【耳飾りの剣士】継国縁壱   作:日の呼吸

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思い立ったが吉、ということで書いてみました。


【英雄神話】

 

 

 

 

 

 ───三大冒険者依頼(クエスト)

 

 

 それはオラリオの責務にして下界全土(せかい)の悲願。

 

 

 それは幾千年と続く因縁。

 

 

 それは、英雄に課される最後の試練(クエスト)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決着の刻は近い。

 

 ここはオラリオから遠く離れた草原。常人であれば視界に入れるだけで億劫となる山岳地帯を何里も乗り越え、何人たりとも近づけぬ劣悪な環境をやり過ごし、その先に奴はいた。

 

 その巨躯は天を衝く山の如し。ただ其処に鎮座するだけで畏怖と崇拝の念を集め、語られ、謳われ。ただ身じろぎするだけで数多の生物を死に至らしめ、ただ息を吐くだけで天と地を震え上がらせる。

 その偉大なる巨顎から放たれるブレスは、ただ目の前にいる存在を消滅させるためだけにある息吹。其処には虚無だけが存在し、その他一切合切の存在を赦さない。

 

 かつて、誰もが子供の頃から寝物語として読み聞かされてきた御伽話。古代の大英雄が命を賭してなお片眼しか奪えなかった魔性。森羅万象の宿敵にして、果たさねばならない約束(クエスト)

 

 【竜の王】、【黒き終末】、【生ける厄災】───隻眼の黒竜が、英雄たちの前に聳え立つ。

 

 「ぐっ……」

 「化け、物め……」

 

 しかし、偉大にも驕傲に聳り立つ神話の竜に対し、蛮勇を以て挑んだ英雄たちの殆どは地面に体躯を伸している。

 眼前に広がるのは赤、紅、緋。溢れんばかりの血の海と、臓物をぶち撒けられた肉の大地が出来上がっている。その光景はまさに地獄絵図、第一級冒険者であろうと目を背けたくなるような景色が広がっていた。

 

 神時代が始まって以来の最強。そう謳われ続けた英雄(眷属)たちでもなお、あの竜には指先ひとつ届かせることさえ叶わない。

 

 彼らは知らなかったのだ────かの竜に挑むには、一千年程度の重みでは軽すぎたことを。

 

 彼らは知らなかったのだ────彼我の戦力差は天と地ほどあったことを。

 

 彼らは知らなかったのだ────かの竜は勢いだけで下せるほど軟弱な存在ではなかったことを。

 

 紅蓮に染まりし蒼穹はこの世の終末を再現していた。彼ら彼女らは竜の逆鱗に触れた。この紅は下界(せかい)に在るありとあらゆる存在が消滅するまで止まることを知らないだろう。

 

 もう二度と太陽を拝めることはない────その場に居る誰もがその残酷な事実に項垂れる。

 

 それはこの灰色の少女とて例外ではない。

 静寂を愛し、才能に愛された女傑。神時代きっての神童であり、病魔に犯されながらも途方もない研鑽の末辿り着いたLv.7という境地。

 

 それも全ては三大冒険者依頼(この瞬間)のためだけに。下界(せかい)の悲願を果たすためだけに。時間も、汗も、血も、自身の身体が差し出せるもの全てを捧げてきたからこそ成し得た偉業だ。

 

 しかし───それでもなお、届かない。かの竜は彼女のことを一瞥さえしなかった。まるで無価値な物だと言わんばかりに、あってもなくてもどちらでも良いと言外に伝えんばかりに。

 その無慈悲で残酷な事実を目の前に、彼女の矜持はいとも容易く罅が入る。其れは生まれて初めて感じた決定的な挫折と恐怖だった。

 

 彼女の費やしてきた物全てを嘲笑うわけでもなく、()()()()()()()()()()()と言わんばかりに、ただ悠然と、その存在に気づくことさえもなく、その巨躯を支える足で自身を踏み潰さんとする姿を眺めながら、頭蓋の中では自身の半生が走馬灯として揺蕩って流れる。

 だが、闘いに明け暮れていた彼女の頭蓋にはこれといって未練がましい記憶(過去)は流れてこなかった。

 ただ、強いて言うならば、本拠(ホーム)に残してきた病弱の妹のこと。そして、この戦場の何処かにいるであろう()()の安否だけが彼女の心残りであった。

 

 僅かに開かれていた明眸をゆっくりと閉ざし、自身に近づく死の来訪を待つ。しかし、いつになっても意識が絶たれることはなく、代わりに温かい何かに包まれる。

 

 「───大事ないか、アルフィア」

 

 ………嗚呼、分かっていた、分かっていたとも。

 

 自身が積み上げてきた矜持を折られようとも、俄然との絶望的なまでの力の差異を叩き付けられようとも、一度自身の運命を受け入れてもなお心の底では生きることを諦めきれなかったのも────全てはお前がこの場に居たから。お前という英雄(きぼう)がこの戦場にあったからだ。

 

 眶を閉ざそうとも理解出来る優しさの塊のような声。しかし、彼女は敢えてその両眦を惜しみなく開け放ち、自身を抱く戦友へと目を向ける。

 

 「………縁壱。生きていたか」

 「あぁ……?アルフィア、何故笑っている?」

 「ふっ、なに、こんな状況の中でお前の顔を見た途端安心してしまった自分に対して、我ながら単純な女だと自嘲しているだけだ」

 

 日輪のように燃え盛る赫灼の瞳。その色と同様の長髪はシンプルに纏め、華奢な顔に残る大きな痣。耳にはオラリオでもまず見ない風変わりな耳飾りを付け、山吹色の着物と緋い羽織り物に刀を拵えた黒い袴を下につけている様は、さながら極東にいるとされるサムライそのもの。

 

 継国縁壱。

 オラリオでこの名を知らぬ者はまずいない。

 群衆からは『神々の寵愛を一身に受けし者』と讃えられ、神々からも『星の答え』とまで言わしめた者。

 烈火で鮮烈に燃え焦がす、太陽の如き者。

 

 そんな男がたった今、アレの目の前に立っている。威風堂々と、千年樹のように。其処には覇気も闘気も憎しみも殺意もなく、ただただ無感動にアレの前に屹立してみせている。

 

 その時、初めて黒竜の相貌が変わった。

 

 ───嗤ったのだ。神々しくも荘厳に、地響きを起こしながら。

 

 それは己が前に立つ恐れ知らずで矮小な生物に対する侮りか、それとも久しく見る強者に対する賛辞と期待か。

 

 竜王は呵呵大笑と哄笑する。それは音響だけで岩を砕き、中空を歪ませ、地鳴りを轟かせた。人はこれを天変地異と呼ぶが、アレはそれを戯れで引き起こす。依然として生物としての格差を見せつけるには十分すぎる衝撃であった。

 しかし、それを真正面から受けてなお縁壱の顔色は一寸たりとも変わることはなく、ただ心中にぽつりと湧き出た疑問を眼前の王に問いかけた。

 

 「何が楽しい?何が面白い?命を……何だと思っているんだ」

 

 王は答えない。その代わりに、初めて臨戦態勢の構えを取った。これこそがその答えであるかのように誇示する。我々が意志を交じえさせるのは言霊ではなく戦場であるべきだと、そう言わんばかりに。

 対して縁壱も直接的な返答を期待していたわけではなかった。ので、其処に何かを思うことはなく、ただその柄に手を滑らせて。

 

 

 

 ────戦場にもうひとつの太陽が顕現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その闘いはまさしく『英雄伝説(ものがたり)』上に出てくる死闘そのものであった。自分たちこそが物語に出てくる英雄側になってもなお、その状況を忘れて童子に返って魅入ってしまうほどの、美しくも残酷な決戦。

 

 孤軍奮闘ながらに一騎当千。竜騰虎闘にして竜攘虎搏。其れらの言葉が似合う死闘は凡そ数日間に渡って繰り広げられた。

 

 

 

 斯くして、人類の行く末を賭けたこの一戦は、最も新しい『英雄神話(でんせつ)』として歴史に記される。

 

 彼は古代の大英雄以来の快挙を成し遂げ、その名はオラリオに留まらず世界中に轟き鳴いた。

 英雄とは即ち彼のことを指し、彼の行いこそ英雄たるものである、と。

 

 いずれ下界全土(せかい)の宿願を果たすであろう英雄に、群衆は天に向かって手を仰ぎ、そして声高々に賛辞を送る。

 

 

 ────【耳飾りの剣士】継国縁壱、彼の行く末に幸あれ、と。

 

 

 

 

 

◇ ◆

 

 

 

 

 

 夕暮れの麦畑。

 その麦畑は遥か久遠へと続く麦の海。黄金に包まれし種は風と共に揺蕩い、耳障りの良い演奏を奏でる。西へと傾き出した日の光は麦の海を黄金色に染め、その絶景は何たるものか。

 

 その光景を尻目に畦道を歩み進めると、その傍らに佇む男の姿を見つける。

 この男は時折家内から姿を消すことがよくある。そして決まってこの場所にいるのだ。この男が何処へ行こうと制限を付けるつもりはないが、夕飯間近でこれはやめてほしいと切に願っている。

 

 名は継国縁壱。

 互いに背中を預け合った戦友であり、互いにより高みへと切磋琢磨した好敵手(ライバル)であり───私の情緒を狂わせる1人の男だ。

 

 「縁壱、もうじき夕飯だ。さっさと戻って来い」

 「………分かった」

 

 私の言葉に簡潔に粛々と返答するが、やはりというかすぐには動かず、悠遠と続く麦畑を眺めていた。

 常ならば此処で引き返しているが、何故かは分からないが毎度その行為に対して無性に苛立ちを覚えたり、焦ったく思うことも屡々あったので、今日は共に帰ろうと決めていた。ので、この木偶の坊のように突っ立っている男の隣に立ち、人形と見紛うほど端正な横顔を横目で見遣る。

 

 相も変わらず凛々しい横顔だ。そして恐ろしく静か。人は誰しもが雑音を奏でている。喧騒に呑まれることもあるだろう、悲嘆に暮れ泣き叫ぶこともあるだろう、欣喜雀躍と踊り狂うこともあるだろう。感情の発露──それは人ならば誰もが持ち得る雑音だ。

 しかし、この男にあるのはそんなもの(雑音)ではなく、静寂。否、静寂とまではいかないが、余分な物全てを極限にまで削ぎ落とされた存在感を放っている。

 雑音を嫌い静寂を愛する私にとって、そんな奴の隣はいたく居心地の好い場所でもあった。

 

 その横顔は何を伝え、無垢なまでに透き通ったその眦で一体何を考えているのだろうか。

 

 縁壱と出会ってかれこれ10年以上の歳月は経つ。しかし、この男の思考を読み取れたことは終ぞなかった。そのことが妙に腹立たしく、そして胸を焦がすほどに切なく感じてしまうのだ。

 

 縁壱……お前は一体何を見て、何を考え、そして何に想いを馳せているのだ。

 

 教えてほしい、聞かせてほしい。どうか私に話してはくれないか──そう何度口にしようとしたことか。しかし結局は唇を濡らすだけに留めて、その言葉が喉から零れ出ることはなかったが。

 

 とんだ笑い話だろう。かつては『才禍の怪物』と呼ばれ、賞賛と畏怖の念を一身に集めていたこの私が、たかが1人の男に情緒を掻き乱されているのだから。

 

 「………もうじき、旅を再開しようと思っている」

 「ッ」

 

 突如として打ち明けてもらえた独白は、とてもではないが歓迎するものではなかった。

 

 「………追うつもりなのか?あの竜を」

 「あぁ」

 

 あの闘いで我々が得た戦果は黒竜の()退()

 一千年以上前に大英雄アルバートが命を賭して実現できた偉業を、コイツは五体満足で成し遂げた。これを偉業と言わずして何が偉業か。

 

 それなのに、あろうことかこの男はオラリオを飛び出して世界中を旅し、あの竜を探し始めた。

 まるで何かに駆られるように、それが義務であるかのように。

 

 「……もう良いではないか。お前は誰にも成し得なかった偉業を果たせたのだぞ?奴もしばらく身を隠す他なくなった。お前は多くの人々(誰か)を救ったんだ。だから……────」

 

 何を必死になっているのか、よく回る舌で滔々たる懸河の弁を披露して説得を試みる。

 

 だから……────だから、何だというのか?何を言おうとしたんだ?私は。

 

 「………あの竜が生きている限り、これからも人々はその恐怖に苛まれるだろう。今も何処かで誰かが悲鳴を上げているかもしれない」

 「…………」

 「私は恐らくあの竜を倒すために特別強く造られて生まれてきたのだろう。しかし、私はしくじった。結局しくじってしまったのだ。私がしくじってしまったばかりに、これからも多くの人の命が奪われる」

 

 縁壱が初めて零した懺悔にも似た独白に、最後は『心苦しい』と結びを付け、再び麦の海の地平線を眺める。

 

 10年来の付き合いである私とてコイツの全てを理解し得ていない。だが、この男は市井の連中が語るような完全無欠の英雄などではなく、物静かで素朴な人間だということだけは確りと理解していた。

 

 『剣や拳を振るうより、俺は野に咲く花を愛でていたい』──幼い頃に一輪の花を差し出してくれたあの情景が瞼の裏に描かれる。

 

 【ゼウス・ファミリア】も【ヘラ・ファミリア】も、黒竜戦での甚大な死傷者の数によりファミリアは崩壊。その後、空席になった王座(二大派閥)を明け渡すように【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】が台頭。

 しかし、現二大派閥と雖も我々(最強)の全盛期とは程遠い2つのファミリアはまだ成長段階にある。コイツと共にかの黒竜に立ち向かうには、経験も、力も、知恵も、その意志も、何もかもが足りていない。足りていないのだ。

 

 だから、この男はこれからも孤独と共に歩き、振りたくもない剣を振り続ける。

 ……皮肉なものだ。他者(冒険者共)からしてみれば喉から手が出るほどに欲する天賦の才を持つ者が、この世で最もそれを不要とする人間であったとは。

 

 『大いなる力を持つ者は、その力を弱き者のために行使する義務がある』……などと、自分たちは守ってもらうばかりで何もしない市井の連中がこのようによくほざくが、なかなかどうして真理を突く言葉であった為、私も特に何も思うことはなかった。

 しかし最近になって、それは果たして本当に正しいのかと疑問を持つようになった。

 

 私は……縁壱にどうあって欲しいのだろうか。

 

 黒竜に植え付けられた恐怖心(トラウマ)は今もなお燻っている。もう一度アレに立ち向かえる姿など想像したこともなければ、想像すらしたくない。そして、縁壱が再びアレに挑むことさえ恐怖を感じる。もし、もしも縁壱が私の知らない所で骸に変えられてしまったとしたら……そう考えるだけで身体の震えが止まらなかった。

 

 だからといって、縁壱以外に誰があんな怪物と闘える?誰がアレの前に立てる?誰がアレの前に拳を握り、剣を振り、詠唱を唱えることが出来る?ハッキリ言おう、不可能だ。今のオラリオのレベルでは、誰一人としてアレの前に立つ資格すら得られていない。縁壱以外は、誰も……

 

 死地に向かう縁壱を止めたい自分と、あの竜の恐ろしさを知っているが故に引き止めることが出来ない自分。

 たった1人の両肩に世界の命運を乗せている事実に、この神時代(せかい)を作ってしまったオラリオ───ひいては、その一役を買ってしまった私自身に深い失望を向けてしまう。

 

 この体たらくで何が戦友、何が好敵手(ライバル)。とんだ笑い話だ。

 

 「……お前には、私が何か特別な人間のように見えているらしいが、そんなことはない」

 

 そう言って腰に刀を充て直す彼の後ろ姿には哀愁が漂っていた。

 その赫灼の瞳は何処か遠くを見ているようで、悲哀を灯した寂幕の色は眩いぐらいに煌めく赫に塗り潰される。

 

 「私は大切なものを守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ」

 

 「────何の価値もない男なのだ」

 

 冷たい風が頬を撫でた。

 

 「縁壱、私はっ────」

 「───あっ!いた!縁壱さん!アルフィアおばさん!ぼくも来ちゃった!」

 

 静寂に満ちた麦畑の隘路に五月蝿くも勃勃たる声が木霊する。

 母親譲りの処女雪のような髪、忌々しき男の血を垣間見る紅い瞳。その容姿とちみっこい上背のせいで兎と見紛うほどだ。

 

 ………さて、色々言いたいことがあったが、まずはあの子兎(クソガキ)に躾をしてやらねばな。

 

 「ベル」

 「ん?なに、おば────」

 

 頭頂部へと真っ直ぐに振り下ろした拳はさぞかし芯に響くだろう。

 子兎(クソガキ)は頭の天辺を押さえてギャーギャーと喚き散らしている。五月蝿い。

 

 「何度言えば分かる。私のことは“アルフィアお義母さん”と呼べと何度も忠告してきたが?」

 「………ごめんなさい、アルフィアお義母さん」

 

 宜しい。全く、最初からそう言えばいいものを……

 

 「さてベルよ、何故お前が此処に?」

 「えへへ!おじいちゃんから2人は麦畑にいるって教えてもらったんだ!それと『きっと今頃ラブラブの逢瀬を楽しんでおるじゃろうから、茂みに隠れて()()()していたら可及速やかにおじいちゃんに報告頼む☆』って言われたんだけど、その“ナニか”って何のこと?」

 「あい分かった。今宵あの糞爺を深海まで沈めることが決定した。食費も浮くし害獣は駆除出来るしで良いこと尽くしだな」

 「まって!!おじいちゃん本当に死んじゃうよ!?」

 

 あぁ、全くもってその通りにするためにやるんだが。

 

 「よ、縁壱さんからも説得してよ!」

 「お前たちは相変わらず仲が良いな。お前たちのことを見ているだけで幸せになれる」

 「何言ってんだこの人!?」

 

 諦めろ、ベル。此はそういう()だ。

 

 軈て喚き散らす行為に満足したのか、私と、それから縁壱の手を引いて踵を返した。

 ゆっくりと流れる時間を表すように、黄金色の麦もまた静かに揺蕩う。私と縁壱の間には最愛が残した宝物。

 第三者がこの光景を見たらどう思うだろうか、なんて自身でも正気を疑いかねない思考が頭蓋の中でぐるぐると廻っていると、ベルが思い出したかのように肩をびくりと跳ね上がらせ、煌めく瞳を縁壱に向けた。

 

 「そうだ!縁壱さん!こんどまた剣術教えてよ!」

 「……ほう、剣術。初耳だが?」

 「たまに型を教えてやっているだけだ。他意はない」

 

 いや、剣術自体教わることは別に否定はしない。むしろ、この世界においてこの男以上に剣の学を得るための見本となれる適任はいないだろう。何故なら縁壱以上の剣士を私は知らないからだ。

 

 しかし、どうして剣術を学び始めたのかは些か疑問が湧き出る───が、思い当たる節は五万とある。全てあの糞爺の英才教育(妄言)のお陰だがな。

 

 「ぼくも縁壱さんみたいにカッコいい英雄になりたい!たくさんの人を救って、たくさんの女の子に好かれて………それでいつか、縁壱さんと一緒に闘いたい!」

 

 それは如何にも子供が見るような幼稚で傲慢な妄想だった。聞く者が聞けば怒鳴り散らし、今すぐにその口を閉ざさせるであろうユートピア的な過言。

 

 だが、何よりも尊かった。何よりも純粋で、無垢で、希望溢れた言葉だった。風が吹けば飛んでしまうぐらいにちっぽけで弱々しい子供が、世界最高の英雄の前で宣ったのだ。

 嗚呼、確かに、此は子供でもなければ出来やしない。少なくとも、オラリオにいる大半の冒険者(雑音)共は口が裂けても宣えんだろう。

 ───『継国縁壱(最強)の隣に立つ』。その言葉の意味を、その重みを、誰かに言われるまでもなく己自身がよく理解しているのだから。

 

 だから、私は此を雑音と断じない。此を雑音というには些か惜しすぎる。

 

 「………そうか」

 

 縁壱はただ静かに瞼を落とす。

 しかし、何となくだが、何処か喜んでいるように、しかしてほんの少し複雑な心情を抱いているように思えた。

 

 「ならば待っていよう────頂天(ここ)で」

 

 『お前ならば私の才覚などすぐに凌いで征けるはずだ』と、随分と過分な期待を背負わせるものだ。

 しかし、その重圧なぞ微塵も感じ取れぬ無垢な赤子には、さぞ素晴らしい激励(エール)に聞こえたことだろう。その眩いほどに輝く瞳がそれを証明していた。

 

 気づけば我々の(ホーム)に辿り着いていた。

 意気揚々と扉を開け放つベルの後ろ姿を眺め、それに続くように家の敷居を跨ごうとする縁壱を呼び止めた。

 

 「お前は先ほど、自身には何の価値もないと、そう宣ったな」

 

 謙虚を通り越して卑屈なまでに自己評価が低いお前はそう思うかもしれない。だが、理解してほしい。

 

 「お前はあの黒竜に打ち勝ち、何千何億という人々の日常を護り、あの子の目標(憧憬)となり、そして何度も私を救ってくれた。支えてくれた。私の戦友(とも)であってくれた」

 

 だから、だから────

 

 「そんな男が価値がないなどと、笑わせるな。少なくとも私にとってお前は、雑音が溢れるこの世界において()()()()()()()()()()をくれた人間だ」

 

 『だから自身に価値がないなどと、二度と言うな』──そう結びを付けて、何となしに彼奴の表情を窺う。

 

 ────微笑んでいた。

 あの縁壱が、満開の華が咲き乱れんばかりに。

 

 「ありがとう」

 

 そう告げてそそくさと扉を潜っていく縁壱の後ろ姿を見送り、私はその場で蹲った。心臓が痛い。

 此は病魔によるものではない。不治とされた病は縁壱の()()()()()()()で見つけてきた珍薬により回復傾向にあるため、決してそれが原因ではない。

 

 ならば何か。何なのだ。この胸を締め付けるほどの心臓の高鳴りは。

 

 「───お前は何処まで……何処まで私の心中を掻き乱す気だ、縁壱ッ」

 

 嗚呼、自身の心臓が五月蝿い。いっそ今すぐに止めてしまいたいぐらいに、五月蝿かった。

 

 

 

 

 その翌朝、縁壱はひっそりと立ち去った。

 ただ、『またいつか、オラリオで』というひどく端的で、あの男らしい達筆な文字の書き置きだけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───懐かしい光景(過去)を見た。

 

 アイツの心を知り、そしてあの子がアイツに夢を語ったあの日のことを。

 

 何故今になってあの日を思い出したのか───容易に理解出来る。

 

 「ザルドおじさん!アルフィアお義母さん!僕そろそろ行きます!」

 

 何故なら───今日は甥がオラリオに旅立つ日なのだから。

 

 「おう!一丁かまして来い!」

 「ふっ、あまりにも普遍的でありふれた門出の言葉だな。センスの欠片もない。流石は食べることにしか脳がない筋金入りの脳筋だ」

 「ぐっ……!何故別れの挨拶だけでこうも言われなければならんのだ……」

 

 それはお前のセンスの問題だろう。

 さて、私からも何か言葉を授けてやらねば───が、その前に。

 

 「………ベル、お前はオラリオに征き、何を果たさんとする?改めてお前の口から聞きたい」

 

 私の問いかけに、あの日と同じように輝く瞳を隠そうともしないで───

 

 「縁壱さんのような英雄になります!あの人の隣に立てるような、そんな英雄に!」

 

 あの日から随分と年月が経った。奴の名声はこの辺鄙な山奥にまで響いている。継国縁壱という男を知るにつれ、もしや自身が掲げた目標に対して臆しているのではと思ったが……やはり愚問であったか。

 

 「そうか、その言葉を聞けて安心したぞ。もしその言葉以外を吐こうものなら猛獣が跳梁跋扈している森林に投げ放っていたところだった」

 「こわっ!?えっ、僕って今際の際に立たされてたの!?冒険者になる前に死ぬところだったの!?」

 「五月蝿い、黙れ。それぐらいの心構えで征けということだ」

 

 最後に、頭をひと撫で。

 ……相変わらず、あの子に似ている。

 

 「ベル、聞け。どれだけ無様を晒そうとも、どれだけ鈍臭くても、どれだけお前が泣き虫で、弱虫で、意気地なしでも……」

 「旅立つ前の子供をここまで貶せるお義母さんもそうはいないよね……」

 「諦めろ、こいつはそういう()だ」

 

 本当に五月蝿い。人が話している最中にすら黙ることも出来ないのか。

 

 「───諦めるな。何がなんでも生き残る努力をしろ。そうすれば、お前の憧憬に一歩近づける」

 「ッ!!」

 

 結局は生き残らなければ英雄も何もない。死ねば骸、そこに名誉もなければ未来もない。

 

 「はい!絶対に諦めません!」

 「宜しい」

 

 此が口だけにならないことを願うばかりだ。

 

 「じゃあ行きます!2人もお身体に気をつけて!」

 「あぁ!お前も気をつけろよ!」

 「まだ身体を労られるほどの歳じゃない……が、一応気に留めておこう」

 

 ベルは早朝から脳に響く溌剌とした挨拶と共に勢いよく物語の舞台へ駆け抜けていった。

 今のあの子を止める術は誰にも持ち得ないだろう。何故なら、今ようやく憧れの舞台へと乗り出すことが出来たのだから。

 

 「………行っちまったな」

 「あぁ」

 

 さて、あの子の見送りも出来た。後は私も()()()()()()()べく最後の確認をしなくてはな。

 

 「いや〜、これが親離れ子離れの気持ちって奴か。心にじーんと来るなぁ………って何してるんだ?」

 「支度だ」

 「ん?何のだ?」

 「決まっている───我々もオラリオへ向かうのだ」

 「…………は!?オラリオに!?今見送ったばかりだぞ!?」

 

 一々反応が五月蝿い。私が『向かう』と言ったのだ、黙って首肯だけしていればいいものを。

 

 「それはそれ、此は此だ。私には関係ない」

 「………戦場に立つことも久しくなった老兵(おれたち)が一体何しに行くってんだ?」

 

 何しに行くのかだと?随分と面白いことを聞く。

 

 「あの子がしっかりと約束を果たせるのか、特等席(オラリオ)で眺めさせてもらうだけだ」

 「……親バカここに極まれり、だな」

 

 断じて親バカではない。

 

 次にアイツが残した書き置きを見せる。

 

 「この書き置きを見るに、アイツもきっとオラリオに戻ってくる。使命を果たせたかは理解し得ないが、結果が如何あれベルの旅立ちと共に一度帰還する筈だ。そして、オラリオにて我々と再会したがっている」

 「そ、そうか?縁壱の奴、意外と、というかかなり抜けている所もあるし、その書き置きの内容もそこまで深い意味はない───」

 「ん?」

 「いえ、何でもないです……というか、アイツはベルがオラリオに向かったこと知らないんじゃ……」

 「あの縁壱だぞ?何とかする筈だ」

 「───だなぁ……」

 

 そして何よりも……

 

 「あの男、とうとう私の前に姿を現さなかった。あの日から、何年もだ。流石の私でも一発あの碌でなしの体躯に魔法を撃ち込まねば気が済まん」

 「…………素直に“会いたい”って言えばいいものを───」

 「次何か言ったら3つ先の山頂まで吹き飛ばす」

 「サーッセンシタァ!!!」

 「五月蝿い」

 「ゴハァ!?!?」

 

 嗚呼、思い出すだけで腑が煮えくり返りそうだ。あの男、会いに来ないのは一万歩譲って許すとしても、手紙のひとつも寄越さなかったのはどういう了見だ。何故だ?私はお前の戦友だぞ?共に死地を駆け抜け、時には背中を預けてきた()をどうしてそうも麤雑に扱えるのか。

 私のことなど……もうどうだって良いと言うのか?私は既に過去の女なのか?

 ………過去の女、か。ふむ、そうかそうか。なるほどなるほど……

 

 ───必ずあの阿呆の鳩尾に一発ぶち込む。

 

 「いつまで寝ているつもりだ。早く起きて支度しろ」

 「よ、縁壱……は、早く来てくれ……この理不尽(おんな)を押さえこめるのはお前だけだ……」

 

 

 

 

 

 これは日の意思が残した【迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)】───その序章である。

 




【継国縁壱】
・所属:【ロキ・ファミリア】
・Lv:???
・出身:極東

 黒竜とかいうアホみたいに強い蜥蜴に対抗するべく、世界が生み出したバグ。謂わば身体の中にある免疫、白血球のような存在。(ダンジョン)も似たようなこと(ジャガーノートくん)をやっているのだ、卑怯だと云うまいな。

 なお、黒竜くんは現在行方不明の模様。どうやってアレ(バグ)から逃げ切ったのかは不明だが、生き恥ポップコーンは(多分)していない。シンプルに空を飛んで逃げたと思われる。
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