エレンの妻です   作:ホワイト3

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47:屍の道

 戦局はシガンシナ区の内と外で大きく二分されている。

 

 区の内側では、エレンと鎧の巨人が真正面からぶつかり合っている。退路を断つべく馬を狙いに来たライナーの前に、囮としてエレンが姿を現し、ライナーもまた標的を馬からエレンへと移した。二体の知性巨人が組み合うたびに地面が抉れ、瓦礫が跳ね、崩れかけた家屋の壁が衝撃に耐え切れず音を立てて崩れていく。

 

 一進一退に見えて、押しているのはエレンだった。

 

 もともとエレンは、硬質化の力を持たずともライナー相手に互角に渡り合えていた。今では(アギト)の鋭い爪と、一点に硬質化を凝縮させる術まで身につけている。ハンジはあれを硬質化パンチなどと呼んでいたが、名称の軽さに反して威力は凄まじい。

 拳が鎧の装甲に叩き込まれるたび、白い鎧が鈍く軋み、隙間から血が噴き出した。兵士達の雷槍と連携できれば、仕留めることも不可能ではないだろう。

 

 問題は、未だどこかに潜んでいるベルトルトだ。

 

 視線を移す。区の外、ウォール・ローゼ方面へ広がる平地では、獣の巨人が手下の巨人を使って包囲網を築き上げていた。無垢の巨人どもは内門側を囲むように並び、こちらの退路を塞ぐ檻となっている。

 ただし、獣が居座る正面だけはぽっかりと空いていた。巨人の檻からやや離れたその位置で、獣本体は長い腕をだらりと垂らしたまま、不気味な沈黙を保っている。

 

 使役された二、三メートル級の小型巨人には、リヴァイを筆頭に精鋭達が対処に当たっていた。敵の狙いは、馬を潰して我々の退路を断つこと。ウトガルド城のときと同じ手口だ。

 新兵達は馬を一箇所に固めぬよう散らして繋ぎ留めていたが、初めて間近に見る巨人に足を竦ませる者も少なくない。そんな中で、妙に真っ直ぐな姿勢をしたおかっぱ頭の新兵が、顔を青ざめさせながらも声を張り上げ、周囲に指示を飛ばしていた。

 

 恐怖に呑まれかけている新兵達を、同じ新兵が必死に繋ぎ止めている。

 

 戦況は悪くない。むしろ、想定よりよく堪えていると言っていい。鎧をエレンに引きつけ、馬を散らし、小型巨人の襲撃にも即座に対応できている。だからこそ、獣がまだ本気で動いていないことが薄気味悪かった。

 

 ――それにしても。

 

 同胞をこうも容易く兵器として使い潰すマーレと、それを平然と操る獣の悪辣さに、心底吐き気がした。気付けば握りしめた拳から血が滲んでいた。

 

「君の気持ちも理解できるが、ひとまず落ち着け。連中の動きをよく見ておくんだ」

 

「……ああ、悪かった」

 

 私は短く答え、掌に食い込んだ爪をほどいた。

 

 私とエルヴィンは、壁の上から全体の戦局を見渡していた。獣がなぜか私に異様な執着を見せている以上、使い方次第では奴へ付け入る隙を生み出せる。奴が動くそのときまでは待機し、全体を見極めるようエルヴィンから指示を受けた。

 

「戦況としてはまずまずだな。予想通りエレンが押しているが、鎧を独力で倒し切るのは難しいかもしれん」

 

「あれは本当にしぶといな」

 

 私の視線は、エレンと組み合う鎧の巨人へ向いていた。先刻ライナーはリヴァイの刃を首に受けている。普通の人間なら、それで終わりだ。知性巨人の継承者であっても、本来なら致命傷と見ていい。

 

 それでも奴は生きている。

 

 エルヴィンも同じことを考えていたのだろう。鎧から目を離さぬまま、低く問うた。

 

「ライナーはなぜあれで死ななかった?」

 

「知識でしか知らないが」

 

 私は短く前置きした。

 

「意識を脳から全身の神経へ伝達することができれば、生き延びることも不可能ではない。脳を潰される前に、身体全体へ逃がすようなものだ。よほど巨人化の練度が高くないとできない芸当だろう」

 

「奴の頭を吹き飛ばしても、まだ油断はできないというわけか。厄介だな」

 

「まあ悪くはない流れだ。超大型の横槍さえ入らなければ、鎧は仕留められそうだ」

 

「そうでなくては困る」

 

 エルヴィンは凛とした横顔で続けた。

 

「マーレの近代兵器、超大型の爆発、獣の投擲。そのいずれもが、まだ使われていないんだ。鎧相手に手こずっているようでは、我々に勝ち目はない」

 

 この壁内文明では太刀打ちできぬものは大きく分けて三つある。それが今エルヴィンの挙げたものであり、事前の作戦会議で私が話したことでもあった。

 

「敵はまだ手札を晒していない。戦況など簡単にひっくり返る」

 

「……人のことは言えないがな。全戦力を投入すると言っておきながら、こちらもずいぶんご大層な戦力を抱えているじゃないか。我々が壁の上で戦況見物とはな」

 

「君と私は、今ここで動かすべき駒ではない」

 

「分かっている」

 

「……ま、未だ姿の見えない超大型は置いておくとして」

 

 エルヴィンはそう前置きして、最大の障壁を刃先で示した。

 

「退路を塞ぐ獣の巨人を、どう仕留めるか」

 

 その一言で、私は先刻の獣の言葉を思い出した。

 

 裏道を作ったからこっそり使え。

 

 あれは逃亡の誘いと見せかけた、釘刺しだ。裏道とはすなわち、獣が生み出した無垢の巨人達のこと。そいつらを足場に獣へ肉薄する手は通じぬぞと、奴は暗に告げているのだろう。

 

 私の考えを話すと、エルヴィンも頷いた。

 

「同感だ。現に獣は、巨人の檻よりもさらに後方にいる。ぎりぎり立体機動の届かぬ距離を保っているように見える」

 

「やられたくないから、あえて釘を刺した。あるいは、我々の考えすぎという線は……」

 

「それも否定はできん。希望的観測だがな」

 

 このまま奴が動かなければ。嫌な予感が這い上がってきた。

 

 マーレの近代兵器については、ここに来るまでの道中にも周囲の地形にも、それらしい影は見当たらない。少なくとも今この瞬間、優先して考慮すべき脅威からは外していいだろう。超大型の爆発も強烈極まりないが、単発的なものだ。

 

 だが獣の投擲は、奴が何かを掴んだ瞬間、戦場のどこにでも死が飛んでくる。ケニーに礫を見舞ったように、我々を遠くから一方的に殺すことだってできる。立体機動で近づこうにも、空中で撃ち落とされるし、かといって地表を進めば格好の的になる。

 

 巨人の力を持つ者ならば突破口を開けるかもしれないが、少なくとも正面から肉薄するにはあまりに分が悪い。

 

 そうなれば、我々に残された手段は限られる。

 

 獣の意識を引きつけ、肉薄の隙を生む餌。奴が最も食いつくであろうもの――すなわち私だ。私が投擲の眼前に身を晒して囮となり、その一瞬の隙にリヴァイか、あるいはエルヴィンが討つ。

 

 エルヴィンがその算段(もはや博打と呼んでいいかもしれない)を温めていることを、私は察してしまった。そして彼は、私がそれを察していることまで承知しているはずだ。口に出さぬのはせめてもの慈悲だろうか。それとも、まだ命令として形にするには早いと考えているだけか。

 

 壁の上を風が吹き抜けた。フードが外れぬよう頭を押さえる。その横で、エルヴィンはしばらく戦場を見下ろしていた。

 

「壁の向こうには海があって、海の向こうには――」

 

 ぽつりと、彼は言った。

 

「なあ。ジル、世界は広いのか?」

 

「……ああ。広いな。壁内なんかとは比べ物にならないほど、ずっと広い」

 

「そうか……ようやくここまで来た」

 

 その声は、戦況を読む時の鋭さとは違っていた。

 

 私は答えなかった。エルヴィンは高い壁の上に立っている。だが、その背中を見ていると、彼の足元にあるのは石でできた壁だけではないように思えた。

 死んだ兵士達の身体が、叫びが、信頼が、希望が、幾重にも積み重なってできた見えない山。その頂に彼はたった一人で立っている。

 

「私を信じて死んだ仲間達がいたから、ようやく我々はこの場所まで辿り着いた」

 

 エルヴィンは戦場から目を逸らさぬまま言った。

 自らを裁くかのように。

 

「私は彼らに、人類の自由のために戦うよう語ってきた。だが私の奥底にあったのは、父の仮説を証明したいという個人的な夢だ……呆れたものだ。仲間を騙し、自分をも騙して私は屍の山の上に立っている」

 

「まだ戦いは終わっていないだろ」

 

 私は思わず口を挟んだ。

 

「獣も、超大型も、鎧も、車力もまだ何一つ片付いていない。仲間の屍の上に立っているというなら、せめて最後まで前を向け。今ここで足元ばかり見ている暇はないぞ」

 

「君は相変わらず手厳しいな」

 

「感傷に沈むには、まだ早いと言っているだけだ」

 

「ああ、その通りだ」

 

 彼は再び戦場へ視線を戻した。先ほどまで声に滲んでいた揺らぎは、完全には消えていなかったが、そこにいつもの硬い輪郭が戻りつつあった。

 

「だが、これからは巨人の相手をしていれば済むわけではない。そうだろ?」

 

「……前を向きすぎだろ」

 

「君が言ったんじゃないか」

 

 一本取ってやったという風に笑うエルヴィン。私は苛立ちを隠さず舌打ちした。

 

「エルディア国は復活した。だが、それは終わりではない。むしろこれ以降、我々は本格的に国家間の戦いへ踏み込むことになる。外交、通商、国防――これまでの壁の世界では考えられなかったものだ」

 

 エルヴィンはそう言い、今度はこちらを見た。

 

「以前、君は向いていないと言っていたな。今はどうだ?」

 

「それは……」

 

「言っておくが、私は協力して欲しいと思っている。君の力が必要だ」

 

 その問いに、私はすぐには答えられなかった。

 

 脳裏をよぎったのは、作戦前夜にエレンと交わした問答だった。『地鳴らし』抜きでどうやって身を守るのかと問うた少年の声は怒りというよりも、底冷えするほど真っ直ぐな確信を帯びていた。

 

 自分達を皆殺しにしようとする敵を、先に殺して何が悪いのか。彼はまだ口には出さなかったが、その言葉は喉元まで来ていた。

 

 エレンが『始祖』を完全に掌握した時、兵団の命令だけで彼を止められるとは思えない。あの少年は自由を奪われることを何よりも憎み、そのためなら世界を敵に回しかねない。

 

(いずれは『始祖』を別の人間に移すことも――)

 

 そこまで考えて、私は言葉を飲み込んだ。

 

「……やるよ。せっかく、ここまで来たんだ。エルディアの復権を見届けるまで死ねないな」

 

「ありがたいな。で、君自身の夢はどうする?」

 

「私自身の?」

 

「以前、語ってくれたじゃないか。小さな家庭を持つ夢の話を」

 

 戦場にはおよそ似つかわしくない話だった。巨人が蠢き、いつ超大型の爆風が街を呑むかも分からない状況で、家庭などという言葉はあまりにも場違いだった。

 けれど、場違いだからこそ胸の奥にしまい込んでいたものを不意に引きずり出された気がした。

 

「あんなものは夢物語だ」

 

「女王陛下を騙したのか?君のやりたい事なんだろう?」

 

「……ああ、礼拝堂ではそう言った。そこに嘘はない。確かにやりたい事だ」

 

 でも、と私は吐き捨てるように言う。

 

「どうせ私にはもう、それほど時間は残されていない。(アギト)の任期を考えれば、長く生きる未来など最初からないんだ。マーレとの戦いが終わる頃には、家庭を築くどころか、私自身が誰かに食われているかもしれん……叶わない夢物語に縛られるくらいなら、最期の瞬間までエルディアの未来に心臓を捧げたい」

 

「意外と諦めが早いな。それに難しく考える必要もあるまい。働きながら家庭を持つ人間など、いくらでもいるだろう」

 

「……あと8年以内に死ぬ人間を誰が選ぶって言うんだ」

 

「世界は広い。君が言ったことだろう」

 

 凪いだ声だった。こちらを見たその目に戦況を語るときとは違う、奇妙な熱のようなものが一瞬よぎった気がした。

 

 どういう意味だと問おうとした。それより先に背後で遠雷のような音が轟いた。

 

 雷槍だ。

 

 詳しい戦況は見えない。だが、鎧のうなじから一筋の煙が立ち昇るのが、確かに見えた。エレンが押し込み、兵士達が雷槍を叩き込んだのだろう。鎧の動きが大きく崩れ、蒸気が濃く膨れ上がる。

 

「やったか――」

 

 そう言いかけた時、鎧の巨人が天を仰ぎ、地を震わすような雄叫びを上げた。

 

 その声に応えるように、獣がむくりと身を起こした。

 傍らに控えていた車力の巨人が、背に積んだ荷の一部を差し出す。獣はその荷の中から、一つの木樽を取り上げた。

 

 血の気が引いた。

 

「ベルトルト……!」

 

 私が名を呟いた時には、既に樽は放たれていた。

 

 緩やかな放物線を描いて高く舞い上がった木樽は、しかし目で追うのがやっとの速度で空を裂いていく。私達の頭上を越え、シガンシナ区の中心へと落ちていくそれを止める手段はない。

 

 私達はただ、壁の上からそれを見送ることしかできなかった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

「あんた、さっきの本気で言ってたの?」

 

 座学が終わり、アルミンが教本を片付けていると、背後から唐突に声をかけられた。

 手を止めて振り返る。西日を背にして立っていたのは、アニ・レオンハートだった。夕暮れの光が薄い金髪の輪郭を滲ませている。いつものように退屈そうな顔をしていたが、その目だけは、こちらの反応を測るように細められていた。

 

 アニが自分から話しかけてくるのは珍しかった。いつもの彼女は必要以上に誰かと関わろうとしない。話しかければ最低限の返事はするが、自分から誰かを呼び止める姿などアルミンはほとんど見たことがなかった。

 

「さっきのって……座学の?」

 

「門の話」

 

 兵士である以上、非情な判断を迫られる場面は必ずある。そのことを学ぶため、ある日の座学では一種の思考実験が行われた。

 

 内容はこうだ。巨人が門へ迫っている。門の内側には大勢の避難民がいるが、外側にはまだ逃げ遅れた少数の民間人が残されている。

 兵士を外へ出し、巨人の誘導と討伐に成功すれば、その者達を内側へ逃がせるかもしれない。だが門を開けたままにすれば、巨人が門内へ侵入しさらに多くの命が失われる危険がある。

 

 今すぐ門を閉じれば、内側の大勢は守れる。だがその瞬間、外に残された者達を救う道は断たれる。

 

 超大型巨人が再び現れれば、いつ現実になってもおかしくない状況だった。訓練兵達はそれぞれに自分の考えを述べていったが、多くは門を閉じる方へ傾いた。

 ジャンは至極当然とばかりに、ライナーは苦渋の表情を浮かべながらも、そう答えた。コニーやサシャは答えに詰まり、ミカサは何も言わなかった。ただ、もし外に残されているのがエレンなら、きっと彼女の答えは変わるのだろうとアルミンには分かっていた。

 

 アルミンはその答えに頷けなかった。

 彼が自身の考えを述べると、教室の一角から呆れたような視線が向けられた。その主がアニだったのだと、今になって分かった。

 

「……本気だよ。最初から閉じる選択はしたくないな」

 

「救助に向かった兵士が死んだら?救出に手間取って、門の中まで巨人が入ったら?」

 

「その時は、僕の判断が間違っていたことになる」

 

「じゃあ意味ないじゃない」

 

 その言葉は刃物のように無駄がなかった。

 

 たしかに、死ぬ側からすれば同じなのかもしれない。どれほど悩まれようと、巨人に食われる恐怖も痛みも、選んだ者の苦悩で軽くなるわけではない。

 

「……うん。同じかもしれない」

 

 それでも、アルミンは顔を上げた。

 

「でも、『少ないから仕方ない』って言葉だけで終わらせたら、たぶん次も同じように誰かを切り捨てる気がするんだ。僕はそれが嫌だ」

 

 何も捨てることができない人には、何も変えることはできない。

 

 きっと、それは真実なのだろう。壁の外へ出るためにも、巨人と戦うためにも、人類が現状を変えるためにも、誰かが何かを捨てなければならない。

 

 それでも、切り捨てる側だけが何も失わずに済むような決断をアルミンは正しいものだと思えなかった。

 

「『仕方なかった』って言葉で楽になるのは……違う気がするんだ」

 

 廊下では、夕食に向かう訓練兵たちの声が聞こえていた。エレンとジャンがまた何かで言い合っているらしい。サシャとコニーの笑い声も混じっている。

 

 アニはそちらを見向きもせず、アルミンに問いかけた。

 

「良い人を気取ろうとしてるの?」

 

「……『良い人』か。あまり褒められてる気がしないね」

 

「別に褒めてるつもりはないからね」

 

 アルミンが苦笑すると、アニはほんの少しだけ目を伏せた。

 

「……門を閉じた後でさ」

 

「え?」

 

「外にいる人達の……自分が切り捨てた人達の声って聞こえると思う?」

 

「聞こえると思うよ。いや……聞こえなくなったら駄目なんだと思う」

 

 アニは何も言わなかった。

 

 ただ、アルミンをじっと見ていた。相変わらず冷たく、感情の輪郭を掴ませない。それなのに、どこか遠い場所を見ているようにも見えた。

 

「……そう」

 

 それだけ言うと、アニは踵を返した。

 

「アニ」

 

 思わず呼び止める。彼女は振り返らなかった。

 

「どうして僕にそんなことを聞いたの?」

 

「別に。あんたが変なこと言うから」

 

 それきりアニは、他の訓練兵と同じく食堂へ向かっていった。アルミンはその背中を見送ることしかできなかった。

 

 なぜアニが、あの問いにこだわったのか。当時のアルミンには、まだ分からなかった。

 

 ――その会話を思い出したのは、ベルトルトが空から落ちてきた瞬間だった。

 

 獣の巨人が投げ込んだ木樽は、シガンシナ区の上空で弧を描き、区の中心へ向かって落下していた。アルミンは反射的に息を呑んだ。あの中にベルトルトがいるのなら、次の瞬間超大型の爆風に呑まれるかもしれない。

 

 だが、予想に反して爆発は起きなかった。

 

 樽の中からベルトルトが立体機動で身を翻す。おそらく、鎧のうなじから剥き出しになったライナーの姿を見たのだろう。このまま超大型に変身すれば、無防備なライナーを巻き込んでしまう。そう悟ったからこそ、彼は巨人化しなかった。

 

 ハンジ達が即座に動いた。今ならベルトルトを仕留められるかもしれない。そう判断した兵士達は、屋根を蹴って距離を詰めようとする。

 

 しかし、アルミンは声を張り上げた。

 

「待ってください!これが最後のチャンスなんです!」

 

 ハンジ達の動きがわずかに鈍る。その一瞬を逃さず、アルミンは胸の奥に絡みつく恐怖を押し殺し、ベルトルトへ向けて大声で呼びかけた。

 

「ベルトルト!話をしよう!」

 

 ベルトルトは立体機動の勢いを殺し、通りを挟んで向かい側の建物の屋根へ降り立った。

 

「話をすればエレンを引き渡してくれるのか!」

 

 通り越しに、お互いの視線が交差した。彼も引き返すつもりはないようだった。

 

「ベルトルト……今でも僕達が悪魔に見えるかい?」

 

「いいや、そんなことないよ。君達は立派な人間だ」

 

 でも、とベルトルトは言う。

 

「駄目なんだ。君達は生きていちゃいけないんだ」

 

 アルミンは、喉の奥が冷たくなるのを感じた。

 

 憎まれている方がまだましだった。悪魔だから殺すと言われた方が、反論の余地があった。

 けれどベルトルトはこちらを人間だと認めた上で、それでも死ねと言っている。

 

「『始祖』をマーレが手に入れたら、島だけじゃ済まない。世界中の収容区のエルディア人も、都合のいい兵器として扱われる。君ならそれくらい分かるだろ!」

 

「ワンパターンだな……マーレがまともな国じゃないことくらい分かっているよ。それでもあそこは僕の故郷なんだ。踏み潰されるわけにはいかない」

 

 ベルトルトの声に深く沈んだ諦めのようなものが滲んでいた。

 

「いつか座学で答えてたよね、アルミン。最後まで門を閉じるかどうか考えるべきだって。君が僕の立場ならば止めるのかい?」

 

「……よく覚えてるね、そんなこと。アニが僕に話しかけたこと、気にしてたの?」

 

 ベルトルトの目がわずかに揺れた。アルミンはそれを見逃さなかったが、同時にアニの名を揺さぶりの道具として使う自分に嫌な痛みも覚えた。

 

「アニは憲兵団によって拘束されてるよ。君が閉じようとする門の向こう側にまだ残ってる。君には、彼女の声が聞こえてる?」

 

「……アルミン」

 

 ベルトルトの声が低くなった。

 

「君はエレンを殺せるのかい?」

 

 問いの矛先が突然こちらへ向いた。

 

「ライナーは言っていたよ。エレンはこの世で最も『始祖』を持ってちゃいけない人間だって。僕も同感だ。エレンは全てを破壊する。自分の自由を奪われるくらいなら、世界から自由を奪おうとするだろう」

 

 アルミンは反論しようと口を開きかけた。だが、すぐには言葉を紡げなかった。

 

 エレンは違う、と即座に否定できなかった。

 

「君の魂胆は分かってる。どうせ時間稼ぎなんだろう。僕の注意を引いて周りを兵士で取り囲み、その間にライナーを殺しに向かわせている」

 

「そこまで分かってて、なんで僕の話に乗ったの……?」

 

「確認したかったんだ。君達を殺す覚悟が自分にあるのか……でもどうやら大丈夫そうだよ。君がエレンを見捨てられないように、僕も故郷を見捨てる気はない」

 

 彼は屋根を蹴った。

 

 立体機動のワイヤーが射出され、次の瞬間にはアルミンと同じ建物の屋根へ降り立っていた。距離が近い。声を荒げる必要もないほどの近さで、ベルトルトはアルミンを憐れむように言った。

 

「君達は悪くない。でも、世界のために死んでくれ……!」

 

 アルミンが言葉にするより早く、屋根の端からミカサが飛び込んだ。彼女の刃はベルトルトの首筋へ吸い込まれるように走る。

 ベルトルトは寸前で身を引いたが、完全には避けきれず、片耳が斬り裂かれて血が飛んだ。続く二撃目を受けるより早く、彼は反射的に身体を捻り、ミカサの腹部へ蹴りを叩き込む。

 

 ミカサの身体が屋根瓦の上を滑った。

 

「ミカサ!」

 

 アルミンが叫ぶと同時に、ベルトルトは腰の立体機動装置の陰に隠していた小型の銃を引き抜いた。壁内ではまず見ない形状だった。銃身は短く、片手で扱えるほど小さい。だが、向けられた黒い銃口は刃物よりもはっきりと死を連想させた。

 

「まさか、クルーガーを殺すためのものをこんな形で使うとはね」

 

 ベルトルトは躊躇わず引き金を引いた。

 

 乾いた破裂音が屋根の上で弾ける。ミカサは受け身を取りながら身を捻ったが、弾丸は右腕を掠め、鮮血が散った。

 

 さらに二発目が放たれる。

 

 アルミンには弾丸など見えなかった。見えたのは、ベルトルトの指が引き金を絞る動きと、その直前にミカサの身体が不自然なほど鋭く傾いた瞬間だけだった。

 

 以前、ジルケがアッカーマンについて話していたことがある。あの一族には、人知を超えた危機感知のようなものが備わっていると。

 

 アルミンはその話を半ば冗談のように受け止めていたが、今目の前にいるミカサは、まさに銃口の向き、指の動き、殺気の流れをすべて読んでいるように見えた。

 ミカサは射線から身を外しきれないと悟ったのか、ブレードの角度をわずかに変えた。金属音が鳴り、弾丸の軌道が逸れる。脳天を貫くはずだった死が、黒髪を数本散らして屋根瓦へ突き刺さった。

 

 ベルトルトの顔が明らかに強張った。その表情には、化け物だという声にならない恐怖が浮かんでいた。

 

 ミカサは弾丸を受けて欠けた刃を、迷わず投げるように放った。ベルトルトは銃とは反対の手に持つブレードでそれを弾き、これ以上の交戦は不利だと判断したのか、即座にワイヤーを射出して屋根を離れる。

 

 向かった先は、鎧の巨人の方だった。おそらくライナーを助けに行ったのだろう。

 

「待って、ミカサ!近づくと爆風に巻き込まれるかもしれない!」

 

 追おうとしたミカサをアルミンは必死に制止した。ミカサは一瞬だけベルトルトの背を追うように視線を向けたが、やがて大きく息を吐き、ブレードを下ろした。

 

「あんな小型の銃、初めて見た」

 

「おそらくマーレのものだ。それより腕は大丈夫?痛くない?」

 

「……平気」

 

 声が震えている。明らかに平気ではなかった。右腕からは血が流れ、袖を赤く濡らしている。

 アルミンは自分のマントを破り、ミカサの腕に巻きつけた。幸い、銃弾は掠めただけだったので大事には至らないだろう。

 

「アルミン」

 

 応急処置を終えようとしたところで、ミカサが底冷えするような声で言った。

 

「エレンは私達の味方……絶対に」

 

 アルミンは、結び目を作る手を一瞬止めた。

 

「……分かってる。エレンは仲間だ」

 

 それだけを、アルミンはどうにか言葉にした。

 

 ミカサはしばらく彼を見ていたが、やがて小さく頷いた。応急処置を終え、エレン達と合流しようと身を起こした、その時だった。

 

 上空で眩い光が弾けた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 シガンシナ区の中心で、眩い閃光が弾けた。

 

 遅れて押し寄せた熱風が壁の上まで駆け上がり、外套の裾を乱暴に煽った。視界の先では蒸気をまとった巨大な影が、崩れた家屋の群れの中からゆっくりと立ち上がっていく。超大型巨人がついにその姿を現した。

 

 思わず舌打ちが漏れる。

 

「エルヴィン、どうする?私だけでもあっちに行くか?」

 

 私がそう言うと、エルヴィンは市街地を見据えたまま、すぐには答えなかった。

 超大型は燃やした家々を周辺にばら撒きながら、壁の方へ歩みを進めていた。ライナー同様、馬を狙っているのだろう。

 

(アギト)が向かったところで、超大型に有効打を与える手段は限られる。それに見方を変えれば、奴を檻に閉じ込めたとも言える。あの巨体では細かく動き回ることはできん。まず見るべきは――」

 

 その言葉を遮るように、区の外側から凄まじい轟音が響いた。

 

 腹の底に直接叩き込まれるような音だった。超大型の出現とは違う。爆風でも、雷槍でもない。空気そのものが裂け、地面が叩き割られるような音に、私は反射的に振り返った。

 

 ウォール・ローゼ方面へ広がる平地で、獣の巨人が腕を振り抜いていた。

 

 次の瞬間、外門付近の建物群が一帯ごと吹き飛んだ。岩とも瓦礫ともつかぬ塊が音よりわずかに遅れて視界の中を通り過ぎ、無垢の巨人の胴体を巻き込むように砕きながら、兵士達のいた一帯を抉っていく。自分で生み出した巨人でさえ、獣にとっては弾道上の障害物でしかないらしい。

 

 予想は最悪な形で的中した。

 

 獣の投擲が危険であることなど、即位式の時点で嫌というほど理解していた。ケニーに見舞われた礫の雨は、立体機動で近づく者を問答無用で叩き落とすだけの威力を持っていたし、あれを見た時から、獣が距離を武器にする巨人であることは明白だった。

 

 しかし、それでもなお、私達は投石の威力を侮っていたようだ。

 放たれた岩は砲弾をも上回る。おそらく知性巨人であっても、一点に硬質化を凝固させなければ、あれをまともに防ぐことはできない。人間の兵士に至っては、当たらないのを祈る以外に選択肢がなかった。

 

 しかも、弾は尽きない。獣の背後では、車力の巨人が低く走り回り、岩塊を次々と運び込んでいた。獣はそれを片手で掴み、握り潰し、形を整えることすらせずにこちらへ放ってくる。

 

 車力が運び、獣が投げる。

 それだけで、こちらの陣形は削られていく。

 

「前方より砲撃!全員、物陰に伏せろ!」

 

 エルヴィンの声が壁上に響いた。

 

 指示は的確だった。だが、獣の追撃はさらに早い。こちらが命令を伝え終える前に、二投目が空を裂いた。兵士達が散ろうとしたまさにその地点へ、次の岩が叩き込まれる。

 

「あいつ……」

 

 私は歯を食いしばった。

 

 獣は小型の巨人どもを使って馬を守ろうとする精鋭を前方へ寄せ、その密集した地点へ投石を叩き込んでいる。馬を潰すための作戦と見せかけて、最初から投擲の標的を作っていたのだ。

 

「リヴァイのもとへ向かう。ここからでは指示が遅れる」

 

「……私も行こう」

 

「助かる」

 

 エルヴィンが短く答えたのを確認し、私は壁を蹴った。立体機動のワイヤーが石壁に突き刺さり、身体が風を切って落下する。下方では、まだ生きている兵士達が必死に馬を散らしていた。顔面蒼白になった新兵が何人もいる。その中で、おかっぱ頭の新兵が声を張り上げ、震える仲間達を叱咤していた。

 

「馬を一箇所に集めるな!おい、フロック!手綱をちゃんと握っていろ!」

 

 名前は知らない。だが、その声が周囲の足をかろうじて動かしていた。

 

 私とエルヴィンがリヴァイ達のいる位置へ降り立つと、血と土埃にまみれたリヴァイがこちらを振り返った。彼の周囲には、先ほどまでいたはずの兵士が何人もいなくなっている。

 

「エルヴィン、戦況はどうなっている?」

 

「最悪だ。獣は前方へ兵士が集まるよう、小型の巨人を操作していた。ここも直に更地になるだろう。唯一の救いは一部の精鋭が生き残ったことくらいだ」

 

「ハンジ達は?」

 

「分からない。だが、大勢は先ほどの超大型の爆風に巻き込まれただろう」

 

 背後でまた鈍い衝撃音が響いた。振り返った先、シガンシナ区の壁上に、巨人化したエレンの身体が叩きつけられていた。

 

 超大型に吹き飛ばされたのだろう。壁の縁に体を引っかけるような形で、エレンの巨体はしばらく動かなかった。蒸気が肩口から噴き上がり、砕けた瓦礫が壁面を滑り落ちていく。

 

 死んではいない。だが、少なくともすぐに戦線へ戻れる状態ではなかった。

 

「エレンの野郎までやられたか」

 

 リヴァイが低く吐き捨てた。

 

 話している間にも、投石は襲って来た。今度は少し離れた位置へ岩が飛び、地面ごと抉り取られたかのように、そこにあったものをまっさらに消し飛ばしていく。

 リヴァイはその惨状を一瞥し、壁の中へ逃げるのはどうかと提案するが、エルヴィンは首を振った。

 

「超大型が炎を撒き散らしながらこちらへ向かって来ている。なにより、仮にシガンシナへ逃げ込んでも馬は置いて行かざるを得ない」

 

「巨人の力があるじゃねぇか。それで少数の人間だけでもトロスト区へ逃すなり、あるいは獣に近付くなり……」

 

「蜂の巣にされるのがオチだ。それに、仮に巨人の力で逃げ延びたとしても事態は改善しない。敵に時間を与えるだけだ」

 

 リヴァイは舌打ちしたが、反論はしなかった。

 

 彼も分かっているのだ。たった数投でこちらは多くの兵を失った。しかも、獣にはまだ余力がある。周囲の巨人どもを盾にし、後方から投げ続ければ、それだけで兵団は削り殺される。

 

「エルヴィン……何か策はあるか?」

 

 リヴァイの問いが死神の足音のように響く。エルヴィンの横顔を見た瞬間、胸の奥にあった嫌な予感が、確かな死の気配に変わった。




次話、賛否ありそうな展開になりますが、お付き合いください。

どっちの人格のオリ主が好き?(閑話の参考にします)

  • 転生ネキ(シュタイナー人格)
  • 頭復権派(クルーガー人格)
  • どっちも同じくらい
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