エレンの妻です   作:ホワイト3

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今話以降、ちょくちょく閑話を挟んでいきます。
また、それに合わせて新しくアンケートを設けているので、気になる方は投票してください。


44:即位式②

 光の柱が消えた後、広場には一拍遅れて悲鳴が戻ってきた。

 

 巨人が全てを塗り潰したのだ。

 見えるだけでも数十体。建物の影や大通りの奥まで含めれば、さらに多いだろう。兵団上層部の周囲に居ないことだけは不幸中の幸いか。

 

 それらは手当たり次第に人を掴み、噛み砕き、放り捨てる。逃げ惑う民衆の波が押し合い、倒れた者の上をさらに別の者が踏み越えようとしていた。

 警備の兵士達が叫びながら立体機動装置を構えたが、あまりにも人が多すぎた。刃を向けるべき巨人と、守るべき民衆が入り混じり、足場さえ満足に取れない。

 

 獣は『叫び』によってエルディア人を強制的に巨人化させた。いや、しかし……そんなことが始祖でもない巨人に可能なのか。

 

 思考が研究者としての習性に引きずられかける。が、それを無理やり打ち払った。

 原因究明など後でいい。獣は人々を巨人化させた。問題は、何のためにそれをしたかだ。

 

 獣はこの場を壊滅させたいだけではない。何か狙いがあって、巨人を――

 

 不意にエレンの方を見た。

 彼のすぐ傍では、十メートル級はある巨人が近くの駐屯兵に齧りついていた。兵士の両足が空中でばたつき、次の瞬間嫌な音を立てて折れる。

 

 エレンはその巨人を、目を見開いたまま見つめていた。

 その顔色が、瞬く間に血の気を失っていく。

 

 当たり前だが、巨人化した姿は元の本人の容貌と酷似する。酔っ払いのように半開きになった口と、野暮ったい金髪の人物。

 

 その巨人に見覚えがあった。

 

 あれは確かヒストリア奪還作戦の時、巨人化できないエレンの護衛役として指名した――。

 

「エレン!」

 

 全てを察して制止の声を上げたが、すでに遅かった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 エレンは憑かれたように駆け出し、自分の手を噛み切った。

 巨人化したエレンが、足元の悲鳴に目もくれず獣へ突っ込んでいく。怒りに支配されたその動きはあまりにも直線的だった。

 

「おっ、座標発見」

 

 獣はまんまと罠にかかった獲物(エレン)を見た後、呟いた。

 

「捕らえろ」

 

 その一言で、巨人達の動きが変わった。

 それまで近くの人間を食らっていた巨人達が、口にしていた肉片を放り捨て、タックルするようにエレンへ殺到する。

 

 1、2体程度ではエレンを止められなかっただろう。

 だが5体、6体と数は増えていき……さらに横合いから別の巨人が飛びつき、エレンの全身に折り重なるように覆い被さっていく。

 

 そこにはかつてハンネスだった巨人もいた。そいつは勢いよくエレンの上に馬乗りになると、その頭を地面に叩きつけた。

 

 獣によって生み出された巨人達は通常個体とは明らかに異なっていた。

 より人間らしいというべきか、巨人特有の無秩序さがない。

 獣の命令に従う様は、忠実な兵隊のように見えた。

 

「一にも二にも突撃しかできない死に急ぎ野郎か……ライナーの言ってた通りだな、激情に任せて身を滅ぼす奴の典型だ。ま、これで『始祖』は確保ってわけだ」

 

 私は今更ながら己の思慮の浅さを呪った。

 敵にしてみれば『始祖』と王家の血筋が両方同時に揃い得る機会なんて滅多にない。何としてでもその二つを奪いに来たいに決まっているじゃないか。

 

 そこで、地に伏すように拘束されたエレンが吠えた。

 

「がああああああああああああ!!」

 

「うるさっ……てか、なんか顎でかくない?爪の先も妙にキラキラしてるし」

 

 そこまで言って獣は得心したように「ああ、なるほど……(アギト)の性質を継承したわけか」と頷き、未だ混乱が収まらない広場に向けて叫んだ。

 

「ストーップ!」

 

 その途端、巨人達の動きがぴたりと止まった。

 腕を振り上げた姿勢のまま。逃げる子どもを掴もうと手を伸ばしたまま。血塗れの口を開いたまま。

 

 始祖でもない巨人が無垢の巨人を生み出し、命令を下している。

 もちろん、歴代の獣の巨人にそのような力はない。少なくとも私の知る巨人学の知識では十分に説明することはできない。

 

「さてと。エルディア国の皆さん、御機嫌よう。俺は先ほど女王陛下からご紹介にあずかった壁外敵勢力の一人、『獣の巨人』だ。乱暴な挨拶になってしまって申し訳ない。が……たった今女王陛下が宣言したよな?壁外敵勢力への抵抗の意思をって」

 

 獣は土煙に汚れたヒストリアを見せつけるように少し持ち上げた。

 

「世界が恐れる悪魔の国が宣戦布告したんだ。少々手荒な真似をしたって文句は言えないだろ?」

 

 身勝手な理屈だったが、恐怖で民衆を黙らせるには十分な言葉であった。

 

「自己紹介もこれくらいにして本題に入るか。壁内人類の諸君――取引をしよう」

 

 思ってもみないことを獣は言う。

 その間も、巨人化したエレンは巨人達に押さえつけられたまま、ふーふーと荒い息を立てている。

 

「おっと。念のために言っておくが、エレン・イェーガーは返せない。真の王家が巨人の力を有していない以上、こいつはまず間違いなく『始祖』を継承している。『始祖』は持ち帰る。これは絶対だ」

 

 そして、何かを探すように広場へ顔を向ける。

 

「でも、女王陛下は返してあげていい。(アギト)の巨人の継承者――ジルケ・クルーガーと話をさせてくれれば」

 

 獣の掌の中でわずかにヒストリアが身動ぎした。

 

「ちなみに、この広場にいることは分かってる。さっき『ヒストリア』って叫んでたろ?俺があの人の声を聞き間違えるわけがないからな」

 

(……気色悪いことを言ってくれる)

 

 獣への嫌悪感は置いておいて、状況を整理しよう。

 あくまでマーレの目的は始祖と王家の血筋のはず。ライナー達がエレンとヒストリアを攫おうとしていた事から、これはまず間違いない。

 

 そして獣はその二つをほぼ手中に収めている。(アギト)が全くの無価値だとは言わないが、始祖と王家を前にしてチンタラと(アギト)に執着する理由はない。

 

 それに、もし本気で(アギト)を回収するだけなら、自ら生み出した巨人共にそこら中の人間を食わせればいい。私がどこに隠れていようと、いずれ誰かの腹に収まる。

 そうでなくとも、私が身を守る為に巨人化するかもしれない。

 

 だが、奴は巨人を動かしていない……誤って私を食べてしまわないためだろうか。

 つまり奴は(アギト)の力ではなく、私そのものを必要としているということか。

 

「俺以外にマーレの人間はいないからさー!出てきてってば!」

 

 嘘か誠か、獣はなおも私を探そうと広場の人間を探し回っている。その癖、リヴァイへの注意は怠っていない。それだけアッカーマンの力を恐れているというのか。

 

 その時、エルヴィンと目が合った。

 

「ジル、決して出るな。リヴァイが隙を窺っている」

 

 獣に聞こえぬ距離と音量でエルヴィンが低く告げた。

 

 エルヴィンの言うとおり、ここで私が出れば奴の思う壺だ。『始祖』は既に捕らえられている。さらに私まで敵の手に渡れば、壁内に残る知性巨人は失われる。王家の血を引くヒストリアも人質に取られたまま。最悪にもほどがある。

 

 そう。頭では分かっている。だけど……。

 

「……やっぱり出てこないか。うーん、正直気が進まないんだけど……」

 

 獣が残念そうに言いながら、ヒストリアの腕を指先で摘まんだ。

 奴がどうする気かは明白だった。

 

「よせ!」

 

 エルヴィンの制止が飛ぶ。だが、私は自分の手に歯を立てていた。

 

 閃光が身体を包む。(アギト)の肉体が周囲の瓦礫を吹き飛ばしながら形成されていった。

 そして、そのうなじから上体だけを出して、私は獣を睨み上げた。

 

「……さあ。お望み通り、私はここにいる。分かったら早くその薄汚い手をどけろ。お前みたいなエテ公が王家に気安く触るんじゃない」

 

 同時に巨人達に拘束されたエレンへ目で語った。動くな。ヒストリアの命がどうなってもいいのか、と。

 

 エレンは怒りに濁った目でこちらを睨んだ。だが、私の意図は伝わったらしい。喉奥で唸りながらも、わずかに顎を引いた。

 

 獣の油断を誘えれば儲け物だったのだが、リヴァイが動けなかったところを見るに隙を晒さなかったらしい。

 望みが外れたと舌打ちをしたその時、獣は予想だにしない反応を見せた。

 

「18年ぶりだね、先生」

 

 泣いていた。

 巨人の目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れている。獣の顔に似つかわしくない、あまりにも人間臭い涙だった。

 

 意味が分からない……何なんだ、こいつは。

 

「でも、やっぱりか」

 

 混乱する私をよそに、獣の声がわずかに沈んだ。

 

「やっぱり先生には昔の記憶がないんだね。あの先生がチンピラみたいなことを言うはずがない。ライナーみたく別人格が生まれちゃったのか」

 

「……ああ、そうかい。そりゃあ残念だったな。お目当ての先生に会わせられなくて」

 

「残念……でもないかな。どんな姿であれ、先生とまた会えて俺は嬉しい。もう二度と会えないと思っていたから……わざわざ寿命を削った甲斐があったってもんだよ」

 

 今のやり取りだけでもわかる。獣の本体は、明らかに前の私に心酔している。

 奴の言葉を信じるなら、ジルケ・シュタイナーに会うためだけに巨人の力を継承したことになる。あまりにも馬鹿げているだろう。

 

 相変わらずシュタイナーさんの人脈はどうなっているんだ。

 

 それに、ベルトルト達との反応の差も気になる。獣は私を悪魔とも、裏切り者とも見ていない。マーレの戦士の間で、なぜここまで認識が違うのか。

 分からないことだらけだったが、ともあれ奴との話を進めなければならない。

 

「それで、姿は見せたんだ。さっさとヒストリアを解放しろ」

 

「そりゃあ無茶な相談だ。まだ俺の用件を言ってもないのに強欲が過ぎる」

 

 裏を返せば用件次第でヒストリアを返してくれる、ということか。

 先程から獣はヒストリアの解放についてだけは意外なほど軽く口にしている。

 

 王家の重要性に気付いていないのか。

 始祖さえ手に入れればすべての問題は解決すると思っているのか。

 あるいは――王家の血筋を、既に別で確保しているのか。

 

 巨人を操る様も踏まえると、獣の本体が王家の血筋を引いている可能性が高いのだが、考えたところで仕方ない。今はただ、奴の言う用件とやらに耳を傾けるより他なかった。

 

「だったら早く言え、クソ猿」

 

「こっわいなぁ、もう……先生の姿で変なこと言うなよ。調子狂うから本当にやめてくれ」

 

 と言いつつ、獣はさして気にしていない風に笑った。

 

「逃げよう、先生。先生はもう戦わなくていい」

 

「……さっきから本当に何を言っているんだ」

 

「俺のツテで亡命先を用意する。決してマーレの手の届かないところだ。そこに逃げてくれると約束するなら、女王陛下は解放しよう」

 

 そんなことの為に、ここまでのことをしでかしたとでも言いたいのか。完全にイカれている。

 私の表情を見て察したのか、獣は語る。

 

「あんたには記憶がないから、ピンとこないかもしれないけどさ」

 

 獣の声が少しだけ柔らかくなる。

 

「ジル先生はこれまでエルディア人のために……いいや、目の前の人を助けるために、文字通り命を賭けて戦ってきたんだ」

 

 奴はこの身体の奥に眠る、もう一人の女を見ながら続けた。

 

「マーレの戦士でも悪魔の末裔でもない。先生は俺自身と向き合ってくれた。クサヴァーさんの時だって先生だけは決して見捨てなかった……エルディアやマーレなんて先生には関係ない。先生は、目の前で困っている人を放っておけない人だった」

 

 当然、私に身に覚えはない。

 だが、奴の言葉を嘘と切り捨てることはできなかった。

 

 あの女ならそうするだろう。ジルケ・シュタイナーなら、敵味方も大義も国家も、ひとまず脇に置いて目の前の人間に手を伸ばす。断片的に見ただけでも、そう思える女だった。

 

「でも、もういいんだ。マーレで英雄に祭り上げられ、革命軍に良いように使われて、その結果巨人にされた挙句、よりによって(アギト)を継承して……今度は壁内の連中と別人格に振り回されている。俺はもう見ていられない」

 

「勝手なこと抜かすなよ。私は自分の意思でエルディアの復権を目指してるんだ。第一な、オリジナルは私の方だ!」

 

「俺にはあんたが偽物に見える。ジル先生が争いを望む人なわけないだろ」

 

 獣は私を憐れむように語りかける。いや、私に人格を乗っ取られているシュタイナーに、か。

 

「まあ、そこは今どうでもいい。話を戻そう」

 

 獣は、拘束されたエレンと掌の中のヒストリアを順に見た。

 

「先生が俺の提案に乗ってくれるなら、女王陛下は返してやる。方法はこうだ。まず先生、始祖(エレン)、女王陛下をウォール・マリアのシガンシナ区まで連れて行く。もちろん始祖(エレン)は気絶させた上でだけど。で、その後は……」

 

「取引という言葉を知ってるのか?始祖(エレン)がマーレの手に落ちればエルディア人は終わりだろうが。こちらに何のメリットもないのに応じるわけがないだろ」

 

「人の話は最後まで聞けよ……まあ、今の先生が俺の言葉を信頼するはずもないか」

 

 自覚があるのか、獣は決まりが悪そうに言う。

 

「安心していい、何も『始祖』をマーレに引き渡そうってわけじゃない」

 

「……ここまで来ると清々しいな。で、マーレ以外のどこなら私を安心させられるんだ?」

 

「先生の旦那さん――エレン・クルーガーの遺した旧エルディア革命軍を核とする反マーレ組織。先生の亡命先も、そこを介せばマーレに見つかることなく、穏やかな時間を過ごせるはずだ」

 

 旦那の名が出たこと以上に、獣の語った内容そのものに凄まじい衝撃を受けた。

 

 獣は革命軍の残党と繋がっているのか。あるいは奴自身がその組織の一部なのか。重要なのは、大陸側にエルディア復権の意思は途絶えずに残っており、この猿もその意思を受け継いでいるのかもしれないことだ。

 

「どうやらその辺の記憶はあるらしいな。じゃあ、革命軍が大陸に潜伏していた王家の末裔を保護したのは覚えてる?」

 

「……いや」

 

「わかったろ?別に壁内に頼らなくても、エルディアの復権は可能だ。先生が壁内に固執する理由は無いんだ」

 

「お前が嘘を言っているかもしれんだろ。証拠を出してみろ!」

 

「証拠を出せば、こっちに来てくれるってことか?」

 

 私はすぐに答えることができなかった。

 こいつは、間違いなくシュタイナーや革命軍の残党と深く繋がっている。そしてそれを悟らせる為にわざと分かるように言ってきているんだ。

 

「従わなければ?」

 

「女王陛下の命は保証できない。あと、先生の身柄を確保するまで無辜の市民を殺すことになる」

 

「……どうやらシュタイナーさんから人命の尊さとやらを教わらなかったらしいな」

 

「いや、習ったよ。俺だって無闇に人殺したくないし。ただ先生の命が何よりも優先されるってだけだ」

 

 獣の受け答えでようやく気付いた。これは取引でなく、人質を背景とした脅迫だと。

 

「先生はもう十分戦った。残りの人生は誰もいないところで、静かに暮らそう。海でも眺めながらさ。記憶が戻らず、どうしても復権派として活動したいと言うなら仕方がない。ま、その場合でも近い未来滅ぶであろう悪魔の島じゃなくて、資金も技術も人脈も潤沢にある大陸の方が絶対に良い」

 

 そして獣は静かに告げた。

 

「――先生は自由だ」

 

 その言葉が妙に優しく響いた。

 だからこそ気味が悪かった。

 

 数多の思いが胸の内で交差する。奴の言葉をどこまで信じればいいのか。大陸に残る革命軍。王家の末裔。旦那(エレン)の遺した組織。どれも私を揺さぶるには十分すぎる材料だった。

 

 だが、今分かっていることは一つだけだ。

 ここで私が奴の望みを拒絶すれば、ヒストリアが死ぬ。

 

「ジル!」

 

 獣の指がわずかに締まる。その声を黙らせるために。

 だが、ヒストリアは怯まなかった。

 

「あなたが選びなさい!!私を理由にしなくていいから!!」

 

「おいおい……正気かよ。嬢ちゃんも死に急ぎ野郎だったりする?」

 

 獣は呆れたように言う。

 

「聞いたぞ、5年間もジル先生と一緒だったらしいじゃないか。なのに、先生じゃなくてアッチの為に命賭けたいのか」

 

「そんなわけないでしょ!今だってジルのこと嫌い寄りだし、何度も記憶が戻ってくれたらいいなって思ってるわ!」

 

「嬢ちゃんも嬢ちゃんでひでぇな」

 

 でも。とヒストリアは唇を噛み締めた。

 

「――ジル、あなたは自由なんだから……ようやく自由になれたんだから、自分の生き方くらい自分で選びなさい」

 

 そして、ほんの少しだけ口元を歪める。

 

「……私みたいにね」

 

 二人は自由を語った。

 だが、私にはまったく別物のように聞こえた。

 

「同じ恩師を持つ者同士、仲良くなれると思ったんだけどなぁ……交渉は決裂か」

 

 獣は困ったように言った。

 その指が再びヒストリアの身体にかかった。細い肩へ巨大な爪が沈みかける。

 

 その時だった。

 獣の腕に何かが当たり、小さく跳ねた。

 

 金属音と乾いた火花。直後、巨大な爆発が獣の腕を呑み込んだ。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 初めてウーリ・レイスに出会った日のことを、ケニー・アッカーマンが忘れたことはなかった。

 

 あの日、ケニーは死ぬつもりなど毛ほどもなく、憲兵共を何人殺そうが追手が何人来ようが、自分だけは最後まで逃げ切れる自負があったし、実際それまでそうやって生きてきた。

 

 力さえあればそれでいい。敵の喉笛を切って、切って、切りまくれば、いつか全てが思い通りになる――そう本気で信じていた。

 

 しかし、ウーリの巨人によって身体ごと握り潰されそうになった時、初めてケニーは知ったのだ。どうしようもなく届かない力が、この世にはあるということを。

 

 骨が軋み、肺から空気が抜け、視界が黒く狭まっていく。逃げられない。殺せない。抵抗することすら許されない。

 

 そして、そんな化け物の力を持つ男が、ケニーの前で膝を折った。許しを乞うように頭を下げた。

 

 あの衝撃だけは今も身体の奥にこびりついていた。

 

 強いから跪かせるのではなく、強いからこそ跪ける――そんな理屈にもならないものをウーリはあの日ケニーに見せた。

 

 だからケニーはあの男の傍にいた。

 友人などという綺麗な言葉で片付けるには、あまりに歪で、あまりに特別な関係だった。

 

 ウーリが死ぬ前、ケニーに言った言葉がある。

 

 『この楽園は遠くない未来、確実に滅ぶ』と。

 

 当時はいつもの諦観だと思っていた。

 ウーリは世界を知っているような顔で、全てを支配できる力がある癖に世界を諦めているのだ。

 

 だが、ジルケ・クルーガーから壁の外の真実を聞いた時、ようやく分かった。

 ウーリは比喩を言っていたのではない。あの男は本当に知っていたのだ。壁の外にいる人類がいつか必ず滅ぼしに来ることを。

 

 この楽園は楽園などではなかった。王が民から記憶を奪い、歴史を奪い、滅びの日まで檻の中に閉じ込めていただけの場所だった。

 

 ならばウーリは何だったのか。神様か、詐欺師か、奴隷か、それともただの友人だったのか。

 

 そこまで考えてケニーは鼻で笑った。

 何でもよかった。たった一つの欠点で見限れるほど、あの男との時間は安くなかった。ウーリが平和の奴隷だったとしても、あの日膝を折ったことまで嘘になるわけではないし、ケニーの横でくだらない話を聞いていた事実まで消えるわけではない。

 

 ウーリに失望はしていなかった。ただ、レイス家の支配が続くことだけは我慢ならなかった。

 

 だから、ケニーは即位式へ来た。

 王家の血を引く小娘が、王になって何を見るのか。

 

 壇上に立ったヒストリア・レイスは、白いドレスを着ていた。遠目にも分かるほど小さな身体で民衆の前に立ち、言葉を紡いでいた。

 

 美しかった。

 

 顔立ちや衣装の話ではない。あの小娘は未来を見ていた。ウーリのように滅びを受け入れるのではなく、壁の王のように影に隠れるのでもなく、前を見ていた。

 

 その姿を、ケニーは屋根の影から見下ろしていた。

 

「……まあ、及第点ってところか」

 

 地下礼拝堂の時と同じだった。あの時もヒストリアは最後の最後で自分の足で立った。父親を拒み、注射器を叩き壊し、死んだ姉や失われた母親代わりの幻からようやく惑わされなくなった。

 

 今もそうだ。綺麗事を吐いているようで、その実誰かに選ばされた言葉ではなかった。

 少しだけ癪だった。あの小娘に少しでも心を動かされた自分がいるとは思ってもみなかった。

 

 だが、それでもケニーが動く理由にはならなかった。

 

 獣の巨人が現れた時も、兵団本部が砕け壇上の王が掌に囚われた時も、赤黒い酒を飲んだ連中が巨人に変わり広場が地獄にひっくり返った時も、ケニーはまだ屋根の上からそれを見ていた。

 

 新しい王様の門出には、いささか酷い。その程度のことを思っていた。

 

 だが、獣の掌の中でヒストリアが叫んだ――ジルケに向かって自分で選べと。

 

 その声を聞いた瞬間、ケニーの脳裏に忘れたはずの感触が蘇った。

 巨人の掌。軋む骨。逃げられない圧迫感。情けなく吐き出した弱音。あの日の自分はただ死にたくないと願うことしかできず、ウーリの掌の中で、強さも矜持も殺しの腕も何の役にも立たなかった。

 

(俺は命乞いしかできなかったのによ)

 

 ケニーの口元が歪んだ。笑っているのか自嘲しているのか、自分でも分からなかった。

 

 強さ。

 ずっとそれだけを追いかけてきた。殺されない強さ、奪われない強さ、誰にも跪かない強さ――巨人の力を手に入れればウーリと同じ景色が見えるのだと、そう信じていた。

 だが今この瞬間、ケニーは己が信条としてきた強さでさえ、十五の小娘に負けた気がした。

 

「……俺もヤキが回ったみてぇだな」

 

 そう呟いた時には、もう身体が動いていた。

 立体機動装置のワイヤーが砕けた兵団本部の外壁へ突き刺さり、ガスを噴かせたケニーは屋根の影から一気に獣の巨人へ距離を詰めていく。手元の筒には対巨人用爆薬が括りつけられていた。

 

 ヒストリアを握った腕を吹き飛ばす――言葉にすれば簡単だが、成功する保証などなかった。爆風が掌の中の彼女を巻き込むかもしれないし、切断された腕ごと地面に叩きつけられればその衝撃で死ぬかもしれない。

 

 獣の指がヒストリアの肩へ沈みかけると、ケニーは笑った。

 

「おい、毛むくじゃら」

 

 小さな金属音とともに、獣の手首の影で爆薬が跳ねた。

 

「手癖が悪ぃんだよ」

 

 次の瞬間、爆発が獣の手元を呑み込んだ。

 爆風と黒煙が膨れ上がり、獣の巨人の腕が肘から先ごと吹き飛ぶ。ヒストリアを握った掌が肉と蒸気を撒き散らしながら空中へ投げ出され、広場中の視線がその落下する掌へ集中した。

 

 ケニーは喉が裂けるほど叫んだ。

 

「リヴァイ!!」

 

 言葉が終わるより早く、リヴァイが動いていた。

 崩れた建物の縁を蹴り、空中で刃を閃かせる。肉の指を裂き、掌の中からヒストリアを引きずり出すと、そのまま身体を反転させて落下の勢いを殺しながら別の建物へワイヤーを打ち込んだ。

 

 さすがだ。腹立たしいほどよく動く。

 

「んな馬鹿な!!なんつー威力の手榴弾だよ!?」

 

 獣の巨人が初めて明確に呻いた。

 切断面から蒸気が噴き上がる。だが、その目はすぐにケニーを捉えた。

 

「何でいるんだよぉぉぉぉ!!」

 

 軽薄な声に、明らかな苛立ちが混じっていた。

 

 ケニーは笑いながらワイヤーを射出した。

 獣は壁際に寄っていた。先ほどリヴァイを警戒して立体機動に使えるものを壊していたが、完全ではない。壁の側まで逃げたおかげで、ケニーは縦横無尽とはいかないまでも、壁にアンカーを射出して十分に立体機動を使えた。

 

 獣の巨人の巨体を中心に、ワイヤーを打ち込み、壁面を蹴り、瓦礫の影を縫っていく。正面から斬り合う気などない。リヴァイのようにうなじを斬り飛ばせる刃もなければ、ジルケのような巨人の爪もない。

 

 あるのは銃ととっておきの爆弾だ。

 

 獣の視界の端を掠めるように飛び、次の爆弾を構える。だが、獣も馬鹿ではなかった。先ほど腕を吹き飛ばされたせいか、露骨に接近を嫌がっている。再生しかけた腕を庇いながら、もう片方の手で近くの建物を掴み、壁ごと砕いた。

 

 岩塊が飛ぶ。投げたというより、散弾のように撒き散らしたに近い。

 

「っぶねぇな!」

 

 ケニーは辛うじて身を捻った。頬を石片が掠め、血が散る。背後の屋根がまとめて砕け、近くで巻き込まれた兵士が悲鳴を上げた。

 

 獣は距離を詰めてこない。うなじを守っている。いや、守るまでもなく、現れてからほとんどずっと硬質化していた。リヴァイの刃を弾いたあの時から獣は常にうなじを固めている。

 

 いくら爆弾の威力が高くとも、動く獣の、しかも硬質化されたうなじをピンポイントで破壊するのは至難の業だった。

 

 ジルケとやり合った時とは違う。近づけば獣は爆弾を警戒して距離を取り、離れれば投擲で潰しにくる。

 

 厄介極まりない。

 

「ちょこまかと……!」

 

 獣が再び建物を砕いた。

 今度は避けきれなかった。礫の一つがケニーの横腹を貫いた。

 

 熱い、という感覚が最初に来た。遅れて激痛が走る。視界が白く弾け、握っていたワイヤーの感覚が一瞬遠のく。腹の中をかき回されるような痛み。呼吸が詰まり、血が喉に込み上げる。

 

 それでもケニーは止まらなかった。

 

 壁面に片足を叩きつけ、無理やり姿勢を立て直す。身体から血が尾を引く。だが、ガスを噴かせて再び獣の元へ滑り込んだ。

 

「化け物が!!」

 

「テメェとあの女だけには言われたくねぇよ」

 

 その瞬間、獣の足が不意に崩れた。

 膝が落ち巨体が傾く。

 

 リヴァイだった。

 ヒストリアを安全圏へ逃がし、即座に戦線へ戻っていたのだろう。獣の背後を取ったリヴァイが両脚の腱を斬り裂いていた。

 

 言葉はなかった。合図もなかった。それでもケニーには分かった。今しかない、と。

 

 ケニーはワイヤーを獣の肩口へ打ち込み、身体ごと引き寄せた。

 獣がこちらを振り払おうと腕を上げる。だが、再生の途中で動きが鈍い。リヴァイがさらに足元を斬り、巨体の重心が崩れ、うなじが一瞬だけ晒された。

 

 硬質化された皮膚。刃なら通らない。離れて爆破しても足りない。

 ならば身体が密着するほどの至近距離はどうだ。

 

 ケニーは獣のうなじに身体ごとぶつかった。肋骨が嫌な音を立て、横腹の傷から血が噴き出す。それでも構わず、爆弾を硬質化した皮膚へ押し当てた。

 

「お前、まさか――」

 

 ケニーは笑った。その笑いは自分でも呆れるほど愉快そうだった。

 

「じゃあな、化け物」

 

 躊躇はなかった。

 

 瞬間、熱と衝撃が身体を裂き、硬質化された皮膚が砕け、肉が爆ぜ、蒸気と血が混じり合って視界を奪う。

 

 掠れる視界の中でケニーは見た。獣のうなじから、金髪の髭面の男が爆風に塗れて吹き飛ぶのを。

 

 あれが獣の本体か。そんなことを思いながら、ケニーの身体もまた宙へ投げ出された。

 

 瓦礫の中へ落ちる。背中から家屋の屋根を突き破り、梁に叩きつけられ、さらに床へ落ちた。

 

 音が遠かった。痛みもどこか遠い。

 

 腹に穴が空いている。片腕の感覚がない。肺に血が入ったのか、息をするたびに喉が泡立つ。

 

 見上げた天井の隙間から、白い空が見えた。その空を遮るように、小柄な影が降りてくる。

 

 リヴァイだった。

 

「……チッ」

 

 ケニーは話そうとして、血を吐いた。

 

「このチビ……髭面野郎を、先に……」

 

「部下を向かわせてる。爆風をモロに受けて息も絶え絶えなのは奴も同じだ」

 

「は……随分口答えするようになったな、ドチビ」

 

「黙ってろ。死にてぇのか」

 

 ケニーには分かっていた。自分の命がもう残り少ないことを。

 

 リヴァイもまたそれを悟ったように、瓦礫の中に膝をついた。血塗れのケニーを見下ろす目に哀れみはない。ただ、ずっと昔から変わらない、苛立ったような、何かを測るような目をしていた。

 

「ケニー」

 

「あ?」

 

「お前、何がしたかったんだ」

 

 ケニーは少しだけ目を細めた。

 

 何がしたかった――そんなもの、こちらが聞きたいくらいだった。

 

 ウーリと同じ神様みてぇな力を手に入れたかったのか。それとも、あの日膝を折った男の心を、ほんの少しでも理解したかったのか。

 

 分からなかった。分からないまま、ここまで来た。

 

「けっ……別になんてこたぁねぇよ」

 

 喉の奥で血が絡む。それでもケニーは笑みを崩さなかった。

 

「ただ、あのガキに負けたくなかっただけだ」

 

 それは紛れもない本心だった。

 

「ピークちゃん!!悪いけど助けて!!」

 

 酷く間抜けな叫び声が獣の本体が落ちていった方からした。それと同時に、近くで雷が落ちた。

 

 いや、違う。巨人化の光だ。

 

 半ば潰れた視界の端で、広場の奥に新たな影が膨れ上がるのが見えた。二本足ではない。地面に四肢をつき、異様に細長い身体を低く構えた巨人だった。

 

 四足歩行の巨人。

 そいつは兵士達をものともせず、小さな体躯と異様な機動力で、瓦礫の隙間をすり抜けていき、あっという間に血塗れの髭面の男を口元に咥え上げた。

 

「……まだいやがったのか!」

 

 リヴァイが焦りを滲ませた声で呟く。

 敵は、獣だけではなかった。初めから潜んでいたのか、あるいは今の混乱を待っていたのか。どちらにせよ、あの四つ足は獣の本体を救うために現れた。

 

 四足歩行の巨人は、そのまま壁へ向かって駆け出した。

 

「逃がすな!」

 

 誰かが叫ぶ。兵士達が一斉に飛び、立体機動のワイヤーが四足歩行の巨人へ向かって伸びる。

 だが、その直前髭面の男が顔を上げた。

 

 爆風に焼かれ、片目もまともに開いていない。息も絶え絶えのはずだった。それでも男は喉を裂くように叫んだ。

 

「兵士共を殺せ!!」

 

 次の瞬間、エレンを押さえつけている巨人を除いた無垢の巨人達が、一斉に動き出した。

 止まっていたはずの巨人が再び兵士へ襲いかかり、四足歩行の巨人を追おうとした兵士達の足元に、横合いから巨人の腕が伸びる。ワイヤーを掴まれた者が引きずり落とされ、刃を構えた者の背後から別の巨人が覆い被さる。

 

「クソが」

 

 リヴァイが低く吐き捨て、立ち上がろうとした。その目は、すでに壁へ向かっている。

 

 追う気だろう。

 四足歩行の巨人が壁を登るより先に追いつける可能性がわずかでもあるなら、迷わず飛ぶ。リヴァイはそういう奴だ。

 

「やめとけ。無謀なのはお前が一番知ってるだろ」

 

「……」

 

 そう言ってる間に、四足歩行の巨人はすでに壁上付近まで登り詰めていた。爪を食い込ませ、異様な速さで。その口元では、髭面の男が壁の下を見下ろしていた。

 

 広場の喧騒を裂くように、その声が響いた。

 

「先生!!」

 

 声の向かう先にあの女がいるのだろうということは、直感的に理解できた。

 

「俺は諦めないからな!!絶対に迎えに行くから!!!」

 

 四足歩行の巨人が壁を越え、獣の本体と共に向こう側へ消えていった。

 

 リヴァイはしばらくその方向を睨んでいた。

 追えない。追えば、ここに残った巨人と民衆と兵士を捨てることになる。ヒストリアを救ったばかりの今、王を再び危険に晒すことにもなる。何より、馬もなしであの四足歩行の巨人を追って壁の外まで行くのは無謀だった。

 

 リヴァイは舌打ちした。追わないと選択したようだ。

 

「あの毛むくじゃらにまんまと一杯食わされたな。なーにが俺以外のマーレ軍はいねぇだ」

 

「……もう喋るな。最後くれぇ大人しくしろ」

 

「へっ。ま、人生の最後にお姫様救えたんだ。さしずめ俺は王子様ってか」

 

 独り言ちながら、ケニーは自嘲する。

 

 結局欲しいものは何も手に入らなかった。だが、最後を飾るには悪くない舞台だった。

 

「……まあ。テメェの茶番もなかなか楽しめたぜ」

 

 その言葉が誰に向けたものだったのか、ケニー自身にも分からなかった。ウーリか、ヒストリアか、リヴァイか、化け物女(ジルケ)か。

 

 それとも、くだらない強さを追いかけ続けた自分自身か。

 

 視界の端でリヴァイが何かを言った気がした。だが、もう音は届かなかった。

 ケニー・アッカーマンは薄く笑ったまま、目を閉じた。




原作主人公(エレン・イェーガー)?知らない子ですね…?

王政編は覚醒したアッカーマンを違和感なく退場させる難易度があまりにも高く、終始頭を抱えながら書いていました(違和感なく退場させることができたとは言ってない)
最後ジークが大暴れしたせいで後味悪いですが、無事に章区切りまで辿り着けてひと安心です。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
※ ジークが適当ぬかしまくっているせいで、色々訳の分からない状況になっているかと思いますが、そのあたりは次話以降で少しずつ整理していければと思っています……

また冒頭でも触れた通り、今後は本編の合間に不定期で閑話を挟んでいく予定です。そちらも含め、引き続き楽しんでいただければ幸いです。

※二者択一でアンケート取ったら好き嫌い.comくらい極端な数値が出て笑っちゃいました(もうちょい割れるかと思いました)
ここまでの結果だと、逆に需要がわからなくなってしまうので中間択を設けました。それでも結果が変わらなければ、民意として真摯に受け止めてクルーガーさんには泣いてもらいます。
一度投票いただいた方には申し訳ございませんが、よろしくお願いします。

どっちの人格のオリ主が好き?(閑話の参考にします)

  • 転生ネキ(シュタイナー人格)
  • 頭復権派(クルーガー人格)
  • どっちも同じくらい
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