エレンの妻です   作:ホワイト3

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今に始まった話ではありませんが、視点がバンバン変わるので読みづらいかもしれません。ご容赦ください。


46:シガンシナ区決戦

 壁の上で眠るというのは、寝相の悪いベルトルト・フーバーにとってある種命懸けだった。

 

 眠る前にロープで身体を縛り上げ、杭にしっかりと結びつけておく。二重に巻いた縄が肩や腰に食い込んで、決して寝心地が良いとは言えなかったが、それでも壁の縁から転がり落ちて命を落とすよりは、よほどましだった。

 

 目を開け、自分を縛るロープの感触を確かめて、ベルトルトはようやく安堵の息を吐いた。

 

 今日も落ちなかった。

 

 寝袋から這い出して身を起こすと、東の地平線がうっすらと白み始めていた。空はまだ全体に暗く、星のいくつかは残っている。壁の上の風は冷たいが、おかげで頭の靄はすぐに晴れた。

 

 数歩先で、ジーク・イェーガーとライナーが見張りに立っているのが見える。ベルトルトは寝袋を畳むと、二人の方へ歩み寄った。

 

「戦士長。交代します」

 

「おう、おはよう。いい天気だな」

 

 まだ暗い空を「いい天気」と評する感性に、ベルトルトは何と返していいか分からず、とりあえず頭を下げた。

 ジークがにやりと笑って、焚火の傍に置いてあった金属製のポットを掲げる。

 

「さっき珈琲淹れたんだ。どうだ?壁の上で飲むと格別だぞ」

 

「はぁ……」

 

 流されるままカップを手渡される。立ち上る湯気が鼻先をくすぐった。ベルトルトはそれを両手で包むようにして、火の傍に腰を下ろした。

 

 マーレの戦士達がシガンシナ区壁上で野営を始めて、もう数週間になる。

 壁を塞ぎに訪れるであろう調査兵団を待ち伏せし、始祖を奪還する――それが、即位式の失態を取り返すために組まれた作戦だった。

 

 当初、ベルトルトとライナーはアニの救出を強く主張していた。第57回壁外調査以降、彼女の消息が途絶えており、ジーク達の壁内侵入時にも居所は掴めなかった。

 生きているのか死んでいるのか、囚われているのか潜伏しているのかも分からない。ただ、ジークが目を通したという商会発行の新聞には、ストヘス区で女型の巨人が出現し、兵団と交戦したとあった。無事でいるとは考えにくい。

 

 一刻も早く壁内に潜入してアニを助けるべきだ――そう何度も意見した。

 

 だがジークの返事はにべもなかった。

 

「要領のいいアニちゃんのことだ、どうせ上手いこと隠れてキックの練習でもしてるって」

 

 それに、と彼は続けた。

 

「俺は即位式で派手にやらかしたろ。壁内の連中にツラが割れてる可能性がある。お前ら二人は論外だし、また壁の中に潜入なんてただの自殺行為だろ」

 

 ピークちゃんを一人で行かせるのも酷だしねぇ、とジークは今も偵察に向かってくれている部下を慮るように言った。

 

 納得したわけではないが、戦士長の判断には逆らえない。なによりアニの奪還と作戦継続をかけてジークとライナーが決闘し、結果ジークが勝ったのだ。今更決定を覆すことはできなかった。

 

 ベルトルトはきっぱりと割り切って、この待ち伏せ作戦を成功させることだけを考えるよう意識した(と心の内で強く言い聞かせても、壁内のどこかにいるであろうアニの顔を寝袋の中で何度も思い浮かべる夜が続いた)。

 

「まあ、アニちゃんをずっと無視しとくわけじゃないよ。何年もここで野営するわけにもいかねぇし」

 

 珈琲を一口飲んで、ジークは言う。

 

「南方植民地の反乱が片付けば、マーレ軍も合流するって話だ。マーレの陸・海・空軍が本腰入れれば、技術力と物量差で壁内なんてすぐ制圧できるだろ。その時にでもアニちゃんを探そうぜ」

 

 そう言いながらも、ジークの口振りはどこまで行っても軽かった。

 ベルトルトはカップに視線を落としたまま、ぎこちなく頷く。戦士長の飄々とした態度に、いつまで経っても慣れなかった。

 

 視線を移すと、ライナーが壁の縁に座って何も言わずに北の空――壁内の方を眺めていた。彼の手にもカップがあるが、湯気の上がり方からすると、もうずいぶん前から口をつけていないらしい。

 

 最近のライナーはこうして黙り込む時間がやけに長い。話しかけるべきか、そっとしておくべきか、ベルトルトには判断がつかなかった。

 

 それにしてもマーレ軍もずいぶんと始祖奪還作戦に本気だ。てっきり悪魔の島にマーレ人を送り込むのを嫌って、また戦士隊だけで壁内侵略を進めるのかと思っていた。

 

 軍がここまで本腰を入れる理由。もちろん、暗黒の人類史たるエルディア帝国がある種復活を遂げたのだからなりふり構っていられないのかもしれないが、ベルトルトは別の可能性を――とある女を思い出した。

 

「戦士長。我々の目標はあくまで『始祖』ですよね」

 

「ん?そうだけど?」

 

「……ジルケ・クルーガーはどうしますか」

 

 その名を口にすると、ジークはわずかに目を伏せた。

 その一瞬の表情の揺らぎに気付いたのは、隣で珈琲を啜るベルトルトだけだったかもしれない。揺らぎは本当に一拍ほどで消え、ジークはすぐにいつもの調子に戻った。

 

「マガト隊長は生け捕りにしろって言ってたけど」

 

 肩を竦めて、ジークは言う。

 

「まあ、難しいだろ。クルーガーも巨人の力持ってんだし、追い詰められりゃ何するか分からん。確実に殺したと分かる形ならまあ何でもいいよ。頭でも持ち帰れば、お上もそれなりに喜ぶでしょ」

 

「了解です」

 

「あ、先に言っとくけど」

 

 ジークは指を一本立てた。

 

「超大型で跡形もなく消しました、ってのはやめろよ?生死の確認ができないし、そもそもクルーガーは硬質化が使えるんだ。爆風くらいなら耐えられるかもしれん」

 

「……善処します」

 

 ずいぶん難しい注文を出してくれるな、という言葉を飲み込んでベルトルトは短く頷いた。

 

「あと、兵団の動きを封じたいから連中にまた色々喋る予定だけど、まあ気にしないでくれよ。別に頭おかしくなったわけじゃねぇから」

 

「分かりました」

 

「あれ、気にならないんだ?」

 

「……気にして欲しいんですか?」

 

「いやー、だってさぁ。ピークちゃんにはめちゃくちゃ怪しまれたし」

 

「戦士長が気にするなというなら気にしません」

 

「軍人の鑑みたいな奴だな。自分の意思がないとも言えるけど。まあとりあえず『始祖』やクルーガーの確保は俺達に任せとけって」

 

 小回りの利かない超大型では向かない任務は鎧や獣に任せればいい。線を引けば、余計な疑問もアニを置き去りにしている後ろめたさも、少しだけ遠ざけられた。

 

 そう自分を納得させて、ベルトルトは遥か北の方角を睨んだ。

 

 あの地平線の向こうには、世界中から悪魔と蔑まれる友人たちがいる。同時に、自分達の一家の運命を変えた悪魔が今もどこかで息をしている。

 

「あー、そっか。フーバー家って確か、クルーガーの作った血液検査法のせいで収容逃れが発覚したんだっけ」

 

「……ええ。記憶がないくらい幼い頃にですが、収容区送りになりました。おかげで一家の生活のために戦士候補生に志願せざるを得なかったわけです」

 

 言ってから、ベルトルトはハッとして慌てて頭を下げた。

 

「失礼しました。今のは――」

 

「言葉に気をつけろよ。名誉ある戦士の務めを、お前は『せざるを得なかった』と思ってるのか?」

 

 ジークの声色には特に怒気はなかった。だが、その淡々とした調子の方がかえって肝が冷える。

 

「申し訳ありません。そんなつもりでは……」

 

「ま、お前の恨みも分かるよ」

 

 ジークはあっさりと話題を戻した。

 

「マーレ人として優雅に暮らしながら、裏ではエルディア帝国の復活を掲げて、マーレのあらゆる組織に同じ思想の同胞を送り込み続けた。その数、数百じゃあきかねぇって話だ」

 

 クルーガーは長年、血液検査を偽造し、同志をマーレ人として社会のあらゆる階層に溶け込ませた――それがマーレ軍の見解だ。特に医療従事者を関係者に忍ばせることで、検査結果を偽造された人間は疫病のように広まっていったという。

 しかも姿を消す直前、クルーガーは自身の関わった検査記録を軍から全て消し去った。おかげで、誰が潜り込んだ人間なのか後からでは全く分からない。

 かといって公表すれば、再び収拾のつかないエルディア人狩りが起こりかねない。マーレ政府としても動きあぐねているのが実情だった。

 

「挙句、旦那の『フクロウ』と共に指導していた反マーレ組織はあちこちで起きてる植民地や収容区の反乱にも一枚噛んでるって噂だ。今もなおマーレを蝕み続けてるんだから、まさしく悪魔の所業だな」

 

 恨みもわかる、と言いつつ、ジークの口調はどこか他人事だ。

 この人は何を考えているのだろう――ベルトルトの中で、その答えが形を結ぶ前に霧散した。考えても分かるわけがない。

 

 二人が話している間も、ライナーは依然として北の空を見ていた。だが、彼の唇が微かに動いている。

 

「……あの人が、悪魔?」

 

 ライナーは誰に向けるでもなく呟いた。

 

「だったら母さんへの施しは何だったんだ。あれがなきゃ、俺の家族は……いや、しかし……」

 

 ベルトルトは口を開きかけて、結局何も言えなかった。

 

 彼の母カリナが『白衣の女神』に感化されていたこと、その話をライナーが幼い頃から繰り返し聞かされていたことをベルトルトは知っている。

 

 ブラウン家にとってジルケ・クルーガーは特別な存在だった。言わばマーレの慈悲であり、自分達は他のエルディア人とは違う、選ばれた存在なのだと信じるための歪んだ拠り所だった。

 

「あれ?なんで今更ショック受けてんの、こいつ?」

 

「……5年前のあの日からずっとこうなんです。そっとしておいてもらえれば治りますから」

 

「お前も苦労してんだなぁ」

 

 この時ばかりはジークも心底同情したように言った。

 

「あの、戦士長」

 

「うん?」

 

「その……5年前に僕達がヘマをしたせいで、その……」

 

「あー、もういいよ」と言いながらジークは大きく溜息をついた。

 

「そりゃあ最初に報告された時はライナーを殺してやろうかと思ったけど……もういいんだ。この世界がクソなのはガキの頃から知ってるから」

 

 ジークはそう言い切ると、ゆっくりとライナーの方へ視線を向けた。変わらず独り言を繰り返す背中に、息をひとつ吐いてから歩み寄る。

 

「もしもーし。ライナー、お前空気と友達にでもなったのか?」

 

「……っ、いえ」

 

「しっかりしようよ。俺達の手で、この呪われた歴史に終止符を打つんだろ」

 

「……はい」

 

 悲痛な面持ちで答えたライナーを見ても、ジークは特に追及するでもなく、「本当に分かってんのかねぇ」と呟いた。

 彼の内側で何が起きているのかベルトルトが一番近くで見ているからこそ、軽々しく言葉を投げる気にはなれない。

 

 ただ、心の底から願う。

 

(頼むから……本番で兵士の方は出てこないでくれよ)

 

 しばらく沈黙が続いた。

 地平線の白みは少しずつ広がり、遠くで鳥が一羽鳴いた。火の音と、三人分の呼吸の音だけが壁の上に薄く積もる。

 

 その時――。

 

「ジーク戦士長」

 

 壁下から『車力の巨人』の低い声が響き上がってきた。

 

「敵兵力、多数接近。麓まで来ています」

 

 とうとう来たか。

 ベルトルトは、自分の手が無意識に膝の上で握り締められていることに気付き、ゆっくりとそれを開いた。

 

「連中も思ったより早かったな。ありがとう、ピークちゃん。岩の準備もよろしく」

 

 ジークは大して驚きもせず、ピークに次の指示を与えた。兵団も色々と準備してきたのだろうが、それはこちらも同じだ。

 

 そしてジークは立ち上がり、カップを掲げた。

 

「乾杯の口上は……ま、いつものでいいだろ」

 

 ライナーとベルトルトも黙ってカップを掲げる。

 ジークの先導で、三人の声が壁の上で重なった。

 

「――勇敢なる戦士達に」

 

 残りの珈琲をベルトルトは一息に飲み干した。苦味だけが舌の奥に残った。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 シガンシナ区は巨人に蹂躙された廃墟の街だった。

 崩れ落ちた家々、なかば瓦礫に埋もれた井戸、苔むした石畳。割れた窓硝子の向こうには、住人が逃げ出した当時のままの食卓が見えた。

 

 5年前から時が止まったかのようだった。

 

(これがエレン達の故郷か)

 

 感傷に浸っている暇はなかった。エレンのいるリヴァイ班は外門を目指して立体機動で先んじて飛んでいき、私はエルヴィンと共に内門に残って周囲を見渡した。

 

 壁外だというのに、いやに静かだった。

 

「エルヴィン。ここに来るまで巨人を一匹も見かけないが、普段からこんなものなのか?」

 

「壁外調査がこれほど楽ならば、調査兵団の殉職率ももう少しマシだろう」

 

「……愚問だったな」

 

 私の『叫び』を嫌って周囲の巨人を殲滅した……ということだろうか。

 それにアルミンの発見からすると、おそらくライナー達は既に――。

 

「エルヴィン団長!」

 

 ニファが私達のもとへ駆け寄り、南の方角に上がる緑の信煙弾を指差した。

 

「リヴァイ班が外門に到着!いつでも穴を塞げます!」

 

「わかった。ニファ、こちらからも合図を送ってくれ」

 

「はい!」

 

 ニファが同じく緑の信煙弾を上げる。その数秒の後、外門周辺に稲妻が落ちた。

 

 エレンが外門を封鎖できれば、ひとまず巨人の流入路は閉じられる。地下室を調査するには、まずはこの街を袋小路にしなければ話にならない。

 その意味で、ここでエレンが失敗すれば全てが終わるが――その心配は杞憂だった。向こうから成功を告げる合図が上がり、私達もひとまず胸を撫で下ろす。

 

「まだだ。敵を撃退するまで作戦は終わらない」

 

 エルヴィンが厳然として言う。そこへアルミンが壁下から戻ってきた。その手には金属製のカップが握られている。

 

 やはり何者かがここで野営していたらしく、地面には冷め切ったポットや灯具が散乱していたという。

 

「それと、黒い液体を注いだ跡があるカップが三つ。少なくとも三人が、この壁の上にいたようです」

 

 アルミンがカップを差し出す。受け取って嗅いでみると、懐かしい匂いがした。

 

 これは珈琲か。市民病院で、診察の合間にセラがよく淹れてくれたものだ。遠い日常がふと胸をよぎる。

 

 指先でカップの底に触れてみると、金属はすっかり熱を失っていた。

 

「注がれてからずいぶん経っているということか……」

 

 私の呟きに、エルヴィンとアルミンが揃って顔を上げた。

 

「我々は馬と立体機動を駆使し、全力でこの壁の上まで到達した。ここから我々の接近に音や目視で気付いたとしても、早くて二分前が限度のはず。使ったばかりの鉄製のポットやカップが、二分やそこらで冷め切るはずがない」

 

「団長のおっしゃる通りです。敵はおそらく五分、いやそれ以上前に我々の接近を知り、備える時間も十分にあったということになります」

 

「……斥候を務めたのは、おおかた車力の巨人だろう。あれは何ヶ月にもわたって巨人の姿を保てる。偵察にはうってつけだ」

 

 二人の推理を聞き、ぽつりと私は口を挟んだ。

 車力は先の即位式でも姿を見せていた。おそらく、ここにも来ている。

 

「どうする。エレン達ももうすぐ戻ってくるぞ。敵の位置も分かってないんだ、エレンでなくとも私の(アギト)で穴を――」

 

「いや、予定通りエレンで内門の穴を塞ぐ。だが、もたもたしている暇もない。エレン達が戻るまでに、敵の居場所を特定する」

 

 そう言うと、エルヴィンはアルミンを指揮官に選任し、内門側に敵が潜んでいないか捜索するよう命じた。命じられたアルミンは面食らいながらも、すぐに兵士達を引き連れて壁下へ降りていった。

 

 思い切った采配だが、実績を見たまでだとエルヴィンは言う。

 

「ジル。敵はどこに隠れていると思う。いや、君ならどこに隠れる?」

 

「すまないが、正直見当もつかんな……おそらく敵は、硬質化で力を消耗したエレンを狙うはずだ。とすれば、常に状況を見渡せて、すぐにエレンや兵団の動きに対応できる場所に潜んでいる……とは思うが」

 

 ちらりと空を仰ぐ。飛行船で上から動向を窺われている、というわけではなさそうだ。

 

「ヒコウセンでも見つけたのか?」

 

「いや、無かったよ。そこらを見渡しても、マーレ軍の兵器らしきものは見当たらない」

 

「つまり敵戦力は獣、超大型、鎧、車力の四体に限られるわけか」

 

「おそらくな。予想よりも敵の規模が小さそうで何よりだ」

 

「……空を飛ぶ乗り物を一度見てみたかったのだがな」

 

 冗談かどうか分からぬ調子で、エルヴィンは呟いた。状況が分かっているのかと毒づこうとしたその時、調査に出ていたアルミンが号令をかけた。

 

「壁の中を調べてください!人が長い間入っていられる空間が、どこかにあるはずです!」

 

 私も最初に聞いた時は意味を測りかねたが、なるほど確かに――周囲の状況を窺いつつ、時が来るまで安全に身を潜められる位置だ。

 

 アルミンの指示を受け、壁上の調査兵達が壁面を調べ始める。

 

「俺達、ここに止まってていいのかよ」

 

「ああ、これじゃあ強襲作戦の意味がねぇよ……」

 

 周囲の兵が口々に漏らす。だがその直後、一人の兵士が音響弾を放った。

 

 乾いた炸裂音が壁面に反響した刹那、覆っていた偽装の壁面を内から突き破り、人影が飛び出した。

 アルミンの読み通り、壁の中には人がまるごと潜められるほどの空洞があった。

 

 そして、そこにはライナーがいた。

 

 ライナーは飛び出しざま、最も近くで壁面を調べていた兵士をブレードで斬り捨てる。素早く首を巡らせ、こちらの数と位置を見定めようと身構えた。

 

 しかしライナーが次の動きに移るより先に、どこからともなく現れたリヴァイの刃が閃いた。黒い影が壁面を滑り、ライナーの首へ吸い込まれるように一閃する。続けて二撃目が心臓目掛けて突き込まれたが、リヴァイは「クソッ!」と吐き捨て、弾かれるようにライナーから飛び退いた。

 

「これも巨人の力か!あと一歩……命を断てなかった」

 

 稲妻と共にライナーの身体が地に落ち、その全身から濛々と蒸気が立ちのぼる。あっという間に肉体が膨れ上がっていき、鎧の巨人へと姿を変えていった。

 

「周囲を見渡せ!敵を捕捉し――」

 

 エルヴィンが声を張り上げた、まさにその背後で――雷が落ちた。

 幾十もの光の柱が壁外の地平に突き刺さり、立ちのぼる蒸気の中から、それは姿を現した。全身を濃い体毛に覆われた巨躯。獣の巨人だ。

 

 そして無数の巨人が、調査兵団を閉じ込める鳥籠のように並んでいた。

 

 獣がゆっくりと腕を振りかぶる。手には巨大な岩塊が握られていた。

 腕を振り抜き、空気を裂いて飛来した岩が轟音とともに内門へ叩きつけられた。瓦礫は雨のように降り注ぐ。内門は人が身を滑り込ませるのもやっと、というほどに塞がれた。

 

 獣の一手で我々の退路は断たれた。

 

「おーい、せんせー!俺だ、ジーク・イェーガーだ!前は名乗ってなかったからさぁ、俺だってわからなかったかもだけど……これならどうだ、思い出してくれた!?」

 

 獣は大きく手を振り、馴れ馴れしく語りかけてくる。

 

 ジーク。獣が名乗ったその名を聞いた途端、こめかみの奥に針で刺すような頭痛が走った。

 

 なぜだ。聞き覚えなどないはずの名前に、身体だけが反応している。

 

「これが最後のチャンスだ!じきにマーレ軍の侵攻が始まり、壁内は地獄に落ちる。チャンバラごっこしてる連中と心中するなんて馬鹿げてるよ。正面から出てくるのが照れ臭いってんなら、裏道も用意しといたからさ。こっそり会いに来てくれよ!」

 

 見え透いた揺さぶりだ。私とエルヴィンは目を見合わせ、頷き合った。反応するだけ無駄だと。

 

「あのクソ猿……舐めやがって。我々の退路を塞いでおいて、よくもまあ抜け抜けと言えるものだ」

 

「選択肢を奪うことが目的だろう。ところで、ジーク・イェーガーという者に心当たりはあるか?」

 

「……さあな。前も言った通り、イェーガー姓の人間は身近にいない。しかし猿の本体もイェーガーか。まさかグリシャの息子だったりしないだろうな」

 

「もし当たっていれば、ますますグリシャ・イェーガーの正体が謎めいてくるが……」

 

 獣は私からの反応が返らぬと見るや、ふっと息を吐くように蒸気を漏らした。

 

「……ま、出てこないわな。じゃあ悪いけど、手加減なしで行くよ。先生」

 

 そう言って獣が吠えた。

 

 その咆哮を合図に、二、三メートル級の小型巨人どもが一斉に駆け出した。地を蹴る無数の足音が地響きとなって壁の上まで伝わってくる。

 

 壁を登ろうとする鎧の巨人、押し寄せる巨人の群れ、飄々とその場に座り込む獣。私はそれらを順に見据えた。

 

「――死んだら地獄で会おう」

 

 獣の不気味な言葉を合図に、戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 エレンの巨体が、瓦礫の積もる大通りへ躍り出た。

 外門はすでに硬質化で穴を覆い、巨人の往来を断った。だが安堵する間もなく、内門は獣が投擲した岩で潰され、調査兵団はシガンシナ区に閉じ込められた。

 

 さらに獣に操られた巨人が、馬を狙って群がりはじめている。馬を失えば、撤退も補給もできない。じわじわと兵団を消耗させ、抵抗する力を失ったところで『始祖』を奪う。それが敵の描いた絵図だと、エルヴィンは即座に見抜いていた。

 

 鎧の狙いも馬だ。ライナーは周囲の兵士に目もくれず壁をよじ登っている。内門側にいる馬を上から潰すつもりだろう。

 

 そこでエレンはエルヴィンの指示通り鎧の眼前で堂々と巨人化し、シガンシナ区の中央へ逃げるように駆ける。

 

 効果はすぐに表れた。

 壁上に到達していた鎧がぴたりと動きを止めた。馬の群れと、遠ざかるエレンの背を、装甲に覆われた頭がわずかに往復する。

 ほんの一瞬の逡巡。やがて鎧は壁から手を離し、地響きを立ててエレンの後を追い始めた。

 

 ライナーの注意を馬から引き剝がすことは成功した。そう確信したエレンは、崩れた家屋の角を曲がりざま反転した。追ってきた鎧の懐へ、低く潜り込む。

 

 組み打ちだった。鎧の太い両腕がエレンの肩を掴みにかかる。エレンはそれをいなし、相手の腕の内側へ自らの腕を絡めて流す。

 巨人同士の取っ組み合いは力と力の押し合いに見えて、その実、人と人の格闘術とさほど変わらない。重心、間合い、崩しの呼吸。アニに叩き込まれた格闘術は大いに役に立った。

 

 鎧が前のめりに体勢を崩した刹那、エレンは膝を鎧の脇腹へ突き上げた。装甲の継ぎ目が鈍く軋む。返す動作で肘を顎へ打ち上げ、よろめいた相手の足首を払う。

 

 地を揺らして鎧が片膝をつく。その一瞬を、エレンは逃さなかった。

 右の拳に意識を集中する。腕全体ではなく、握り込んだ拳のただ一点へ。力が集中し、結晶が凝固していく感覚と共に、ありったけの力を乗せてエレンは鎧の側頭部へ拳を叩き込んだ。

 

 硬い音がシガンシナの廃墟に響いた。

 鎧の装甲が薄氷のように砕け散った。砕けた破片が陽光を弾いて飛び散り、その下から剝き出しの肉と蒸気が噴き出す。

 

 やはり、と巨人の喉でエレンは唸った。

 硬質化を一点に凝縮させれば、奴の鎧とて脆い。全身を均一に固めたところで、力の集まる一点には敵わないのだ。

 

 周囲を素早く警戒する。超大型(ベルトルト)が出てくる気配はない。

 

 ならば、ここで一気に畳みかける。

 

 エレンは砕けた装甲の上から、続けざまに殴打を浴びせた。右、左、また右。鎧が腕で頭をかばえば、その腕の継ぎ目を狙って拳を突き入れる。一打ごとに装甲が剝がれ、蒸気が噴き、鎧がじりじりと後退していく。

 

 だが、エレンの神経はその手応えよりも、まだ姿を見せぬもう一体へ張りつめていた。

 

『硬質化と雷槍があれば、鎧の巨人はさほど脅威ではない。今のエレンなら、押し負けることはまずないだろう』

 

 奪還作戦前の全体作戦会議で、ジルケは淡々とそう言っていた。

 

『問題は超大型だ。あれの爆風だけは、奴が巨人化するタイミングに合わせて全身を硬質化しなければ耐えられん』

 

 だが、とジルケは付け加えた。

 

『一度巨人化してしまえば、超大型など木偶の坊に過ぎん。捕まらないよう、細心の注意を払え。お前が奪われればそれで終わりなんだからな。後は兵士達が消耗戦を仕掛ける』

 

 言葉に余計な情はなかったが、その分信用に足る助言だった。

 

(いつでも来いよ、腰巾着野郎が!)

 

 ベルトルトへの呪詛を胸の内で吐き散らす。

 出てくるなら、来い。タイミングさえ合わせれば、いや何があろうと超大型の爆風を耐えてみせる。

 

 本音をいえば獣の巨人をこの手で屠りたかった。その行き場のない怒りをぶつけるように、エレンは鎧へ拳を振るう。

 

 拳を打ち込むたび、エレンの腹の底から怒りが沸き上がった。

 五年前のあの日。故郷と母を失い、当たり前だったはずの暮らしを根こそぎ奪われた日を、エレンは片時たりとも忘れたことがない。

 

 だが、それはあくまで巨人という人類の天敵の仕業だと思っていた。理性も常識も通じぬ意志なき怪物の行動原理を問うたところで虚しいだけ。天災に理由を求めぬのと同じだ。

 憎しみは消えずとも、相手が相手だけに心のどこかでは仕方のないことだと割り切れる部分もあった。

 

 だが、即位式の惨劇がその思いを打ち砕いた。

 罪もない人々が次々と巨人に変えられ、同胞が同胞を食い殺していく光景を。自らの手で討たねばならなかったハンネスのことを。そして敵がためらいもなく振りまいた悪意を。

 

 あれを目の当たりにして、エレンはようやく痛感したのだ。

 壁の外にいる連中は明確な意志を持ち、はっきりとした悪意をもって、自分達を害そうとしている。

 

 以前エレンはアニに対して、何の大義があって人を殺せるのかと心の中で問うた。その答えが『世界を救うため』だとしても。

 

(納得できない)

 

 冗談ではなかった。この身も、この命も、この先どこへ進むかも誰かに許しを乞う筋合いなんてない。

 

(俺達は生まれた時から自由だ)

 

 自由を奪おうとするなら――奪われる前に、奪い返す。鎧へ拳を振るうたびに、その激情は静かにエレンの中で根を伸ばしていった。

 

 ふと、あの夜のやり取りが脳裏を掠めた。

 

 全体作戦会議の後。エレンが兵舎へ戻ろうとしたところで、ジルケに呼び止められた。巨人化実験のことだろうかと思ったが、彼女はやけに神妙な面持ちだった。

 

『気の早い話だが、仮にこの作戦が成功すればお前は『始祖』の力を掌握できるかもしれん。その場合、お前はどうする気だ?』

 

『どうするもこうするも、それを決めるのは団長や司令達じゃないんですか?』

 

『いや、そういう指揮系統という意味ではなくだな……』

 

 エレンが疑問符を浮かべていると、彼女は珍しく居心地悪そうに目を逸らした。

 

『もし『始祖』の力の行使が継承者の意思次第でどうとでもなるとすれば、私達はお前を信じるしかない』

 

『……命令は守りますよ』

 

『口では何とでも言えるだろ』

 

『俺を信じられないんですか』

 

『……正直に言おう。今のお前は兵団の命令を無視して衝動のままに『地鳴らし』をしかねないと思った。私はそれが怖い』

 

 たとえ兵団の意に反していようと、それの何が悪い。自分達を皆殺ししようとする敵を先に殺して何が間違っているのか。喉まで出かかった言葉をエレンはかろうじて呑み込んだ。代わりに口をついたのは、別の問いだった。

 

『『地鳴らし』抜きでどうやって身を守るんですか。敵にむざむざ殺されろって言いたいんですか』

 

『そうじゃない。計画的に運用しろって言ってるんだよ。まだ大勢のエルディア人が世界中の収容区に取り残されているんだ。哀れな同胞を『地鳴らし』に巻き込むわけにはいかない』

 

『そいつらだって、俺達のことを島の悪魔だって恐れてるじゃないですか』

 

『大陸の同胞達は卑劣なマーレによって洗脳されているだけだ。『始祖』の力で解き放ってやればいい』

 

 人の記憶を書き換えることをためらいもなく口にする。いかにも彼女らしかった。だが、エレンが気にかかったのはその手段の是非よりも、その先のことだった。

 

『……洗脳が解けたとして、そいつらはどうするんですか』

 

『ん?そんなの新生エルディア帝国の一員になってもらうに決まってるだろ?』

 

 淀みなく語る彼女を見て、エレンは内心で悟っていた。

 収容区に取り残された同胞をマーレの支配から解き放ち、民族の誇りを取り戻す。その願いに嘘はないのだろう。

 

 けれどその救いの先にある未来は、エレンが思い描くもの――守りたいものとは、似ているようで違う。

 

『ジルケさんの言いたいことは分かりました』

 

 壁の外で生まれた者と、内で生まれた者。同じ『ユミルの民』であっても、彼女と自分の間には決して譲れないものが横たわっている。エレンは一拍置いて続けた。

 

『でも、俺はシガンシナで生まれ育ったんです』

 

『……私がレベリオで生まれ育ったことも、忘れるなよ』

 

 エレンの追想を断ち切るように、鎧が低く吠えて身をよじった。

 その拍子にエレンの拳が空を切る。鎧はわずかに生まれた間合いを突いて、後ろへ大きく跳び退いた。距離を取られた――が、それもまた織り込み済みだった。鎧が下がれば、待ち構えた兵団の射程に入るのだから。

 

 立体機動の駆動音が幾筋も廃墟の空を裂いた。ミカサ、ハンジ達が一挙に鎧へ群がる。

 

「今だ!雷槍を食らわせてやれ!」

 

 ハンジの号令が飛ぶ。エレンの殴打で剝がれ、再生の追いつかぬ鎧の眼窩――その剝き出しの一点へ兵士達が一斉に雷槍を撃ち込んだ。

 炸裂音が連なり、鎧の頭部で爆炎が膨れ上がる。装甲ごと鎧の顔面が吹き飛んだ。

 

 もうもうたる蒸気の中、一条の影が壁面を蹴って建物の屋根に降り立った。ミカサだ。

 

 空中で弧を描くその刹那、彼女の視線が巨人化したエレンと真っ直ぐに交わった。

 ほんの一瞬だったが、エレンには分かった。その目が案じていることを。昨夜自分が振り払ってしまった手を、それでもまだ差し伸べようとしていることを。

 

 巨人のうなじの中でエレンは思う。この戦いが終わったら、ミカサとアルミンともう一度ちゃんと話そう。

 昨夜の食堂で突き放すような素振りをしてしまった。あんなまま終わらせたくはない。

 

 全身を焼く激情の片隅に、ほんの小さく灯るその願いだけはまだ確かに人のものだった。




本人の知らない所で悪行が盛りに盛られまくってるクルーガーさん(復権派)可哀想。

なお本作独自設定として、「超大型巨人の爆発は全身を硬質化できれば耐えられる」という扱いにしています。
超大型をナーフしすぎな気がしないでもないですが、原作でも薄氷の巨人さんが耐えてたんでセーフかなと。

どっちの人格のオリ主が好き?(閑話の参考にします)

  • 転生ネキ(シュタイナー人格)
  • 頭復権派(クルーガー人格)
  • どっちも同じくらい
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