エレンの妻です   作:ホワイト3

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35:夢

 ピクシスが初めてジルケ・クルーガーに対峙した時、最初に抱いた感想は線の細さだった。

 

 多少は鍛えられているようだが、歴戦の兵士たちが纏う岩のような頑強さとは程遠い。差し出された手は驚くほど華奢で白く、とても兵団勤めのものとは思えなかった。

 

 病的なまでに白い肌と、目の下に刻まれた深い隈。その退廃的な容貌は、体制転覆などという大それた野心を抱く革命家というよりは、陽の当たらぬ研究室に閉じこもる学者のそれに近かった。

 

 だが、その瞳を覗き込んだ瞬間、ピクシスの認識は修正を余儀なくされた。

 

 そこにはエルヴィンのような燃え上がる情熱の炎はない。あるのは絶対零度の冷徹さと、目的のためなら己の肉さえ切り落としかねない、研ぎ澄まされた鋼鉄の意志だった。

 

「噂に違わぬ美貌じゃのう。今夜の会合、楽しみにしとったわい」

 

 ピクシスは好々爺の仮面を被り、柔和な笑みを浮かべて手を握った。値踏みするような視線を老獪な愛想で包み隠した。

 

「こちらこそ楽しみにしていましたよ、ドット・ピクシス司令。なんでも、無類の酒好きなんだとか」

 

「ほう、知っておったか。では、お主のような美女に目がないということもバレておるかのう」

 

「ええ。ですが残念ながら、私に介護の趣味はありませんのでご期待に応えられないかと」

 

 ピクシスは一瞬目を丸くし、それから喉を鳴らして笑った。どうやらこの女は、権力者への媚びという機能を取り外して生まれてきたらしい。

 

 会合の場となったのは、トロスト区駐屯兵団本部の一室。

 先日のウォール・ローゼ騒動以来、ピクシスが執務室代わりに占拠しているこの部屋に、壁内の運命を握る顔ぶれが揃っていた。

 

 調査兵団からはエルヴィンとハンジ。駐屯兵団からは主であるピクシス。そして憲兵団からは師団長のナイル・ドーク。ジルケは上席に遠慮なくどかっと腰を下ろし、堂々と足を組んだ。

 その所作一つとっても、彼女がこの壁の中のヒエラルキーに属さない異物であることを主張しているようだ。

 

「さて、皆さま。お忙しい中集まっていただき感謝します。まずは、人類史上一番忙しい日を乗り越え、誰一人として巨人の餌食にならず、こうして顔を合わせられたことを祝いましょうか……もっとも、乾杯する酒もありませんが」

 

 ハンジが場の空気を温めるように口を開いたが、それを遮るようにピクシスが掌を掲げた。

 

「本題に入る前に、一つ確認しておきたいことがある。王政はクルーガー君の正体をどこまで掴んでおる?(アギト)の巨人の存在は一部の兵士が知っておろう。王政側に伝わっておってもおかしくないと思うが」

 

「それについては、ナイル師団長に協力してもらい裏工作を行いました」

 

 ハンジが眼鏡の位置を直しながら答える。

 

「ストヘス区での尋問記録は破棄し、先の討伐作戦で調査兵団付の医務官ジルケ・シュタイナーと(アギト)の巨人は死亡したという風に報告書を改竄しました。事情を知らぬ一般兵の視点では、(アギト)は巨人共に群がられ、食い殺されたように見えたでしょう。エルヴィンが王都に出頭した時も、ジルケや(アギト)に関する言及はありませんでした」

 

 しかしと、ハンジは言葉を区切る。

 

「末端の兵士の口までは塞げないので、完璧に隠し通せているとも言えません。真相を掴んだ王政が、敢えて我々を泳がせている可能性だってある」

 

「連中のやり方らしくないが……まあ状況は理解したわい」

 

 ピクシスはスッとナイルへ視線を向けた。

 

「重ね重ね感謝しよう。これも憲兵団の協力があってこそじゃ」

 

「……いえ。礼には及びません」

 

 ナイルは力なく首を振った。眉間には深い皺が刻まれ、その顔には疲労の色が濃く滲んでいる。

 

「全ては……私自身の為に過ぎませんから」

 

「ほう?」

 

「ジルケの言葉をすべて信用したわけではありません……が、そのすべてを嘘だと断ずることは私にはできなかった。少なくとも奴は、我々よりも世界の真実に近いことに違いありません」

 

 ナイルは伏し目がちに、噛みしめるように続けた。

 

「なにより……外の情報を知ってしまった以上、いずれ私は王政の粛清対象になる。気休め程度に裏工作をしましたが、いつ露見してもおかしくない。そうなれば私は……娘たちの成長を見守ることなく殺されるでしょう」

 

どこの馬の骨ともわからぬ者(クルーガー君)の戯言を信じ、人類の命運よりも個人の事情を優先させるということか。呆れた奴じゃの」

 

「お言葉ですが、家族は私の全てです。人類の命運などよりよっぽど重い」

 

 迷いのない態度にピクシスは満足げに目を細めた。人間臭い、それ故に信頼できる言葉だった。

 

 だが、その空気を切り裂くように、不愉快そうな鼻音が響いた。

 

「信用なりませんね」

 

 ジルケだった。彼女は組んだ足を不躾に組み替え、非難の色を隠そうともせずにナイルを見下ろした。

 

「要するに、家族の命次第でどっちにでも転ぶというわけでしょう?こちらは命懸けで王政を打倒しようとしているんです。どっちつかずの蝙蝠野郎なんてお呼びじゃない」

 

「……貴様だって家族がいるんだろう!?守りたい誰かがいるからこそ戦える、そうじゃないのか!」

 

「ええ、夫が一人いますね。詳しくは知りませんが、娘もいるらしいです」

 

 まるで他人事のような口ぶりに、ナイルは絶句する。娘がいるらしい――それは親の口から出る言葉なのか。

 

「なのに……なのに、よくそんな言葉を吐けるな。貴様に家族愛というものはないのか?」

 

「……エルディア人(われわれ)の命運こそ最も重視しなければなりません。当たり前でしょう」

 

 ジルケは表情を消し、冷徹な学者の顔で告げた。そこには母性など欠片も存在しない、ただの論理だけがあった。

 

「いいですか?我々は勝たなければならないんです。壁の中のちっぽけな権力争いにではなく、外にいる強大な敵に。連中を討ち滅ぼさぬ限り……師団長殿や私の家族を含め、誰一人として生きる道は残されていないんですよ?」

 

「言われずとも、そんなこと分かっている!俺が言いたいのはそういうことではない!」

 

 ジルケが見ているのは「個」ではない。「種」の存続だ。そのためなら個人の幸福など切り捨てて構わない、とでも言いたげだった。

 

(狂犬、じゃな)

 

 ジルケ・クルーガー。確かに彼女は『壁内人類』にとって希望の火となり得る存在だ。彼女のもたらす未知の情報は、暗闇を照らす光である。たとえ困難な道であろうとも、彼女の光を辿れば踏破すること決して不可能ではないと思わせる何かがあった。

 

 だが同時に、その火は扱いを間違えれば味方ごと焼き尽くす業火にもなる。 『他人の心臓に関心がない』――エルヴィンの評は的を射ていよう。

 

「君は他人と喧嘩しないと会話ができないのかい?よくそんなんでスパイなんて務まったね」

 

 見かねたようにハンジが割って入る。

 

「……マーレにいた頃は猫を被らされてたからな。長老達にも口を慎めと度々注意されたよ」

 

「あー、そう言えば君の精神年齢って20くらいで止まってるんだっけ。見た目がアレだからすっかり忘れてたよ。じゃあ……多少は仕方ないか」

 

「待て、それはどういう意味だ?」

 

 ジルケが眉をひそめるが、ハンジはそれ以上取り合わず、パンと手を叩いてその場を仕切った。

 

「はいはい、時間も無いし早速本題に入らせてもらうよ。ジルケはこれ以上司令の前で見苦しい真似はしない。師団長も彼女に付き合わなくて結構ですからね。中身はまだ反抗期真っ只中の若者なんで」

 

 ハンジは居住まいを正し、卓上に広げられた地図の一点を強く指で叩いた。先ほどまでの軽口は鳴りを潜め、調査兵団分隊長としての鋭い理知がその瞳に宿る。

 

「クーデターの前提を再確認します。我々が目指すのは、あくまで『無血』かつ『短期』での王政打倒です」

 

 彼女の言葉は部屋の空気を震わせた。

 

「もしこの狭い壁の中で争いの種が撒かれれば、どれだけ影響が広がるか想像もつきません。我々兵団vs王政ならまだ良い方です。第三、第四の勢力が現れれば壁内の混乱は容易に収まらないでしょう」

 

 ハンジに子供扱いされてそっぽを向いていたジルケも、この時ばかりは複雑な面持ちで頷いた。

 

「また、内乱が泥沼化すれば、その隙を突いて壁外勢力が介入してくる恐れがあります。それは我々にとって死と同義です。だからこそ、膿を迅速に取り除く必要がある。偽りのフリッツ王を玉座から引きずり下ろし、真の王家の血を引くヒストリア・レイスを即位させる……と同時に、ロッド・レイスら王政の中枢を尋問して『始祖』の力の全容を解明する。それ以外に『壁内人類』に生き残る道はありません」

 

 全てを聞き終えたピクシスが顎髭をさする。

 

「その為には王宮とレイス卿、双方を同時に抑える必要がある……か」

 

「ええ。もちろん、武力で強引に制圧したって民衆の支持は得られないでしょうから、やり方は慎重を期さねばなりません。ただ、その二つが王政の心臓です。そこさえ落とせば、王政の息の根を止めることは叶いましょう」

 

「……民衆の支持というのが厄介だな」

 

 ジルケが心底面倒くさそうに言い放った。

 

「『始祖』の力を使えば、民の記憶などいくらでも改竄できるんだ。多少無茶な手を使っても、後で書き換えればいいじゃないか」

 

「話聞いてた?」

 

 ハンジが心底呆れた顔をする。

 

「壁の中で争えば被害が想像すらできないってさっき言ったろ?それに、レイス卿が『始祖』の力の使い方を必ずしも知っているわけじゃない。彼だって『始祖』を又聞きでしか知らないはずなんだから」

 

「それはそうだが、下手な策を弄してクーデターそのものを潰される方が馬鹿げているだろう。いつまでも事態を先延ばしさせれるほど、エルディア人(われわれ)の寿命は長くないぞ?」

 

 焦り。ジルケの言葉の端々には、常に何かに追われているような焦燥感がある。彼女だけが、砂時計の残量を知っているかのようだ。

 

「手なら考えている」

 

 それまで沈黙を守っていたエルヴィンが静かに口を開いた。その声には、場を支配するだけの重みがあった。

 

「また大博打を打つことになるが……ジルケ、それを現実にするには君の力が必要だ。後で知恵を貸してくれないか」

 

「……流石は団長殿だ。仕事が早い」

 

「博打を打つのが好きなだけだ。ところでハンジ。レイス領領地の調査はどうなっている?」

 

「数日中には報告が届くはずだ。エレンの硬質化実験も並行して進めておくよ」

 

 ハンジは咳払いをして話題を戻す。

 

「さて。クーデターの概要は司令や師団長にご理解いただけたかと思います。ここで一つネックになる存在があります。中央憲兵です」

 

 その単語が出た瞬間、ナイルの肩が揺れた。

 

「……なぜ連中の名前が出てくるんだ」

 

「今朝方、兵舎内の一室でニック司祭が遺体で発見されました。その現場検証と見張りを行っていたのは、トロスト区所属の憲兵ではなく、ジェル・サネスという中央憲兵でした……いくらなんでもおかしいでしょう。普段王都にいる彼らがこんな最前線まで出てくるのには何らか意図があるはずだ。たとえば……」

 

「たとえば、なんだ?」

 

「兵団庇護下にある司祭の口封じとか。もっとも、その前に司祭が首を吊っていたので徒労に終わりましたがね。そう考えれば私を現場に立ち入らせた理由もなんとなくわかる。おそらく、私の様子を見て兵団がどこまで掴んでいるのか確かめようとしたのでしょう」

 

「……」

 

「『そんなことはありえない』と否定なさらないんですね?師団長、あなたなら詳しいはずです。中央憲兵とは、なんなのでしょうか」

 

 ナイルに視線が集まる。彼は観念したように息を吐き、固い面持ちで説明を始めた。

 

「我々が憲兵団の表の顔なら中央憲兵はその逆。指揮系統も違えば接点もない……我々から見ても何を考えてるのかわからん連中だ。ヤツらを公に取り締まる者など存在しないからな、何をやってもお咎め無しだ」

 

「王政の暗部……汚れ仕事を一手に担っているという理解でよろしいですか」

 

「その認識でいい。とにかくヤツらがそこまで表立って動くのは、それだけ上も必死ということを意味する。ヤツらと真正面からやり合えば、どれだけの死人が出ることか……」

 

「そうですか?私とエレンが参戦すれば、巨人狩りの経験のない兵士など訳ないと思いますが」

 

 再びジルケが口を挟むと、ナイルは声を荒げた。

 

「兵団が未知の巨人を飼っていることが露見すれば、王政側に格好の口実を与えてしまうだろ!エレンにしたって人類の利益になるから活かしているに過ぎない。貴様らが反乱なんぞに加担しようものなら一般兵だって我々に付いてこなくなるだろう!」

 

「では巨人の力抜きで考えてみましょう……そうだとしても、こちらの優勢に変わりありません。なにせ、我々には三兵団分の兵力があります。末端の兵士まで体制転覆の思想を共有することは難しいでしょうが、我々に同調する者は間違いなく中央憲兵より多いはず……つまり、数の暴力を振うことができる。巨人の力が無くとも、中央憲兵を黙らせられます」

 

「ふざけるな!双方それだけの数で戦闘を行えば、確実に民間人も戦火に巻き込まれるだろう!王政に不審を抱く勢力も一気に反兵団になりかねんぞ!人類憲章への抵触を口実とした地方貴族の反乱も考えられる」

 

「この期に及んで法や体面を気にするのですか。随分お行儀が良いですね」

 

「ジルケ!」

 

 ハンジが母親のように叱る。ジルケは不満げに肩を竦めて黙ったが、その瞳は「なぜ一番確実な方法をとらないのか」と語っていた。

 

「ともかくじゃ」

 

 ピクシスが重い口を開いた。

 

「我々駐屯兵団としては、エルヴィンの秘策とやらを聞くまではクーデターに乗りたくとも乗れん。可愛い部下と人類の命運を、勝算のない馬鹿げた大博打に賭けたくはないのでな」

 

「……憲兵団も同様だ。なにより、我々は王直下の組織。現フリッツ王への忠誠心が高い兵士も多い。武器を取るとしても一部精鋭に限られるだろう」

 

「そこは駐屯兵団も同じくじゃ。ま、王宮とレイス領の制圧だけならばそれだけの兵力があれば問題なかろう。ザックレーにも根回しすればより盤石じゃろうて。中央憲兵のヤツらは……言い出しっぺの調査兵団にでも頑張ってもらおうかの」

 

 かかか、とピクシスは愉快そうに哄笑した。 厄介ごとは全てエルヴィンへ。その無言の圧力に、エルヴィンとハンジは顔を見合わせて、どこか覚悟を決めたような曖昧な笑みを浮かべた。

 

「さてエルヴィン。お主も重々承知しておることじゃろうが、仮に今の王家が偽物だと宣言したところで、その日のパンを得るのに手一杯な民にはどうだってよいじゃろう。むしろ、変化を恐れる者が多数のはずじゃ」

 

「ええ。司令のおっしゃる通りです。民衆とてそこまで従順ではありません」

 

「左様。兵団が真の王家を擁したところで、反発を招くことは目に見えておる――その上でじゃ。お主の秘策……血を流すことなく、民意を味方につけて体制転覆を行う方法を聞かせてもらおうかのう」

 

 ピクシスは試すような視線を投げる。一瞬の静寂の後、エルヴィンは静かに切り出した。

 

「秘策というほど大袈裟ではありませんが……いくつか思い付いたことがあります。具体的にはーー」

 

 エルヴィンがその計画の全貌を語るにつれて、その場にいる者たちの表情が凍りついていく。ナイルはあんぐりと口を開け、ハンジでさえ目を輝かせつつも冷や汗を拭った。

 

 ただ一人、ジルケだけが肩を小刻みに震わせていた。

 

「ーーということを考えています。ジルケ、君の目から見て問題はあるか?特に巨人の性質について、専門家としての意見が欲しい」

 

 全員がそのあまりに大胆な発想に呆然とする中、ジルケは堪えきれないといった様子で手を叩き、笑い出した。

 

「ははっ……!ほんっっっとうに面白いな!今まで色んな人間を見てきたが、団長殿ほどぶっ飛んだ者は誰一人としていない!」

 

「……そうか。褒め言葉として受け取っておこう」

 

「どうだ、団長殿?この先もしマーレに渡ることがあれば、是非とも革命軍に入ってくれないか?」

 

「革命軍は既に無くなったんじゃないのか?」

 

「あ、そうだった……私が悪魔の島(ここ)にいるってことは多分壊滅してるだろうなーーだったら、私と一緒に反マーレ組織を立ち上げよう!かつての革命軍をも超える組織を作れるはずだ!」

 

 一人盛り上がるジルケに、エルヴィンはやれやれと呆れを含んだ視線を返しつつ、議論を戻した。

 

「で、どうなんだ。私の語った博打は。現実的か?」

 

「……賭けてみる可能性は大いにあるな。しかも今回は住民がまだ数多く残っているトロスト区でやるんだろう?いくら報道機関を押さえた王政側であろうと、揉み消しきれない」

 

 まさしく箝口令を敷いていたにも関わらず、エレンが巨人であることを隠し通せなかったように。ジルケの裏付けを得て、エルヴィンは満足げに頷いた。

 

「どうです?ピクシス司令、お気に召しました?」

 

「ふむ……」

 

 ピクシスは腕を組み、半ば納得・半ば不安げな顔で天井を仰いだ。

 

「まあ、よかろう。エルヴィン、お主の提案に乗ろう」

 

「しょ、正気ですか!?失敗すれば我々だけでなく『壁内人類』が滅亡しかねませんよ!?」

 

「手をこまねけばどうせ滅ぼされるだけじゃろて。なにより今の腑抜けた王政に我々エルディア人の命運は託せん。そこの魔女の言葉を借りればな」

 

 ピクシスが悪戯っぽくジルケを向くと、彼女は不快そうに顔を歪めた。『ジジイが色目を使うな』とでも言わんばかりに。

 

「……ま、元より連中が秘密にしていたことを明るみに出すだけじゃわい。それほど大騒ぎすることもなかろう」

 

「しかし……」

 

「いい加減腹を括れい。大勢の血を見ずに済む方法が提示された以上、それに乗るのが最善じゃろう」

 

 なにより、とピクシスは低くドスの利いた声で付け加えた。

 

「ワシら『壁内人類』は運命共同体。その頭が勝手に滅びを許容しておるのじゃぞ?声を上げねば、ワシらは何も知らぬまま死んでしまうだけじゃ。お主の大事な家族もな」

 

 強く拳を握りしめるナイル。自身の妻と娘の顔が脳裏をよぎったのだろう。しばしの葛藤の後、彼は苦虫を噛み潰したような顔で、しかし力強く頷いた。

 

「……わかりました。表立っては動けませんが、やれる限りエルヴィンの策に協力いたします」

 

 かくして三兵団のトップの意思は統一された。 張り詰めた空気が少しだけ緩んだ隙に、ピクシスは改めてジルケに向き直った。

 

「……少し気が早いが、『その後』の話をしてもよいかの。クルーガ君」

 

「なんです、司令殿?」

 

「このクーデターが成功し、我々兵団が『始祖』の力を掌握したとしよう。その後、お主はどうするつもりじゃ?世界に対して『地鳴らし』とやらを行うつもりか?」

 

 『地鳴らし』。その脅威はジルケによって語られたものであるが、ピクシス達の想像を絶するものだ。

 

 世界を超大型巨人で踏み鳴らし、文明ごと消し去る究極の破壊兵器。そんな超暴力が存在する以上、壁外の人間が『壁内人類』を恐れるのも仕方ない部分がある、とはピクシスですら思ったことだ。

 

 そして彼女ならば――エルディア復権を使命とする彼女ならば躊躇なく『地鳴らし』をやりかねない。それはピクシスのみならず、エルヴィンやハンジも等しく抱く懸念であった。

 

「なんだ、そんなことですか。やけに神妙な顔をなさるから、変なこと考えてるのかと思いましたよ」

 

 しかし、ジルケの返答は拍子抜けするほど淡々としていた。

 

「限定的にではありますが、『地鳴らし』を行使する必要はありますね。私が知っているのは何年も前のマーレですが、彼の国で軍事技術が発展しきる前にその脅威を見せつけ、マーレご自慢の軍事施設と兵器の数々を踏み潰さなければなりません。そうでもしなければ、ヤツらは何度でも『始祖』を奪いに侵攻を続けるでしょう」

 

 てっきりピクシスは、ジルケが『地鳴らし』ですべてを平らにし、この島以外の人類を根絶やしにする気でいるのかと危惧していた。その考えを口にすると、彼女は心外だとばかりに首を横に振った。

 

「島の外にどれだけのエルディア人がいると思ってるんですか?今なお収容区で苦しむ彼らの解放こそ私の理想であって、超大型巨人によって踏み潰された世界など私からすれば地獄そのものだ。こんな私にだって、少なからず故郷への郷愁はあります」

 

 言われてみれば道理ではある。『壁内人類』からすれば、壁外は全て『敵』でしかない。しかし外の世界で生まれ育った彼女にとって、そこには憎むべき敵と、救うべき同胞の双方が混在しているのだ。

 

「一旦はその言葉を信じるとしよう」

 

「ありがとうございます。ああ、でもーーゆくゆくはマーレを滅ぼします。必ず」

 

「その過程で故郷が踏み潰されてもか?」

 

「はい。それだけは譲れません」

 

 断固たる声だった。迷いも、揺らぎも微塵もない。

 その強烈な殺意の発生源を探るように、突然エルヴィンが問いかけた。

 

「ジルケ。君はなぜそこまでマーレを憎む?一体何が君を突き動かしているんだ?」

 

「100年前の巨人大戦でマーレが戦勝国となって以降、あの国ではエルディア人の迫害が国策として続けられてきた。マーレに付き従うかのように、世界各国でも同様ーーいや、マーレが巨人の力で植民地を広げるほど、よりエルディア人への風当たりは強くなっていった。つまりだ、今のエルディア人の惨状はマーレによって生み出されたと言っていい」

 

「歴史的な大義名分だけが理由ではないだろう。君の瞳はまさしくこの世を焼きばかりの憎悪で溢れている。もっと……個人的な理由もあるんじゃないのか?」

 

「……ああ、ある。吐き気を催すような――片時たりとも忘れたことのない思い出が。ははっ、団長殿の前では隠し事もおいそれとできないな」

 

 ジルケは憎悪を抑えるかのように息を吐き、視線を少し下げた。

 

「私の両親は革命軍に所属していてな、ルーツを辿ればエルディア帝国時代の有力貴族に遡る。他のメンバーに比べれば穏健な考えを持ってこそいたものの、血筋のおかげで幹部に抜擢された……当人達は渋々だったがな。革命とは程遠い、穏やかな人達だったよ」

 

 幼い時は母とままごとでもしたっけ、とジルケは遠い目をしてぽつりと溢す。

 

「だが、そんなある日……組織から裏切り者が出た。そいつは革命軍のアジトをマーレ当局に垂れ込み……その結果、多くの同胞は『楽園送り』にされ、私の両親に至っては生きたまま焼き殺された。私が真相を知らされたのは焼け落ちるアジトを見た時だった」

 

 燃え盛る屋敷が脳裏をよぎっただろうか、彼女はそれを振り払うように被りを振った。

 

「まあ、その後は革命軍の残党に育てられて現在に——っていうには20年以上のズレがあるが、今に至る感じだな」

 

「なるほど……」

 

「この程度の悲劇、エルディア人なら珍しくもなんともない」

 

「……相変わらず夢の無いことばかり教えてくれるな」

 

「『壁内人類』には見当もつかないだろうな。大陸のエルディア人がどれほど惨めな生活を送っているのか……狭い収容区に閉じ込められ、外出許可証無しには一歩も壁の外へ出られず、家畜以下の扱いを受けている。ただ生まれてきただけで、そんな理不尽が罷り通っているんだ——許せない」

 

  壁内人類(エルヴィンたち)は黙って壁外人類(ジルケ)の言葉に耳を傾けるしかなかった。その激情は、人種差別という概念が希薄な彼らには遠い世界の話のように聞こえた。

 

「私はね、同胞に誇りをもって自由に生きてほしいんだ。その為にはエルディア人同士が団結し、世界の理不尽から身を守る盾を持たねばならない……強力な武力たる『始祖の巨人』と2000年来の歴史を持つ王家。それらを軸としたエルディア人国家の樹立、すなわちエルディア帝国の復活こそが全ての同胞に自由と誇りをもたらすんだ!」

 

 ジルケの言葉に熱っぽさが混じる。

 

「そして帝国復活の障害となる壁の王とマーレ……ヤツらを駆逐するまで私は決して歩みを止めない!決してだ!!」

 

「……君の考えはよくわかったが、その上で聞きたい。君はマーレを滅ぼし、エルディア帝国を復活させるという夢を叶えた後、何をしたい?」

 

 ジルケが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「そんなことを知って何になるんだ?」

 

「君の話によれば、世界各国でエルディア人は憎まれているんだろう。マーレを滅ぼしても、エルディア人への迫害は終わらないはずだ」

 

「まあ、確かにそれはそうだが……そこまで行くと、国家運営どうこうの話だろう。指導者という柄でもないし私の出る幕じゃないな。私に外交を求められても困る」

 

「マーレ以外の国々も巨人の力で押さえつければ、迫害は完全に無くなるとは思わないか」

 

「本気で言っているのか?狭い壁内で暮らしてきた人間の発想をするなんて……団長らしくないな。外の世界には多様な国家、文化、人種、宗教があることぐらい、アンタなら想像がつくだろう。100年前ならいざ知らず、今日(こんにち)の文明社会を巨人の力だけで服従させるなんて土台無理だ。『地鳴らし』で世界の全てを更地にすれば話は別だが……それは私の望みじゃない」

 

 ジルケがピクシス達『壁内人類』にとって危険な存在となり得ることに違いはない。しかし、想定していたよりも広い視野を持っていることも認めざるを得なかった。

 

「……ならば、君の夢の果てはなんだ?」

 

 ここにきてようやく、ジルケのみならずハンジやナイルも不思議そうな顔をした。執拗なまでに『その後』を問うエルヴィンには、一種の薄気味悪ささえ漂っていた。

 

 だが、ピクシスだけは彼の真意を別の角度から感じ取っていた。

 

『壁の外に人類がいると知って私はガッカリした』

 

 先日のエルヴィンの独白が蘇る。 彼は八つ当たりをしているのではないか。自分の夢が、残酷な現実の確認で終わってしまった虚無感。それを、同じく壮大な夢に燃えるジルケにぶつけているのではないか。

 

 お前はどうなんだ。復讐を果たし、国を興したその先にお前という人間を生かす『夢』は残っているのか。それともお前も、私と同じように目的を果たした瞬間に燃え尽きるのか――。

 

 自分の夢を壊した張本人に、自身と同じ気分を少しでも味合わせようとしているのではないか。ピクシスはなんともなしにそう思った。

 

 ジルケはふんと鼻を鳴らし、「考えたこともないな」と吐き捨てた。エルディア復権という使命以外を些末な事として断じる、彼女らしい答えだった。

 

 そこで会話は終わったかに見えた。重い沈黙が場を支配する。だが、ピクシスはその凪いだ時間の隙間に、彼女の変調を見て取った。

 

 ふと、ジルケの視線が中空を彷徨った。何かを思い出したかのように嘆息した後、視線はやがて自身の手元に落ちた。

 

 無意識なのだろうか、彼女は左手の薬指にはまった銀色の指輪を、親指の腹で何度かそっとなぞった。そこに残る微かな温もりを確かめるように。

 

「でも……少し、ほんの少しだけど」

 

 その仕草は、触れれば砕けてしまいそうな薄氷を扱うように繊細で、どこか縋るような弱さを孕んでいた。

 

「……ごく普通の家庭を持てたらいいなって……たまに思ったりしてる、かな」

 

 独白と共に彼女が纏っていた鋭い覇気も、その瞬間だけ霧散した。そこにいたのは復讐者でも革命家でもなく、ただの「ジルケ」という一人の女性だった。

 

 復讐に焼かれず、ただ愛する者と食卓を囲む。そんな当たり前の幸福を夢見る姿。だが、その柔らかな時間は瞬きほどの刹那だった。

 

 ジルケはすぐに「……もう諦めたけどな」と口の端を歪めると、短く息を吐き出した。

 

 次に顔を上げた時、先程の儚げな姿など最初から存在しなかったかのように、そこにはいつもの冷徹な瞳があった。

 

「マーレを滅ぼしてから考えてみるさ。案外、国家運営に向いてるかもしれんし、別に指導者層に加わらなくてもいくらでも道はある……団長殿?」

 

 ジルケは目の前の男に声をかけた。エルヴィンが、虚を突かれたような顔で彼女を見つめていたのだ。

 

 数秒の沈黙の後、エルヴィンはどこか安堵したように、微かに笑った。

 

「あまりに予想外の答えだったから思わず、な。不躾な質問の数々を済まなかった。君の本心を知れて本当に良かったよ」

 

「……よくわからんが、団長殿が満足してくれたならなによりだ」

 

「この際、『団長殿』はやめてくれないか?クーデターを画策する悪党同士、対等に呼び合おうじゃないか」

 

 エルヴィンが右手を差し出す。ジルケは面食らったように目を瞬かせ、次いでその手を、まるで得体の知れない罠でも見るかのような胡乱な目つきで見下ろした。

 

「……さっきから一体どうしたんだ。ふざけているのか?」

 

「私はいつだって本気だ」

 

 真剣な眼差しで見返され、ジルケは毒気を抜かれたように溜息をついた。彼女は躊躇いつつも、恐る恐るその手を握り返す。

 

「……わかった。これからよろしく頼むよ、エルヴィン」

 

「こちらこそ。頼りにしてるぞ、ジル」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 トロスト区には、未だ巨人襲来の爪痕が生々しく刻まれていた。 瓦礫の山と化した廃墟同然の街並み。そこに灯る明かりは疎らで、夜の帳はどこまでも深く、重苦しく垂れ込んでいる。

 

「だからこそ俺たち無法者の味方ってわけだ」

 

 建物の屋根、夜の闇に溶け込むような黒いロングコートを羽織った男――中央第一憲兵団対人立体機動部隊隊長にして、実質的な中央憲兵の頂点に君臨するケニー・アッカーマンが独りごちた。  

 その隣に控える副官トラウテ・カーフェンは、感情を削ぎ落とした表情で答えた。

 

「無法者はアッカーマン隊長だけですよ。こう見えて私、中央憲兵に配属される前は同期一の優等生でしたから」

 

「つれねぇこと言うなよ。テメェも十分悪党だろうが」

 

 軽口を叩きながらも、トラウテの神経は鋭く研ぎ澄まされていた。彼女の視線は闇の底、静まり返った街路を油断なく走査している。  

 

 今回の任務は極秘中の極秘だ。対象は憲兵団師団長ナイル・ドーク。表向きの治安維持組織のトップを、裏の治安組織が拘束する。一歩間違えれば組織間の争いになりかねない危険な賭けだ。

 

「しかし……本当にナイル・ドークを拘束してしまって問題ないのですか?事が露見すれば、表の憲兵団と全面対立しかねませんよ」

 

「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ。ま、仮にバレたとしてもだ。誰が俺たちを裁くってんだ?議会の爺さん共か?それともお飾りの王様か?」

 

 ケニーは鼻で笑い、自身の首元を親指でなぞった。

 

「この壁の中じゃあ、中央憲兵(おれたち)が法であり秩序だ。文句がある奴はその喉笛を掻き切って黙らせる。今までそうやって平和を維持してきたじゃねぇか」

 

「それはそうですが……相手は憲兵団の師団長です。揉み消すにしても骨が折れます」

 

「ま、そこは腕の見せ所だろ」

 

 ケニーはニヤリと笑うと、すぐにその表情を引き締め、真剣な眼差しを暗闇に向けた。

 

「……なにより兵団は何かを企んでやがる」

 

「ストヘス区に現れた謎の巨人の件、ですか」

 

「ああ。そいつを調査兵団の連中が取り押さえている所、その巨人の本体が先の鎧討伐作戦から帰還したという目撃情報があった。当然、憲兵団にも話は行ってるはずだが、どういうわけか連中はその情報を無視……いや、握り潰してやがる」

 

「つまり調査兵団が極秘にその巨人を飼っていて、憲兵団もその状況を黙認している……本来なら真っ先に騒ぎ立てるはずなのに。確かに妙ですね」

 

「そうだ。ナイルがわざわざトロスト区まで出向いて、ピクシスやエルヴィンと密談を行っている点も含めてな」

 

 ケニーは忌々しげに舌打ちをした。その瞳の奥には、獲物を狙う猛禽類のような冷たい光が宿っている。

 

「兵団の連中が良からぬことを考えている可能性が極めて高い。ピクシスやエルヴィンがトロスト区内に引き篭もって出てこねぇとなりゃ、ウォール・シーナで表の顔を通さざるを得ないナイルを狙うっきゃねぇだろ……って、この話は王都を出る前にもしたじゃねぇか」

 

「改めての確認です。それに、私は隊長の行動にも疑問を感じています」

 

「俺?」

 

「ええ。隊長は今回の作戦を、議会はおろか他の中央憲兵にも隠している。本来なら私だけでなく、何人もの人員を用意すべき案件なのに……です」

 

 その瞬間ケニーの纏う気配が変わり、場の空気が凍りついた。秘密に立ち入った者は決して容赦しない――そんな無言の圧力が刃物のようにトラウテの肌を刺した。冷や汗が頬を伝った。

 

 だが、ここで引くわけにはいかない。彼女は喉の渇きを覚えながらも、意を決して問いかけた。

 

「……あなたは何を考えているのですか?本心を聞かせてください」

 

 しばしの沈黙。夜風が廃墟の隙間を抜け、ヒュオオと不気味な音を立てる。

 

 ケニーは懐から煙草を取り出す仕草を見せたが、すぐに思い直して手を下ろした。彼はトラウテをじっと見下ろし、値踏みするように目を細める。

 

「珍しいな、お前が突っかかってくるなんて……寿命を縮めることになっても知りたいのか?」

 

「構いません。私はあなたに命を捧げています」

 

「……へっ、殊勝なこった」

 

 ケニーはふっと肩の力を抜いた。張り詰めていた殺気が霧散し、いつもの飄々とした雰囲気が戻る。

 

「別にどうってことねぇよ。ただ、俺の『大いなる夢』の為に必要なことってだけだ」

 

「夢、ですか」

 

「ああ」

 

 ケニーは自嘲気味に笑うと遠い目をした。ここではない何処か、もう二度と戻らない過去を見つめるような、酷く乾いた瞳だった。

 

「昔のダチによ、カミサマみてぇな奴がいたんだ。この世の全てを知っているような野郎でな、奴と話してると俺まで聖人の仲間入りしたような気分にさせてくれる……スカした奴だったよ」

 

「……意外ですね。隊長に友達がいたんですか」

 

「茶化すんじゃねぇよ。結局奴から真実を聞き出すことは叶わなかった。その前に奴が死んじまったからな。ま、奴が長生きしていても教えてくれなかっただろうが」

 

「さっきから何が言いたいんです?昔話に花を咲かせたいんですか?」

 

「兵団の連中は、ダチが死ぬまで隠しておきたかった真実――この世界がどうなっているのかを知っているかもしれねぇってこった。謎の巨人を通して、な」

 

 トラウテは息を呑んだ。外の世界を探ろうとすることは、壁内における最大のタブーだ。トラウテ達中央憲兵はそれを徹底的に隠蔽し、探る者を排除する側にいる。  

 

 それなのにその実行部隊の長であり、王政の番犬たるケニー自身が禁忌の知識を求めているというのか。

 

「なんにせよ兵団の連中に話を聞く必要があるってわけだ。おっと、噂をしてたらお出ましのようだな」

 

 ケニーの視線の先、石畳の道を一台の馬車が近寄ってくる。窓からはナイル・ドークが眉間に皺を寄せ、難しい顔で座っているのが見えた。

 

「予想通りウォール・ローゼ東区にある自宅ではなく、シーナの職場に戻るつもりだな。ったく、家族ほっぽり出して家畜のように働くなんて何が楽しいのかねぇ」

 

「我々も人のこと言えませんよ。とっとと終わらせて中央に戻りましょう」

 

 トラウテが対人立体機動装置のトリガーに手をかけ、跳躍しようとしたその瞬間。ガシッ、と無骨な手が彼女の腕を掴んだ。

 

「待て。妙な音がしねぇか」

 

「……いえ、何も聞こえませんが」

 

「なら耳を澄ませ」

 

 有無を言わせぬ低い声。トラウテは大人しく従い、神経を集中させた。

 

 風の音、馬車の車輪が回る音。その向こう側から、微かだが確かに聞こえる異音があった。  

 

 プシュッ、プシュッ。高圧縮されたガスが噴出する、聞き馴染みある音を彼女の耳は捉えた。

 

「これは……立体機動?どこの馬鹿がこんな街中で……」

 

「あれを見ろ」

 

 ケニーが顎で示した先の屋根を、数人の影が疾走していた。  

 闇に紛れているが、その動きには一切の無駄がない。彼らは一定の距離を保ちながら、ナイルの馬車を追っている。さながら尾行だ。  

 

 だが、更に奇妙なのはその所属だ。影が纏う制服の背には、一対の薔薇の紋章が見て取れた。

 

 トラウテの疑問を察したのか、ケニーがニタニタと笑いながら解説を添える。

 

「ありゃあ駐屯兵団の精鋭班だ。あの武装体勢を見るに、目的はナイルの護衛に違いねぇ。本人が後方を意識している様子もねぇから、おそらく当人の知らねーところで付けられたんだろう」

 

 ケニーの言う通り、一部の兵士は通常のブレードに加え、対人戦闘を想定した銃火器を携行している。だからこそ、トラウテの中の違和感は膨れ上がった。

 

「……何故、護衛対象からも逃れるようにコソコソしているのでしょうね。あれではもはや尾行です。それに駐屯兵が駆り出される理由も……」

 

「護衛の他に、監視をしてるんだろうよ」

 

 こともなげにケニーは言った。

 

「俺の予想だが、ピクシスの根城で何らかの会合が行われた際、その場に居合わせた()()がナイルの言動に不信感を抱いた。かと言って『テメェを怪しんでます』って直に言えば、憲兵団の長の反感を買うことになるだろ。だからコソコソと尾行紛いな護衛を付けてるってとこだな」

 

「誰か……?ピクシス司令ではないのですか?」

 

「指示したのは奴に違いねぇが、発案者は別だろうな。やり方があの古狸らしくねぇ。こんなねじくれた発想、どっちかつーと中央憲兵(おれたち)寄りだ」

 

「聞き捨てなりませんね」

 

 トラウテの抗議を無視し、ケニーは短く告げた。

 

「一旦引くぞ」

 

「いいんですか?精鋭といえど我々だけでも対処可能でしょう」

 

「あの人数分の死体を二人で隠蔽すんのは無理だ。ったく、あんなに護衛がいるなんて聞いてねぇぞ」

 

「隊長が私しか呼ばないからじゃないですか」

 

「うるせぇ。それにな、評判最悪な調査兵なら殺してもどうとでもなるが、住民との接点の多い駐屯兵だと話は別だ。調査兵に殺しの責任を押し付けたところで、調査兵団と駐屯兵団の距離感が近いことは誰もが知るところだろ」

 

「……ですね。揉み消そうと、中央に対する不信感は拭えないでしょう」

 

「そうだ。なにより俺にはあの護衛すら釣り餌のように見える」

 

「釣り餌?」

 

 トラウテが聞き返すとケニーは面白そうに答えた。

 

「ああ。あの護衛自体にも気付かれないように尾行が付けられている可能性が高い。二重尾行ってこったな。俺達が護衛を蹴散らせば、尾行してる連中に口実を与えることになっちまう。『憲兵が駐屯兵を殺していたぞ、どういうことだ』って具合に騒ぎ立てるだろうな」

 

 もし発案者がそこまで計算して人選し、駐屯兵を手駒のように扱っているのなら、確かに相当に性格が悪い。トラウテは先ほどのケニーの言葉を反芻し、苦々しく思った。

 

「これではナイルの家族を人質に取る策も望み薄ですね」

 

「ああ、十中八九先回りされてるな。ま、これで兵団が裏で動き出してるのは確定だ。早いところ奴らを潰さねぇと」

 

「となると、やはりエルヴィン・スミスが壁になってきますね。今回の護衛にしたって奴の案でしょうし」

 

「……順当にいきゃあそうだな。ただ、あの食えねぇ女なら――」

 

「女?」

 

「へっ、なんでもねぇよ。とっとと引き上げるぞ。エレンとヒストリアの居場所の特定も進めねぇとな」

 

 そう言って口元を歪めるケニーの横顔を見て、トラウテは一つの確信を得た。  

 

 この人は、何かを隠していると。 

 

 元々ケニーは秘密主義であり、自身のことを話したがらない男だ。トラウテだって、彼が掲げる『大いなる夢』の全容など全く知らない。

 よくもまあ、そんな不確かなものに人生を賭けて付き従っているものだと、自嘲めいた笑いが込み上げてくる。

 

 しかし今回彼がひた隠しにしたものは普段とはどこか違う、得体の知れない空気を感じさせた。

 

(ま、どうだっていいか)

 

 トラウテは思考を打ち切った。  

 

 世界を根底から覆すというケニーの『大いなる夢』。その実現こそが、今の彼女の生きる指針なのだ。たとえ彼が何を隠していようと、地獄の底まで付き従う覚悟はとうにできている。

 

 銀髪に眼鏡をかけた女と、金髪にちょび髭を生やした男。その二人の駐屯兵が、部下らしき者達を引き連れ、夜の街を密かに跳躍していく。

 そこから遅れること数分、ケニーの推測通り何人かの兵士が彼らの後を追っていた。

 

 その光景をケニーはどこか楽しそうに、自分と同類の匂いを嗅ぎつけた獣のような目で、遠巻きに見送っていた。




トラウテはオリキャラではありません。王政編の終盤にレイス領地下領域でハンジ達と戦った際に、中央憲兵側のリーダーを務めていたクール系美女です。
中央憲兵の中だとサネスの次くらいには印象に残るキャラだと思います(1位はぶっちぎりでケニー)
なお彼女の名前は原作では明かされておらず、キャラクター名鑑にてようやく判明します。

どこが舞台の閑話が良い?(なるべく原作ネームドキャラを登場させる予定)

  • 革命軍
  • レベリオの市民病院
  • マーレ軍病院
  • ヒィズル国
  • ウォール教開拓地
  • 訓練兵団
  • 調査兵団(王政編後)
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