ここで離れたら、もう2度とチャンスは来ない!食らいつけぇええ!)
幕之内がさらに拳を突き上げる。
ガツンッ!と、ガードの隙を突いて、幕之内のボディーブローが深々と宮田の鳩尾を抉る。
「ぐっ……!」
宮田の顔が苦悶に歪む。
しかし、その苦しみを堪えながらも、やられっぱなしでは終わらない。
ボディを代償に、宮田のフックが鋭く振り抜かれた。幕之内のテンプルを正確に狙った強打。
脳を揺さぶり、意識を刈り取ろうとする凄烈な返しだった。
(よし……これで距離を取れる。ここで一度──)
離脱を考えた宮田の思考を、幕之内の叫びが押し潰す。
(離れるもんかぁああああ〜〜!!)
奥歯を噛み砕く勢いで食いしばり、揺れる意識を気合で繋ぎ止める幕之内。
ステップバックで離れようとした宮田へ、なおも踏み込み続けた。
両者の拳が、同じタイミングで振り上がる。
(この体勢……アッパー!? まずい、避けられない……いや、ならば迎え撃てえええ!!)
(いっけえええええーーー!!)
幕之内が突き上げる渾身のアッパー。
だが、その拳は僅かに軌道を外れ……宮田の頬を掠めるにとどまった。
「──ッ!」
その瞬間を逃さず、宮田の左が振り下ろされる。
鈍い音がリングに響き渡った。
打ち下ろしのカウンターが、一直線に幕之内の顔面を撃ち抜いたのだ。
「うあぁっ!!」
観客の誰かの悲鳴にも似た声が響く。
次の瞬間、叩きつけられる鈍い音。
幕之内の身体が、糸の切れた人形のようにキャンバスへと沈んだ。
「ダウン!ニュートラルコーナーへ!」
レフェリー鷹村の声が響き渡る。
宮田は大きく息を吸い込み、肩で呼吸を整えながら、僅かに目を閉じる。
(……これだ。俺が求めた理想の形……完全なる迎撃だ……!!)
噛み締める拳に、冷徹な光と、勝者としての確信が宿っていた。