エレンの妻です   作:ホワイト3

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38:茶番

「ジル先生……私、訓練兵団に行きたい」

 

 青い瞳の少女が真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 暖炉で静かにはぜる薪の音が、重苦しい沈黙を埋めていく。

 

 どこからか微かに甘い香りが漂ってくる。ハーブティーだろうか。

 だが、どんな葉を、どう淹れればこんな香りになるのか。私にはわからない。

 

 医学や解剖学、歴史や巨人化学ならいくらでも語れる。それなのに日常生活のこととなると私はからっきしだった。

 

(……不思議な気分だ)

 

 私は、この光景を少し高い場所から見下ろしているような感覚だった。

 これは肉体が刻んだ記憶であって、私自身が経験したものではない。

 

 「シュタイナー」という別の人格が築いた、あまりにも穏やかで、あまりにも人間的な時間の残滓だった。

 

 少女は震える声で、己の胸の内を吐露していく。

 

「『いらない子』じゃなくて、誰かに必要とされたいの……!」

 

 自由と誇りを持ちたいという切実な願い。その瞳に宿る意志の強さは、かつてエルディア復権を夢見た者たちのそれと、驚くほどよく似ていた。

 人間の心は、誰にも抑えることはできない。私には、この少女を否定することなどできなかった。

 

「あなたは自由よ」

 

 ぽつりと、私の唇が言葉を紡ぐ。それを聞いた少女――ヒストリアはきょとんとした後、にへらと顔を崩して笑った。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 意識が覚醒すると、視界は薄暗い石造りの天井に覆われていた。

 湿った空気とカビの臭い。以前、ストヘス区で拘束された地下牢とよく似ているが、空気の澱み方が違う。

 

(さっきの夢は……そうか、あれはヒストリアの……)

 

 意識が急速に現実へ戻る。

 

 そうだ、私は壁の上で、あの奇妙な武器を使う連中に敗北したのだ。

 爆発の後、金髪の女兵士に担がれて――ここは、奴らの拠点だろうか。

 

「よう、お目覚めか」

 

 不意に、しゃがれた男の声が響く。

 鉄格子の向こう。薄暗い通路に置かれた椅子に、黒い帽子の男がふんぞり返るように腰掛けていた。帽子のつばの影に、目だけが光る。

 

 ニヤニヤと口角を吊り上げ、獲物を品定めするような視線が私に向けられた。

 

「三年ぶりだな、ジルケ・シュタイナー。ちょいとやつれたか?」

 

 男は旧知の仲のように語り掛けてくるが、私の記憶にこの男の顔はない。

 おそらくニック司祭と同じ、シュタイナーの知り合いだろう。

 

(シュタイナーはどうしてこう……無駄に顔が広いんだ)

 

 しかも、どいつもこいつも一癖二癖ありそうな人種ばかり。アルミンやヒストリア達が慕っていた「優しいジル先生」のどこに、こんなゴロツキを引き寄せる要素があったというのか。

 

 私はあえて何も答えず、痛む身体を起こして周囲を見渡した。

 

 ジャラリと重い金属音が響く。両手首には冷たい手錠が食い込んだ。鎖の長さは膝元までしか許していない。自由を奪うには十分だ。

 

 この短期間で二度も牢に入れられるとは、我ながら情けない。溜息が勝手に出た。

 

 私の反応をどう受け取ったのか、男は愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「おいおい、無視かよ。そんなに俺のことが嫌いか?それともアレか、ニックの酒飲みが死んだのをまだ悲しんでんのか?」

 

 なぜニック司祭の名が出るのか、という疑問はひとまず飲み込む。

 立体機動を操っていた点からも、この男が兵団関係者――それも中央憲兵であることは察しがつく。

 

 最悪なのは、目の前の憲兵にこちらの手の内を読まれることだ。ヒストリアの素性も、クーデターの意図も悟られれば終わる。

 不用意な発言は命取りになる。相手の狙いを見極めるまで、慎重に立ち回らねばならない。

 

「……ええ、そうですね。司祭には随分よくしてもらいましたから」

 

「そう言う割には、涙の一滴も出なさそうだがな」

 

 男は靴底で床を叩き、私を観察するように目を細めた。

 

「それにしても驚いたぜ。壁の上であんたが巨人化した時はよぉ……以前、『顎が巨大に発達した謎の巨人』のうなじから『ある女』が出てきたのを目撃した兵士がいてな。その女の特徴を聞いた時、まさかとは思ったが……」

 

 やはり、兵士個人の口までは完全に防げないということか。内心歯噛みする。

 衆目の前で巨人化したことは何度かある。ストヘス区、ウォール・ローゼの壁上、あるいは鎧討伐作戦時。そのいずれかのタイミングで目撃されたのだろう。

 

 私が沈黙を保っていても、男は饒舌に情報を垂れ流していく。

 いや、これは揺さぶりだ。こちらの動揺を観察しているに違いない。この男がわざわざ隙を見せる理由などそれしか考えられない。

 

「おっと、言っとくが巨人化しようとしても無駄だぜ?ここは地下深くの牢だ。テメェの巨人は小せえが、それでも身動きが取れなくなるのがオチだ」

 

 釘を刺すような言葉。

 私は手錠の感触を確かめながら、頭の中で計算を回す。男が小型爆弾を持っていたように、私にも奥の手がある。

 

 部分的な巨人化――腕一本だけでも形成すれば、この鉄格子など紙細工も同然だ。男が「鳥籠の中に閉じ込めている」と油断している隙に、脱走ついでにこの危険な男の首を刈ることも可能かもしれない。

 

(……だが、あまりに分が悪い賭けだな)

 

 私にあるのは知識だけだ。経験はない。部分的な巨人化をぶっつけ本番で成功させるには、マーレの戦士並の熟練度が必要だろう。

 よしんば成功したとしても、制御を誤れば地下牢ごと自滅しかねない。

 

 後回しにしていたが、やはり私もエレンと一緒に巨人化実験を受けておくべきだったかもしれない……

 

 それに、目の前の男……リラックスしているように見えて、指先はいつでも獲物を仕留められる位置にある。

 あの異常な反射速度を相手にすれは、自傷行為の瞬間に眉間を撃ち抜かれるのが関の山だろう。

 

(武力突破は悪手か。今は情報収集だな)

 

 私がチラリと様子を伺った時、男は椅子から身を乗り出し、鉄格子越しに顔を近づけてきた。双眸が私の瞳の奥を覗き込む。

 

「……おい、一つ聞かせろ。その巨人の力ってやつは、テメェの『中身』まで変えちまうのか?」

 

「……どういう意味です?」

 

「そのまんまの意味だよ。前会った時は、もっとお人好しで、虫も殺せねぇようなツラをしてたはずだ。だが、今のテメェからは人殺しも上等って雰囲気を感じる。ま、前は前で何考えてっかわからねぇ奴だったが…… 巨人の力は人格まで別人に作り変えるのか?」

 

 男の指摘は驚くほど核心を突いていた。やはり単なるゴロツキではあるまい。

 

「……三年という月日は、人を変えるのに十分ではありませんか?」

 

「あの女が何年経ったところで、テメェみてぇなツラにはならねぇよ。答えろ、テメェは何者だ」

 

 これ以上、人格の件を隠し立てるのは無理だ。この男は、直感で私とシュタイナーの違いを嗅ぎ取っている。下手に誤魔化せば、この男の我慢の限界が先に来る。

 

 どこまで話すべきか考えあぐねつつ私が口を開こうとしたその時、足音が響いた。

 

「アッカーマン隊長」

 

 私を連れ去った金髪の女が地下牢へ入ってくる。彼女は私の姿を一瞥した後、男の背後に立った。

 

「エルヴィンが出頭命令に応じました。調査兵団の残りの面々も続々と投降しています。近日中には事実上も名簿上も調査兵団は消滅するでしょう」

 

「けっ、ざまあねぇな。それでリヴァイはどうした?」

 

「……依然として行方不明です。全力で捜査にあたっていますが、奴は奇襲を受けたにも関わらず、我々の仲間を十名以上殺害しています。仮に見つけたとしても、隊長が出向かない限りは……。それにピクシスやナイルも不穏な動きを見せています」

 

「あのどチビならほっとけ。奴の動きはだいたい予想がつく」

 

 

 暗に「尋問を早く終わらせろ」と、女の目が告げていた。

 まずい。外の状況は予想以上に切迫しているようだ。

 

 エルヴィンが謀殺されれば、対マーレ戦における貴重な知将を失う。

 それにエレンとヒストリアはどうなった?ハンジ達は?

 

(くそ、考えがまとまらん……)

 

 動揺を押し殺し、思考を巡らせる。その時、ある記憶が鮮明に蘇った。

 

『上への報告は無しですか?』

 

 気絶する直前、女が言っていた言葉だ。

 

(もし、私の予想が正しければ……こいつは私を捕らえたことを王政に報告していない。独断で隠匿している)

 

 単なる王の犬ならば、巨人の力を有する私を即座に中央へ引き渡すのが義務。それをしないということは、こいつは飼い主に対して隠し事をしている。忠誠心以外の何か――別の野心で動いている証拠ではないか。

 

 それに、先ほどのやり取りで私の神経を逆撫でした単語がある。

 

(アッカーマン……か)

 

 先の奪還作戦後、ミカサにはいくつか確認したことがある。アッカーマンとしての力やその目覚めに留まらず、壁内でどのような扱いを受けていたのかを。

 革命軍にいた頃から、その名は知識として知っていた。『巨人化学の副産物』にして、王家の懐刀と謳われた伝説の一族。

 だが、ミカサの語った事実は、私の知るそれとは異なる惨めなものだった。「父の生家・アッカーマン家は、都市部で激しい迫害を受けていた」と。

 

「さてと。ジルケ・シュタイナー、もう一度聞くぜ?テメェは何者だ?」

 

 部下の女を一歩下がらせて男は本題に戻った。

 

「……信じがたい話でしょうが、私の中には二つの人格が混在しています」

 

 私は声を低め、男を真っ直ぐに見据えた。男の眉がわずかに動く。

 

「二十年以上前、私の意識は眠りにつきました。そして、つい最近目覚めたばかりです。貴方が三年前に会った『ジルケ・シュタイナー』は、私が眠っている間に活動していた別の人格でしょう。だから、貴方とは今日が初対面です」

 

 沈黙が流れた。男は数秒間、私の顔をじっと見つめていたが、やがて乾いた笑い声を上げた。口元は笑っているのに、目は乾いていた。

 

「ハッ!人格が二つだぁ?まさか、そんな馬鹿げた言い訳を信じろってのか」

 

「……信じるか信じないかは、あんたの自由だ。だが、今の私が『あの女』ではないことくらい、あんた自身が一番よく分かっているはずだ」

 

 唐突に口調を変えた私に、男は口を歪めた。呆れたような、しかしどこか得体の知れないものを楽しむような笑みだ。

 

「ところでアッカーマンさん、あんたはリヴァイと知り合いなのか?」

 

「……ケニーでいいぜ。ま、確かに今のテメェから、あからさまな善人臭さを微塵も感じねぇが……その別人格様は、随分と図太い神経をしてんだな。この状況で俺に尋ね事とはよ」

 

「気になった事はすぐ調べるタチでね……リヴァイがあんたと同じアッカーマンの家系なら、あの人外じみた強さにも納得がいくってものさ」

 

「あ……?」

 

 その瞬間、ケニーの纏う空気が一変した。

 

「テメェ、俺達の何を知ってやがる?」

 

 微かに目を見開き、殺気が一気に膨れ上がる。それは明確な「肯定」だった。

 

(……面白い)

 

 ケニーへの恐怖よりも先に、どす黒い計算が脳を走った。

 

 アッカーマンの戦闘能力は、リヴァイとミカサが証明している。もし、この伝説の一族を我々の陣営に引き入れることができればどうだ?

 王政の戦力を削ぐだけでなく、将来的なマーレとの戦争においても最強の「矛」となる。

 

「ん?ああ、壁外では医者の他に巨人化学を齧っていてね。有名だよ、あんた達アッカーマン家は」

 

 ここだ。ここで畳み掛ける。私はかつて得た知識を、さも当然のことのように語ってやった。

 

「巨人化の実験過程で偶然生まれた、人の姿をしたまま巨人の力を一部引き出せる設計された一族。それが、あんたたちアッカーマンだ。生み出す過程でどれほどの犠牲が出たかは想像もつかないが……言うなれば、巨人化学の副産物だよ」

 

 檻越しに、男の動揺が伝わってくる。

 己の力の根源。血塗られたルーツ。なぜ自分がこれほどまでに暴力に長けているのか。

 

 その答えを知る者が、目の前にいる。ケニーは数秒の沈黙の後、低く笑った。

 

「ハッ!前から食えねぇ女だとは思っていたが……外の世界の人間だとはな。道理で普通のヤツとはちげぇ匂いがするはずだ」

 

「誉め言葉として受け取っておくよ。ついでに教えて欲しいのだが、エレンは今どうしている?」

 

「貴様!自分がどういう立場なのか分かっているのか!?」

 

 背後に控える女が緊張に身を固くしながら声を上げる。それを彼は手で制した。

 

「落ち着け。殺すのはいつだってできるんだ」

 

「し、しかし……」

 

「……ま、私も素直に教えてくれるとは思ってない。そこで、だ。取引をしよう。私は自分の正体と外の世界の情報を話すから、その代わりにエレンの状況を答えてくれ」

 

「俺が応じるとでも?」

 

「色々知りたいことがあるから、私はここにいるんじゃないのか?あんたも、ただ王の命令に従うだけの男ではないだろう」

 

 ケニーは口をゆがめる。

 しかし先ほどまでの余裕は消え失せ、その目は私を「獲物」ではなく「未知の存在」として対等に見ている。

 

「いいぜ」

 

 おそらく、この男に約束を守る気など微塵もないだろう。だが、私の話に夢中になり、時間を稼げればそれでいい。

 

 万が一の時は部分巨人化で賭けに出るまでだ。

 

「話してもらおうか、化け物女。つまんねぇ事聞かせやがったら頭にクソ詰め込むからな?」

 

「ジルケ・クルーガーだ。さて、ケニー・アッカーマン…… この『鳥籠』の正体と、その外側に広がる地獄の話をしようか。決して退屈させないと約束しよう」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 トラウテ・カーフェンは、檻に閉じ込められた女を凝視し、肌を刺すような悪寒を覚えていた。

 

 ジルケ・クルーガーと名乗ったその女の瞳には、慈悲など欠片もない。そこにあるのは、凍てつくような冷徹さと、目的のためなら世界すら焼き尽くしかねない狂気だった。

 

(違う……私はこの女が恐ろしいんじゃない)

 

 彼女の言葉が、自分の知る世界の形を変えてしまうことが怖かった。

 

「ーー以上が壁外の現実だ。どうだ?楽しかったか?」

 

 トラウテは言葉を失った。

 

 壁の中に巨人が埋まっているという事実なら、かつての上官ジェル・サネスから聞いたことがある。もっともサネスはその理由までは知らず、彼女自身も壁の中身などどうでもよかったので、深く考えてこなかった。

 

 まさかその背後にこれほどまで救いのない、残酷な歴史が横たわっているとは。

 

 もともと、腐敗した壁内の社会に希望など抱いてはいなかった。だがその外側にあるのが、自分たちを悪魔と呼んで根絶やしにしようとする巨大な悪意の塊だという事実は、あまりに重い。

 

 これなら、何も知らずにいた方が幸せだったのではと錯覚するほどであった。

 

 ふと、隊長の横顔を見る。

 ケニーは笑っていない。いつもなら弄ぶように指先を動かす癖すら止まり、帽子の影の奥で目だけが静かに光っていた。

 

「それでエレンはどうしている?約束通り教えてもらうぞ」

 

 ジルケの催促に、トラウテは震える指先で銃を構え直し、鋭く言い放った。

 

「……その内容、確実に調査兵団も知っているはずだ。隊長、四の五の言わずに兵団の連中を粛清しましょう。幸い、奴らの多くは既に出頭して牢の中です。そして――」

 

 トラウテは銃口を檻の奥へ向けた。

 

「この女も今すぐ始末すべきです。こいつがいる限り、壁内の秩序は決して安定しません」

 

「おいおい、副官殿。心外な物言いだな。私は何も企んでなどいない。ただ、『壁内人類』が生き残るための最善を尽くそうとしているだけだ」

 

「ふざけるなよ。誰が信じると思っている」

 

 トラウテの指に力がこもる。引き金が僅かに軋み、指先が白くなった。

 

「貴様の話とこれまでの経緯を紐解けば…… エレンはあらゆる巨人を操る『始祖の巨人』を宿している可能性が高い。であれば残念だったな。エレンは既に我々が確保している。直に、真の王がその力を継承するだろう。貴様らの切り札は、もう我々の手の中だ」

 

 形勢不利を突きつければ、流石の化け物も動揺を見せるかと思った。

 しかしジルケは、不満げに口を尖らせただけだった。

 

「何が『任せろ』だ、あのチビ……結局、まんまと一杯食わされてるじゃないか」

 

「驚きはない、ようだな」

 

「まあ、取引に応じた段階でそんな気はしてた。この調子ならヒストリアも囚われてるだろうな……あんたらから二人の居場所を聞き出せるとも思えないし、地上のことは兵団に任せるか」

 

 奴らを頼ることになるとはな、とジルケは自嘲気味に笑った。

 

(やはりこの女はクリスタ・レンズ――ヒストリア・レイスの本名を知っていた)

 

 つまり調査兵団が、真の王家の秘密を握っているとみていい。トラウテは一歩、檻へ歩み寄った。

 

「ともかくだ、貴様と兵団の関係を洗いざらい話してもらうぞ。兵団とどのような関係にあり、何を企んでいるのかそのすべてだ。言っておくが、中央憲兵の尋問を舐めない方がいい。外傷を付けずに人間を痛めつける方法など、ごまんとある」

 

「ケニー・アッカーマン……あんたも大変だな。こんな石頭が補佐役じゃ、気苦労が絶えないだろう?」

 

「殺されたいなら素直にそう言えばどうだ?」

 

「あんたの隊長が、今更兵団の粛清なんて瑣末なことを気にしていると思うか?そもそも、この男が王政に従順な人間に見えるか?」

 

 ジルケの声は、静かだが確信に満ちていた。

 

「この男は壁内の秩序なんて知ったことじゃない。信じているのは己の力のみ……現に、私の捕縛を上へ報告していないんだろう?本来なら真っ先に伝えるべき『謎の巨人』を、独断で隠匿している。それが答えだ」

 

 図星だった。

 ケニーは命令こそ完璧にこなすが、王政に対する敬意など微塵も感じさせたことはない。いつも議会やフリッツ王を小馬鹿にし、真の王であるロッド・レイスに対してすら、どこか突き放したような冷ややかな態度を取っていた。

 

「だが、たった今貴様は外の真実を語っただろう。隊長の目的が知識なら、既に達成されたはずだ……そうでなくとも早晩のうちに用済みになることがわからないようだな?」

 

「満足するわけがないだろう。外の脅威を知って終わるようなタマか、この男が」

 

 ジルケは一息つき、黙り込んだままのケニーへ視線を移した。

 

「私と組め、ケニー・アッカーマン」

 

 その言葉が地下牢に響いた瞬間、トラウテの思考は停止した。

 

壁内(ここ)じゃ、一生かかっても見られない『面白い景色』を見せてやる」

 

(何を言っているんだ、この女は)

 

 中央憲兵と調査兵団は不倶戴天の敵。その親玉であり、「切り裂きケニー」として恐れられた無頼の徒を――事も無げに勧誘しようというのか。

 

 正気ではない。ジルケの瞳には一点の曇りもなかった。

 

「合理的に考えろ。このまま王政についていれば、待っているのは滅びの道だ。あんたのような男が、臆病な豚共に従っているのは滑稽でならないな。王政は真実を隠し、民を飼い殺している。今なら、どれほど独善的な連中か理解できるだろう?」

 

「貴様の話など出鱈目だ!」

 

「そう思うなら、私やエレンの巨人化能力をどう説明するつもりだ?その目で見た『壁の巨人』も、まさか自然に出来たとでも言いたいのか?」

 

「それはッ……!」

 

 ――言葉が、胸の奥の嫌な現実と噛み合ってしまうのが腹立たしかった。

 

 壁内の滅びを王政は受け入れている。そんな泥舟に乗るメリットなど、どこにもない。もはや百害あって一利なしだと、ジルケは確実にケニーの心を抉るように説いた。

 

「ケニー!あなたには夢があるでしょう!?」

 

 たまらずトラウテが叫ぶ。ケニーの身体が微かに反応した。

 

「この女の話は……真実かもしれない。でも、あなたは私たちに希望を指し示してくれた。この世界を盤面からひっくり返すという『大いなる夢』を!私は、あなたの夢を信じたい!」

 

「……世界を盤面からひっくり返す、か。普通なら大言壮語だと一笑に付すだけだが、『始祖』がある以上そうも言ってられないな……ただ、『始祖』を継承してどうこうするというつもりなら諦めた方がいいぞ」

 

「『不戦の契り』のことか?ケニーがそんなものに縛られるわけが――」

 

「いや、もっと前段階の話だ。少なくとも、私の知る限りアッカーマンは巨人になれない」

 

 衝撃がトラウテを貫く。呼吸が、一拍遅れた。

 

「アッカーマン一族は既に『人の姿をした巨人』に等しい存在だ。通常ならば巨人の脊髄液を摂取したユミルの民は身体構造が書き換わり、巨大な質量をこの世界にはないどこか――『道』と言われるところから呼び込む。だが、アッカーマンの体は既にその回路が完成されてしまっている」

 

「……なんだと?」

 

「つまりだ。どれだけ脊髄液を接種しようが、ケニーは無垢の巨人にはなれない。無垢の巨人になれない以上、エレンを食ってもその力を継承することはできないってわけだ」

 

 ま、その『大いなる夢』とやらが全く別の代物ならば今の話は無視してもらっていい――とジルケは打ち切った。

 しかし、トラウテは直感した。この瞬間ケニー・アッカーマンが抱いていた夢が、音を立てて粉々に砕け散ったことを。

 

「今すぐ、我々に力を貸せ」

 

 ジルケはその絶望を憐れむことせず、冷徹に畳み掛ける。

 

「信頼しろとは言わない。だが、絶望の未来を避けるためなら、私は誰とでも手を組む。今この場で決断しろ、ケニー。さもなくば、あんたもこの壁と共に無意味な死を迎えることになる。外敵を駆逐しない限り、殺されるのはあんただ」

 

「……おい、化け物女」

 

 ケニーの口がようやく開いた。ジルケから世界の真実――とりわけこの壁を築いた初代王とその思想を聞かされてから、彼は極端に口数が減っていた。外の世界に人類が生きていると知った時は、あれほど愉快そうにしていたのに。

 

「巨人の力を継承する時……記憶や魂も引き継がれるのか?」

 

 不意に投げかけられた問いに、ジルケは意外そうに眉を顰めた。

 

「……魂は知らないが、記憶は引き継がれるな。血が濃ければ濃いほど、より記憶は継承される」

 

「前任者の思想もまるっきり受け継ぐ、ってことか?」

 

「あくまで継承されるのは記憶に過ぎん……が、記憶が人格に影響を与えることも十分に考えられる。そういう意味では、イエスともノーとも言い難いな。しかし、何故そんな巨人マニア(ハンジ)しか喰い付かなそうなことが知りたいんだ?」

 

 ジルケの言葉もまともに返さず、ケニーは独り言のように呟いた。

 

「そういうことだったのか、ウーリ……お前も、何かの奴隷だったのか?」

 

 その横顔には、トラウテが見たこともない影が落ちていた。

 

「そんなことはどうだっていい。早く返答を――」

 

「……ハッ!」

 

 突然ケニーは低く笑い始めた。その笑いは次第に大きくなり、やがて呆れたような溜息と共に途切れた。

 

「『生き残る』だの『外敵を駆逐する』だの……あんた必死だな」

 

「当たり前だろ。あんたは自殺願望でもあるのか?」

 

「ねぇよ、んなもん……ま、必死なのは伝わった。今動かなきゃ、やばそうだってのもな」

 

 ケニーは冷めた目で、檻の中の女を値踏みするように見据えた。

 

「ただ、それだけだ。お前の語る未来は陰気で、暗くて、なによりつまんねぇ。俺が見てぇのはそんなモンじゃねぇ。もっとこう……馬鹿デカくて、訳の分からねぇ『何か』だ。命を燃やしてでも見たいと願う『夢』みてーなもんだ」  

 

「夢だなんて青臭いことを言うな!」

 

 初めて、ジルケの冷静な面に感情の色が混じった。

 

「私が話しているのは民族滅亡の危機だぞ!?敵を滅ぼさなきゃ我々がやられる!それじゃあどんな夢を描いていようが、すべて無意味だろうが!今、我々が為すべきことは『始祖』と『地鳴らし』の掌握、そしてその邪魔をする王政の打倒だ!力無き者がどうなるのかくらい、よくご存知のはずだろう!?」

 

「……ああ、テメェの言うことは正しいのかもしれねぇ。力さえありゃ、(あいつ)みてぇな悲惨な最期を迎えることはねぇだろうからな」

 

「だったら!」

 

 ケニーの目は、ますます冷えていく。

 

「だがよ、俺のダチは……テメェじゃ測れねぇ『何か』を持っていた。お前のやり方じゃ、人はついて来ねぇよ。恐怖でケツ叩いて走らせるだけじゃ、いつか足が止まる」

 

「王政に従ったところで未来はないんだぞ!?」

 

「俺だって王様を信用してねぇよ。かといって、お前と組むのも御免だね」

 

 ジルケは言葉を失った。断られるとは微塵も思っていなかったのか、その瞳には激しい驚愕が浮かんでいる。

 

 トラウテは、状況も忘れて胸がすくような思いだった。偉そうな女の鼻を明かしてくれたケニーの背中に、ただならぬ満足感を覚えていた。

 

「……私を殺すか?」

 

「いーや。殺すなんざつまんねぇ。せっかくここまで来て、そんな退屈なオチで終わってたまるかよ」

 

 ジルケが絞り出すように言うとケニーは鼻で笑い、わざとらしく首を傾げた。

 

「このクソ茶番に幕を下ろさねぇとな」

 

 ――だが同時に、彼が『何か』を決めた目をしているのが怖かった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 エルヴィンは、何の感情も湧かないまま憲兵に連行されていた。

 手錠はない。だが、両脇を固める小銃の銃口と歩調を揃えた靴音が、無言で「逃げる余地はない」と告げてくる。

 

 ナイルの取り計らいで、中央憲兵による尋問が為される前に王への謁見が決まった。彼は今、その舞台へ運ばれていくのだが――それは処刑台へ向かう行進というより、むしろ「処刑を装った見世物」の支度にしか感じられなかった。

 

(茶番だ)

 

 エルヴィンは胸の内で呟く。

 議会の貴族たちは、ついぞ「壁の巨人」の騒動も、リーブス商会暗殺の経緯も、そして(アギト)の巨人の存在も知らぬままだった。

 王座の前で能天気にこちらを見下すその目だけで、危機感が欠片もないことは分かる。彼らが恐れているのは「自分たちの築いた秩序が崩れる」という一点だけであり、その秩序がすでに内側から壊されつつあることにすら気付いていない。

 

 もはや軍事クーデターはすぐそこだ。

 末端の兵士の支持を得るために一芝居打つ必要はあるが、三兵団のみならずザックレー総統の力添えまで得ている以上、政治の勝敗はほぼ決している。

 加えて、王宮にいる中央憲兵の数は少ない――おそらくエレンとヒストリアの護衛へ回しているのだろう。

 

 武力を使えば失敗する方が難しいくらいの盤面であるにもかかわらず、それでもエルヴィンたちは無血を目指す。血を流せば、その血は必ず統治の足を引くと理解していた。

 

 なにより、エレンとヒストリアを連れ戻さなければ、このクーデターに意味はないのだ。

 

(結局、最後まで博打ということか)

 

 ジルケの話によれば『始祖』の力によって『壁内人類』の記憶は改竄可能という。

 そして政権中枢に居座る者たちはおそらくユミルの民ではないからこそ貴族身分に収まっているのだと彼女は推察した。

 

 秘密を守らせる代わりに、記憶改竄の影響を受けない者たちへ名誉と土地を与える――それが王政のやり方だった。

 

(エレンが攫われている現状は、逆に言えば、王政が『始祖』の力を行使できる“当て”を持っていることに他ならない)

 

 ウォール・ローゼが突破されたという報せがもたらされ、王宮全体に衝撃が走った時でさえ、彼は後の統治のことで頭がいっぱいになっていた。

 

 中枢の貴族たちはその報せが虚偽であると疑わず、「人類の大半を切り捨てる」という判断を下した。

 

 その段に至り、ようやくエルヴィンはクーデターの成功を確信した。

 

 次々と捕えられていく議会関係者と中央憲兵。

 流れるように、兵団は民衆へ向けて体制が変更した旨を発表した。偽王家から真の王家へ権力を委譲すること、「壁の巨人」を始め偽王家が隠してきた事実を調査し公表すること――それは奇しくも、王政がエルヴィンを吊そうとした絞首台の上で高らかに告げられた。

 

 処刑台は革命の演壇へと変わり、権力の象徴だった王宮は王政の終焉を告げる舞台へと成り果てた。

 

「よくやってくれたな、エルヴィン」

 

 ザックレー総統はそう言いながら眼鏡を外し、ゆっくりと布で拭いた。

 そこには賞賛と同時に、どこか拍子抜けしたような色が混じっている。

 

「総統こそお力添えありがとうございます」

 

「よせよせ、私は何もしておらん。そもそも三兵団が同盟を結んだ時点で、体制転覆などほぼ既定路線だった。正直なところ……張り合いがなさすぎて肩透かしだったくらいだ」

 

「いえ。こうして血を流さず新政権を樹立できたのは喜ばしい限りです。誰か一人でも欠けていれば、ここまで綺麗には終わらなかったでしょう」

 

 ナイルの情報操作がなければ、王政は本腰を入れてもっと手段を選ばなかったかもしれない。

 トロスト区の住民を味方につけたハンジ、フレーゲル・リーブス、王政に逆らったベルク社――どれか一つでも欠けていれば、革命は「無血」では終えられなかったはずだ。

 

 だからこそエルヴィンは、ここで勝利の酔いを許さない。酔いは視界を狭める。視界が狭まれば、次の地獄が見えなくなる。

 

「しかしまあ、百年続いた王政も最期は呆気ないものだったな」

 

「彼らは最期まで人類に見向きもしなかった。当然の帰結ですよ」

 

「はてさて……この革命は確かに『壁内人類』にとっては大きな前進であろうが、人類全体で見ればどうだろうな」

 

 ザックレーは愉快そうに口角を吊り上げた。

 

「例の魔女はまだ見つからんのか?」

 

「……ええ。エレンたちの捜索とは別で動いていますが、未だ行方不明です」

 

「まあ、王政の残党が捕まるのも時間の問題だろう」

 

 ジルケが攫われてから数日が経った。その間にこちらはクーデターを成功させた。権力構造が入れ替わった以上、彼女を捕えた中央憲兵も、いずれは兵団に屈するほかない。

 

(殺されてさえいなければ、だが)

 

 エルヴィンは胸の奥でそう呟いた。

 

「総統はどこまでご存知で?」

 

「ピクシスから断片的にな。『マーレ』、『エルディア』そして『地鳴らし』か……はは、実に結構だ。早くその魔女に会ってみたいものだ」

 

 ザックレーは、明らかに怯えていなかった。むしろ、好奇心と愉悦が勝っている。ピクシスとは決定的に異なる反応だった。

 

「世界の真実など正直どうでもいい。私はな、昔から王政(ヤツら)のことが気に食わなかったんだ!君達が動かなくとも、いっちょかましてやるつもりだったよ!」

 

 至極愉快そうに言うザックレー。彼はその後も、捕えた王政の貴族たちにどのような拷問を課そうか一人で妄想していた。

 

「……人は見かけによりませんね。総統にそのようなご趣味があったとは」

 

「大した悪党だろう?それで、その女は信用できるのか?ピクシスの奴は随分と警戒していたが」

 

「彼女の語る内容が虚偽である可能性は極めて低いでしょう。現に――」

 

「違う違う。人として、だよ。分かっているくせに、はぐらかすんじゃない」

 

「……私も所詮、彼女と同じ穴のムジナです。自らの夢のために大勢の人間を殺してきた……彼女を裁けるほど、私は清廉ではありません。ただ――彼女が示した道が人類を生かす可能性を持つならば、私はそこに賭けるだけです」

 

 ザックレーは、その言葉を聞いて小さく笑った。

 

「ま、君も博打は程々にしておきたまえ。博打の必勝法はやらないことだからな」

 

「……善処します」

 

 視界の端では街中に掲げられていた王政の旗が、兵団の旗へと掛け替えられていく。

 革命は成った。だが、本当の地獄――世界の悪意との戦いはまだ始まったばかりなのだ。




無事ケニーの幻想はぶち殺されました(エルヴィン、エレン、アルミンなど被害者多数)
やはり壁の外って夢も希望もない……

なおリーブス商会やマルロとヒッチのあれこれですが、原作とほぼ同じなのでカットしました。気になる方は原作を読み返しましょう。映画もリバイバル上映されましたし良い機会です。

どこが舞台の閑話が良い?(なるべく原作ネームドキャラを登場させる予定)

  • 革命軍
  • レベリオの市民病院
  • マーレ軍病院
  • ヒィズル国
  • ウォール教開拓地
  • 訓練兵団
  • 調査兵団(王政編後)
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