エレンの妻です   作:ホワイト3

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14:女神の功罪

 人は移り、時代は変わる。

 目まぐるしく発展する技術は街の景色を少しずつ塗り替え、人々の暮らしもまた緩やかにその形を変えていく。

 

 それでも、レベリオ収容区を覆う空は相変わらず煤けていて、私の日常は研究室と病院、そして時折訪れる革命軍のアジトを往復するだけの色のない繰り返しに過ぎなかった。

 わずか一年前のヒィズルでの日々が、まるで遠い昔の夢のように感じられる。

 

 しかし、世界の大きな歯車は人々の気づかぬ水面下で軋みを上げながらも着実に回り始めていた。

 

 その最初の音を、私は自身の研究室で聞くことになる。

 

 夜更けまで研究に没頭していた、そんな日のことだった。不意に背後でドアが開き、澱んだ室内の空気に冷たい夜気がナイフのように差し込まれる。

 振り返るまでもない。この気配には覚えがあった。

 

「どうしたの、エレン。こんな時間に」

 

「ああ」

 

 短い肯定と共にエレン・クルーガーは私の隣まで歩み寄ると、机の端に無造作に腰掛けた。

 

「グリシャ・イェーガーとダイナ・フリッツの間に子供が生まれた。名はジーク、だそうだ」

 

「……そう」

 

 顕微鏡のレンズを覗き込んだまま私の口からこぼれたのは、自分でも驚くほど平坦な声だった。

 驚きも喜びも悲しみもない。その名前は、私の心の底に澱のように溜まっていた諦念を、静かにかき混ぜたに過ぎない。

 

 ジーク・イェーガー。

 この残酷な物語を動かす最も重要な歯車の一つ。

 

 私がこの世界でどれだけ足掻こうとも、生まれるべき命は生まれ、揃うべき役者は舞台に上がるのか。この壮大で残酷な世界を前に、私はただ身を任せるしかないのか。

 

(嫌だ)

 

 胃の腑から冷たいものがせり上がってくる。

 

(死にたくない)

 

 脳裏に焼き付いて剥がれない、原作で見た地獄の光景――『地鳴らし』。

 超大型巨人の群れが地上の全てを踏み潰し、文明を、命を、歴史を無に帰していく。人類の八割以上が死滅し、大陸の大部分が不毛の地と化した人類史上最大の虐殺。

 

 それが遠くない未来に起ころうとしている。このレベリオの空の下で、私が息をしているこの場所で。

 

 どうすればいい? パラディ島の人々を……壁の中の民を皆殺しにすればいいのだろうか。

 何も知らず、ただ平和に暮らしている彼らを犠牲にすればこの未来は変わるのだろうか。

 

 わからない。答えなどどこにもないのだから。

 

「……ジル?」

 

 エレンの訝しむような声に私ははっと我に返る。いつの間にか、顕微鏡を覗き込む手が白くなるほど強く握りしめられ、細かく震えていた。

 

「いいえ、何でもないわ。おめでたいニュースね」

 

「ああ、そうだな。待ちに待った王家の血を引く子供だ」

 

「……そうね」

 

 エレンはそう言うと、私の返事を待たずに立ち上がった。その横顔にどんな感情が浮かんでいたのか、私には窺い知ることはできない。

 彼は何も言わず、来た時と同じように音もなく研究室を去っていった。まるで私の心の揺らぎを見透かした上で、あえてそっとしておくかのように

 

 そんな私の葛藤を置き去りにして、研究だけは恐ろしいほど順調に進んでいった。

 

 ジークが生まれて一年経つ頃――新たな血液検査法が完成した。既存の方法とは比較にならない精度で、『ユミルの民』を特定できる画期的な技術だった。

 論文と研究データを軍に提出すると、マーレはすぐさまそれを公式の声明として世界中に喧伝した。

 

 発表は私の想像を絶する熱狂で迎えられた。新聞各紙は、こぞって同じような見出しを掲げた。

 

『歴史的快挙!悪魔と人間を峻別する技術、遂に確立』

 

 マーレ政府からは最大級の栄誉である『マーレの星』勲章が授与され、軍のプロパガンダも相まって私の名は良くも悪くも世界に知れ渡った。

 面識もない遠い国の王族から感謝状が届き、裕福な実業家からは莫大な寄付金の申し出が舞い込む。彼らにとって私は『悪魔を炙り出す女神』であり、人類の救世主らしかった。

 

 だが、称賛の声が大きくなればなるほど、私の心は冷たく凍りついていく。私の想像以上に、エルディア人への不信と憎悪は深く、暗く世界中に渦巻いていた。

 マーレの植民地政策が進めば進むほど、この憎悪の声もまた大きくなるだろう。私の発明はその流れをさらに加速させるための強力な追い風となってしまった。

 

 同胞をより効率的に管理し、不要とあらば排除するための道具に。

 

 誰もいない研究室で私は一人、窓の外に広がる煤けた空とその下に聳える壁を見つめた。

 

「また壁が高くなってしまった……他ならぬ私自身の手で」

 

 その呟きは誰に聞かれることもなく、薄暗いレベリオの空に溶けて消えた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 私の名声がマーレ社会で高まっていく中、エルディア復権の象徴は静かにその命の灯火を揺らがせていた。

 長年我々の精神的支柱であり続けた長老が、病の床に伏したのだ。

 

 私たちが集ったのは、普段長老が入院しているマーレの病院ではない。革命軍のアジトとなっている、薄暗い地下室だ。「マーレ人のいる場所で死ねるか」という長老らしい最後の我儘で、数日前に運び込まれたのである。

 

 なんともまあ相変わらずな感じだが、その痩せこけた胸がかろうじて上下している。荒く浅い呼吸だけが、彼がまだこの世に繋ぎ止められている証だった。

 

「ダイナ……ダイナ・フリッツを……最後に一目……」

 

(この期に及んでどこまで強欲なんだ、この爺さん……)

 

 か細い声で長老は、長老は王家の血を引く娘の名を呼んだ。だが、その願いが叶えられることはない。

 収容区から一歩も出られぬ彼女を、ここまで連れてくることなど不可能だ。

 

 私がやんわりとそう諭すと、長老は濁った瞳を私に向け、ゴホゴホと痰の絡んだ激しい咳を漏らした。

 

「罪人の娘が……何を言うか……」

 

「……え?」

 

 罪人の娘? 何のことだろう。訳も分からず内心首を傾げる私を尻目に、長老は最後の力を振り絞るように傍らに控えていたエレンの腕を掴んだ。

 

「エレン……ジルケと、子を成せ。子を産み、増やし続けろ。ユミルの民の血を……絶やしてはならぬ……」

 

 それが彼の最期の言葉だった。

 あれほど「エルディアのための名誉ある死」を喧伝し、多くの若者を諜報と軍隊へと駆り立てた男の最期は驚くほど静かなものだった。

 駆けつけた同胞たちに看取られ、苦しむこともなく、まるで眠るように老衰で息を引き取ったのだ。

 

 劇的でも悲壮でもない。ただ一つの命が燃え尽きた。そのあまりにもあっけない幕切れを前に、「誇りある死とは一体何だったのだろう」という答えの出ない問いが私の胸に渦巻いた。

 

 指導者を失った革命軍はたちまち混乱の極みに陥った。長老の遺志を狂信的に継ごうとする古参幹部、より過激な行動を望む若手、新しい時代のやり方を模索する者たち。それぞれの思惑が絡み合い、内部から崩壊の音が聞こえるようだった。

 

 そんな最中、事件は起こった。古参幹部の一人がマーレ当局に摘発されたのだ。

 彼は表向きマーレ社会で成功を収めた名士として知られていた。

 だが、夜な夜な外出する様子を不審に思った周囲の人間が、物の試しで密かに血液検査を実施したという。

 

 私の開発したあの血液検査によって。

 

 長老の側近でもあった彼は、組織の最重要機密をいくつも握る人物だった。もしマーレ当局の取り調べで口を割れば、革命軍は間違いなく崩壊する。

 

 その報せに誰もが絶望する中、私の夫だけはその表情を変えなかった。

 

 エレンは治安局内での権限を巧みに使い、自らその幹部の尋問を指揮する立場に就いた。そして、たった一人で尋問室に入り……二度と口を開けぬようにした、と聞いた。

 

 誰もがその必要性を理解しながら、誰もが手を汚すことを躊躇った仕事を夫はたった一人でやり遂げた。

 

 幹部の死は、公的には『高齢に伴う突然死』として処理された。マーレ当局は誰もその死を疑わず、むしろ相手が老人であろうと職務を徹底するエレン・クルーガーの冷徹さを評価する声さえ上がったという。

 

 長老亡き後、マーレでの名声を持つ私を新たな指導者に、と望む声も一部にはあった。

 だが、この一件を前にそうした声は自然と掻き消えた。圧倒的な辣腕と同胞を躊躇なく手に掛ける冷徹さ。

 

 夫はたった一つの行動で、揺らぎかけた組織の全てを掌握してしまった。

 

「これより復権派と我々革命軍は完全に分離する」

 

 ある夜、アジトに幹部を集めたエレンは、静かに宣言した。

 

「収容区内のエルディア人はグリシャ・イェーガーが束ね、そのうえで革命軍と復権派の指揮は俺が執る。両者の繋がりは俺一人。万が一どちらかが摘発されても、もう片方にまで火の手が及ぶことはない……そして言うまでもないことだが、誰が捕えられようと俺が口を封じる。そこに例外はない」

 

 その後もエレンは数々の改革を行い、長老が築き上げた組織をより冷徹に、闇に紛れ込むように作り変えた。

 

 夫の横顔を見つめながら、私は形容しがたい感情に襲われる。

 この男は恐ろしい。目的のためなら同胞の命さえ躊躇なく奪う。その冷徹さは時として私を心の底から凍えさせる。

 

 自分で言うのもなんだが、私はマーレ社会で光の道を歩んでいる。研究者として世界中から称賛され、俗に言う栄光の只中にいる。

 その一方で、夫は同胞殺しという最も重い罪を背負い続け、闇の道を突き進んでいく。その先に光があると信じて……。

 

 まるで光と影そのものだ。私たちが本当の意味で同じ場所に立てる日は――きっと来ないだろう。

 でも光と影は互いがいなければ、存在することすらできない。そんなところも似ている気がした。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 私の発明がもたらした光と影はマーレ一国に留まらなかった。その余波は世界各地で、血の染みのように広がり始めていた。

 

 特にマーレとの戦争で幾度となく巨人の蹂躙に遭った国々では、燻っていた反エルディア感情が一気に燃え上がり、組織的な『エルディア人狩り』が横行しているという。

 これまで各地で密やかに、しかし平穏に暮らしていた同胞たちのコミュニティが次々と暴かれ、故郷を追われて収容区へ送られた。

 

 その悲劇は海を越え、美談としてマーレに届けられた。『マーレの女神の功績が世界から悪魔の脅威を駆逐した』――新聞の一面を飾るその文字が目に入るたび、この世界の残酷さが改めて胸に突き刺さる。

 誰かの安寧が、誰かの絶望の上に成り立っている。私の発明はその残酷な構造をより強固に、より効率的にしてしまったのだ。

 

 そんな内心の呵責をよそに、私の身辺はますます華やかになっていく。

 称賛の声は鳴り止まず、軍内での立場も日に日に向上する。だが、その喧騒が何か恐ろしい破局への序曲のように聞こえてならなかった。

 

 そしてその予感は、最悪の形で現実のものとなる。

 

 ある日、マーレ軍上層部から呼び出しを受けた。研究室にやってきた使いの将校はなぜか終始怯えたような目で私を見ていたが、その理由はすぐに判明する。

 

 呼び出しの主はマーレ陸軍のカルヴィ大将。記憶が正しければ、原作時系列ではマーレ軍の元帥だった男だ。

 実際に対面した彼は、軍の頂点に立つ人間とは思えぬほど虚無的な瞳をしていた。

 

「ドクター・クルーガー。君は今やマーレにおける巨人化学研究の第一人者だ。君の開発した血液検査法は我が軍の巨人化学部隊も高く評価している」

 

 重々しい執務室に、カルヴィ大将の抑揚のない声が響く。その昏い瞳が静かにこちらを射抜いていた。

 彼は雑然とした机上から、一冊のファイルを滑らせるようにこちらへ押し出した。

 

「今日呼び出したのは君に専門家としての見解を伺いたい。ああ、といっても公的な記録に残るものでもない。あくまで個人的な相談だ、楽にしてくれたまえ」

 

 差し出されたファイルには『トム・クサヴァーによる研究草稿』と記されていた。

 

 クサヴァー。その名を目にした途端、胸の奥に鈍い痛みが走る。マーレ軍は彼に約束したのだ。『獣』を継承する前に研究成果を上げれば、離別した息子の待遇を改善すると。

 前任の『獣の巨人』の任期が残り一年を切った今、彼はその約束だけを信じ、魂を削るようにしてこの草稿をまとめ上げたに違いない。

 

 それは『始祖の巨人』の能力に関する驚くべき仮説だった。

 

「草稿の要点はこうだ。『始祖の巨人は全ユミルの民の記憶だけでなく、身体構造すら自在に改変できる』」

 

 カルヴィ大将は淡々と告げる。

 

 『始祖の巨人』の力。『地鳴らし』や安楽死計画の根幹を成す、絶対の権能。原作を読んだものなら誰でも知っている事実だが、この時期のマーレが知っているわけが……

 

(まさか……)

 

 嫌な可能性に思い当たる。クサヴァーさんは息子のために、ただその一心で研究に没頭した。その執念が、この発想に至らせたのか?

 

 カルヴィは私の動揺など意にも介さず、虚ろな瞳のまま言葉を続ける。

 

「考えてみたまえ、ドクター。死を恐れず、病にもかからぬ、食料すら不要な兵士。そんな軍隊を編成できれば、我々はあらゆる戦争に勝利できると思わないかね?更には『無垢の巨人』という無尽蔵の殺戮兵器を、何のリスクもなく運用できる。来る資源争奪の時代、これはマーレの絶対的優位を確立する『神の力』だ」

 

 狂気の計画を、彼は事業計画でも説明するかのように事務的に語った。

 衝動的に開いた唇を噛み締め、必死で思考を巡らせる。

 

 落ち着け、この話には穴があるはずだ。そもそも、クサヴァーさんの研究はこの段階ではあくまで仮説に過ぎない。

 そうだ、実現には前提条件がある。そこを突けば始祖奪還計画を頓挫させられるかもしれない。

 

「僭越ながら、始祖の力は王家の血を引く者が継承して初めて真価を発揮すると聞きます。パラディ島の壁の中にいるフリッツ王家の者以外には扱えません」

 

「ならば壁の王を捕らえ、こちらへ連れてくれば済む話だろう」

 

「……いえ、仮に連れてきても壁の王が我々の望み通りに行動する保証はありません。王の一声で『地鳴らし』が起きる以上、強引な策は悪手かと」

 

「無論、承知している。勘違いしないでくれ、ドクター。君に聞きたいのは、あくまでこの草稿の信憑性だ。実際の運用は我々軍部で考える。君は、君の職務の範囲内で答えればいい」

 

 言葉が詰まる。クサヴァーさんの研究を否定できる合理的な理由はないーー何故なら私は、それが紛れもない事実だと知っているのだから。

 

「もっとも」とカルヴィ大将は続けた。

 

「タイバー家からもたらされた情報も断片的でな。我々も始祖の力をある程度は把握しているつもりだが、その詳細となると判然としない。だからこそ君の見解が聞きたい」

 

 ――好機だ。マーレ軍上層部は巨人のことをほとんど理解していない。

 ならば、計画そのものが成り立たなくなるほどの致命的な欠陥を提示すればどうだろう。この無謀な始祖奪還計画を、根底から諦めさせられるかもしれない。

 

「……トム・クサヴァーの推察は恐らく正しいかと。私も古い文献で読んだことがありますが、かつて始祖の巨人の力でユミルの民の身体構造が変化し、特定の疾病に罹患しなくなったとか。彼の発見はその伝承とも符合します」

 

「ふむ、では――」

 

「――ですが、仮に王家の血を引く者を連れてきても、全ては無意味に終わるでしょう。私の推察も含まれますが、王家の者が始祖を継承した瞬間、『不戦の契り』によって壁を築いた王の思想――自らの滅びを受け入れるという、壊滅的な平和思想に精神を汚染され、始祖の本領は発揮できないからです。いわば、世界を滅ぼせる力を持った平和主義者が誕生するに過ぎません」

 

 これこそが、始祖奪還計画の根本を覆す致命的な欠陥のはずだった。原作の歴史においても、この『不戦の契り』こそがパラディ島を世界の脅威から守り、同時に反撃の機会を逸し続けた元凶だった。

 その思想の枷を破壊したのは、始祖を継承したエレンと王家の血を引くジークという、二つの特異点が奇跡的に結びついた結果だ。

 

 通常そんな奇跡は起こらないし、その万に一つの可能性さえここで完全に潰すためなら、私はどんなブラフでも吐いてみせる。

 

 知識の出所を怪しまれても構うものか。『地鳴らし』という人類史の終焉につながる最悪の芽は何としてでもここで摘み取らなければならない。

 

「『不戦の契り』、か」カルヴィは虚ろな目で宙を見つめた。

 

「その情報の確度はどれほどのものだ、ドクター? それもまたタイバー家が語る御伽噺の一片ではないのかね」

 

「絶対の事実です」私は確信を込めて言い切る。

 

「第145代王カール・フリッツの意思が子孫に受け継がれる強固な呪いです。始祖の力を戦争に用いようとするあらゆる試みは、王自身の思想によって無に帰すでしょう」

 

 私の言葉を受け、カルヴィはしばし沈黙した。執務室の重い空気が肌にまとわりつく。やがて彼はまるでパズルのピースを嵌めるかのように、ゆっくりと口を開いた。

 

「なるほど。つまり君の話が真実ならば、『始祖の巨人』と『王家の血を引く者』を揃えて、その上で『不戦の契りという思想汚染』を打破すれば我々は神の力を手にできる……そういう理屈になるな?」

 

「え、あ……あの。おっしゃる通りですが、その『不戦の契り』を打破する方法など、皆目検討も……」

 

「ドクター、時間は待ってくれんのだよ。君の疑問も理解できる。だが、そんなものは始祖と王家の末裔を揃えた後に考えればいい。案外、君の思い過ごしという可能性だってある」

 

 私の指摘は達成すべき課題の一つとして冷静に整理されていく。計画の穴を指摘すればするほど、彼の頭の中ではより鮮明で、実現可能な計画の輪郭が形作られていく。

 

(――ああ、もう手遅れだったんだ)

 

 愚かにも、今更ながら理解した。この男は始祖奪還を進める前提で尋ねてきたのだと。

 彼の中で――マーレ軍の中で結論は最初から決まっていたのだ。

 

「『不戦の契り』が厄介だとしても、『始祖の巨人』を我々が保有しているという事実だけで列強諸国への絶大な抑止力となる。伝承レベルでしか始祖の脅威を知らぬ国々には、これ以上ない外交カードだ」

 

 満足げに立ち上がったカルヴィは結論を告げた。

 

「礼を言う、ドクター・クルーガー。マガトの勧めに従って正解だったよ、君のおかげで始祖奪還の雛形がぼんやりとだが出来上がった。『始祖の巨人』と『王家の血を引く者』をパラディ島から奪取し、その上で『不戦の契り』を打破する方法を研究する。これこそ、マーレ軍の次なる大目標だ」

 

 悲劇を阻止するために持ち出した知識が、皮肉にも『始祖奪還計画』という最悪のパンドラの箱を開ける最後の鍵となってしまった。

 私が止めようとしたはずの運命の歯車が、むしろ私のせいで加速的に回り始めている。

 

「ドクター。君は英雄国マーレに貢献してくれた。始祖奪還の暁には、君の名はマーレの歴史に永遠に刻まれるだろう」




残り5話ほどで一旦の区切りです。
もうしばらくお付き合いください。
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