「何度言えば分かるんだ!これ以上の犠牲を生まぬためにも丸腰の歩兵を戦地に送り込むな!」
背の低い男が、関東軍司令部内の作戦室にて砲号の如き大声をあげた。
陸軍の異端児と仇名(あだな)された関東軍参謀首席、石居啓次(いしい けいじ)中佐は上官が数多(あまた)といる密室内でこう続ける。
「ソ連の戦車部隊に丸腰で戦い勝てる訳が無い。装備を完全にし、さらに航空機の出撃要請を出せ!」
怒号を散らす石居に、何者かが異を唱えた。
「それはならんな。」
1番奥に席を取る関東軍総司令官、虎南博(こなん ひろし)が低い声でこう悟った。
「装備がままならなくとも、ここで兵を出さないと内部まで攻められる。何としても食い止める必要がある。さらに航空隊は先の事件で使えない事が分かっている。」
これを聞いた石居は両手を長机に叩きつけ立ち上がり、虎南のもとへ立ち寄る。
負けじと虎南も立ち上がった。
175という高身長-当時の平均身長は165ほどである-の虎南と、159の石居の身長差はものさし一つ分ほどあった。
「お前みたいなバカがいるから犬死にする兵が増えるんだ。ここは一旦撤退してでも体裁を整えてから進軍するべきだ!」
「貴様バカとは誰に向かっていっているのだ!」
虎南は石居の胸ぐらを掴んだ。
カーキ色の軍服についた5つほどの勲章が衝動でぶつかり合い、音を奏でた。
「俺はお前の目を見て話していたんだ。バカと発したのなら指す人間は1人しかいないだろう。」
嘲笑うかのような口調で話す石居に制裁を下さんと、右手を大きく上に挙げた虎南だったが、すぐに彼の付添いの安藤克己(あんどう かつみ)中尉が止めに入った。
作戦室内では物々しい雰囲気が支配していた。
「それにいつまで張鼓峰の出来事を引きずっているんだ。航空機の性能も上がったし、ハイラルの航空隊の練度も過去とは比べ物にならない。お前が言ってる事は、種子島式の火縄銃を見ながら『現代の戦争において鉄砲は使えない』と言ってるようなものだ。」
空気の読まない石居の挑発的な発言に現場にいた人間の誰しもが虎南の爆発が訪れると予想した。
しかし、大方の予想を裏切り、虎南はやけに冷静になり自分の席に腰を下ろした。水の入ったコップに手をやり、一口飲むと不敵な笑みを浮かべて静かに語りかけた。
「ここまで上官に対する礼儀の知らない人間は始めてだ。いいだろう。今回の戦略の作成をお前に任し、お前の名前で命令を出せ。」
命令を出した人間は、成功や失敗に関わらず全ての責任を負わされる。
そもそも今回の作戦会議そのものが本国の組織、大本営を通したもので無いので、失敗すると大元帥の許可無く軍事行動を行ったとして軍法会議での極刑は免れられなかった。
石居も色々思うことがあったのか、暫く黙っていたが、やがて帽子を深く被り呟いた。
「いいだろう。」
それだけ言うと石居は自分の席に置いた手帳を取りに行き、そのまま扉の方へと向かった。
扉を開き片足を通路に出した時、石居の背後で再び虎南の声が聞こえた。
「失敗すると極刑だ。やっぱり私の意見に従いたいと思うならその扉を閉め、自分の席に戻るべきだな。」
まるで喧嘩に勝ったかのような口調の虎南に対し石居も同じ口調でこう言った。
「…この国、満州も元は俺の独断専行で作ったものだ。悪いが、このような状況に俺は滅法強いんでな。」
そう言いながら石居は扉を閉めた。
かつ、かつと石居の大きな足音が、静まり返った会議室内に響き渡った。
*
石居は司令部内に設けられた参謀首席の部屋に入った。
関東軍司令部は1933年に旅順から満州国の首都「新京」に移転された。
建物は本国に幾つか建てられている戦国時代の城の天守閣のような造りであった。
何もこんな大陸に日本の伝統を持ってこなくてもと思いながらも、石居はこの建物を気に入っていた。
幼少期を過ごした播磨にそびえ立つ大城、姫路城に似ているからである。
子供の頃に祖父から「あの中には将軍様がいるんだ」と言われていたので、姫路城に似たこの司令部に入ると何だか将軍になった気持ちになった。
そもそも城というのは当時の建築家の芸術性を見せしめるものでなく、戦における最重要拠点であった。
その意味では、この司令部も同じような意味をなしていた。
最も、ここで戦争が起きることは無いが。
部屋の壁には歴代の参謀首席の礼装写真が仰々しく並んでいる。
いつかここに自分の顔が並ぶのか。
いや、この作戦次第では並ぶことを許されないかもしれない。
そんなことを思いながら、窓際にある机の方に向かった。
窓から流れる日の光が、石居の背中を柔らかく暖めた。
当国にも遅ればせながら春が来たようだ。
椅子に座って暫くすると扉が3度、何者かによって叩かれた。
向こう側に聴こえる最低限の声で入るように促すと、見慣れた青年風の男-と言っても、年齢は30歳を超えていた-が血相を変えて入って来た。
「石居さん!虎南中将から話を聞きました!」
「何だ、もう拡まったのか。別に俺が将軍様に逆らうのは今日が初めてじゃ無いだろう。」
自虐的な笑みを浮かべながら、興奮しきった高野行幸(たかの ぎょうこう)参謀付に語りかけた。
名前の由来は彼が出生した「横浜」ではその日、明治天皇鳴仁様が行幸なさったそうである。
何のひねりもないが、本人はいたく気に入っていた。
彼の父親は、本国で知らない人はいない高野財閥の総裁で、行幸は3人目の息子だった。
会社の経営を行う上の兄弟とは違い、軍人に属する事で、高野財閥としては陸軍に一つ貸しをつける事がきる。
そんな戦略的な裏事情はあったものの、高野自身はやりがいを感じていた。
「問題はそこじゃないですよ!もし作戦失敗したら、虎南さんは責任を全て石居さん1人に押し付ける気ですよ。独断の行為は最悪銃殺です。考え直してください!」
机に手を叩きつけ、前のめりに上官に話しかけるその姿はまさしく、先刻の自分の様子さながらであった。
もっとも高野は俺よりも口の利き方をわきまえていた。
「つまりお前は、俺の作戦が失敗する。そう言いたいのだな。」
「そうではありません。」
即答だった。
少しでもまごつけば、自分の自論を延々と語ってやろうと思っていたのに、逆にこちらが言葉を失ってしまった。
「確かに石居さんが言う《航空機主要論》は道理にかなっています。戦車が山になって来ようと、射程外から爆撃を行える航空機がいれば、歩兵の大きな援護となります。自分も軍幹部の人間が言う《根性論》には時代に取り残された戦法だと感じます。」
淡々と語る高野の言葉に、大きな安息を感じた。
こいつが俺の補佐になってよかった。
多少素直すぎるところもあるが、石居の語る戦術や国策に熱心に耳を傾けて、1番の理解者になっていた。
「ですが、どんな戦法も失敗する可能性は零ではありません。石居さんがいなくなると、満州にいる中央の人間は、現場の兵隊の意思を考えない根性論を語る人間ばかりになってしまいます!」
「その時は、お前が俺の唱える戦術を口にすればいいだけだ。」
「…私は石居さんのようなカリスマ性や人間としての太さはありません。ただの下士官の戯れ言として扱われるだけです。」
「カリスマ性ねぇ…」
石居は天井を眺めた。
まだ建設されて間も無いと言うのに、もうペンキが禿げかかっていた。
「本当に俺がカリスマ性のある人間なら、根性論を語るバカはここにはいないさ。それでもバカがいるということは、俺にカリスマ性が無いか、俺よりもカリスマ性がある奴がいるのだろう。
認めたく無いが、本国で宰相をやってるヤツは、俺よりもカリスマ性があるだろう。」
「北野大将ですか…」
目線を斜め下にやり、高野は蔑(さげず)むような声で言った。
北野秀明、大日本帝国の総理大臣であり大日本帝国陸軍大将であり、彼こそが戦国時代さながらの根性論の第一人者であった。
支配欲の強い彼は、総理大臣という立場で自分の思うように政治を行い、逆らう者には陸軍大将としての権力をちらつかせ、完全なる独裁政治を行っていた。
その姿は欧州に台頭する悪魔、アドルフ・ヒトラーやソ連の粛清王、ヨセフ・スターリンと同じであった。
「彼奴(あいつ)のカリスマ性、いや人を騙し味方陣営につける力は本物だ。このままでは彼奴が死なない限り、陸軍は正面衝突を主要の戦法とするだろう。だからここでどうしても異を唱える必要があるのだ。それは俺1人のためでは無い。大日本帝国のためだ。」
高野が来てからずっと苦笑で話をしていた石居の目は、鷲のような鋭い目になっていた。
国について語ることに笑いを含むことは、自分の心が許さなかった。
「...分かりました。ですがあまり無理をなさらないでください。」
それだけ力なく言うと、石居の眼力に圧倒された高野はただ小さく頭(こうべ)を垂れて部屋を後にした。
扉の調子が悪いのか、閉まる際耳に残る不快音が生じた。
机の上には朝作った珈琲が少し残っていて、それをぐいと飲み干した。
甘党の石居は、珈琲独特の苦味が無くなるまで砂糖入れる。
高野は着任して間もない頃に石居の作った珈琲を飲んで「黒い砂糖水」と評した。
その甘汁を身体に入れ込んだ石居は、棚の上に堆(うずたか)く積んだ本から何冊かを手に取った。英語に独逸(ドイツ)語に仏蘭西(フランス)語、書いてある文字は違えど、内容は軍用航空機についての当国の偉いさんたちの論文であった。
過去に自分がチェックした項目に目をやりながら、侵攻しつつある赤き軍団の殲滅方法を必死に模索した。
暖かかった日の光は、雨を含んだ雲に覆われてその素顔を隠していた。