【耳飾りの剣士】継国縁壱 作:日の呼吸
月が満ちる。
煌々と照る皓月は闇夜を照らし、耿々たる星々の光は迷い子を導く。
常ならば
石塔のとある内部、其処で息を顰め機を伺う純白の少年──ベル・クラネルが思うことはただ一つ。それはたった今、生贄とされかけている少女のことであった。
【イシュタル・ファミリア】から逃げ出し、身を隠すために登楼した妓楼で出会った
共に英雄譚が好きで、憧憬を抱く人物も同じだった少女。
『ですが、私は娼婦の身。もう既にあの方に助けていただけるような存在ではなくなってしまったのです』
そして、自身を
あの時は何も言えず、二回目の問答でも何も答えられなかった。
しかし、今なら答えられる。その答えを彼女に伝えなければならない。ベルの心中はたったそれだけだった。
「ベル殿ぉおおおおおおおおっ!!!」
途轍もない爆発音と熱風と共に出される合図の声。その瞬間、疾風の如く駆け出した。
「ぬっ!?あん時の
しかし相手も
彼女は【イシュタル・ファミリア】の最高戦力。名はフリュネ・ジャーミル。【
モンスターと見紛う巨躰が迫り来る中、ベルは避けるわけでもなく、
衝突する前に足場を踏み砕くほどの加速により、その勢いでフリュネの大斧を僅かに跳ね返すことに成功する。
その反動を利用してフリュネの背後へ。目指すは今にも春姫を突き刺さんとする
しかし────
「くっ!?」
「ッ!!」
殺生石を目掛けて振り下ろしたナイフは
ひとまず春姫の元から
「あ、危なかった……。あと少し“
「ゲゲゲッ、惜しかったねぇ。それに、アンタの狙いはよぉく分かったよ。ほら、それを寄越しな!」
フリュネは
「春姫さんを解放してください!」
「あ゛ぁ?クソ兎がぁ、ふざけたこと抜かしてんじゃないよぉ!!」
苛立ちと共に放たれた大戦斧ゴルダとベルの持つ両手ナイフが交わる。その瞬間、まるで雷鳴が轟いたかのような鳴動がベルの耳を聾する。
完全に受け止めきる体勢を取った。威力も出来るだけ流すよう努力した。それでもその衝撃を殺しきることは出来ず、両手は痺れ、身体の芯は揺れ、足元すらも覚束なくなるほどだ。
たった一撃でこの威力。次を喰らえば刃ごと自身の身体は引き裂かれる───その未来がハッキリと見えたベルはすかさず横に転がり込む。
「クラネル様!どうかお逃げください!私は……私は誰かに救われていいような人間じゃ───」
「違うッ!!」
「ッ」
春姫の言葉を遮り、珍しく強い言葉で返すベル。しかし、其処には並々ならぬ想いがあった。
「春姫さん、あの時言ってましたよね。自分は破滅の象徴なんだって、英雄に救われることのない存在なんだって」
「そうです、だからっ───」
「そんな英雄、僕は信じませんっ!そんなの英雄なんて言えませんっ!言いたくないッ!」
「どうしてそんなことが言えるのですか!?」
「だって、僕が……僕とあなたが憧れた
「ッ!!」
脳裏に過ぎるのはあの緋色の背中。
大きくて、強くて、カッコよくて。泣いている子どもがいたらすぐに駆けつけてくれる優しい背中。今の自分では憧れるのも烏滸がましく思えるほどに遠い背中。
だからこそ思う。だからこそ言える。英雄とは
「僕はあなたを助けたい!命さんだってそうです!あなたに生きていてほしいから此処まで来たんです!だから春姫さん、あなたの“本当”を───ッ!!」
「アタイの前でごちゃごちゃと!よくもまぁ舐め腐ったこと言ってくれるねぇ、この
「ぐァ!?」
背後から斬りつけられるが既のところで回避する。
その後も大戦斧の追撃になんとか喰らいつくだけで、攻めの一手どころかカウンターすらも繰り出せない、まさに防戦一方という言葉がピッタリな状況が続く。
しかし、それはフリュネの剛腕から放たれた痛烈な一撃によって崩された。
ベルはさらに後方へと吹き飛ばされ、その衝撃で片方のナイフは中間から真っ二つに折れた。残された武器はヘスティア・ナイフただ一つのみとなる。
「誰が誰を助けるってぇ?
フリュネは春姫の胸倉を掴み、その醜悪な顔に相応しい下衆な笑みを浮かべる。
「春姫ぇ、アタイに【
「……………ッ」
春姫は今も自身を真っ直ぐに見つめる白兎に目を向ける。燃ゆる炎を宿したベルの瞳は何処となく彼を彷彿とさせる。
その瞳に自身の覚悟を刻み込むよう、大きく頷いて────
【────大きくなれ】
詠唱を開始した。
【其の力に其の器、数多の財に数多の願い】
【鐘の音が告げる。その時までどうか栄華と幻想を】
彼女は魔法発動時に発生する金色の膜に身を包まれながら、走馬灯かの如く自身の半生が頭蓋に流れ込んでいた。
母は物心つく前からおらず、父からは忌み嫌われ。
家から勘当を叩きつけられた後、最終的には娼婦としてオラリオの歓楽街に売り飛ばされてしまった。
いっそ清々しい程の転落人生だ。とてもではないが、これを順風満帆な半生だったとは言えやしないだろう。
【────大きくなれ】
だけど、そんな自分にも友達ができた。身を堕とし、穢れた存在となってなお、以前と変わらずに接し、助けてくれる友が。
そして、
自身の世界を広げてくれた人、憧憬を抱かせてくれた人、夢を見せてくれた人。
そして、もう会うこともないと思っていた人。
【神饌を食らいしこの体、神に賜いしこの金光】
【槌へと至り土へと還り、どうか貴方へ祝福を】
もう二度と会えないと思っていた。会ってはならないと諦めていた。
でも────
『だって、僕が……僕とあなたが憧れた
だけど、もし叶うのなら、もし願っても良いというのなら、どうかもう一度、もう一度だけでも良いから彼に────
【大きくなぁれ】
彼女の
春姫は何かを差し出すように手を前へ。その手が向かう先は───
【ウデノコヅチ】
ベルの頭上から光の柱が降り注ぐ。それと同時に、ベルは
「もう身体を売りたくないっ。もう誰も傷つけたくないっ。死にたくないっ!もう一度だけでも良いから縁壱様とお会いしたいッ!どうか私を助けてくださいッ!」
「はい!」
「チッ……!今すぐ魔法を解け、この役立たずがぁ!」
フリュネの逆鱗に触れた春姫は再度胸倉を掴まれ高く持ち上げられる───春姫に集中している隙を突くように、ベルは先ほどの初速を遥かに超えたスピードでフリュネの足元に近づき、鎌鼬よりも鋭い蹴りをフリュネの剛腕に炸裂させ、春姫を手放させた。
「調子のんじゃないよ!このクソガキがぁああッ!!」
しかし相手は腐っても
先ほどであれば躱わすどころか受け止めることさえ困難であろう必殺の一撃。しかし、今のベルはLv.4。Lvが一つ上がるだけで隔絶した力を授けてくれる
ようやく此方のナイフが通ったことの感慨に浸る間も無く、この勢いで追い討ちをかけようとする。
しかし───
「クソがぁあああッ!!!アタイの美しい顔に傷をつけやがったなぁ!もう許さねぇ!」
ベルは不幸にも、その唯一にして絶対のタブーに触れてしまったのだ。
「隙が……ないっ!?」
「ゲゲゲゲッ!なかなかやるじゃないか!」
激昂のままに、ただ目の前にあるものを破壊し尽くすために振り下ろされる大戦斧の威力は凄まじく、速さ、重さ、正確さ、その他全てが先ほどの攻撃とは比べ物にならない。ヘスティア・ナイフでなければとっくに折れていたことだろう。
またしても防戦一方となった戦況下。このままではジリ貧で、【
しかし、そんな中でもベルの脳裏にはあるのは、焦りや恐れといったものではなく、とある日の光景であった。
これは遠い遠い過去の風景。
幼い頃、縁壱さんに剣技を見せてほしいと頼んだことがあった。
縁壱さんは二つ返事で了承してくれて、少し離れた場所で剣を抜き放ち、紅蓮に燃ゆる夕陽を背景に金色の海原が漣を打つ中、あの人は静かに刀を振るった。
────息を忘れるほどに綺麗だった。
────あまりにも美しいと思った。
まるで大昔に存在したとされる天空にいる神々に剣舞を捧げる妖精の如く、黄金の麦畑の中であの人は舞い踊る。
その所作ひとつひとつに見惚れ、瞼に焼き付けるようにのめり込みながら見ていた。
久遠のようであり、刹那の間のようでもあった剣の舞が終わり、縁壱さんが僕の元に戻ってきた瞬間、気づけばこう口にしていた。
『僕に剣術をおしえてください!』
幼い頃に見たその光景は今でもベルの脳裏に焼き付いている。片時も忘れたことはなく、大切な思い出として奥底に仕舞われていたものを優しく取り出しただけの話だ。
しかし、何故今になって思い出したのか、それは当の本人にも理解し得ない。
ただ、極限までに高められた集中力の中、彼の脳髄では何度も何度もあの動きが繰り返し再生されている。
自分がどうしたって敵うはずのない相手を目の前にして自身が高められていくのを感じながら、そっとナイフを構えた。
(───ッ!なんだい、この得体の知れない気配は……)
その変化にいち早く気づいたのはフリュネだった。
目の前には欠伸が出るほど拙い構えをする子兎が一匹。フリュネにとってそれは脅威に成り得ない存在であった、筈だった。
ベルは駆け出す。フリュネから見れば杜撰も杜撰な動作、恐るに足らない虫ケラの足掻きだ。
しかし、何故かその気迫に既視感を覚えてならない。
けたたましく燃え盛る炎の音が聞こえる。その呼吸音は間違いなく目の前の子兎が発している。それなのに、フリュネの視界には全く別の誰かが映っていた。
「ハアァァァァ!!」
「ぐっ!?」
先ほどまでのとは全く違う、もはや別次元と云っても過言ではない動き。されど、何処か見様見真似に型を嵌めているようなぎこちない動き。
しかし、そのどれもがフリュネの既視感を刺激するものに他ならない。
「この雰囲気、この動き、この呼吸音……!こいつはまるでッ───!!」
動揺に次ぐ動揺。その隙をベルは見逃さなかった。
ヘスティア・ナイフを大戦斧ゴルダの柄に打ち当て、フリュネの掌から離すことに成功する。
誤算も誤算。自身に降りかかる咄咄怪事な出来事に動揺が隠せないまま
荘厳な鐘の音が鼓膜を揺らす。
ベルの右手は白光に包まれ、そのまま右手をフリュネへと差し出した。
「ファイアボルトォオオオオオッ!!!」
ベルの十八番───【
爆煙で周囲が見えない。これでは
理由は様々ある。増大した魔法がちゃんと直撃した感覚が残っていることや、ほんの少し前まであった
「────いったいねぇ」
「なっ──ガッ!?」
「クラネル様!?」
煤煙の奥から丸太のような腕が伸びてきて、忽ちベルの胸ぐらを掴み持ち上げる。
煙が徐々に晴れていく。そして、目の前には右腕を焼き焦がしながらも余力を残したまま聳え立つ
「ゲゲゲゲッ、間一髪右腕を盾にしたのは正解だったようだねぇ。もしあのまま身体の中心で受けていたら、流石のアタシでも立っていられたか怪しかったよ」
「ぐっ……!」
「ハァ〜、ったく、アタシとしたことが変な幻影に踊らされちまったが………まぁいいさ。なんせ……ゲゲゲッ、ようやく捕まえたよぉ?
これまでの鬱憤を晴らすかの如く、自身の
ベルは咄嗟に両腕でガードするも、骨が軋む鈍い痛みと共に遥か後方へと吹き飛ばされてしまう。
まだだ。まだ勝負は終わっていない。なけなしの精神を振り絞りながら立ち上がろうとするも、身体がピクリとも動かない。また、遅れて肺と喉が焼けるような熱を帯びてまともに呼吸することすら困難となり、思わず地面にのたうち回る。
「ゲゲゲゲッ……オイ、
───“呼吸”。
それはここ十数年で確立された
先述した通り
しかし、この呼吸法が確立されてから、オラリオでは“呼吸”を使うことがベースとなった。個人差はあれど、冒険者の肉体なら誰もが使用可能となったもの。そこに差異はない。
では、彼女の言う練度とは何か。それは“呼吸”の更に先のステージを指し示すものであった。
「アタイも数年以上【全集中・常中】を維持し続けている。つまりお前は
“呼吸”の更に先の舞台──【全集中・常中】。
これは戦闘時に使用する呼吸を四六時中24時間行使し続ける極めて過酷な鍛錬法であり、【全集中・常中】を行いながら更に鍛錬をしていけば、人体の基礎的能力が向上し続ける高等技術である。
戦闘技術ではなく鍛錬法であるため、すぐさま目に見えた効果は発現しにくいが、年月を重ねていけば着実に力を身につけることが出来る、いわば積み重ねが物を云うやり方だ。
ベルも【全集中・常中】については知識として頭に入れていた。しかし、あくまで知識なだけで実践には移していない。まずは“呼吸”に順応することが大事だからと、彼の担当アドバイザーからの助言があったからだ。
「巷では【
遠くに飛ばされた大戦斧ゴルダを再び回収し、地響きを起こしながらゆっくりとベルの元へ近づく───が、ここでとあることを思いついたのか、醜悪な笑みを浮かべながら足先を別の方へと向けた。
向かう先は
「ゲゲゲゲッ、良いこと思いついたよ。テメェの目の前で
「やめ、ろっ……!」
邪悪で下衆な嗤い声が空中庭園に木霊する。月光は儚く満ちていて、そう遠くない未来に一人の少女の命が潰えるというのに、この光景は皮肉な程に美しかった。
ベルは何とか阻止をしようと身じろぎするも、身体中に罅が入ったように動かない。あと少しでも動かせば全てが壊れてしまうような感覚すらあった。
フリュネが胸元から殺生石を嵌め込んだ短刀を取り出し、ゆっくりと春姫の元へ向かう。
【
そんな最中、彼女の脳裏には溢れるほどの記憶の奔流が渦を巻いていた。
父のこと。
家のこと。
勘当された日のこと。
初めてを捧げた初夜のこと。
旧友たちのこと。
先ほど墜落していった
眼前で必死に手を伸ばす少年のこと。
そして、彼のこと。
『助けて欲しいと思ったとき、それを吹け。私がお前を助けに行く』
ふと、あの日のことを思い出していた。
彼の優しさに触れた、大事な記憶を。
彼から貰った木笛。あの日以来、片時もその身から離したことはなく、辛い時はいつもこの笛を握り締め、耐え忍んできた。彼女にとっては心の支えであった物。
しかし、それが吹かれたことはいまだ一度もない。
娼婦の身に堕ち、
何より、穢れた身となった自分を見て欲しくなかったから。
しかし────
『だって、僕が……僕とあなたが憧れた
『助けて欲しいと思ったとき、それを吹け。私がお前を助けに行く』
もし、まだ自身に欠片程度の勇気が残っているのなら。
もし、まだ夢を追い続けたいと思うのなら。
もし、まだ生きたいという想いがあるのなら。
その勇気を今ここで────
「どうかお助けください、縁壱様……」
斯くして、笛は吹かれた。
彼女の想いと共に吹鳴された音響は中空を舞い。そして─────
「なんや歓楽街がえらく炎上しとるなぁ。風で火がこっち来へんよう祈っとくかぁ………って、何や今の
一人の神は見た。
朧げに薄い線を描いた赫を。
「………オイ、今なにか見えたか?」
「見えただと?ドヴァリン、ベーリング、グレール、お前たちは見えたか?」
「「「いや、何も」」」
「……
「………フッ、なに、相も変わらず出鱈目な男だと思っただけだ」
自分たちの視界にすら映らない光速の如き赫き閃光を。
そして─────
「………やっと来たか、あの阿呆め」
「あぁ。それにしてもやはり
「フッ、何を今更。アレはこの世の理から外れている
「あの〜、御二方?そろそろオレたちにも何の話をしているのか教えてもらっても……」
「分からぬか
「祝え。謳え。そして讃美しろ。我らが英雄の凱旋だ」
笛を鳴らして数秒が経った。
痛みはない。苦しみもない。しかし、代わりに温かい何かに包まれているのを感じながら、春姫はそっと目を開く。
その痣に見覚えがあった。
額の左側から側頭部にかけて拡がる緋い痣。
その耳飾りに見覚えがあった。
日輪を彷彿とさせる耳飾り。カランコロンと心地よい音を奏でる。
その顔は見覚えしかなかった。
何故なら、毎日のように想い、焦がれてきた人の顔だったから────
【呼吸】
力の独占を良しとしない縁壱は積極的に他者に指導、及び技術の
【全集中・常中】
戦闘時使用する“呼吸”を24時間継続する鍛錬法。
基本的な設定は原作とほぼ変わらないが、
また、【常中】で得られた身体能力は