また後書きに今後の投稿頻度に関するお知らせがあります。
「よう、クリスタ。起きたか」
不意にかけられた声にクリスタは重い瞼を押し上げた。視界に飛び込んできたのは見慣れぬ鬱蒼とした緑と、木の上から自分を見下ろす二つの人影。ライナーとベルトルトだった。二人とも立体機動装置を身に着けている。
混乱した頭で身じろぎすると、自分が巨大な樹の太い枝の上にいることに気付く。そして足元に広がる光景に息を呑んだ。
遥か下方の地上を数体の巨人達が蠢いていた。森の濃い匂いに混じって巨人のものと思われる異様な臭気が鼻をついた。
「ここは……?」
かろうじて絞り出した声は掠れていた。ライナーが冷たい感情の読めない声で答える。
「ウォール・マリア内にある巨大樹の森だ。壁からはかなり離れている。当然、巨人の領域内ってことだ、助けを呼んでも誰も来やしない」
何が起きているのか。状況を把握しようとクリスタは必死に記憶を手繰り寄せた。
そうだ。自分は確かウトガルド城に籠城していた。巨人の襲撃を受け絶望的な状況だったものの、ナナバ達の活躍によって生き延びたのだ。
朝になって調査兵団の本隊が到着し、壁の上まで退避して……ライナーやベルトルト達と言葉を交わした。そこへ駐屯兵団の先遣隊が到着し「壁に穴は見つからなかった」と報告があって……それからライナーとベルトルトがエレンに近づいて……。
「……思い出したようだな」
表情の変化で悟られたのだろう。クリスタは目の前の裏切り者をきっと睨みつけた。
「あなた達が……巨人だったのね……!」
「そうだ。俺が鎧の巨人でこいつが超大型巨人ってやつだ」
間違いない。気を失う直前自分は超大型巨人の巨大な手に掴まれ灼熱の口内へと放り込まれたのだ。その時の熱風の記憶が生々しく蘇る。
ふと自分の手を見ると一部が赤く火傷を負っていることに今更ながら気づいた。
「火傷は悪かったな。なにせ急いでいたもんでな……俺たちの故郷に着けばすぐに治療の手配をする。絶対に痕が残らないようにしてやるからよ」
ライナーはまるで罪悪感を滲ませるかのように苦しげに言葉を続けた。 その気遣いがクリスタには理解できなかった。むしろ神経を逆撫でするだけだった。
あれだけの惨劇を引き起こしておいてなぜ今更そんな優しさを見せるのか。その欺瞞に吐き気さえした。
「あなた達巨人に……!人類がどれだけ食べられてきたと思ってるの!? ウォール・マリアを奪われ故郷を失った人たち!ミーナやトーマス……死んでいった104期の仲間たち……いや、それだけじゃない。残された人たちがどんな思いでいるかあなたたちだって知らないわけじゃないでしょう!?」
「……理解してもらおうとは思わない。だが仕方なかったんだ。ああするしかなかった」
クリスタの中で怒りが燃え盛る。
この男は自分たちが引き起こした大虐殺を「仕方なかった」の一言で片付けるつもりなのか。何千、何万という人が死に、残された人々がどれほどの絶望と悲しみに打ちひしがれているか知ってて言っているのか。
訓練兵時代、兵士としての責任を、仲間や市民を守ることの大切さをあれほど真面目な顔で語っていた男がこれほどの裏切り者だったなんて。
ジル先生の深い悲しみを知りながら、平然と隣にいた彼の存在が心底おぞましく感じられた。彼女の失われた家族はもう二度と帰ってこないのに。
そんな苦悩など知ったことかとばかりにライナーが言葉を続けた。
「クリスタ。これからお前には俺たちの故郷に来てもらう。心配するな、危害を加えるつもりはない。直に地獄になる壁の中にいるよりずっと長生きできるはずだ」
「……どうしてあなたたちの言葉を信じられるっていうのよ」
「まあそう思うのも無理はない。だが……お前の『家』が俺達の考えている通りなら確実に生き延びられる。たとえ違っていたとしてもお前の家を手がかりに壁内最大の秘密を探れる。どちらにせよ命だけは保証する」
また『家』の話だ。クリスタは見えない鳥籠に閉じ込められているような息苦しさを改めて感じた。
どこへ行っても何をしても、自分はこの生まれから逃れられないのだろうか。そもそも自分の家がどう特別なのか彼女自身よく分かっていなかった。
考えようとするたびに母親に拒絶され殺されかけたあの日の記憶が蘇り、無意識に思考に蓋をしてきた。
だからライナーの次の言葉にも現実味が伴わなかった。
「お前の家はウォール教とも繋がりの深い壁の秘密を知る一族。すなわち真の王家かもしれん。俺達にはどうしてもその血が必要なんだ」
「何を……言ってるの。私が……王家?そんなわけ……」
「信じられねぇかもしれないが、今の王家は偽物だ。本物の王家の血を引いていない。いやむしろ、その血を意図的に遠ざけていると言った方が正しいか」
自分が王家。考えたこともなかった。
だがもしそうだとしたら……これまでの不可解な出来事に説明がつく。ライナーたちが自分を攫った理由。ウォール教が自分を監視していた訳。
(まさか……ジル先生もそれを知っていて私に近付いたの?)
一瞬黒い疑念が胸をよぎる。彼女自身、初めはクリスタの境遇を特別な目で見ていたと語っていたじゃないか。
だが、すぐにその考えを打ち消した。
『あなたは自由よ』
開拓地を出て訓練兵団へ行く決意を告げたあの日、ジル先生はそう言ってくれた。あの時の全てを受け入れてくれるような温かい瞳を思い出す。
あの人は私の家柄や血筋ではなく私自身を見てくれていた。何の打算もなくただ気にかけてくれていた。
あの人だけは信じられる。根拠はないけれど掛け値なしにそう思えた。
(……ん?ジル先生のことで何か……引っかかっているような……なんだっけ……)
思考の片隅で何か重要なことを見落としているような感覚がよぎる。だがその正体を掴む前にライナーが再び口を開いた。
「……やはりお前は何も知らされていないようだな。知っていれば色々と話が早かったんだが」
「……そうね。仮に知っていたとしてもあなたたちには絶対に教えないわ、ライナー」
クリスタは精一杯の強がりで言い返すと、やれやれとばかりにライナーは肩をすくめた。
その仕草に苛立たしさを覚えたが、今は怒りに囚われる場合ではない。どうすればこの場を切り抜けられるか冷静に考えなければ。クリスタはわざと落ち着き払った様子で枝の上にゆっくりと腰を下ろした。
ライナーもそれに倣うように座るが、その視線は常にクリスタに向けられる。一瞬たりとも油断がない。
(まずは状況を整理しないと……)
ライナーもベルトルトも巨人化できる上、彼らは立体機動装置も持っている。対して自分は丸腰同然。武器もなければ立体機動装置もない。壁外において、それは死を意味する。
調査兵団の救援は期待できるだろうか。エレンを取り戻すためなら動くかもしれないが、自分のような一新兵のために大規模な奪還作戦を実行するだろうか。
たとえ自分が真の王家の血を引いていると知っていたとしても、兵団がそれだけのリスクを冒すとは思えない。状況は絶望的と言って良かった。
(それに……もし大編隊が組まれたらどれだけの兵士が犠牲になることか……)
自分のために大勢の人が死ぬなんて……考えただけで恐ろしい。
(待てよ。そもそも、ライナー達はどうしてここに留まっているの?)
巨人の力を使えば壁外を走り抜けて故郷とやらに向かえたはずだ。なぜわざわざこんな巨人だらけの森で立ち止まっているのだろう。巨人化の力を使い果たして休息が必要なのだろうか。
クリスタは思考を巡らせる。しかし相手は巨人化能力者であり、屈強な兵士でもある。素のライナーにさえ自分では到底敵わないだろう。
それに下には巨人の群れ。クリスタがちらりと下を見ると虚ろな目をした巨人がこちらを見上げており、恐怖でバランスを崩しかけた。
「自殺なんて考えるなよ。そんなことをしても誰も幸せにならない。壁内がさらに地獄になるだけだ」
ライナーが鋭く釘を刺す。飛び降りる可能性まで考慮して見張っていたのだろう。
「そんなことするわけないでしょ」
「そうか?アニが言ってたぞ。お前は極限状態でも自分より他人を優先する危なっかしい奴だってな。お前なら自分の存在で敵が利するくらいなら自ら死を選ぶ、と踏んでいたが杞憂で良かったぜ」
図星……ではなかった。クリスタは内心で反芻する。
以前の自分なら誰かの役に立って『良い人』だと思われて死ぬのもそれも悪くないと思っていただろう。自分なんていらない子なのだから、せめて最期くらい人類の為に命を捧げようと。
でも今は違う。
思い出すのは、やはりジル先生の言葉だった。
『いつか私の秘密も全部話してあげる。過去も本当の名前も全て。どう?気になって死ぬに死ねないんじゃない?』
あの時の少し悪戯っぽい、でも心の底から心配してくれているのが伝わる優しい声。あの声が今もクリスタの心に勇気を与えてくれる。
(死ねない……!先生の秘密を聞くまでは絶対に死んだりしない!)
そこまで考えて、ふと止まる。なぜライナーはアニの名前を出したのだろうか、と。恐る恐るクリスタは口を開いた。
「ねぇ……なんでアニが出てくるの?」
「ん?そりゃあアニが女型の巨人だからな」
まるで当然のことのようにライナーは告げる。
衝撃がクリスタを襲った。あのクールでどこか影のある少女も裏切り者だったなんて。
もしやトロスト区襲撃事件で彼女が命を賭けて守ってくれたのも、これが理由か。クリスタの全身から力が抜ける。
「アニも……あなた達の仲間だったのね」
絞り出すような声で呟くと、ベルトルトもまた信じられないものを見るかのようにライナーを凝視しているのが視界の端に入った。どうやら彼もライナーの発言に驚いているらしい。
「ああ。これ以上の隠し事は無しだ。お前が王家であろうと無かろうと、どうせこれから長い付き合いになるんだ。まあ…信頼の証みたいなもんだと思ってくれ」
ライナーはなぜか爽やかささえ感じさせる笑みを浮かべた。その表情が今の状況とあまりに不釣り合いでクリスタは目を逸らした。
クリスタは憂鬱な頭を無理やり動かしてみる。
ライナー、ベルトルト、そしてアニ。判明しただけでも三体の巨人が壁の中に潜んでいた。一体、どれだけの敵がまだ息を潜めているのだろう。
そしてライナーは「壁内は地獄になる」と言っていた。また壁が壊されるのだろうか。不安が心を蝕んでゆくのを感じる。
生きてこの巨大樹の森を出られる道筋がクリスタには見えなかった。
ライナー達の故郷とやらに連れて行かれ、そこで機会を窺うしかないのだろうか。それとも、もう……絶望的な状況に深いため息をつく。
すると見かねたライナーが声をかけてきた。まるで同じ釜の飯を食べた訓練兵団時代に戻ったかのような、屈託のない声色で。
「そりゃ疲れるよな。昨日から働き詰めだったもんな。でもよ、俺達は実際よく頑張った方だと思うぜ」
クリスタは呆気に取られてライナーを見上げた。一瞬、隣の枝にいるベルトルトに話しかけているのかと思ったが、当のベルトルトすら信じられないものを見るように目を見開いてライナーを凝視している。
「クリスタ、さっきはスカートを台無しにしちまってすまなかった。お気に入りだっただろ、あれ。休日によく履いてたもんな。まあお陰で傷の治りも早くなったってもんだ。その……なんだ」
ライナーは照れたように頬を掻きながら続けた。
「詫びと礼も兼ねて今度の休みに服でも買いに行かねぇか?もちろん俺の奢りだ」
「さっきから……何を言ってるの……?」
「ああ、いや。嫌だったらいいんだ。嫌だったら……でもよ、クリスタ。感謝したいと言ってる人間の申し出を断ったところで双方不幸になるだけだと思わねぇか?俺も今回の件で何らかの褒賞受けるだろうしよ、その金でパーっと豪遊でもしようぜ」
「いや、だから……そういう話じゃなくて」
状況が全く飲み込めないクリスタをよそにライナーはさらに頓珍漢な言葉を続けた。
「……やっぱり他に好きな奴とかいるのか?お前はミーナやサシャ、シュタイナー先生とばっかりつるんでたから、てっきりまだ恋愛とか知らない奴だと思ってたんだが……あ、もしかして俺に――」
「やめろ、ライナー!!」
それまで青ざめた顔をしていたベルトルトが突然堰を切ったように鋭く叫んだ。
「いい加減目を覚ましてくれよ……僕達は兵士じゃない、戦士だろ?」
「……ああ、そうだったな。すまねぇ、さっきのは忘れてくれクリスタ」
その言葉にライナーははっとしたように目を見開き、こめかみを抑えて俯いた。まるで今の今まで自分が何を口走っていたのか、全く理解していなかったかのように。
「ベルトルト、これは……一体どういうこと?」
「……後でちゃんと説明するけど、今のライナーには人格が二つあるんだ。壁を破壊する『戦士』としての人格と、壁の中で演じていた『兵士』としての人格がね。壁内で暮らすうちに……罪悪感とか色々なものが積み重なって、精神的に不安定になってしまったんだ」
なぜ加害者が被害者のような顔をしている?
壁を破壊し、多くの人を殺し、エレンと自分を攫おうとしてた張本人が何を今更。怒りと困惑、そして言いようのない不快感が腹の底で渦を巻いた。
「ふざけるな」
クリスタは今まで押し殺してきた冷たい怒りを込めて吐き捨てた。常の『良い子』の仮面を剥ぎ取ったような鋭い言葉遣いに、ライナーは虚を突かれたように目を見張った。
「ライナー……あなた、ジル先生の家族の話を聞いてたよね?私と一緒に、医務室で。先生……言ってたよね?ウォール・マリアの陥落で旦那さんと娘さんを亡くしたって。あの日……どういうつもりで話を聞いていたの?」
ライナーは目を伏せてか細い声で答えた。
「あの時は……気の毒だと思った」
ああ、もう分かった。こいつらは―――
「あなた達は戦士でも兵士でもない――いえ、そもそも人間じゃないわ」
クリスタはそう言い放ち、彼らから顔を背けた。これ以上、ライナー達の顔を見ていられなかった。
「……すまなかった」
ライナーの絞り出すような謝罪の言葉も、隣でベルトルトが伏し目がちに佇む姿も、今や彼女の心を揺さぶらなかった。
彼らを『人間』だと思うから腹立たしいのだ。理解しようとするから苦しいのだ。
最初から人の心を持たない『悪魔』だと思えば、いっそ気は楽だった。
「謝るのもおこがましいことは承知の上だ。ただ、これだけは言っておきたい。俺達にも信念があるんだ。何事にも代え難い信念が……それだけは覚えておいてくれ」
「悪魔の言葉なんて聞きたくない」
「――ッ!お前ら島の連中が、俺達を悪魔と罵る気か!?」
「シマ……?」
聞き慣れない言葉を思わず鸚鵡返しする。そこへベルトルトが呆れたように割って入る。
「もうライナーは黙っていてくれよ……エレンの時だって、君が暴走しなければジーク戦士長達と合流できたかもしれないのに……このザマだ」
「……分かってる。だが、
「まあそうなんだけどさ、いくらなんでもそれは結果論だよ……」
夕陽がベルトルトの不安げな横顔を照らす。
「あ、
だがクリスタの耳にはその言葉は奇妙な棘のように引っかかった。
(なんだろう……私は何かを見た気がする)
思い出せ。クリスタは記憶の蓋を強引に押し開けようとした。
浮かび上がるのは朦朧とする意識の中で、自分がベルトルトに抱えられて鎧の背に乗せられた時のことだ。大地を踏みしめる振動で辛うじて瞼を上げると、地平線の彼方で巨大な顎を持つ異形の巨人が調査兵団の人間と共にいたのを確かに見た気がする。
信じられない光景だった。その巨人のうなじからは見慣れた——見慣れすぎていたはずの、あの人の姿が現れたような……。
まさか。そんなはずはない。頭が理解を拒む。
「ベルトルトッ!」
クリスタは反射的に叫んでいた。張り詰めた声にベルトルトは驚いたように振り返る。
「あなた達と戦っていたあの巨人……あれが
「どういう風の吹き回しだい?悪魔と会話なんてしたくないんだろう?」
「いいから答えて!」
クリスタの声は切羽詰まっていた。真実を知らなければこの不安に押し潰されてしまいそうだった。
ベルトルトとライナーは顔を見合わせる。ライナーが僅かに頷くと、ベルトルトは戸惑いを隠せない様子で答えた。
「……ああ、君の言う通りだ。巨大な顎と鋭い爪、比較的小柄な体躯……すべて
先生が語っていた『秘密』。それがまさかライナー達と同じ、巨人になれる人間だったなんて。
信じたくなかった。感情がその事実を受け入れることを頑なに拒む。
「先生も……あなた達の仲間なの?」
そんなの――絶対に嫌だ。
堪えきれなくなった涙が熱い雫となって頬を伝う。ほんの少し考えれば
クリスタは信じていたものすべてが崩れ落ちていく感覚に、ただ打ちのめされていた。
一方ベルトルトはその問いに目を剥かんばかりに驚く。
「待ってくれ、クリスタ。
「せ、先生が……巨人の中から出てきて……私を、すごく冷たい目で――」
クリスタは嗚咽を止められなかった。心の底から信じていた人に裏切られたような感覚。
温かく、安全だと思っていた場所が突如として地獄に代わってしまったような絶望感。それが彼女の心に致命的な深いヒビを入れた。
「落ち着きなってば……安心していいよ。彼女とは仲間じゃない。むしろ敵だ。彼女は僕達から巨人の力を盗んだから
その言葉を聞いても、クリスタの混乱は収まらなかった。堰を切ったように涙が溢れ、浅く速い呼吸を繰り返す。過呼吸を起こしかけている。
その痛ましい姿にライナーとベルトルトは近付くことすらできなかった。近付けばさらに彼女の心を刺激してしまうと分かっていたのだろう。
どれほどの時間が経っただろうか。ようやく荒い呼吸が落ち着き、クリスタは涙で濡れた顔を上げた。ぼんやりと記憶を辿る。
地平線の彼方にいた一体の小柄な巨人。そのうなじから現れたジル先生と確かに目が合った。
あの時の冷徹な視線。夢のように霞んでいた記憶が、悪夢のように鮮明な輪郭を帯びて蘇る。
「しかし、どうする?調査兵団と協力関係にあったんだ、おそらく兵団もマーレや九つの巨人の存在を認知しているはずだ」
ライナーの問いかける声が、遠く聞こえた。
「ああ。僕達の最終目標である『座標』がエレンに備わっているかもしれないことに気付いてもおかしくない。ただ僕達はともかく、アニの正体まではバレてないんじゃないかな?」
ライナーが説明を求める視線を向けた。
「時系列を整理するとだ。もし彼女が以前から記憶を継承していたのなら、もっと早く兵団に知らせていたはずだ。そしてもし知らせていたのなら、兵団もあんな無茶な壁外調査なんてやらないよ。僕達をそれとなく地下にでも誘導すれば無力化できるんだから。まあ、僕達がそんな簡単に誘導に乗らないと判断したのかもしれないけど……」
「それはわかったが、じゃあシュタイナー先生が急に兵団へ協力しだした動機はなんだと思う?」
「それは分からない。
「なんで私に……」
感情の揺らぎすら失せたような、虚ろな響きがクリスタの声に宿る。
「手掛かりでもいい。隠し事はなしでいこう。それに、これは君にとってもメリットになるはずだ。君だって彼女の正体を疑問に感じているだろ。それが解消されるかもしれない」
クリスタの心が揺れる。今はライナー達への憎悪よりも、ジル先生の真実を知りたいという気持ちが勝った。
「――何も知らない。でも……雪山訓練の時、先生は『ジルケ・シュタイナーは本当の名前じゃない』と言っていた。それに……あの日、どうやってダズを助けたのかずっと疑問だったけど、今思えば……きっと巨人の力を使ったんだと思う」
「くそっ、そんなに前から巨人の力をコントロールしていたのか……!」
ライナーが焦燥を滲ませる。
「エレンと違って、あの人は随分前から巨人の力を使いこなしてたに違いない……いつ記憶を継承してもおかしくないぞ!?アニが捕まるのも時間の問題だ。早くアニに伝えねぇと……!」
だが、ベルトルトは比較的落ち着いていた。
「……そこまで心配しなくていいと思うよ」
「お、おい!?なに言ってやがる?アニの事がどうでもよくなったのか!?」
「そんなわけないだろ!……あくまで可能性の話だよ。でも、今までの話を総合するとね……色々思い至ることがある」
ベルトルトは遠い目をして、まるで古い記憶の糸を手繰り寄せるように続けた。
「アニの正体に気付くにはおそらく記憶の大半を継承しないといけない。でも、もし彼女が僕の思い描く人物なら――それだけ記憶を継承して正気でいられるはずがない。ライナー、君が受けた以上の精神的ショックを彼女は受けることになるだろう。そんな精神状態で冷静に巨人化できるとは思えない」
ライナーとクリスタが息を呑む。思わず口を挟んだ。
「ベルトルト……あなたは何を知っているの?」
「あくまでシュタイナー先生が僕の思い描く人物なら、という仮定の話だよ。しかし……仮にそうだったらジーク戦士長にどう報告したものか……。マーレ軍に許されても、戦士長に殺されかねないぞ……」
ベルトルトは一人、深刻な顔で悩み始めた。まるで触れてはならない禁忌に触れてしまったかのように。
「一人で話を進めないでよ!?何を知ってるか教えて!」
「……まあいいよ。でも聞いたら多分君は失望すると思う。僕の予想が正しければ、彼女こそが真の悪魔なんだから――」
そこまで話したところで、遥か北東の方角から赤い煙が上がっていくのが見えた。ベルトルトの意識が鋭くそちらに向いた。
「あれは……信煙弾?調査兵団がもうあんなところまで来てるのか」
「大量の馬を壁の外側に移さないと索敵陣形は組めないはずだ。そんな判断はすぐにはできないと思ったんだがな」
ライナーも訝しむように言う。
「ああ、エルヴィン団長がいるかもしれない。しかし、エレンならともかくクリスタ奪還の為にここまで派兵するなんて……」
「兵団もクリスタの生まれに気付いたのかもな」
ライナーとベルトルトが冷静に状況を分析する声がクリスタにはまるで遠い世界の出来事のように聞こえた。
ジル先生が『悪魔』かもしれないという恐怖。自分を取り戻すために、調査兵団が無謀な追撃作戦を決行したという混乱。自分の土台となるものが次々と崩れていく感覚に眩暈すら覚えた。
「クリスタ、目覚めて早々で悪いが、すぐに出発させてもらう。無駄な抵抗はするなよ?」
ライナーが非情な宣告をした時でさえクリスタの耳にはその言葉が現実味を帯びて響かなかった。ただ、巨大な樹々の梢を揺らす風の音だけが彼女の混乱を増幅させるように、やけに大きく聞こえていた。
信じた人に裏切られて曇るヒストリア、罵倒されまくるライナー、情緒不安定な二人の介護に追われるベルトルト……美しい、これ以上の芸術は存在しえないでしょう。
なおベルトルト君に意味深なことばかり喋らせてしまうのは申し訳ない限りですが、これも展開上仕方なかったというやつです。いつか必ず真相回収します(いつになることやらですが……)
どこが舞台の閑話が良い?(なるべく原作ネームドキャラを登場させる予定)
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革命軍
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レベリオの市民病院
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マーレ軍病院
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ヒィズル国
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ウォール教開拓地
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訓練兵団
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調査兵団(王政編後)