エレンの妻です   作:ホワイト3

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もはやこれが王政編に該当するのかよくわかりませんが、一応まだ章区切りは来ていないつもりです。


43:即位式①

 エレンが目を覚ましたのは大通りから兵舎にまで響いてくる太鼓の音だった。

 

 まだ眠気の残る頭を振りながら外へ出ると、即位式までまだ時間があるのに、通りはすでに人でごった返していた。

 王政創設記念日も祭りのような賑わいになるが、今日はその比ではない。広場から伸びる大通りには色とりどりの幕が張られ、窓辺や屋根の上にまで人が集まっていた。

 

 オルブド区の巨人を倒した真の王を見たいのか。

 

 先日兵団より公表された世界の真実について、王の口から何か聞けるのではないかと期待しているのか。

 

 それともただ騒ぎたいだけなのか。

 

 訪れる者達の思惑はそれぞれだったが、ともあれ人の集まる所には当然のように商人が集まる。普段なら荷馬車の往来が目立つ大通りが、この日ばかりは壁内でも屈指の祭り場になっていた。

 

「あっ!エレン!やっと起きたんだ!」

 

 声の方を向くと、両手が食べ物で塞がったアルミンとミカサがいた。二人ともすでに辺りを一回りしてきたらしく普段より顔色が明るかった。

 

「はい、エレンの分。式まで時間あるし少し回らない?」

 

 ミカサから手渡された蒸し芋を受け取り、エレンは何となくひと齧りした。熱の残る芋は思ったより甘く、寝起きの胃にも悪くない。黙って咀嚼しながら頷くと、ミカサはほっとしたように目を細めた。

 

 少し辺りを見回せば、非番の兵士達も久々に羽を伸ばしているのが見えた。駐屯兵団の若い兵士達は屋台の前で肩を組み、憲兵団の者達でさえ今日ばかりは険しい顔を緩めている。

 

 もちろん警備は敷かれているが、漂う空気は普段の王都とはまるで違っていた。

 

 遠くでは、フレーゲル・リーブスがリーブス商会の出店の前に立ち、声を張り上げて客を呼び込んでいた。以前会った時よりも、ずっと精悍な顔つきになっている。亡き父の跡を継ぎ商会の人間達をまとめる姿には、覚悟のようなものがあった。

 

 こちらに気づいたフレーゲルは、サービスだと言ってトロスト区の名物料理をこれでもかと手渡してきた。

 エレン達三人は互いに困った顔を見合わせたが、結局、押し切られる形でそれらを受け取るしかなかった。

 

 エレンが意外に思ったのは、ミカサの様子だった。

 

 『ユミルの呪い』によって自分があと八年も経たずに死ぬと知った時、一時のミカサはエレン以上に取り乱していた。あの時の青ざめた顔と、焦点の合わない目を思い出すと、今こうして屋台の食べ物を手に、上機嫌そうに歩く彼女の姿は久しぶりに見えた。

 

「なんか、昔を思い出すな」

 

「何か言った?エレン?」

 

「いや……」

 

 シガンシナ区にいた頃の日常が、ふと胸をよぎった。

 人混みの中で、ミカサとアルミンと三人で歩いた道。あの日々はもう戻らないと分かっている。それなのに、似た匂いや音に触れるだけで、胸の奥が無性に懐かしくなった。

 

「おう、エレン!楽しんでるか!」

 

「あっ、ハンネスさ――酒くさっ!」

 

 片手に木ジョッキを掲げたハンネスが、千鳥足のまま急に肩を組んできた。鼻をつく酒精の匂いにエレンは思わず顔を顰める。

 

 先日、グリシャの来歴を聞くために駐屯兵団の支部まで行った時と比べて、随分と気が緩んでいた。昔はずっと飲んだくれていたことを思えば、これでも随分ましになった方なのだろうが。

 

「非番だからって浮かれすぎだろ!」

 

「いいだろ、祭りだぜ! 踊らなきゃ損だっつーの!」

 

 ちゃぷん、と木ジョッキの中身が揺れる。中に入っていたのは見慣れない赤黒い酒だった。

 ハンネスに会う前にも、道すがら大勢の人間が同じ酒で飲んだくれているのを見た。祝い酒か何かなのだろうが、色だけ見ればあまり飲みたいとは思えない。

 

「どーだ?お前らも飲んでみるか?なかなか美味いぜ、こいつ」

 

「血ぃみてぇな気色悪い酒薦めてくるんじゃねぇよ!」

 

「このクソガキ……駐屯兵団の若ぇのが仕入れてくれたもんにケチつけんじゃねぇぞ!」

 

 睨み合うような形になったが、先に吹き出したのはハンネスだった。

 

「なんか、昔を思い出すな」

 

 それは、先ほどエレンが口にした言葉と同じだった。

 エレンは少しだけ目を見開き、それから気まずそうに視線を逸らした。

 

「一昨日会った時なんて、お前全然元気じゃなかったじゃねぇか。ミカサも、いつも以上に目が暗かったしな。とりあえず戻ってくれたみてぇで良かったよ」

 

「……余計なお世話だよ」

 

「『ありがとうございます』が言えんのか、お前は」

 

 ハンネスはやれやれと息をついた後、ふと広場の方へ視線を向けた。

 

「壁の外には、俺達のことを悪魔と呼ぶ人類がいる、か……。お前が急に巨人になった時も大概驚いたが、ほんと、ここ最近は驚くことの連続だな」

 

 その声は、さっきまでの酔っ払いじみた明るさとは少し違っていた。

 

 恐らく一般の人々も、同じように感じているのだろう。ある日突然、常識が根底からひっくり返った。壁の外には巨人しかいないと思っていたのに、実際には人類がいて、その人類から自分達は悪魔と呼ばれている。

 

 信じろと言われても、簡単に信じられるはずがない。

 信じたところで、どう受け止めればいいのか分からない。

 

 酔っぱらってでもいないと、やっていられないのかもしれない。

 

 ややあってハンネスは自分の頬を軽く叩いた。

 

「やめやめ!せっかくの祝いの場でシケた面しちゃ台無しだからな!」

 

 エレンもへへっと笑った。

 

「能天気な方がハンネスさんらしいよ」

 

「口の減らねぇガキだぜ、ほんと」

 

「ねぇエレン」

 

 そこで、くいくいとミカサがエレンの兵服の袖を引っ張った。見遣るとジャン達が手招きしていた。

 

「そろそろ時間」

 

「そうだな。思ったより時間喰っちまったみてぇだ」

 

「上官達も待たせてるし僕達も早く行かないと」

 

 アルミンがそう言うと、ハンネスは三人を順に見て妙に感慨深そうに目を細めた。

 

「お前らにも、ちゃんと友達ができたんだなぁ……。町のはみ出し者同士だったのによ」

 

 エレンは反射的に言い返そうとした。だが、ハンネスの顔を見てそれ以上は続けられなかった。

 その表情は酒に緩んだ酔っ払いの顔ではなかった。遠くへ行く子供を見送る大人のような、少し寂しそうで、けれどどこか誇らしげな顔だった。

 

 カルラが生きていた頃、悪さをしたエレンを叱りながらも、最後には呆れたように笑っていた時の顔に少し似ている気がした。

 

 考えてみれば、シガンシナ区にいた頃のエレンとアルミンは町のはみ出し者同士だった。

 

 外の世界を夢見るアルミンは変わり者扱いされ、エレンもまたその夢に真っ先に食いつく生意気なガキだった。ミカサはミカサで、エレン以外の人間と積極的に関わろうとはしなかった。

 

 三人の世界は随分と狭かった。

 

 それが今では、同期や兵団の仲間達がいる。気付かないうちに、自分達の周りにはずいぶん人が増えていた。

 

「三人で行動できなくて寂しくねぇのか、エレン?」

 

「は、はぁ!?全然思ってねぇよ!」

 

 ハンネスの指摘はどこか的を射ていた。

 だからこそ、エレンは却って頑なに否定してしまった。

 

 しかし、すぐ横でミカサが悲しげに目を伏せたのを見て、言い過ぎたと気付く。

 

 ミカサは何も言わなかった。ただ袖を掴む指先に、わずかに力がこもっている。

 

「……悪かったよ」

 

「本当に思ってる?」 

 

 なおも疑いの眼差しを向けるミカサに、エレンは諦めたように頬を掻いた。

 

「本当だってば。また三人で映画を見に行こうな」

 

「エイガ?」

 

 ミカサが鸚鵡返しに呟く。言われてエレンも違和感に気付く。

 

 そんなものを自分は知らない。

 なのに、まるで当然のように口から出た。

 

(わからない。誰の記憶だろう――)

 

「おい!お前らいつまで油売ってんだよ!」

 

 考えかけたところで、ジャンの怒鳴り声が飛んできた。

 

「ジルケさんに殺されるぞ!?」

 

 その一言で、エレンは現実に引き戻された。後ろ髪を引かれる思いをしながらも同期達の元へ駆け出した。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 エレン達が戴冠台付近の大広場に到着した頃には、すでに調査兵団の団員達が集まっていた。

 

 式典用に整えられた広場の一角には、兵団関係者用の簡易な控え場所が設けられており、兵士達は高そうなティーカップを手にしていた。

 

 白磁の器には琥珀色の茶がなみなみと注がれ、湯気とともに柔らかな草花の香りが漂っている。ピクシス司令でさえ大好物の酒を我慢して、まずはこの茶を優先したらしい。

 

「遅い」

 

 控え場所に足を踏み入れるなり、ジルケの不機嫌そうな声が飛んできた。

 

「せっかく沸かしたのに冷めるだろうが」

 

「いや、別に俺は頼んでないですし……」

 

「黙って飲め」

 

 ぶつくさ文句を言いながらも、ジルケの手つきはよどみなかった。エレン、ミカサ、アルミンの分だけでなく、何故か当然のように付いてきたハンネス(ミカサは小声で「スケベ親父」と呟いていた)の分まで、慣れた動作でカップへハーブティーを注いでいく。

 

 ヒストリアとの約束通り、ジルケは兵団関係者に自分の淹れた茶を振舞っていた。エレンはてっきり、その場限りの冗談だと思っていた。

 だが、ジルケは本当に実行した。ヒストリアもヒストリアで、女王命令だと言ってきかず、わざわざ場まで設けさせた。

 

「ほら、熱いうちに飲め」

 

 差し出されたカップを受け取り、エレンは恐る恐る口をつけた。

 

 最初に広がったのは、想像していたような青臭さではなかった。思いのほか丸い甘みがあり、花の香りの奥に柑橘に似た爽やかさがある。舌に残る苦味も嫌なものではない。

 

 本人の豪胆さからは想像もつかない、繊細な味わいだった。

 

「で、どうだ?味は?」

 

「……美味いです。なんつーか……飲みやすいです。変に苦くないし、後味もすっきりしてます」

 

「だろう?」

 

 どこか得意げにジルケが顎を上げた。

 

「我ながら要領が良いな。習って一週間でこれだぞ。幼い頃から思っていたが、やはり私は何をやらせても優秀らしい」

 

「自分で言うんですね……」

 

「事実を正確に述べただけだ。謙遜は美徳ではなく、時として能力の過小申告に過ぎん」

 

 めんどくせぇな。エレンが内心毒づいてると、隣でサシャがカップを覗き込みながらぽつりと呟いた。

 

「でも前の方がおいしかったような……」

 

 一瞬、場の空気が凍った。

 

 コニーがぎょっとした顔でサシャを見る。ジャンは「お前、それ言うか」と言いたげに額を押さえ、アルミンは曖昧な笑みを浮かべている。

 

 だが、ジルケは特に気にした様子もなく鼻歌混じりに次の茶葉を蒸らしていた。

 

「当然だろう。あちらはこの身体に20年以上馴染んでいた女だ。技術の蓄積が違う。だが、すぐに追い抜く」

 

「張り合うところなんですか、それ」

 

「張り合うとも。私の身体で、私より上手く茶を淹れられるなど癪だからな」

 

 そう言いながらジルケはついと別の方向を見た。

 

 そこでは兵士達が壇の警備配置を確認していた。

 憲兵団、駐屯兵団、調査兵団。普段なら別々に動く者達が、今日ばかりは一つの式典のために入り混じっていた。

 

 ジルケはその様子を一瞥し、低く呟いた。

 

「本当はこんなに大勢の前に王家の人間が姿を現すのは望ましくない。狙ってくれと言っているようなものだ」

 

「ジルケさんは反対なんですか?」

 

「……いや、そういうわけじゃない。隠せば前の王政と同じになってしまう」

 

 ジルケはカップに残った茶を軽く揺らした。

 

「影の中に王を置き、民には顔も声も与えず、都合のいい物語だけを押しつける。それでは何も変わらない。新しい王政を名乗るなら、まず民に王の姿を見せる必要がある」

 

「……ジルケさんがそういうこと言うの、ちょっと意外です」

 

「私もそう思う」

 

 ジルケは薄く笑った。

 

「壁の外には『パンとサーカス』という言葉がある。民衆は食糧と娯楽を与えられれば、政治への不満を忘れるという皮肉だ。今日の式典も見方によっては似たようなものだろう」

 

「じゃあ、結局騙してるってことですか?」

 

「違う。騙すためではなく、進むために必要な儀式だと私は思っている」

 

 ジルケの声は静かだった。

 

「恐怖だけでは人は動かない。外の世界を知った壁の民が未来を生きようと思うには、目に見える希望が要る。王というものは、そういう時のためにある」

 

 そこで、彼女は少しだけ肩を竦めた。

 

「……エルヴィンの受け売りだがな」

 

 エレンは返す言葉に迷った。

 

 少し前のジルケなら、こんなことを言っただろうか。

 

 民衆の希望だの目に見える象徴だの、そんなものを気にかけていなかった気がする。少なくとも、エレンの知るジルケ・クルーガーは、民族全体の勝利の為なら民衆の心など後回しにする人間だった。

 

 不意に一人の男の顔が脳裏をよぎる。

 

 ケニー・アッカーマン。

 ジルケとどのような話をしたのか、エレンは詳しく知らない。

 ただ、あの男とのやり取りがジルケに何かを残したことだけは何となく分かっていた。

 

「ケニーって男は見つかりましたか?」

 

「……いいや、まだだ」

 

 ジルケはわずかに表情を曇らせながら続けた。

 

「あの男は馬鹿ではない。が、我々の常識でも測れない。意味もなく喧嘩を売る男じゃないが、我々には到底理解しえない理由で事を起こしかねない」

 

「なら、式なんてやっぱり危ないんじゃ……」

 

「だからリヴァイを警備に回している。ケニーが何かを仕掛けるとすれば、狙いは戴冠台上だろう。その周辺を重点的に見てもらっている。が――」

 

 ジルケは何か言いかけて途中で口をつぐんだ。

 

 敵はケニーだけとは限らない。エレンにはそう聞こえた気がした。

 

 そこでジルケは、切り替えるようにぱんと手を叩いた。

 

「まあ、心配事ばかり数えていても仕方ない。少しは楽しい話でもしよう」

 

「楽しい話?」

 

「ああ、女王陛下の演説を楽しみにしとけよ」

 

 ふふんとジルケは鼻を鳴らした。

 

「もちろん何を話すのかはエルヴィンやピクシス司令も確認しているが……ほとんどはヒストリアが考えた内容だ」

 

「ヒストリアが……。控え目なアイツが演説なんて……」

 

「あいつも変わったってことさ」

 

 その言い方が、どこか誇らしげだった。

 まるで我が子の成長を自慢する親のように聞こえて、エレンは思わず噴き出した。

 

「……何がおかしい」

 

「ジルケさん。今ちょっとジル先生っぽかったんですよ」

 

 ジルケは一瞬だけ目を細めた。怒るかと思ったが、そうはならなかった。

 

「意外と悪い気分じゃないな」

 

 その時、広場の奥で重い鐘の音が鳴った。

 ゴーン、と低い音が空気を震わせ、人々のざわめきが少しずつ収まっていく。式典の開始を告げる鐘だった。

 

「そろそろだな。私はあっちで聞いてるよ」

 

 そう言ってジルケはエルヴィン達の居る方へ向かった。

 彼女が居なくなると、今度はハンネスがこそこそと近づいてきた。赤黒い酒の入ったジョッキを片手に、妙に真剣な顔をしている。

 

「なあ、エレン」

 

「何だよ」

 

「さっきのジルケさんって独身なのか?」

 

 エレンは一瞬、何を聞かれたのか理解できなかった。

 

「……は?」

 

「綺麗な人だしよ。ちょっと怖ぇが、そこもまあ味だろ。もし相手がいねぇなら――と思ってな」

 

「何言ってんだよ、この酔っぱらいが!」

 

 ジルケ・クルーガーには夫がいた。エレンと同じ名を持つ、壁の外の男だ。

 だが、そんな話をこの酔っ払いに説明する気にはなれなかった。

 

「大体、本人に聞けよ」

 

「馬鹿言え。あの人に直接聞いたら殺されるかもしれねぇだろ」

 

 エレンは呆れながらも少しだけ口元を緩めた。

 

 世界の真実が明かされてもハンネスは相変わらずハンネスだった。

 その変わらなさが今のエレンには心地よかった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 戴冠台の上に現れたヒストリアは、白いドレスに身を包んでいた。柔らかな白布は陽を受けて淡く輝き、細い肩から裾へ流れる布の陰影が、彼女の姿をいつもよりずっと遠いものに見せていた。

 

 訓練兵団で同じ食堂に座っていた少女とは、まるで別人のようだった。

それでも背筋を伸ばして民衆の前に立つ横顔には、確かにエレンの知るヒストリアがいた。

 

 ザックレー総統が進み出て、ヒストリアの頭上へ王冠を掲げた。白く細い首筋に金属の影が落ちる。

 

 そして王冠がその頭に載せられた瞬間、広場に割れんばかりの歓声が上がった。

 

 しかしヒストリアはその歓声に酔うことなく、静かに民衆の前へ歩み出た。そして戴冠台の上から、ゆっくりと口を開いた。

 

「昔話をしましょう。

 

 周知のとおり今から107年前、私達以外の人類は巨人に食い尽くされました。

 その後、我々の先祖は巨人の超えられない強固な壁を築くことによって、巨人の存在しない領域を確保することに成功した。皆様も親や大人達からそう教えられたことでしょう。

 

 それは真実ではありません。

 

 壁の王が民から歴史と記憶、そして自由を奪ったのです。世界は閉ざされ、私達は何も知らされないまま、この壁の中で生きてきました。

 

 先日、公表された壁外の情報こそが真実なのです。

 

 壁の外には人類が存在します。そして彼らは私達が何者であるかを知り、その名を理由に私達を悪魔と呼び、恐れ、憎んでいます……未だに信じられない方もいるでしょう。私もすべてを受け止められているわけではありません。

 

 けれど、もう知らないままではいられません。

 

 人類を脅かす巨人の正体は我々と同じ祖先をもつ『ユミルの民』です。

 そして我々はその巨人の力でかつて世界を支配した国――エルディア人の末裔です」

 

 新聞で読んだ内容と同じはずだった。

 それでも、新たな王が自ら口にする言葉には、紙面とはまるで違う重さがあった。

 

「少しだけ私の話をさせてください。

 

 私はかつて『クリスタ・レンズ』と名乗っていました。ヒストリア・レイスという名を隠し、別の誰かとして生きてきました。

 

 私は王として育てられたわけではありません。名を奪われ、過去を消され、自分が何者であるのかさえ、分からなくなっていました

 

 誰かに望まれる役を演じれば、そこに自分の居場所があるのだと思っていました。良い子でいれば、誰かに必要とされるのだと思っていました。

 

 けれど、それは生きていることではありませんでした」

 

 ヒストリアは、ざわめきが収まるのを待たずに続けた。

 

「私は自分の名を取り戻しました。

 

 私は皆様にも取り戻してほしいのです。自分達が何者であるのかを知り、そのうえで未来を選んでほしい。

 

 もちろん、それはかつて世界を支配した帝国をそのまま復権させるという意味ではありません。誰かを支配し、奪い、踏みにじるためであってはなりません」

 

 エレンは、ふと少し離れた場所に立つジルケを見た。

 

 彼女は腕を組み、壇上のヒストリアをじっと見つめていた。その表情は読めない。だが、少なくとも不満そうではなかった。

 

「歴代の壁の王のように、自らの滅びを受け入れるという意味でもありません。

 

 奪われた記憶を受け止め、隠されてきた歴史を見つめ、それでもなおこの壁の中で怯えて終わることを拒むという意味です」

 

 それは、座して滅びを受け入れないという宣言だった。

 

「これから私達は、壁の外と向き合わなければなりません。

 

 そこには、私達を憎む者がいるでしょう。私達を滅ぼそうとする者もいるでしょう。

 

 でも私は逃げません。

 

 外のすべてを敵と決めつけるつもりは断じてありません。しかし、私達の名を呪い、未来を奪おうとする者がいるならば戦います。

 

 この壁は、私達を閉じ込める鳥籠ではないのです。

 

 私は、皆様から未来を選ぶ力を奪いません。これからの未来は、王だけが決めるものではありません。

 

 真実を知った私達自身が、選び取るものです」

 

 次の言葉を誰もが固唾を呑んで待つ。そしてヒストリアは高らかに告げた。

 

「私、ヒストリア・レイスはこの壁の王として、今ここに宣言します。

 

 エルディア国の樹立を。奪われた領土の奪還を――そして、我々を滅ぼさんとする壁外敵勢力への抵抗の意思を」

 

 その瞬間だった。

 歓声が上がるよりも早く、背後の兵団本部が内側から破裂するように砕けた。

 

 石壁が吹き飛び、瓦礫が宙を舞い、悲鳴より先に轟音が広場を叩く。

 

 土煙の向こうから、まるでヒストリアの宣言を嘲笑うかのように、巨躯の影が戴冠台の上へ落ちた。

 

「ヒストリア!!」

 

 ジルケが叫んだ時にはもう遅かった。

 

 獣の巨人の長い腕が瓦礫と土煙を裂いて伸びる。

 小さな王は、巨大な掌の中に呑み込まれるように掴まれた。

 

 広場の誰もが動けなかった。

 あまりの出来事に、民衆は悲鳴を上げることすら忘れていた。ついさっきまで王を讃えようとしていた口が、ただ半開きのまま凍りついている。

 

 その静寂を破るように、獣が口を開いた。

 

「あー、兵士諸君」

 

 場違いなほど軽い声だった。

 

「俺は今勇ましい女王陛下を人質に取っている。一歩でも動いたらどうなるか、わかるよな?」

 

 獣の巨人は掌の中のヒストリアを見せつけるように少し持ち上げた。彼女の白いドレスが、瓦礫の粉塵に汚れていく。

 

「それはもう、とてつもない報復を――」

 

 言い終わる前に、リヴァイが動いた。

 

 狙いはヒストリアを握る腕ではない。

 獣が民衆へ意識を向けた、その一瞬。神速の斬撃が、獣のうなじへ走った。ヒストリアを傷つける前に中身を引きずり出せる角度だった。

 

 だが、刃は硬質化した皮膚によって阻まれ、金属が砕ける甲高い音が鳴り響く。

 

「っぶねぇな、おい」

 

 獣の声にはわずかに引き攣ったものが混じっていた。

 

「リヴァイ。お前、本当に人間かよ。お前を警戒して最初から硬質化しておいて良かったよ。じゃなきゃ今ので終わってた」

 

 リヴァイは舌打ちし、折れたブレードを捨てる。瞬時に替刃を装填し、獣の方へと向き直った。

 

「……ま、お前の居場所を把握できて良かった。もう同じ手は喰らわねぇよ」

 

 獣はヒストリアを握るのとは逆の腕を振り回して、周囲の建物ごと立体機動を活かせる場所を消した。奇しくも女型(アニ)がストヘス区で取ったのと同じ手だった。

 

 リヴァイが攻めあぐねるその間に、獣は大きく距離を取る。ヒストリアを握ったまま、巨体を壁の側までずらし、広場の民衆を見遣った。

 

「さて、約束通り報復させてもらうぞ。文句ならリヴァイに言えよ」

 

 エレンはぞわりと背筋が冷えるのを感じた。

 獣がリヴァイから目を切らさないまま、大きく息を吸い込み――叫んだ。

 

 その直後だった。

 

 広場の端で。

 屋台の列の中で。

 戴冠台へ続く大通りで。

 人で埋め尽くされた観覧席の近くで。

 

 雷鳴のような破裂音とともに、次々と光の柱が天に向かって真っ直ぐ伸びていった。




お察しの通り、ヴィリー・タイバーの宣戦布告回をオマージュしてます。
お祭りのような舞台が一瞬で地獄に反転する、あの急転直下の落差が好きでどうしても壁内版を書いてみたいと思っていたのですが、ようやくそこまで辿り着けて大満足です。

どっちの人格のオリ主が好き?(閑話の参考にします)

  • 転生ネキ(シュタイナー人格)
  • 頭復権派(クルーガー人格)
  • どっちも同じくらい
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