ありふれた異世界に転生した凡人と、その幼馴染の話

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一旦上げたのを削除して、修正した話です





第1話

 

 

 なぁ、転生って信じてるか?

 

 まぁ、いわゆる異世界転生、前世の記憶を保持したまま赤子として次の生を受けることだ。

 

 遥かな遠い地で生を受け、数奇で新たな人生を歩んでいく。理屈は作品によってそれぞれだが、ほとんどのものは輪廻転生の概念に沿って説明されている。

 全くの現実離れした事象であるが、もしそれが自らの身に起きたら。

 

 俺はきっと、心から喜ぶだろう。

 

 だって次のチャンスがあるなら、俺は人生を丸ごと変えたかった。出来ることなら、全てまっさらにしてしまいたかったんだ。

 

 

 空っぽの自分が、嫌いだった。

 小さい頃から、立派な人になりたかった。

 

 俺はただ、独りで死にたくなかった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「ねぇカイル、また魔術教えてー」

 

「ん、なんだ一体――――――ふぐゅっ!」

 

 家にあった本を読んでいた所、部屋の扉の方から少女の声が聞こえてきた。声の発生源に顔を向けようとしたところ、何者かから体に突撃を喰らって倒れる。

 

 情けない声を漏らしながら床にぶっ倒れ、本を手放してしまう。そのままうつ伏せになった所をのしかかられ、肺が圧迫される。痛てぇし息が出来ねぇ。

 

「う……うぐ……おい、ふざけんなぁ。てめぇ……アリスだろ」

 

「正解」

 

 恨み言を漏らしながら背中に目をむけると、予想通りニコニコと笑顔で俺の上に乗っている銀髪の少女が居た。やっぱりかと思いながら眉をひそめて抗議の意を示す。

 

 彼女の名はアリス。今世の俺の家の近所に住む少女であり、年齢は俺と同じ十二歳である。幼いながらに顔立ちは整っていて、髪や肌もよく手入れされている。

 

 ここに来たのは多分、俺と遊びに来たのだろう。俺の親とアリスの親は仲が良く、ほぼ互いの家をフリーパスで入れる。母もアリスならと家に入れてあげたらしい。

 

「いてぇ……つーか早くどいてくれ」

 

「んん、別に良いけど私も一緒にそれ読みたい」

 

「読みたいって……これか?」

 

 そう言って先程まで俺が読んでいた床に転がっている魔術書を指さす。ひっくり返った衝撃で吹っ飛んだ魔術書は表紙に幾何学的な模様が描かれていて、それが魔法的な何かであることを示していた。

 

 こくりとアリスは満足そうに頷く。

 

「私はあまり読めないし、カイルに教えて欲しい」

 

「まぁ……確かに難しいかもなぁ。分かった、一緒に読もうか」

 

 この魔術書は十二歳の子供が読むような難易度の本じゃない。専門的な用語が多数使用されているし、読み取ることも困難だ。とてもアリスでは読めやしないだろう。

 

 ……それを読める俺はなんだっていう話ではあるが、まぁこれは置いておこう。

 

 俺はアリスに背中から退いてもらうと、起き上がって魔術書を回収した。アリスも一緒に読むなら最初からになるだろうが、別に構わない。復習になるしな、丁度良いまである。

 

「ほら、こっち来い」

 

「ん!」

 

「いや…………ちょ、邪魔なんだけど。隣座れよ」

 

 ぽんぽんと隣の床を叩いたのだが、アリスは俺の膝の上に乗っかって来た。子供同士なので身長差は然程なく、必然的に視界がアリスの髪で埋まる。何か良い匂いがするのが悔しい。

 

「や」

 

「や、って言われても……横に退いてくれ」

 

「これが良い」

 

 そう言うとアリスは意地でも動かないと決めたのか、俺の体にしがみついて離れない。何とか離れようとするが彼女も力が強く服を握りしめてくる。

 

「……はぁ」

 

 仕方ない、諦めよう。別に彼女にくっつかれたって悪いことがある訳では無い。ちょっと頭をずらせば本も見えるし、支障は無い筈。そう自らを言い聞かせて本を開く。

「……分かった。もういいから読むぞ」

 

「ん!早く読んで」

 

「まず最初のページは……原始魔術力エネルギー論の説明からだな。ここは世界に満ちている魔力は常に循環していて、巡り会うという事が証明されている」

 

「ふーん」

 

 アリスは気の抜けた返事をしているが、本を見つめる目は真剣そのものだ。アリスに勉強を教えるのはこれが初めてでは無いが、やはり彼女は魔術に関することについてのやる気が半端ではない。

 

 子供らしく難解な単語こそ読めないが、思考は大人顔負けだ。基礎から学んで常に思考を発展させ、応用を編み出す。まだ彼女の親すら分かっていないだろうが、間違いない。

 

 まさにアリスは、俗に言う天才だ。

 

「……どうしたの?」

 

「あ、いやなんでもない。続き読むぞ」

 

 思考の渦に嵌っていたが、彼女に急かされて我に返る。

 

 急いで読んでいた途中の部分まで遡り、読書を再開する。読み上げる俺の声をアリスは集中して聞いている。

 

 彼女ならばきっとすぐに字を覚えて成長出来るだろう。だが俺も負けてはいられない。いや、負けては恥ずかしいと言うべきか。

 

 俺が彼女と対等以上に渡り合えているのには理由がある。まったく以って現実的ではなく、それでいて皆に知られているような理由が。

 

 だって俺には、前世があるのだ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 覚えている最後の感触は、ただ真っ暗な闇だった。

 その時にはとっくに感覚は途絶え、ひたすらの冷たさが脳裏を這っていた。全てが泡沫に消え、意識は消えたはずだった。

 

 

 

 まぁはっきり言うなら、俺は前世で死んでから異世界に転生した。

 

 

 創作に有り触れているような陳腐で良くある事だったが、俺にとっては幸運だった。

 

 

 

 

 前世で生きていた頃の俺は、小さい頃から漠然とした思いがあった。

 

 それは、胸を張って誇れるような立派な人になること。

 

 もちろん大人になるにつれ現実を見るようになってそれらは諦めたが、願いは形を変えて俺の中にあった。

 

 

 言い方を変えれば、他とは違う人になりたかったのかもしれない。人に尊敬されて、価値のある人に。

 

 

 

 そのために勉強はしたし、友にも恵まれた。少なくと良い人生だったとは思っている。

 

 

 まぁ、それは途中までだったが。

 

 

 あれは確か学生時代の終わり頃。高校在学中だったか。

 家でのんびりしていると、突然視界が暗くなって床に倒れ込んでしまった。気づいた母が救急車を呼んで病院に運ばれたが、原因は不明。

 

 大きな病院を数件回って漸く医者から、病名が判明した。そして、俺がかかった病はどうもかなり珍しいらしく、未だ治療薬などは発明されていないらしい。

 徐々に身体を蝕んでいき、十年以内に死亡する確率が高いのだとか。助かる見込みは厳しいと医者から告げられた。

 

 当然の事ではあるが、俺は死にたくなかった。夢も願いもあるというのに、こんな所で足踏みをしている訳にはいかない。両親にも負担を掛けられないし、早く治したかった。

 

 だがそうして年を重ねるごとに、次第に俺は諦めを抱いた。いや、抱かざるを得なかった。

 

 自らの死期を感じ取ってしまったからだ。やせ細って行く肉体に、感覚が途絶え始めた手足。麻痺して動かない体は石のように俺の指示を通さない。

 

 病室で一人ベッドで白い天井を見上げる中、思考を重ねる。幾つもの機械が身体に繋がれたまま、電子音を鳴らすのを感じ取る。既に命は尽きかけていて、生命力とでもいうものが流れ出ていくのが分かった。

 

 果たして、俺は何かを残せたのだろうか。こんな暗く孤独な所で死ぬであろう俺は、立派な何者かになれたのだろうか。

 

 そんな訳が、無かった。

 断じて納得など出来なかった。

 

 まだ、何も出来ていない。空っぽのまま死んでいくなんて納得できない。やりたいことなど出来ていない。

 

 

 だが無情にも病状は深刻の一途を辿った。果てしない後悔に襲われながら、目が霞んでいく。

 

 

 そうして乾いた絶望と諦観の中、俺は死んだ。孤独でつまらない死だった。

 

 

 だが何かの間違いか、俺は再び命をこの世に宿した。

 

 

 何故かなんて分からない。

 この世を司る神が俺を哀れんで転生させたのか、俺が知らないだけで転生というシステムがあるのか。それとも世界のバグで奇跡的に転生したのか。

 

 

 まぁ、どれでも良い。

 

 

 ただ一つ確かなことは、俺が全てをやり直す機会を手に入れたということだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ん…………夢……か」

 

 浮かぶような夢心地から抜け、薄ら目を開けた先には慣れ親しんだ自らの部屋があった。ふわふわとした気分の中、惚けたように天井を見つめる。

 

 ああ、本当に久しぶりに前世の夢を見た。最近はもう余り見ていなかった。理由は考えなくても分かる。この生活に、あまりにも満たされていたから。

 

 親は愛情を持って接してくれるし、友は可愛い女の子。不足なんて無い。このままいけば順調な人生を送れる。

 

「……なんて、思えないよな」

 

 どこかで、この生活を続けていいのかと思う自分が居る。

 

 前世の終わりは後悔、未練に満ちた最期だった。あれを再び味わうのかと思うと、胸が苦しくなる。まるで足元から奈落に転落するような感覚に陥る。

 

「……ひっ……は……はひゅっ……ふぅ……」

 

 思わず意図しないまま呼吸が乱れる。恐怖のあまり血が抜けたように体が冷え、汗が滲む。

 

 胸に手を置いて深呼吸をして、何とか精神を落ち着かせる。

 

「……落ち着け。もう二度と、あんな最期は迎えさせない。その為に頑張ってるんだろうが」

 

 そう言って傍に置いていて魔術書を手に取る。表紙に描かれた模様をなぞり、僅かに安堵した。

 

 今世で俺は、魔術と呼ばれる技能を習得しようとしている。前世で想像できるような一般的な魔術と同じだと思って良い。一度呪文を唱えれば炎が噴き出し、雷が炸裂する。天変地異を引き起こす大魔術師も居れば、世間の隅で魔術を扱う者も居る。

 

 俺はそんな魔術師を目指して、日々勉強に励んでいる。将来的に魔法使いになるのを夢見ているのには、れっきとした理由が存在する。

 

 この世界で魔術師とは、とても強力な存在だからだ。物語に謳われる魔術を操り、怨敵を打ち倒す。そんな魔術師は、市民の憧れであった。

 

 そして、そんな魔術師は俺の理想に綺麗に当てはまった。

 

「魔術師になって人々を助けられれば、誰かの記憶に残れる。魔術を学んでやっと俺は、何者かになれる」

 

 民衆から頼られる高名な魔術師になれば、孤独ではなくなる。何かに成れれば前世の呪縛から解放される。

 

 自らに魔術師の素養があると判明した時から、そう思い始めた。漠然とした考えだとは思うが、何か行動を起こさなければ不安に襲われる為とりあえず勉強をしている。

 

「……」

 

 魔術書を腕の中に抱え、頭と本をくっつける。目を瞑って祈るように思いを馳せる。

 

 果たしてこの道の先、俺がどうなるのか分からない。また、あの死を繰り返すのかもしれない。空っぽのままで変わることは無いのかもしれない。

 

「カイルー!朝よ!早く起きなさい!」

 

「……はーい!」

 

 それでも、俺に出来るのは今を必死に生きることしかない。未来のことは未来の俺に祈るのみだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……むぅー、意味わかんない」

 

「いや、そう難しく考える必要は無い。コンパクトに考えろ。この魔術式は……そうだな。魔力の流れをイメージして見たら分かりやすいかもな」

 

「魔力の流れ?」

 

「ああ。この式は魔力の量を調整する式だけど、平べったい計算式を見るだけじゃ難しいと思う。頭の中で魔力を想像して計算した方が簡略化出来るぞ。次元的に想像してみろ」

 

「んー、よく分かんないけど分かった」

 

「どっちだよ……」

 

 暖かな陽だまりの丘で、二、三冊程の本を持ち込み、アリスと共に勉強をする。口を尖らせて苦戦する彼女を見ながら、俺も本を読み進める。

 

 この丘は街から程近い場所にある所で、日中は日光が降り注ぐ日向ぼっこにはちょうど良い場所だ。街から近いので治安もよく、危険な動物などは居ない。

 

 陽の光を受けて青々しく輝く草木を横目に、細やかな計算をこなす。当然と言えば当然だが、俺の計算能力は既に大人並みである。前世では十分に高度な教育を受けていた事もあり、それなりには頭は悪くないと自負している。

 

「あ、できたかも。見て」

 

「マジか。どれどれ…………うん……うん、合ってるわ。いや、本当に理解が早いなぁ」

 

「んふ。そうでしょ」

 

 俺の賛辞にドヤ顔をするアリスだが、彼女はそれほどの事をしている。彼女の頭はそこら辺の大人とは隔絶した才能を持っているから。

 

 俺の友達にはアリス以外の子も居るのだが、前にその子たちと勉強の話をした時に、これ程理解が早い子供は居なかった

 

 他の子達と話さなければ、これが異世界のスタンダードだと勘違いしていたところだ。流石にアリスが通常ならビビるし、ちょっと落ち込む。

 

「ほら、早くやって」

 

 自慢げだったアリスは、突然頭を俺の方に突き出した。ぐりぐりと銀色の頭が体に突き刺さり、くすぐったい。

 

「……は?」

 

「ん!」

 

「……な、何を?マジで」

 

 意味が分からず困惑していると、アリスは仕方がないなと言わんばかりに説明し始めた。

 

「頭、撫でて」

 

「……?何言ってんのお前?」

 

 彼女は頬を染めて当然の権利ごとく言っているが、意味不明過ぎる。どういう因果関係で俺が彼女の頭を撫でることになるのか。

 

「ん!ん!」

 

「ちょ……やめ……ぐふっ……」

 

「……っ!……っ!」

 

「分かった!分かったから頭突きやめろ!」

 

 アリスが俺の腹目掛けて頭突きを繰り返すので、思わず止めるために言ってしまった。

 まぁなんで撫でて欲しいのかは分からないけど、減るもんじゃないし良いか。この頃の歳の女の子はよく分からねぇわ。

 

 俺は本を持っていた手をアリスの頭に移すと、銀色の髪の毛を掻き分けてわしゃわしゃと撫でた。絹のような髪が俺の手を受け入れ、柔らかな感触が手に伝わる。

 

「……むふー」

 

「何なんだ一体……」

 

 アリスは満足そうに俺の手の動くままに受け入れているが、なんでそんなに撫でられるのが良いのか困惑する。

 前世の経験則を頼っても、何せあまり生きていないので子供との接し方なんて分かるはずが無かった。

 

 そのままアリスを撫で続けて数分が経過したが、手を止めるとアリスが俺の目を見て、撫でろとばかりにジッと見てくるので止めることは出来なかった。

 

 陽がさんさんと降り注ぎ木々のざわめきが聞こえる中、片手で本を読みながらアリスの頭を撫でていると、突然彼女が口を開いた。

 

「……カイルはさ、やっぱり魔術師になりたいの?」

 

 どこか嬉しそうに、浮かれるように言う。

 

「そりゃそうだろ。魔力も結構あるらしいし、勉強も始めてるしな」

 

「……そっか。じゃあこれからは勝負だね」

 

「勝負?」

 

「うん」

 

 アリスが振り返り、俺と目を合わせた。埋め込まれた宝石のような輝きを放つ碧眼に見つめられ、心が揺れる。

 彼女は嬉しそうに顔を緩め、口を開いた。

 

「魔術師になるってことは、魔術学院に行くんでしょ」

 

「……まぁ、一応は。合格できるかは情報も少ないし分からないけどな。王立魔術学院が一番良い学校ってのは噂に聞こえてくるし、出来れば入りたいが」

 

 王立魔術学院。

 

 この国における魔術関連の学校の最高学府であり、魔術師を目指す者にとっての頂点における学校だ。幾人もの優秀な魔術師を輩出してきていて、その名は国内外問わず広がっている。

 

「なら私と勝負できるね。私も魔術学院に行くつもりだし、一緒に勉強したり成績で競ったりできそう。楽しみ」

 

「何で俺がお前と勝負しないといけないんだよ」

 

「だっていつもカイルには教えて貰ってばかりで悔しいから。私がどれだけ頑張っても越えれないから、いつかは勉強とか試験で勝って見返してやりたいの」

 

「……そうか」

 

 子供らしく無邪気に笑うアリスを見て、少し言葉を固くする。

 

 

 

 

 ……果たして凡人たる俺は、この才気溢れる少女とどこまで対等で居られるのだろうか。

 

 

 

 

 

 俺は顔を顰めると将来への不安を隠しながら、懸念していることを口にした。

 

「つーか、そもそも学院に入れるか分からないぞ。あそこは貴族の子供ですらなかなか入らないって聞くしな」

 

「私とカイルが落ちるなんてありえない。街の他の子達の勉強も見てみたけど、到底私たちには敵わなかった。そこまで突出している私たちが落ちる訳ない」

 

「んまぁ、そりゃそうだろうけど。でも詳しく知らないと分からねぇよ」

 

「……やっぱり、カイルは少し自分を過小評価し過ぎ」

 

 不機嫌そうにアリスは言う。

 

「頭良いのに、なんでそんなに自己評価が低いのか分からない。私より凄い人がそんな考えなのは……ちょっとむかつく」

 

「……むぐ」

 

 彼女は白い腕を伸ばして俺の頬をつねってくる。

 

「だから心配する必要は無いでしょ。どうせ学院には入れるから、カイルが心配するのは私に抜かされる事だけ」

 

「言うじゃん。まだ俺に教わっているくせに」

 

「いつかカイルを乗り越えて、逆に勉強を教えてあげる」

 

「はは、それが楽しみだな」

 

 不敵な笑みを浮かべる彼女に、宥めるように微笑む。それを見てアリスは馬鹿にされていると感じたのか口を尖らせて不機嫌になったが、これは別の話だろう。

 

 それから俺たちは空が夕焼けに染るまで、丘の上で勉強会をしていた。基本的に俺がアリスに教えるだけだったが、彼女ならではの視点から生まれる言葉には度々驚かされた。

 まぁ、俺が知識面で大きくリードしていることには変わりなく、殆どは俺が教えるだけだったが。

 

 果たしてこれで学院に入れるのかは分からないが、アリスが良いと言うなら大丈夫だろう。

 

 学院に入学できるのは最低十五歳からで、まだ後数年はある。順調に勉強に励めば入れることは間違いないだろう。入学金も、好成績を残して特待生になれば心配することは無い。

 そこから学院で魔術を教われば、魔術師への道が拓ける。

 

 確実な未来を描き、将来は迷いなく定まっている。

 

 

 

 だが俺は、薄々感じていたことがあった。

 

 

 

 

 

 

 自分とアリスの差は、これから急速に埋まっていくだろう。

 

 

 

 彼女の知性に溢れた輝く目を見ていると、ふとそんな気がした。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「……」

 

 思わず、目の前の景色に圧倒される。

 意匠を凝らした街並みに、溢れんばかりの人混み。商人、傭兵、学生など、様々な人々が行き交う大通りは見ているだけで息が詰まりそうだ。

 

 流石に人混みの中に居るのは酔いそうだったので、途中の家の壁に寄りかかって休む。

 

「あ、居た」

 

 前世ぶりの人混みに疲れて休んでいると、凛とした鈴のような音色の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だったので振り返ると、そこには銀髪の少女が佇んでいた。

 

「アリスか。…………いや、凄い人混みだなぁ。王都は」

 

「街より何倍も人が居る。目が回りそう」

 

「流石に街とは比べ物にならないな。うし、早く学院に行こうぜ。こんな所に居ると死にそうだ」

 

 アリスは青い顔で頷くと、俺の隣に着いて歩き出した。

 

 

 

 今、俺たちはこの国の王都に居る。王都はこの国の物流の中心と呼べる程発展していて、そこには魔術師の故郷とも呼べる魔術学院も置かれている。

 

 何故王都にいるのかと言うと、その魔術学院に向かう為だ。

 

 言ってしまえば先日、俺たちは勉強を重ねて念願の魔術学院に合格することが出来た。俺の心配など何だったのか、全くの余裕で合格することができた。

 

 それも、俺とアリスは入学試験で優秀な点数を取ったおかげで特待生として入学金を免除された。これは一般的な家庭であった俺たちにとって朗報だった。まぁ、アリスは当たり前だと言ってはいたが。

 

「ふぅ……やっと人混み抜けれた……」

 

「あれだけ酷いのは中心だけっぽいな。学院の方の道は空いてそうで良かった」

 

 両脇に青々しい木が植えられた学院への道を歩くにつれて人々は徐々に減っていった。また、道には俺たちと同じ入学生だろう少年少女が居て、不安そうな足取りで歩いている。

 

「もう……行くだけで疲れたぁ……」

 

 アリスはうんざりしたように呟き、ふらふらとしている。

 それも当然だ。学院は寮生活の為、引越し用の荷物を背負ってここまで来ている。最低限まで荷物を削ったとはいえ、それでも重いものは重い。

 

 

 

 アリスも、あれから随分成長した。

 魔術関係の理論を殆ど網羅し、残すは魔術の実践のみとなっている。魔力の扱いも随分上手くなったし、将来は優秀な魔術師になれるだろう。

 

 容姿の面でも、数年前とは様変わりした。少しの幼さを残しながら大人びた顔立ちに、腰の辺りまで伸ばした長い銀髪。数年前と比べてかなり可愛らしくなったように思う。同年代と比べても彼女と同じくらい美しい人を探すのは難しい。実際街でも結構モテてたし。

 

「……」

 

 俺も、自分では成長しているつもりだ。

 それなりには勉強を重ねたし、実践も欠かさなかった。前世からの積み重ねによって成績は良い筈だ。

 

 だが根本的な所で、俺は凡人なのだ。

 スタートラインが皆より前なだけで、進む速度は早い訳ではない。いくら一般人が頑張ろうと、天才には敵わない。いつか来るであろう追いつかれる日を先送りにしているだけだと、分かっている。

 

 

 

 それでも、諦める訳にはいかない。追いつかれるなら、その分努力で引き離すだけだ。

 

 

 

 

 決意を新たにして綺麗に掃除された石畳の道を二人で歩いていると、視界の奥に大きな建物が見えてきた。

 手前には巨大な門が設置されていて、その奥には前世の大学を思わせるような立派な建築物があった。

 あれが、魔術学院だろう。

 

 学生と思わしき人々が続々と門をくぐって行き、校舎へと入って行く。

 

「やっとここまで来たなぁ。勉強結構大変だったわ」

 

 脳裏にこれまでの努力が想起される。

 魔力の概念を理解するところから始まり、術式の紋様に呪文を馴染ませる。それから、着いてくるアリスへの講義や彼女のテスト対策。常にやることなすこと俺に着いてくる彼女は、自然と共に勉強することも多くなった。

 ……なんだかこう振り返ると、不思議とアリスとの思い出が多いな。

 

「でもここからでしょ、むしろ入ってからが本番」

 

「ああ、その通りだ」

 

 彼女の言う通り、ここからが重要だ。

 

 魔術師の資格を得るには、魔術学院の試験に合格する必要がある。資格は三段階に分かれていて、下から三級魔術師、二級魔術師、一級魔術師となっている。

 

 三級魔術師の資格は学院の卒業生の殆どが取れる資格であり、一般的な魔術師の範疇に入る。

 

 二級魔術師はそれなりにエリートの学生が取れる資格で、ここから優秀な魔術師と認識されるようになる。冒険者ギルドの中ランク冒険者などはここら辺だ。

 

 そして一級魔術師は、学院の卒業生でも取れるものは年に出るかどうかという厳しい資格だ。試験では高度な知識と術式への理解が要求され、取得は困難を極める。噂によると高ランク冒険者や、国家の魔術師部隊の人間などが取得しているらしい。

 

 勿論目指すは一級魔術師資格だ。ここからの数年が勝負となる。

 

「カイル」

 

「ん?」

 

 門の前で立ち止まり、ふと彼女が声を掛けてくる。白い雪のような睫毛を瞬かせ、碧眼が煌めく。

 

「これから、一緒に頑張ろうね」

 

「……そうだな」

 

 アリスは綺麗な顔を笑顔に変え、俺に語りかけた。

 

 

 珍しい彼女の笑顔は、花よりも綺麗に見えた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 学院の一角に存在する広い教室に、老人教授の声が響く。何故か魔法のように眠気を誘う声に寝ている生徒は珍しくない。俺は死ぬ気で眠気に逆らうと、手元のノートに教授の話を書き記す。

 

「はい。つまり、これまで説明したように古代で生まれたオルドビス式火炎魔術式は幾つもの致命的な欠陥を抱えているわけです。ですが、それだけなら現代まで使われてはいません。そのデメリットを条件的に覆すほどの長所を持っているという事です。それは――――」

 

 白い髭を生やした教授は只管講義を続けるが、寝ていく生徒は増えるばかりだった。俺も、彼らの気持ちは分からなくは無い。

 

 入学してから三ヶ月、講義の内容は殆どが座学で一杯で肝心の術式構築はあまりしていない。華々しく魔術を扱う姿を夢見ていたであろう彼らにしてみれば、この授業は退屈で仕方がない筈だ。

 

 だが魔術師には勉強が付き物だ。魔力操作のセンスだけではやっていけない。

 

 それは単純に、頭の能力が術式の構築速度に直結するからだ。結局、魔力を操作するのは脳味噌な訳で、術式を十分に理解していなければ構築など到底不可能だ。

 

 だから、優秀な魔法使い=頭が良い、というのはあながち間違いではない。

 

 もちろん魔術師には魔力容量、魔力操作などの才能も要求される。だが努力なくして大魔術師には到底なれない。

 

「――――ですからこの術式は過去戦争で幾つもの国が使用したわけです。各地で破壊的なまでの被害を齎し――――おや、もう時間ですか」

 

 教室に設置された魔術時計から、講義時間の終わりを告げる乾いた音が響く。教授はそれを聞くと素早く本を閉じて講義を終了させた。

 

「次の講義はまたこの教室で行います。それでは、また」

 

 教授は終わりを宣言すると、すぐさま教室から出ていった。生徒は緊張から解放されたように気を緩ませ、一息ついている。

 

 俺は黒板に描かれた術式図やその解釈をノートに写し、自分なりの考えや注釈を加える。教授の話も交えながら書き記し、ノートを作り上げる。この習慣は前世からしていたもので、考えが纏めやすく覚えやすいので癖でやっている。

 

 ペンを持った手で頬杖をつき、ノートを見つめる。

 

 そんな集中している俺を――

 

「つんつん。カイル、元気してる?」

 

 無遠慮に叩く人間が居た。若干呆れながら後ろを振り返る。

 

 そこには学院の制服に身を包んだ美少女、アリスが居た。

 

「アリスか。来るの速ぇよ、まだ授業終わったばかりだろ」

 

「早く終わって暇になったから来た」

 

 そう言うとアリスは俺の隣に立ち、机に置かれたノートを見た。無表情な顔だったが、何だかじろじろとノートを観察しだした。その様子に俺も不安になってくる。

 

「なんか気になることでもあるか?別に変なことは書いていないと思うんだけど」

 

「変なことは書いてないよ。ただ、参考になる内容だと思っただけ。やっぱりカイルは頭が良いなと思った」

 

 何だか多分、彼女は勘違いしている。

 彼女が見ている俺は前世からの積み重ねで誤魔化した俺で、素の俺ではない。

 化けの皮が剥がれた俺は、何処にでもいる只人だ。態々言いたいことでは無いけれど。

 

「それはお前が言われるべきだろ。なぁ、アリスさんよ」

 

 そう、彼女は既に学院で有名人として名を馳せている。

 入学初日のテストで満点を取ったり、厳しい教授に褒められたりなど、数々の伝説を残したのだ。

 それに見目麗しい外見も相まって、彼女は既に学院ではなかなか人気があるらしい。最近仲良くなった男友達が教えてくれた。

 

 アリスはそれを恥ずかしいと思っているのか、顔を紅潮させて慌てている。

 

「……っ……うるさい」

 

「聞けば、もう男子から告白されたんだって?すげぇな、おい。まだ三ヶ月しか経ってないのに、もう彼氏かー」

 

「……ほんと、怒るよ」

 

 茶化していると彼女は青い目をぎらつかせ、睨んできた。

 流石にビビったので即座に謝る。こういう時は直ぐに謝らないと後に響くと、幼い頃から経験で分かっていた。

 

「す、すんません」

 

「ふん、分かればよろしい」

 

 正直そこまで怒ることか、とは思ったが一応謝っておいた。アリスも口を尖らせてはいたが受け入れてくれたので、大丈夫だろう。

 

 彼女もそろそろ色気付く年齢だろうし、彼氏が出来てもおかしくないと思ったのだがこの様子だと居なそうだ。少し残念に思いながら彼女を見る。

 

 身につけた制服はよりアリスの魅力を引き上げていて、怜悧とした印象を受けさせる。スカートから覗く白い足は蠱惑的に輝いている。

 

 この見た目なら既に何人にも告白されてるだろう。何故それらを断ったのか気になるな。

 そうしてとても下らないことを考えていると、アリスは俺のノートを手に取って口を開いた

 

「……ねぇ。このノート、少し借りても良い?まとめ方のポイントを参考にしたいの。すぐ返すから」

 

「全然良いぞ、まぁ……出来るだけ早めに返してくれよな」

 

 彼女は頷いて俺のノートを大事そうに胸に抱えると、講義時間に遅れないように教室から去っていった。

 

 俺は次の講義の用意をするために手を動かしながら、先程の出来事を頭で再生していた。

 

 アリスは天才であると同時に努力家でもある。効率の良い勉強方法を覚えたなら、彼女の伸びは驚異的なものになるだろう。凡人共を抜き去り、高みへ昇る筈だ。

 俺との距離はより一層縮まり、追いつかれる時間は刻一刻と迫る。

 

 でも、それで良かったと思う。

 

 アリスの成長は喜ぶべきことだから。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ねえ……カイルくん。ちょっといい?」

 

 いつものように学院の講義を聞き、ノートを纏めていた時。

 授業が終了したのを見計らってか、俺に声を掛ける人が居た。

 

「ん……君は……同じクラスのエルナさんか。何かあった?」

 

 見ると、同じクラスの女子が緊張した面持ちで俺を見ていた。何か重要なことを忘れたのかと思い返すが、とりあえず彼女に聞いてみることにした。

 

「や、そのね……少しカイルくんに頼み事があってさ……」

 

「俺に?出来る範囲ならやるから何でも言ってくれ」

 

「そう?なら言っちゃうけど、私に勉強を教えて欲しいの」

 

「……勉強か」

 

 そういえば、俺は一応学院でも上位の成績を残している。クラスでもそれは知られていたし、親しい友達にもテスト対策を教えた事もあった。

 だからクラスの中で俺は頭良い人ポジに入っている。彼女もそれを見込んで頼んでいるのだろう。

 

「うん、全然いいよ。いつからやる?」

 

 まぁ、どの道断る理由は無い。人に教える事は脳に物事を覚えやすくするし、勉強もそこまで切羽詰まっている訳では無い。クラスの人間とは仲良くするのが吉だろう。

 

「やったぁ!ほんとにありがとう!この間のテストで酷い点数取っちゃってさぁ……次も低いとやばいんだよね」

 

「低いって……どれくらい低いの?」

 

「……全校で下から数えて十番目くらい」

 

「そりゃやばいな」

 

 ちょっとやばすぎるくらいにやばい。三桁を超える生徒を抱える学院のテストで最下層なのは本当に不味い。別に学院では成績不振で追い出されることは無いが、頭が悪いとシンプルに試験に受からないので良いことでないのは間違いない。

 

「いつからやる?俺は何時でも構わないけど」

 

「じゃあ……お言葉に甘えて今日からお願いしてもいいかな」

 

「分かった。なら放課後自習室で待ってるよ」

 

「うん!またね!」

 

 彼女は嬉しそうに頷き、ぱたぱたと走り去っていった。

 

 

 ■

 

 

 

 学院の内部には、自習室と呼ばれる部屋がある。自習室は一日中生徒が自由に出入り可能で、基本的に学習を主として使われることが多い。魔術学院の授業はハイスピードで進んでいくので、追いつく為に大部分の生徒は利用したことがあるだろう。

 

 俺はそんな自習室の一角で、机にノートや魔術書を開いて人を待っていた。頬杖をつき暇潰しにノートの頁を捲る。

 

 そんな時、隣の椅子が引かれた。横を見ると待っていた目的の人物が居た。彼女は鞄を肩に背負い、舌を出して笑っている。

 

「ごめん、ちょっと授業長引いて遅れちゃった。結構待った?」

 

「まぁそんなに。急ぐ必要もないし、ゆっくり来れば良かったのに」

 

「流石に頼んだそばから遅刻は出来ないよ。てか、ほんとにありがとね。マジで困ってたからさ」

 

「別にそこまで畏まることはないでしょ。俺も教えるのは勉強になるしな」

 

 これは別に嘘じゃない。

 数年前、アリスの勉強を手伝っていた時も教えているだけだったが、新たな知見が発見出来た時もあった。

 一から復習するというのも悪いことでは無い。

 

 俺はペンを持ち、ノートを広げる。

 一応頼まれたからにはそれなりの出来に仕上げたい。気合い入れてやるか。

 

「じゃあ……早速やりますか」

 

「うん!よろしく!」

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

「はぁ……な……何とか終わった……」

 

「いやー本当にありがとう!助かったよー!」

 

 俺はぐったりと机に突っ伏し、呻き声を漏らす。反対に彼女は疲れてはいるが、達成感と嬉しさで笑顔だった。

 

 勉強を始めてから約四時間、やっと全ての復習が終わった。

 

 何でこいつ学院に入れたんだ?という言葉が思わず口から出そうな程大変だったが、一応これまでの学習範囲は終わった筈だ。

 

 本当に彼女が頼んできたのが、まだ一年生の序盤で良かった。頼まれたのが二年生の頃だったら、範囲が広すぎて過労死してたかもしれない。

 

「ふぅ……一応確認しとくけど、忘れないようにこれからも復習は怠らないようにな」

 

「大丈夫大丈夫。わかってるよー」

 

「ほんとかなぁ……」

 

 彼女のこれからが心配で仕方ない。

 

 そう思いながら使っていた物を机から回収して鞄に詰めていく。窓を見れば日も傾き始めていて、時間も良い頃だった。

 

「そういえばさぁ、カイルくんってあのアリスさんと仲良いの?よくクラスに来たアリスさんと話してるよね」

 

 ふと気になったから、という雰囲気で彼女は問いかけてくる。確かに学院でも有名な彼女は良く俺のクラスに来る。

 生徒に嫌われているわけでははないし、友達もいる筈だが俺と話に来るのだ。関係が気になるのも当然かもしれない。

 

「アリスか…………うーん。幼馴染ってことは間違いないかな。一応同じ街で育ったから」

 

 口にしてみれば、自然と幼馴染という表現が馴染んだ。友達というのも何か違うし、親友というのも少しズレている。なんというか、一緒に居るのが自然で違和感を感じないのだ。幼い頃からの友人だからか、思っていることも何となく察する事もできる。

 

 …………そういえば、アリスは俺をどう思っているんだろうか。何年も共に居て今更気付いたが、聞いたことが無かった。

 

「へぇ!幼馴染なんだ!カイルくんも頭良いし、雰囲気も似てるし何だかお似合いだね。ねね、アリスさんのこと好きとかじゃないの?」

 

「いやー……はは、どうだろうね。流石に好きじゃないよ」

 

「えぇー、残念」

 

 予想外の言葉に乾いた笑いをして誤魔化す。この頃の女子は色恋沙汰が好きなのか、答えずらい質問にも突っ込んできてやりずらい。

 

 まぁこれはこれで好都合だ。

 少し前に考えている時思ったのだが、アリスに彼氏が出来ないのは俺の所為かもしれないと思ったのだ。俺なんかと恋人だと勘違いされているなら、一刻も早く払拭してやりたい。

 はっきり俺はアリスと恋人ではないと公言しておけば、彼女にも迷惑は掛からないだろう。

 

「まぁもうこの話はいいよ、ほら帰ろう帰ろう。そろそろ時間も迫ってきてるぞ」

 

「え……うわ!もうこんな時間!?全然気づかなかった!」

 

 彼女は窓を覗き、橙色に染まりつつある空を見て驚いている。それだけ時間を忘れるほど集中してくれたのは、教えた人間としても嬉しい。学びもあったし、有意義な放課後だったと言えるだろう。

 

 彼女はすぐさま荷物をまとめると、自習室から出て行く。そして最後に俺の方に飛び切りの笑顔を向け、大きく手を振った。

 

「今日はありがとー!またいつかお礼するねー!」

 

「いや、全然大丈夫だよ。本当にお疲れ様、これからも頑張ってね」

 

 充足感と達成感。俺はそれらを感じながら、去り行く彼女を見送った。何だか非常に疲れたが、悪い時間ではなかったな。

 

 

 

 

 さて、俺も帰ろうか。

 そう思い鞄を背負って夕焼けに染まる自習室から出て行き、殺風景な廊下を歩いていると

 

「……あれ、アリス?」

 

 廊下の曲がり角、そこから銀色の髪が隠れきれずにはみ出ているのが見えた。銀髪の色素を持った人間は学院でもそう多くはない。その珍しい色に該当する幼馴染の少女の名を呟きながら、正体を確かめる為に曲がり角を覗き込む。

 

 そこには、やはり俺の知っている銀色の少女が居た。彼女は何故かしゃがみこんで、まるで落ち込んでいるようにぼーっと床を見ている。

 

「え?何してんのお前、なんかあったか?」

 

「…………カイル」

 

 アリスは顔を上げて俺を見ると、落ち込んだような表情から一変。どこか不機嫌そうな表情に顔を変え、口を開いた。

 

「……ねぇ、あの子。なんなの」

 

「……?あの子ってどういう意味だ?」

 

 いまいち話が分からない。何か俺の知らないうちによからぬ事が起きているのだろうか。

 

 首を傾げて要領を得ない俺の様子に、アリスはしびれを切れしたように頬を膨らませた。

 

「さっきまであそこで、一緒に勉強してた子」

 

「一緒に勉強してた子…………あぁ、エルナさんね。お前見てたのかよ。それで彼女がどうかした?用があったなら間を繋いでやるが」

 

「違う……私が言いたいのは……」

 

 少し躊躇うように、触れたら壊れてしまうような物を扱うように彼女は呟く。まるで取り返しのつかない何かを恐れるように、しかしアリスはそれを飲み込むと決心を付けて震えた声で話した。

 

「その子とカイルが……どういう関係なのかなって……」

 

「どういう関係って…………」

 

 本当によく分からない。それを聞くのに、そこまで緊張することがあるだろうか。

 俺は心の底から困惑しながらも、彼女の問いに答えた。

 

「ただのクラスメイトだけど……お前本当にどうしたんだよ、大丈夫か?」

 

「……本当に?本当にただの友達なの?」

 

「そ、そうだけど」

 

 鬼気迫るアリスの様子に戸惑いながら、言葉を絞り出す。

 

「本当に彼女とかじゃないんだ……ふーん、へー」

 

 俺の言葉を聞いた彼女は表情こそ変えないが、胸をなで下ろして若干安堵したように見えた。

 

「……彼女?」

 

 今、アリスは彼女といったか。

 もしや……エルナさんを俺の彼女だと勘違いしていたのか。ただのクラスメイトである子を、恋人だと思っていたのか。

 やっとアリスのよく分からない言動の理由が分かり、思わず苦笑いする。そんな訳がないだろうに、焦り過ぎだろう。

 

 最も、何故かそこまで焦るのかという思いもあるが……一先ずこれは置いておこう。別に聞くほどじゃないしな。

 

「リナさんが俺の彼女って勘違いしてたのか……そんなわけねぇだろ、あの子とそこまで仲良いわけじゃないしな」

 

「…………でも彼女じゃないなら、それはそれで……何かもやもやする」

 

「へ?」

 

 予想外の彼女の言葉に意図せず声が出る。それを意に介さずアリスはどんどん俺を問い詰めてくる。

 

「付き合ってる訳じゃないんでしょ?なら何であんなに距離が近いの。ちょっと近過ぎない?」

 

「そ、それは何となくだとしか……」

 

「何だか口調も私を相手する時よりも優しかったし、むかつく。付き合い長い私の方が優しいのが普通でしょ、ちょっとおかしい」

 

「えぇ……」

 

 何なんだよこいつ。無理やり因縁付けてきやがった。しかもキレるところも意味不明だし。怖ぇよ。

 

「別にそんなのどうでも良いだろ……な、なぁ?」

 

「……全然良くない。何であの子には優しくして、私にはいつも通りの対応なの?」

 

「特にエルナさんにだけ優しくしては無いぞ……?仲良いお前とも同じ対応したと思うしな」

 

「……ちょっと陰から見てたけど、私にはあんなに言葉遣い優しかったことない。あそこまで近くで接してもらったことなんて、小さい時ぐらいだった」

 

「……うーん、少しお前気にしすぎじゃないか?大丈夫だって」

 

 ちょっと敏感すぎる彼女の様子を見てそう言ってしまったのが良くなかった。

 アリスは俺の言葉を聞くと、不機嫌そうに顔をむっとさせながら俺を見つめた。青の目と視線が交差し、彼女の感情を読み取ろうとするが、その前にアリスは逃げるように立ち上がった。

 

「……もう私帰る!」

 

「え……ちょ……何で……」

 

 アリスは床に置いていた鞄を肩に通すと、俺と壁の間を素早く通り抜けて廊下を駆け抜けて行った。

 

「本当に……何なんだ……一体」

 

 静寂の空間の中に取り残されて、一人呆然と呟く。

 

 長い間一緒に居て思っていることなんてすぐに分かると思っていたが、さっぱり分からない。

 俺が思っているよりも俺はアリスを邪険に扱っていたのだろうか?

 

「……難しいな」

 

 前世から足して精神年齢は余裕で大人の年齢に達する俺だったが、十代の友の心は読めなかった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 クラスメイトに勉強を教え、そして何故かアリスの機嫌を損ねてしまった日の翌日。

 

「なぁー、頼むから機嫌直してくれって……」

 

「……ふん」

 

 まだ、彼女は俺に対して怒っている様子だった。明らかに不機嫌そうに顔をつんとさせ、腕を組んで主張している。外から見れば可愛らしい光景ではあるのだが、当事者となれば話は別。

 

「……どうすりゃいいんだ……」

 

 解決法が検討もつかない。

 

 それもそのはず。俺はそもそもの話、アリスが怒っている理由すら分かっていないのだ。クラスメイトと自分との対応の違いに反応しているように見えたが、それもあまりはっきりしていない。

 

 中々アリスとの喧嘩というのは経験に無いため、慣れない事に頭が回らない。俺は元から精神年齢は高かったし、アリスも頭が良かったので普通の子供のような喧嘩は経験しなかった。

 

「頼むよ……俺が出来ることならやるからさ」

 

 頬を膨らませている彼女は、ぷいと俺から逃げるように顔を背ける。

 

「……別に、私の事なんかどうでも良いでしょ」

 

「……」

 

 めんどくせぇ……と思ったがさらに事態が悪化すると思ったので口には出さない。それに俺にとってアリスはこの世界での幼馴染で、大事な存在であることに間違いは無い。どうでも良い訳がないのだ。

 

 

 彼女が分かるように真剣な声色を意識して言葉を発する。断じてそんなことは無いと、彼女に伝える。

 

「そんな訳ねぇだろ。お前は幼馴染なんだから、大事に決まってる」

 

「…………っ」

 

 そんな言葉を発した瞬間、アリスの動きがぴくりと止まる。もしや怒らせてしまったのではないかと、戦々恐々としながら恐る恐る彼女の様子を伺う。

 

「……それ、本当?」

 

「……?あぁ、当たり前だ。昔から一緒に居るのにどうでもいいなんて思うわけない。大切だからな」

 

「…………た、大切……ふふ」

 

「……ん?」

 

 アリスは何やら噛み締めるように言葉を発していたが、小さすぎてよく聞こえなかった。だが機嫌を損ねた訳ではなさそうだ。

 

 少し合間を置いて、漸くアリスがこちらを向いてくれた。その顔はいつものように氷の様な無表情で感情を宿してはいなかったが、どことなく上機嫌な気がした。

 

「な、何……どうしたんだ?」

 

「んふ……何でもない」

 

「はぁ……?」

 

 どうやら機嫌を直してくれたらしいが、理由が察せられない。確かに彼女へ大事や大切などと宣ったが、それが効果があったとは思えない。別に友達だから当然だしな。

 結果、意味が分からないうちに怒らせてしまい、意味が分からないまま機嫌がよくなった。もうめちゃくちゃだ。

 

 

 

 それから俺たちは学院で授業を受けたが、アリスはその日ずっと何故か嬉しそうにしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 やがて時は風のように過ぎ去り、俺たちは上級生に進級した。学院での講義も高度な物も混ざり始め、生徒達は頭を抱えながら魔術の道を歩み始めた。実際に人を殺せる威力のある魔術や一帯に影響を及ぼす魔術など、危険な物を扱うことも多くなった。

 

「……はぁー」

 

 深夜、自室の中で術式が描かれたスクロールを机に置く。幾何学的模様が何重にも描かれたそれは、講義の復習として先程まで進めていたものだ。

 

「……つかれた」

 

 薄暗い魔石灯で照らされた机に置かれた、一枚どころではなく数十枚も連なったスクロールを薄目で見る。ひたすら描き続けた術式は模擬的なものであり、効果は発揮しない練習用の物である。それでも机一杯に広がる紙は、俺の努力の結晶だ。

 

「今……もう日付超えちまったか。早く寝ねぇと……」

 

 愛用している時計を見れば、時刻は十二時を回っていた。明日も変わらず講義はあるので早く寝なければならない。

 

 だが

 

「……」

 

 胸の内にある不安が、止まない。

 

 俺が生きたこの十数年間。常に俺は同年代に対して勉強や魔術で大きくリードを取っていた。それは”転生”という知識の絶対的な優位性によるものや幼少期から積み重ねてきた努力のお陰など、様々な要因が重なっていた。

 

 子供の頃から頭の良かった才女であるアリスを筆頭に、今でも俺は彼ら彼女らに遅れを取ってはいないはずだし、負けてはいない。

 

 だがそれでも、確かに感じるのだ。

 

 

 俺は、ここに相応しい存在ではないと。

 

 

 やっぱり人間というのは才能やセンスなど、天性の物が多くを占めるらしい。俺よりも彼らの方が勉強の効率は良いし、覚えも早い。それは最近、学習の内容が高度になるに連れて段々と顕著になってきた。何とか深夜まで勉強をして学習の先取りを行って追いついているが、果たしてこの先どうなるか。

 

 今はまだ小さな綻びは、何時しか誤魔化しようもなく大きな罅になって現れるだろう。そして罅が限界まで広がった時、俺という虚像は砕け散る。

 

 

「……」

 

 

 そんなこと分かっている、昔から分かっていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は決して天才ではなく、アリスやその周囲の人間などが本物だなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 天才というのは、凡人が及びもつかない高みへ到れる権利を持っている人間だ。努力なんかでどうにかなるなんて事は、本物を見たことがない人間の戯言でしかない。俺が命を削って努力を重ねた所でどうせ意味なんて無い。

 

 

 

 それでも、俺は諦められない。

 

 アリスにみっともない姿を見せられない。常に俺に引っ付いてきて目を輝かせているあの天才に、失望した顔をして欲しくない。

 

 それに、前世からの未練を終わらせたい。最後の魔術師認定試験を合格すればそれで良い。学生の間だけ化けの皮を被っていれば十分だ。

 

 

 

 

 答えを探してここまで来た。

 

 俺が死しても求めた、未練の答えは何なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 少しだけため息を吐いて、ぐーっと伸びをする。

 

「……寝るか」

 

 いつまでもぐるぐると廻る思考をシャットダウンするため、俺はベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カイル……!」

 

 講義後そのまま椅子に座っていると、たたたっと俺に駆け寄ってくる銀の影が見える。アリスは片手になにやら白い紙を握りしめていた。

 

「ん?どうかしたか?」

 

 なんだろうか。俺に見せるものなんて中々想像できない。それにあれ程嬉しそうな彼女はあまり見ない。

 

「見て!これ!」

 

 そうして彼女が見せてきた物は、最近行われた試験の採点結果だった。この前行われた魔術試験は実践的な物を多分に含んだ難度の高いものだった。試験終了後に生徒達もその難しさに嘆き、この先来るであろう成績返却に怯えていたのを覚えている。

 

「これは……」

 

 彼女が差し出した紙には、そんな試験の結果が書かれていた。点数の横に書かれている隅には、最高レベルの評価の判子が押されている。

 

 …………あぁ、もう……来たのか……

 

「……凄いじゃないか、あの試験は難しかっただろ」

 

「ふふん、結構頑張った」

 

 あれほど難しい試験でこれほどの評価を取れるとは、彼女の努力が伺い知れる。学年の中でもこの評価を取れる者は極わずかだろう。

 

 そう考えていると

 

「で、カイルは何点なの?」

 

「あー……」

 

 そう来たか……

 

 確かにその試験の結果は先程返された。俺も自分の点数を確認して、直ぐに鞄の奥深くに詰め込んだ。正直あまり見ていたいものではなかったから。

 

 そんな俺の様子を察知したのか、アリスがにやりと笑う。

 

「その様子……私とどっちが上かな?」

 

「……まぁ、見せてやるよ」

 

 何とも言えない気持ちを抱えながら、鞄の中をごそごそと漁る。ペン、魔術スクロール、生活必需品などが入った鞄の中を掻き分けて、先程返された用紙を取り出した。じろじろと見てくる碧の視線が鬱陶しいので隠しながら手に取る。

 

 

 ……本当に、これを見せても良いのだろうか。こんな点数を取ってどんな顔をされるか分からない。こんなものかと、がっかりされたら――――

 

「早く」

 

「…………うるさいよ」

 

 ……まぁ、いいか。

 

 恐れと躊躇いを心の奥に押し込んで、アリスに用紙を見せる。

 俺が持っている用紙には変わらず最高評価の判子が押されていたが、点数は僅かに彼女に劣るものが記載されていた。

 

「……やったぁ!カイルに勝った!」

 

 アリスはそれを見ると、飛び跳ねるように喜んだ。伸びた銀髪が波打ち、整った美貌を溌剌と輝かせる。

 

 そりゃそうだろう。同点はあっても、彼女が俺に点数で勝ったことなんて、これまでなかったのだから。

 

「うぁぁぁ……嬉しい!」

 

「……」

 

 狂喜乱舞する彼女を見ながら、心のどこかで俺は冷静に物事を考えていた。この結果は俺とアリスの才能を比べれば当然とも言える結果だろう。輝ける彗星のような彼女と、本質を虚像で偽った俺では物が違う。どれだけ路傍の石ころが磨かれても宝石にはなれないように、努力だけでは届かない境地は確かにある。

 

 諦めや苛立ちとも違う、冷たく冷静で現実的な思考が頭を巡っていた。

 

「よし、よし……!次も勝つから!」

 

「……まぁ、次は俺が勝つぜ。もう負けねぇよ」

 

 そんなこと、心から思ってはいないのにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 多分、もう時間は残されていなかった。

 

 それだけは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 それから、俺とアリスは成績で競り合うようになった。俺が越えようとしたら彼女が追いつき、彼女が伸びてきたら俺が追いつく。

 

 勝ち越されていないのは、俺の必死の努力の結果だ。睡眠時間を極限まで削り、休み時間すらも隙を見つけては学習をした。そのせいで最近は常に気分は悪いし、偶に足元もふらふらする。仕方ないのだ、天才に追いつく為には文字通り命を削らなければ割に合わない。

 

 成績優秀者の二人でも健康的なアリスと、常に顔色が悪い俺は対照的だった。

 

「……ねえ、本当に大丈夫?」

 

「大丈夫だって。ほら、見てみろよ」

 

 心配そうにするアリスに、俺の顔を見せる。昨日は珍しく結構寝たから、あんまり眠くは無い。変わらず気分は悪いし吐き気はするけど。

 

「……いや、全然大丈夫じゃないけど。顔色悪いし、隈も出来てる」

 

「えぇ、そうか?」

 

 別に睡眠時間を削るのは今に始まったことでは無い。昔から少しずつ必要に応じてやっていたが、最近になって激しくなっただけだ。だから耐性は出来ていると思ったのだが、傍から見れば顔色は悪いらしい。

 

 だからといって、健康的な生活を送るというのは無理な話だ。

 

「ちゃんと寝てるの?そんなに体調悪いなら講義を休んでもいいんじゃ……」

 

「全然大丈夫。確かにちょっと体調悪いかもしれないけど、休むほどじゃねぇよ」

 

「……そう。でも無理しないでね」

 

 休む訳にはいかない。休んだら彼女と大きな差が出来る。その分の差を埋めるために果たして何日かかるか。だからどれだけコンディションが悪くとも休めるわけがない。

 

 重いまぶたを動かして無理やり笑う。これ以上の追求を避けるために誤魔化す。

 

「俺の心配をしてていいのか?次の試験はまた俺が勝っちまうかもなぁ」

 

「……!絶対負けない」

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 深夜、既に人々が寝静まった頃。

 

「…………うぉぇ」

 

 胃の中は空っぽなはずなのに吐き気がして、少しえずく。脳味噌が満足したのか気分が治まったので、また机の前に戻る。

 

 寮の自室でこの時間に起きている人間なんて多分俺しかいないだろう。時刻は深夜もいい所だが、まだまだ勉強しなければならない。明日は大丈夫なのかと思うかもしれないが、しっかり支障が出ないギリギリの時間を測っているので大丈夫だ。

 

「…………は、はぁ」

 

 案外人間、死ぬ気でやれば出来るものだ。何だか峠を越えたらある程度頭の重さも軽減されてきたし、眠気も我慢できるようになった。

 

「……よし、ラストスパートかけるか」

 

 俺がこれだけ追い込みをかけているのには理由がある。

 

 それは

 

「明日は、ついに認定試験だからな」

 

 国認定の魔術師認定試験が、ついに明日から始まるのだ。

 最初は簡単な三級認定試験から始まり、二級、そして最後に難関の言われる一級となっている。日程は最初に三級で数ヶ月間を置いて二級、一級と実施される。

 

 学院の生徒のレベルならば三級試験程度ならば九割近く合格できるだろう。魔術師としては初歩的な知識や魔術を確認するもの程度だからな。学院のレベルはかなり高い。

 

 二級はそれからかなりレベルアップする。一気に合格者は減るだろう。恐らく二割か一割程度まで急降下する。まぁ、それほど魔術師の名は甘くないという事らしい。

 

「勝負は一級だな」

 

 一級魔術師認定試験は、学院の生徒の中でも数年で出るかどうかという資格らしい。それを聞いて案外簡単だと思うかもしれないが、学院の生徒でこれ程出ないのは充分難関だと言っていい。

 

 果たして合格出来るか。そんなのは、考えるだけ無駄だ。そんなら事を考えるなら勉強した方がよっぽど有意義。

 

 

 

 

 

 

 

 ……考えたくないという意味でも、あるが。

 

 

 

 

 

 

「……やべ。早くやらないと。時間ないからな」

 

 つまらない思考に身を沈めていた事を思い出し、ふと我に返った。気を取り直して魔術書やペンを手に取り、これからの復習をして備える。

 

 恐らく俺に待っているであろう懊悩と絶望については未来に先送りにして、今はひたすら勉強に打ち込みたい。

 

 俺にそんな暇など、無い。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 それから三級の試験が始まったが、なんの問題はなく無事に合格することが出来た。学院の成績も好成績を維持しているので当然の結果ではあるが、ここで躓いたら全てが無駄になるので油断は出来なかった。

 

 アリスも当たり前だが、ほぼ満点の結果で合格していた。点数を比べたら彼女の方が高かったので自慢されて少し鬱陶しかったが、嬉しそうな彼女の顔を見ていたらそんな思いも何処かへ消えていった。

 

 当然だが、三級試験に合格してからも勉強は続いた。寧ろ激しくなったとも言える。これからも二級、一級と試験は続く為手を抜くことなど出来そうにない。特に一級は殆どの人間が落ちていく様なものなので、復習は欠かせない。

 

 だがやはり、俺とアリスとでは色々事情が違うらしい。

 

「次は二級でしょ、なら大丈夫だね。一級はやっぱり少し勉強が必要そうだけど」

 

「……そうか」

 

 彼女の手応えでは、あまり心配は要らないのだとか。

 

「カイルもそうでしょ?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

 歯切れの悪い返事を返す。

 俺には到底余裕なんて思えなかった。確かに彼女の言う通り二級までは合格出来る未来は見えている。だがそれも今まで通り死ぬ気でやって漸く行けるかどうか。

 

 それに、一級は正直五分五分と言った所だ。試験が近づいてくるにつれ、俺の頭では厳しいのではないかと思う。弱気になったら出来るものも出来ないとは思うが、そんな事を考えて合格出来るほどそう甘くは無い。

 

「なにその返事…………また体調悪いの?」

 

 アリスははっきりしない言葉を繰り返す俺を心配したのか、気遣うように見上げてくる。

 

「……いや、そんなことは無い。あれだよ、ちょっと考えてたんだよ。卒業したらどうするかってさ」

 

「…………学院を卒業したらどうするかってこと?」

 

「そう」

 

「……」

 

 核心を突かれて適当に誤魔化した言葉だったが、アリスは深く考え込んでしまったようだ。考えたこともなかった、といった感じだろう。

 

 基本的に学院の卒業生は幅広い用途の職に就く。取得した資格によるが主に戦いを行う戦闘魔術師、インフラを担う土木魔術師、魔道具の製作や修理を行う魔道具士など他にも多様な就職先が存在している。世の中の魔術師の需要は非常に高く、殆どの生徒が職にありつけるようになっている。

 

 当たり前の話だが、素晴らしい人材ほど選べる道は多くなる。

 

 そんな約束されたエリートであるアリスは何になるんだろう。

 

「……わかんない。学院に居るだけで楽しかったから考えてなかった。これから見つけようかな」

 

「そっか。まぁいいんじゃないか、時間はまだまだあるし」

 

 まだ卒業までの時間は十分にある。進路を決める猶予はある程度残されているだろう。そこまで急ぐこともない筈だ。

 

「そう言うカイルはやりたいことでもあるの?」

 

「……んにゃ、俺も無いな」

 

「……じゃあ、もし卒業したら……一緒のところで働きたいんだけど……どう?」

 

「え、えぇ?別にいいけど…………まだ何も分からないぞ?」

 

 そういう理由で職を選ぶのは何だかちょっと嫌だったが、別に拘りがある訳でも無かったので了承した。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「…………はぁ、良かった」

 

 心から出た溜息を吐く。ここのところため息しか吐いていない気がするが、そういう環境に身を置いている以上仕方ない。

 

「別に当然でしょ、カイルが落ちたら私も落ちる」

 

 アリスは手に持った紙を見て、当然とばかりに胸を張ってそう言った。国から届いたその紙には届いた魔力の籠った字が書かれていた。

 

 そう、俺たちは難関と言われる二級魔術師認定試験に合格したのだ。

 

「でもそこまで難しくなかったね」

 

「……あぁ、余裕だったな」

 

 嘘をつく。

 本当は試験の半年前から対策の問題を解いて勉強、実践をして何とか受かっただけ。魔力を振り絞ってギリギリ合格ラインに達しただけだった。

 

 点数は結構ギリギリで、余裕なんて全くなかった。

 

 だがこんなこと言えない。

 

 アリスが信じている、昔からの天才である俺を偽らなければならない。彼女はまだ俺が自らより上の人間だと勘違いしている。だから得るものがあると勘違いして、こんなに俺と仲良くしている。本来、俺と彼女は違う世界を生きるべきなのに。

 

「でも次は一級…………先輩達皆落ちてたからちょっと心配」

 

「お前が落ちたら誰が合格出来るんだよ。もっと自信を持ってくれ」

 

 そんな事を言ったら、アリスがむっとした顔で見つめてきた。

 

「貴方がそれを言えるの?私よりよっぽど改善の余地があると思うけど」

 

「いやいや、もうお前の方が成績は良いじゃないか」

 

「そんなことない、カイルに負けることの方が多い」

 

「まったく違うな」

 

「……」

 

 そんな感じで暫くアリスとつまらない話題で争っていたが、突然彼女が用事を思い出したらしく、断りを入れてどこかへ去っていった。

 

 アリスも学院では有名な為、色々やっていることも多い。基本の勉強に加え新魔術の研究、術式理論の構築。当然俺もやっている事でもあるが、困った生徒は彼女に聞くことも多い。

 

「……少し座るか」

 

 なんだかんだ長い間話していて疲れたので、手頃なベンチを見つけて座る。背もたれに身を預け、校舎で行き交う忙しい生徒達を横目に休息を摂る。

 

 実の所、最近の俺は大分無理をしている。

 睡眠時間を極限まで削り、魔術を掛けて誤魔化している。それでも体調の悪さは誤魔化せなかった

 

 気の所為か、より身体が重くなった気がする。頭も痛いし、そろそろ体の限界を感じてきた。

 

 

 

 凡才が天才に追いすがるという事の意味を、真に知った。

 

 

 

 結局、俺がやっているのは前世の下積みを元にして無理やり天才達と張り合っているだけだ。

 しかも、そこから死ぬ気で努力して漸く化け物達と肩を並べることができる。

 

 全くの凡人である俺がこうなるのは既定路線であった。

 

「……それでも」

 

 彼女の輝くような、俺を信じて止まないような目を見ると真実を告白する事は出来なかった。

 

 最後に残った俺のつまらない意地だ。

 

 

 

 幼い頃彼女の目に映っていた俺は、きっと頭の良い天才とかだろう。全ての面で先を行き、決して超えることは出来ない壁。

 

 

 

 だが、転生という優位性を失った今の俺は、彼女の目にどう映るだろうか。

 

 期待されていた分、失望されるだろうか。されてもおかしくは無い。落ち込んだ成績を見て馬鹿にされるのも有り得る。罵られても反論は出来ないだろう。

 

 

 

 溜息を吐き、椅子を傾けて何処までも青い空を見上げる。

 

 

 

 数ヶ月後、試験が始まる。

 一級魔術師認定試験、最後の試験だ。

 

 その結果で俺の人生が決まる。合格すれば、俺は晴れて最高の魔術師となって世間に出れる。答えを得られるかは分からないが、恐らく満足は出来るだろう。

 アリスがすることは知らないが、気にする必要もない。彼女も一流の魔術師だ。一人で生きていけるだろう。

 

 

 

 

 

 だが

 

 

 

 もし、試験に落ちてしまったら――――

 

 

「……」

 

 

 その時彼女から向けられるであろう視線が、恐ろしくて仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 ふと、一人になった時偶に考えることがある。

 

 朝起きて支度をしている時、講義が始まるまでの小さな間、風呂に入っている時、寝る前の少しの時間。そんな世界に独りで取り残された時に良く思ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 結局の所、俺は何がしたいのだろうかと。

 

 

 

 

 今の俺を突き動かしている根本的な物。

 

 つまるところそれは、前世からのアイデンティティの欠如であり、俺の不運の末の後悔でもあり、何も成せなかった自分に対する空虚感である。まぁ、言ってしまえば何かになりたかった。

 

 加えて、幼馴染のアリスに失望されたくないという気持ちも生まれた。余りに烏滸がましい傲慢な考えだとは思うが、学生の間だけは彼女と競い合いたかった。

 

 そんな曖昧な気持ちでここまでやってきた。

 

 俺の前世の未練とは一体、どうすれば消えるのだろうか。この胸の内にある、重く乾いた思いはいつ治まるのだろうか。

 

 

 多分その答えは、じきに嫌でもわかる。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 二級に合格してからさらにアリスとの競走は加速した。これが本気とでも言うように彼女は成績を向上させ、俺もそれに追随して何とか成績を上げた。

 

 だが流石に追い付くことは叶わず、次第に俺はアリスに試験で負けるようになった。その度に彼女は喜びを爆発させていたが、俺はそこまで悔しいとは思えなかった。

 

 アリスは気づいていないのかもしれないが、この結果は火を見るより明らかだった。最初は俺の方が上だったが、少しずつ彼女の成長が上回り始めている。そして今まさに、彼女は俺を抜き去ろうとしている。

 

 それに思うところは無い訳ではないが、最早何とかなる訳でもない。俺がアリスと並ぶことなんて夢物語なのだから。

 

 だが、今だけは彼女と対等で居たかった。

 

「私に負けたままでいいの?」

 

 不敵に笑う彼女に俺は、曖昧な笑みを返す他なかった。

 

 そのまま季節は進んで行き、何時しか試験の日時は目前となった。多分体はもう限界で、これ以上無いという程努力を重ねた。

 

 俺は後悔の無いように身体に鞭を打ってまで術式の構築、知識の蓄えに全力を尽くした。何となく、これが俺の人生の岐路になると薄々感づいていたから。

 

 合格したら、前世から求めていた答えを得られるだろうか。そんな事を考えて勉強に熱心に打ち込んだ。もう後戻りは出来ない、前に進んで信じることしか出来ることは無い。

 

 

 

 

 一級認定試験当日。

 

 その日は、運悪く雨が降りそうな曇りの日だった。幸先が悪いなと思いながら、開催されている試験会場に急ぐ。

 

 道には数少ない受験生も歩いていて、少し安心した。一級試験は受験資格すらも所持している生徒は少ないので、基本的に受験生は少なくなる。

 

 そういえばと思い、アリスを探して辺りを見回すがあの目立つ銀髪は確認できなかった。恐らく早めに会場についているか、遅刻でもしているのだろう。でも彼女ならどうせ大丈夫だろうから気持ちを切り替えて自分の事を考えた。

 

 前世からの願いを叶えるためにここまで来た。何者かになれたら答えを出せると思って、体を壊してまで魔術師になりたかった。

 

 

 今、やっと全てが結実する。

 

 俺に出来ることは全てやったし、結果を出すために削れるところは削った。

 もうやれることはないと、断言出来る。あとは本番で全力を尽くすだけだ。

 

 

 

 

 ……ただ、一つ

 

「……帰り、雨降りそうだな」

 

 曇天の曇り空だったのが、気掛かりだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 昔……前世でまた元気に生きていた頃、思っていたことがある。

 

 多分、凡人っていうのは何処まで行っても平凡で、その本質は変わることは無いんだと。

 

 今と同じように学業に打ち込んでいた時期、そういった天才たちを見てそう思った。彼らと俺の間には埋まることの無い何かが確かにある。

 

 そんな彼らは有名大学や企業をして成り上がっていた一方、俺は必死に努力してある程度は格のある大学に進学した。それで、俺の人生は終わりに近づいて行った。

 

 

 心のどこかでもう分かってたんだ。人はそう簡単には変われないって。

 

 

 

 だから、多分この結果は決まってた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 雨。

 

 雨。

 

 その日は、雨が降っていた。

 

「……」

 

 激しい雨が地面を叩き、飛沫が足元を濡らした。あまりの雨に人々は家に逃げ込んでいて、歩いている道には人影は見当たらない。

 

 予報もなく降り出した雨は、予想外の強さで街に降り注いだ。今日は学院の講義は無いので、生徒達は皆寮に籠るか校舎で勉学に励んでいるだろう。熱心な子達だ、本当に凄い。

 

 そんな中で俺は、何をしているんだろうか。

 

 大して行き先も無く道を、ひたすら歩く。吹き荒ぶ雨の中、歩く。

 

 歩く。

 

「……」

 

 水に濡れてぐしゃぐしゃになった髪が視界の邪魔をするが、それを振るう気分にもならない。既に服は袖の先まで濡れ、乾かさなければ使い物にもならなそうだ。身体は酷く冷え、指先の感覚すらも無い。

 

 意味も無く人気の無い道を歩いていると、道の脇に根を張った巨大な樹木が聳え立っていた。人の背丈の五倍はありそうなその木は、激しく降り注ぐ雨を沢山の枝で受け流していた。

 

 俺は導かれるようにふらふらと木の元へ向かうと、その木陰の根元に座り込んだ。

 

「……」

 

 木に全身を預け、街の全体の景色をぼーっと見渡す。身体に力が余り入らないが、この雨で冷えたせいか積み重なった不摂生のせいか分からない。その両方かもしれないな、どちらにせよどうでもいいが。

 

 ほんと、何してんだろ。

 

「……は」

 

 余りに今の自分が滑稽で無能で、乾いた笑いが湧き出る。意味もなく街に出ては、全身を濡らして木の根本に座り込んで。もう何したらいいかわからない。

 

「…………ははは」

 

 笑えないのに、勝手に笑ってしまう。心は迷子の子供みたいにぐちゃぐちゃなのに。

 

「…………おぇ」

 

 吐き気が頂点に達しえずくが、胃の中は空っぽだったので何も出なかった。最近食欲が湧かなかったので何も食べてなかったけど、それが逆に良かったかもしれない。はは、しょうもないな。

 

 視界が揺れる。

 

 もはや体調が悪いせいなのか、この最悪な気分のせいなのか分からない。

 

「あーあ、やっちまったな」

 

 もう笑うしかない。

 

 先日、俺の一級魔術試験の合否結果が返ってきた。学年でも試験の受験生は数少ないので知らない人も多かったのか、あまり結果を聞かれることも無かった。いつも通りの日常を送り、貼り付けたような顔で友人と日々を過ごした。

 

 まぁ、試験の結果はこの通りだ。

 

「……寒」

 

 そして今日、朝起きていつも通りの生活を送っていた時。些細な不運や積み重なった負担で突然、何かの拍子で何処か心の深い所が千切れた。ふらふらと何処かへ足が歩き出した。

 

「なんで、落ちちまったんだろーな。もっと頑張れよ、俺」

 

 血が滲むような努力を重ね、毎晩遅くまで厚い魔道書を読み耽った。できる限りの努力をして、できる限りの無駄を削った。それでも届かなかった。

 

 友人たちから風の噂で聞こえてきたが、どうやらアリスは無事に試験に合格したらしい。まぁ、そんなに驚きは無かった。寧ろ当然だとも思った。

 

 そして、俺はそれからアリスと顔を合わせていない。避けていると言ってもいい。

 

 別にアリスに怒りや妬みがある訳では無い。ただ、落ちてしまった自分が情けないのと、彼女と会うことによる恐怖が勝ってしまっているのだ。

 

 言ってしまえばつまらない見栄があるだけ。俺が落ちたと知られたくないから、逃げているだけだ。

 どうせ、いつかは知られるのに。

 

 

 何となく、何かになりたかった。

 何者にもなれないまま死んだ自分を変えたかった。

 

「……ははぁ、最悪だな。俺」

 

 結局、俺は何にも成れなかった。中途半端で空っぽな自分は、転生しても変わらなかった。いや、魔術師にはなれたか。俺が持っているのは相変わらずクソほどの意味もない資格だが。

 

 そこからアリスと出会って、彼女に恥ずかしくない自分でありたいという思いも覚えた。

 

 今思えば、酷く傲慢な考えだ。

 暗く濁り進まない思考、冷えきった身体。最悪な状態で木陰の外の様子を薄目で見る。降りしきる雨は全てを水に帰し、流れのままに巻き込んでいる。世界で独り、座ってそれらを眺める。

 

 雨で白く霞む景色の中に、ふと人影が現れた。

 

 その人は傘すら差さずに、雨の中を駆けている。まるで何かを探すように首を振り、雨粒を身に受けながら走っていた。

 

「……」

 

 その人影が俺の方に近付いて来るにつれ、その正体が何となく分かってしまった。何年共に居たと思っているんだ。

 

 雨に濡れそぼった銀碧色の髪、美しい瑠璃色の眼から頬に沿って流れる水滴、濡れてしまった学院の制服。

 

 徐々に近づいてくると彼女も俺の姿に気づいたのか、一直線にこちらに向かってくる。逃げようとも思ったが、不健康な体とこの酷い状態では力が抜けてしまって動けない。

 

 ああ、もう嫌でもその女性が分かる。

 

 そこには

 

「……アリス」

 

 今、最も会いたくない人間が居た。

 

 力強い彼女の瞳は確実に俺の姿を射抜いて離さない。寒さで震える手足は言うことを聞かず、逃げることは許されない。受け入れるしかない運命を前に、俺は半ば諦めていた。

 

 そして、あっという間にアリスは俺の目の前まで駆け込んで来た。彼女の瞳には心配、恐怖、疑問、悲哀など様々な感情が奥でごちゃ混ぜになっている。

 

「ははは、どうした。こんな所に来て。風邪は大丈夫か?早く着替える為に帰った方が良いぞ?」

 

 いままで貼ってきたいつもの”俺”を維持する。張り詰めて裂けそうな心を隠して、明るく彼女に語り掛ける。

 

 アリスは荒い息を整え、頬をほのかに上気させて呟いた。

 

「…………そ、その、久しぶり。カイル」

 

「ああ、確かに久しぶりだな。どうした?こんな所に来て」

 

「雨なのに寮から出て歩いていくのが見えて……心配になったの」

 

「……そっか。大丈夫だぞ、何となく散歩したかっただけだから。もう帰るつもりだったんだ」

 

「……」

 

 ……これは、もう駄目そうだ。

 

 白々しい嘘をついたが、彼女は納得などしていないように俺を見据えている。そりゃそうだ、こんな雨の中を傘も差さずに歩いている奴なんて正気じゃない。ましてや、こんなに体調が悪そうな人を放っておくほど彼女は人でなしではない。

 

 アリスは躊躇いを踏みにじると、勇気を出して一歩踏み出してきた。

 

「ねぇ……カイル……」

 

 俺と彼女の間が縮まる。

 

「やっぱり、何かあったの?最近……私を避けてるよね。気の所為かと思ったけど絶対違う」

 

「……」

 

「……言いたくないなら、言わなくて良い。私が嫌いなら……もう大丈夫」

 

 ……もう誤魔化しは効かない。悪足掻きは、辞めるべきだろうか。彼女に嘘はつきたくなかった。

 

 一呼吸置き。

 

「……あぁ、あったよ」

 

 冷えきって乾いた唇を濡らし、彼女に告げる。

 

「前に……試験があったろ?あの一級試験の事だよ」

 

 堰を切ったように次々と言葉が飛び出す。もう取り繕う物もないからありのままの言葉を彼女に向ける。

 

 もう、どうでもいい。

 

「……落ちたんだよ、あの試験。笑えるよな、ほんとに」

 

 空元気で無理やり笑みを作る。空っぽな心とは裏腹に簡単に笑顔は作れた。心の奥に押し込んだ暗い心が悲鳴を上げた。

 

「お前は受かったんだろ。本当にすげぇなぁ、尊敬するよ。や、別にこれは嫌味じゃないぜ、アリスの事は心の底から本当に凄いと思ってる」

 

 アリスは嬉しさや哀しさ、驚きともつかない全てが混ざった表情をしている。

 

「やっぱり昔からお前は凄かったもんな。小さい頃から本を読んでて知識を蓄えて、魔力も十分にあって。俺なんかよりずっと頑張ってた」

 

 俺は転生というチートがあってここまで来れたが、アリスは生まれつきのものだけを持って頑張っていた。いくら彼女が天賦の才を持っているとはいえ、彼女自身の努力は計り知れない。

 

 俺はそれを、ずっと傍で見てた。

 

「本当に、お前は凄いよ」

 

「……そう」

 

 彼女は俺の真剣な言葉を聞くと、地面を向いて俯いてしまった。俺からでは彼女がどんな表情をしているのか見えず、覗き込んでも分からない。

 

 構わず言葉を続ける。

 

「だからさ、前に言ってた進路の事についてだけど。お前だけでその職に就いてくれないか。訳が変わったから」

 

「……カイルは、どうするの」

 

「俺は、別の所で働くよ。やっぱり一級資格を持ってない人と一緒に行動するのは色々不便だろうし、遠慮しとく」

 

 分かってくれるように笑みを向ける。

 

 もう、アリスと一緒に居たくなかった。俺と居たら彼女の輝きが翳ってしまう気がして嫌だった。卒業したら、彼女から逃げてどこかへ行くつもりだった。

 

 本来、彼女はもっと上の所にいるべきなのだ。俺みたいな凡人と一緒に居るより、彼女と同じ天才と一緒に過ごせばさらに高みへ行ける。

 

 こんな俺は、アリスに相応しくない。

 

「だから、卒業したらさよならだな。俺のことは心配しないでくれ、故郷に戻るか職に就くか。まだ決めてないけど大丈夫だ」

 

 何故か、アリスがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。俺はそれを意に介せず言の葉を紡いだ。

 

「アリスも何処かで頑張ってくれよ。遠くからでも応援してる。お前は昔から頭良いからなぁ、どこでもやっていけそうだ」

 

 銀髪の少女は足を進め、気がついたら彼女は俺の目の前まで来ていた。

 

 変わらず彼女に説得を続ける。そういえば昔彼女やってみたいと言っていた職業を思い出したので、話題にちょうど良かったので言ってみる。

 

「やっぱり何になりたいんだ?前言ってた付与師とかセンス良いと思うぞ。あとは、あれとかどうだ。昔見たあの――――っ!」

 

 言葉が、途切れた。

 

 いや、途切れてしまうのも仕方なかった。余りに予想外の出来事が起きたから。

 

「……どうして……なんで……っ!何で貴方だけで決めるのっ!」

 

「……っ」

 

 アリスは俺と目と鼻の距離まで来ると、俺を木に向けて押し倒した。がつんと後頭部と木が衝突して目の中で星が散り、思わず口を閉じる。

 彼女はそのままの勢いで俺に向かって叫び、俺の肩に手を置いて逃がさないようにした。

 

 分かってくれるだろうと俺は説得を続ける。

 

「……別にアリスに悪いことは無いと思う。一級魔術師なら凄い所に就職できるだろうし、高い金も稼げるだろ。それでお前の家で待ってるおばさんに良い物でも買ってやれば――」

 

「だから……っ!……違う!」

 

 何時も冷静なアリスに似合わず、彼女は感情に任せて力強く俺の言葉を否定する。彼女から滴る水滴が俺の顔に落ちる。

 俺の肩を掴む彼女の白い手からじんわりと暖かい人の体温が伝わってきた。

 

 アリスは雨で濡れた顔を振ると、言い聞かせるように言う。

 

「さっきからずっとカイルは……私の言葉を聞いてない。自分が良いと思うことしか言わないで、私に意見を聞いてない!少しぐらい私と会話してよ……っ!」

 

「聞いてないって……」

 

 ……確かに彼女の言う通り、俺は自分の考えだけを押し付けていた。だがそれはこれが最善で皆が幸せになる道だと言う確信があるからだ。そうでなければこんなこと言わない。

 これ以上の方法は無いはずだ。

 

「……確かにそうかもしれない。アリスの意見は聞いてなかった。でも、それはこれが一番良い方法だからだよ」

 

 にっこりと笑顔を作った。多分、昔と同じように笑えたはずだ。

 

「……何で、私がカイルと離れて暮らすのが一番良いと思うの?」

 

 先程とは違い、どこか静かに彼女は言った。

 

「なんでって……そりゃ簡単だ。俺と一緒に居るより、もっと頭の良い人と居た方が良いから。こんな試験に落ちる俺よりも、お前に相応しい人は居るよ」

 

 本音だった。

 

 間違いなく分かりやすく説得力のある事を言えた筈だ。俺とアリスではレベルが違いすぎるから、彼女に得はない。

 

 ずっと思っていたことを彼女に告げたが、何だか余り反応は良くない。

 アリスは先程までは怒りと悲しみが入り交じったような顔をしていたが、今は何処か吹っ切れたように微笑み俺を見ている。

 

 ……嫌な予感がする。

 

「だからもう良いだろ。俺と居るよりも良い道があるんだ。お前は凄いやつになって、いつかまた――」

 

 彼女の表情から恐らく良くないことが起きると察知したので、さっさと話を終えようと捲し立てて話したが間に合わなかった。

 

 アリスの手を押しのけて立ち上がろうとしたが、彼女はそれを防ぎするりと俺の手を握って再び押し倒してきた。彼女の顔が目前に迫り、目と目が至近距離で合う。

 

 互いの息遣いが聞こえるような距離の中で、アリスは言った。

 

 目一杯の笑顔を作り、冷たい手と手を合わせて。

 

「そんなことない。だって私、カイルの事好きだから」

 

「……ぁ?」

 

 様々な思考が頭を巡り巡ってショートする。

 

 今、なんと言った?

 

 好きだから…………好き…………と言った?

 

「……え?」

 

 ……いや、そんな訳が……だって……あのアリスだぞ?

 

 ……確かに、アリスが俺に好意を抱いているのは何となく分かっていたが、それは恋愛的なものではないと思っていた。

 卵から生まれた純白の雛が初めて見たものを親と認識するように、アリスも幼少期から共に居る俺に親愛を向けているのだと思っていた。

 

 そんな予想外も予想外の言葉を浴びせられて呆然としている俺を尻目に、アリスはさらに続ける。

 

「カイルは俺と居たら不幸になる、とか言ってるけどそんなわけない。だって好意を抱いてる人と一緒に居て不幸な訳ないから。それより離れる方が嫌」

 

 そんな追撃を受けて、俺もやっと思考が纏まった。意識外からの一撃だったので復帰するのに時間がかかったが、何とか大丈夫だった。

 

 湧き出てきた疑問をアリスにぶつける。

 

「……い、いつからそう思ってたんだ?」

 

「……分かんない。物心ついた時から?」

 

「……」

 

 もはや意味が分からなかった。

 

 そんな思いを抱いていた彼女にもそうだが、長年想われていて気付かない自分にも驚愕していた。鈍感系になったつもりはなかったが、何故気づけなかったのだろうか。

 

 気持ちが上下左右してよく分からない状態になっていて、もう訳が分からない。頭がおかしくなりそうだ。

 

「………………えぇ?……?」

 

「…………その……混乱してるところ悪いけど……カイルが私から離れるというのは撤回してほしい。それだけはやだから」

 

「……」

 

 俺が元々彼女の元に居たくなかったのは、それが彼女の成長を阻害すると思ったからだ。ためにならないと思って、無理やりどこかへ行こうと思っただけ。

 試験に落ちて尚、彼女の邪魔だけはしたくなかったのだ。

 だから、本人が良いと言うならもう良いのだろう。独りよがりな考えは、するべきでなかった。

 

「……分かった。もう、分かったよ」

 

「……っ!やった……良かったぁ」

 

 アリスは心底安心したように息を吐くと、俺の上から退いて立ち上がった。

 もう俺と彼女どっちも全身雨で濡れていた。酷い雨の中出歩いたせいでどこを見ても濡れている。服も水を吸ってしまって使い物にならない。早く脱いで着替えないと。

 

 学院から出る時に思っていた鬱憤とした気持ちは、殆ど消え去った。これで良かったのは分からない、でも今は大丈夫だと思う。

 

「行こ、学院に」

 

「……あぁ、行くか」

 

 もう、雨はいつの間にか上がっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「……っくしょん!」

 

 あれから数日後。

 

 学院の講義が行われたので登校したのだが、無事に俺は風邪を引いた。まぁあれだけ激しい雨の中長時間歩いたので当然ではあるが、それにしてもなかなか治らない。

 元々が不健康だったという事も合わさり最悪な状態になっている。

 

「ゔー……治んねぇな」

 

 鼻を啜りながら濁った声で呟く。

 喉も痛いし鼻も酷い。だが熱が出るほどではなかったので休む訳にも行かなかった。多分、これまでの積み重ねがここで出たのだろう。

 

 昼休み時間なので独りでゆっくりと椅子に座り、流れる白い雲をぼんやりと眺める。

 

「……」

 

 正直、あの日から心は随分軽くなった。

 

 もう試験や前世を必要以上に重く感じることはなくなった。それは単純に、思い悩んでいた理由が解消されたからに思える。

 

 それに、何となく俺が悩んでいたことも輪郭を捉えることが出来た。

 

 多分俺は、人に肯定されるような人になりたかったのだ。

 

 前世の俺は常に良い人、立派な人になりたがっていたが、その根幹は肯定されたいという思いだった。自分は間違っていないと、励まされたかった。

 後は、自分のことを強く覚えていて欲しかったのかもしれない。前世は多分、誰にも覚えられずに死んだから。あの死に方だけは本当に嫌だった。

 

 あまり健全な思いとは言えない気がするが、前世は余り愛に溢れた家庭環境とは言えない所で生まれたという理由もあるので仕方ないもする。

 

 とはいえその訳も未練も分かり彼女のお陰で悩みに対する強迫感も弱まった今、前ほど解決しようとは思っていない。俺を肯定して、覚えていてくれる人が居ると分かり安心出来たのだ。

 

 まぁ、最近は新しい悩みも出来たが。

 

「……はぁー」

 

「なにため息吐いてるの?」

 

「……っ!」

 

 思わず体を震わせ、耳元で聞こえた声に反応する。

 振り返った先には、相変わらずの無表情の銀髪少女が居た。

 

「びっくりしたわ……驚かせんなよ」

 

「別に驚かせてない。……隣座るね」

 

「お、おう」

 

 アリスはすぐさま俺の隣の椅子に座ると、俺と同じように背もたれに身体を預けた。

 

 何処からか吹いたそよ風が彼女の長い銀髪を靡かせ、切れ長の瞳が太陽の光を受けて蒼く輝く。彼女の美貌は相変わらずで、あの雨を受けても健康な様子は変わらなかった。

 

 清涼とした風が辺りに吹く中、ふとアリスが呟く。

 

「……風邪、大丈夫?」

 

「……まぁ、ぼちぼちかな。多分あと数日したら治りそう」

 

「そう。なら良かった」

 

 彼女は少し安堵したように見えた。俺は長い間濡れた服を来ていたことと、不摂生が重なったことで風邪になってしまったのだろう。もちろんアリスは健康を心掛けているらしいので、翌日少し風邪気味になる程度で収まっていた。

 

 少し言いづらいことも話すために、口を開く。蟠りのある関係は嫌なので、先日の出来事であったことは伝えておく。

 

「もう……悩みは消えたよ。試験に落ちたこともまぁ……落ち込んではいるけど前ほど酷くは無いし。結構マシになった」

 

「良かった。またあんな所に居られると困る。立ち直って貰わないと」

 

「ふは、確かに」

 

 多分笑うところなので笑っておく。

 

 悩みが解消されて、俺の生活も見え方が随分変わった、前は重しを背負って生活していたようだったのが、今では軽い気持ちで講義を受かることが出来ている。

 友人たちからも、話しやすくなったと好評を頂いている。

 やはり悩みが消えると、精神的に楽になるな。

 

 ……まぁ、前とは別の悩みがない訳でもない。なかなか解消出来ないし、その予定が無い悩みが。

 

 その新しい悩みとは――――

 

「……っ!ちょ……良いって……なんだお前……っ」

 

「別に良いでしょ。減るもんじゃないし」

 

 突然俺に向かってきて抱き着いてきたアリスを何とか引き剥がそうとするが、巧みに絡め取られて出来そうにない。

 

 そう、何故か積極的になったアリスの事だ。

 

 最早引き剥がすことは叶わなそうなので、諦めてぐったりと空を仰ぐ。それを良しとしたのか彼女は小動物のようにくっついている。

 

「……はぁ、お前本当に最近何なんだよ。急に来やがって」

 

「変なことじゃないでしょ、告白したんだから」

 

「……」

 

 それを言われるとなんとも言えない。

 

 つい先日までは普通の態度だった彼女だが、ここ最近は俺に甘えるような態度を取るようになった。勿論人前では避けるように言い聞かせ、何とか収めている。

 

「こんな可愛い女の子の告白を、よく断ったね。ひどい」

 

 泣き真似をしながらアリスは責めるように言う。

 

 あの後改めて彼女から告白を受けたが、俺は心底申し訳ないと思いながら断った。

 

「だってなぁ……あんまり女の子とは見てなくて……」

 

「……!ひどい!」

 

「ごめんて」

 

 到底無理な話なのだ。

 シンプルな話だが、俺から見てアリスは精神年齢ほぼ大人の人間が子供の頃から見ている人間だ。最早妹か子供みたいな存在だと捉えていた節はある。むしろ好きになる方がおかしくないか?

 

「寧ろよく俺の事好きになれたな。他に良い人なんて一杯居るのに」

 

 アリスは心外だとでも言わんばかりに俺を見た。

 

「……そんなわけない。小さい頃から十何年一緒に居て、それで好きにならない訳ない」

 

「……そうかぁ」

 

 俺にはあまり納得出来ない論理だった。どう考えても彼女なら俺より素晴らしい男性に出会えるはずだ。

 それに俺は彼女の思いに応えることが出来ていない。何となく告白を受けるというのも良かったのだが、大して好きではないのに慈悲で受けるのは惨めだからやめて欲しいと彼女から言われたので辞めた。

 

「でも、俺はお前の告白を受けることは出来てないぞ。それでも良いのか」

 

「大丈夫、今は好きじゃなくても別にいい。それで全てが決まるわけじゃないから。……でもね――」

 

 一度アリスは俺から離れると、固い決意を表すように微笑んだ。

 

「いつか、私を好きにさせるから。それまで諦めないよ」

 

 そう言った笑ったアリスは、眩いほどに輝いていた。

 

 

 

 

 ……もしかしたら、こっちでも勝てないのかもな。この天才には。

 

 






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