エレンの妻です   作:ホワイト3

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48:結果は誰にもわからない

 シガンシナ区の中心で上がった閃光を、ジークは遠目に確認していた。

 

 樽に入ったベルトルトを投げ込んでから、しばらく何も起こらなかった。だが、どうやら無事に巨人化できたようだ。

 

 ここからでは壁内の様子までは窺い知れない。それでも命令に忠実なベルトルトなら、事前に伝えた通りに動いているはずだった。巨人化後は壁際へ向かい、上から炎を撒いて馬を焼く。兵団にとって馬は命綱であり、馬さえ殺せば連中は逃げることができない。

 

 ライナーがどうなったかは少し気になった。さすがに生身で爆風に巻き込まれるような間抜けな真似はしていないと思いたいが、彼の不器用さを知っている身としては、絶対とは言えない。

 

「ま、ライナーなら大丈夫か。しぶといのだけが取り柄だし」

 

 ジークは軽く笑い、車力が運んできた岩塊を掴んだ。

 

 獣の腕が大きくしなる。ジークが狙ったのは、兵士そのものではなかった。こちらからは、連中の姿などほとんど見えない。調査兵団は建物の陰や瓦礫の裏に散り、こちらの投擲を凌ごうとしている。

 

 だからこそ隠れられそうな場所ごと消し飛ばす。

 

 腕を振り抜く。放たれた岩礫が空気を裂き、内門付近の建物群へ吸い込まれるように飛んでいった。古びた壁も屋根もまとめて砕け、土煙が平地へ大きく広がる。そこに兵士がいれば潰せるし、いなければ遮蔽物を一つ奪える。どちらに転んでも、こちらの損にはならない。

 

 ジルケの行方も『始祖』を巡る争いも、ようやく終わりを迎えつつある。彼女の人格がどうなっているのかという問題は確かに残るが、それも『始祖』さえ手に入れればどうとでもなる。

 

 先生は、あんな連中のところにいちゃいけない。もう二度とマーレにもエルディアにも縛られない場所で静かに過ごすべきだ。

 

 いや、そうでなくてはあまりにも報われない。

 

 先生を取り戻す。そのためには、兵団に万に一つでも残っている勝ち筋をすべて潰しておく必要があった。

 

 ちらりと、自分が生み出した巨人たちへ視線を向ける。今のところ、巨人の檻を伝ってこちらへ向かってくる兵士の姿はなかった。

 

 兵団の連中には、遠回しに釘を刺しておいた。裏道を作ったからこっそり使え。そう言えば、勘のいい者なら気付くだろう。無垢の巨人を足場にして自分のところまで来る手は読んでいるぞ、と。 

 だが、連中がその意図を汲み取らない可能性はある。あるいは、汲み取った上で無視する可能性もある。

 

 奇襲を仕掛けてくる兵士がいないことを確かめてから、ジークは改めて投球の構えに入った。

 

 相手の手が届かない場所から一方的に攻撃する。古今東西、戦いにおける最も単純で、最も確実な勝ち方だ。

 

 そしてここまで兵団の動きを制限すれば、向こうの打てる手も限られてくる。そう考えていたところで、ウォール・マリア内門の辺りに雷が落ちた。

 

「進めぇぇぇぇ!」

 

 遅れて叫び声が聞こえた。

 

 (アギト)の巨人を先頭に、兵士達が馬でこちらへ向かってくる。馬蹄の音と兵士達の雄叫びが、壁外の平地に低くこだました。兵士達は緑色の信煙弾を撃ち上げ、煙が風に流されながら横へ広がっていく。

 

 ジークは目を細めた。

 

 やはり、そう来たか。

 

 ジルケを盾に、あるいはこちらの注意を引くための囮に使う。ジークが彼女に執着していることを逆手に取り、投石の手がわずかでも緩むことを期待しているのだろう。

 

 それだけではない。硬質な顎と機動力ならば、投石の一部を防ぎ、兵士達の被害を減らせるかもしれない。少なくとも、何もせずに砕かれるよりはよほどましだ。

 

 そして、それはジークが思い描いていた構図でもあった。

 

 これまで散々、ジークはジルケに執着を見せてきた。手詰まりになった兵団が彼女を前に出すことなど、想定の範囲内だ。ジルケを殺したくないというこちらの感情を利用し、無理やり接近する。追い詰められた連中が選ぶ手としては悪くない。

 

 悪くないが、だからこそ腹立たしくて仕方なかった。

 

「ふざけるな」

 

 呟きに、隠しきれない殺意が混じった。

 

 やってくると分かっていた。そう来ると読んでいた。にもかかわらず、実際に目にすると途方もない怒りが腹の底から込み上げてくる。

 

 改めてジルケ・クルーガーという女性に憐れみしか感じなかった。人格を奪われ、都合良く扱われ、あまつさえ命まで賭けさせられる。恩人がそんな残酷な運命に翻弄される姿など、もう見たくなかった。

 

 気付けば、握っていた岩が粉々に砕けていた。

 

 指の隙間から砂利が零れ落ちる。ジークはしばらくそれを見下ろしてから、気分を変えるように笑い、新しい岩を持ち上げた。

 

「はは、何やってんだ。落ち着けよ、俺。先生を助けに来たんだろ」

 

 冗談めかして言ってみても、胸の奥の熱は簡単には冷めなかった。

 

 ジークは視線を横へ流す。視界の端で、両側から巨人の檻へ近づいてくる兵士の影を捉えた。立体機動を使い、無垢の巨人を足場にしてこちらまで来るつもりなのだろう。

 

 おそらく、あのどちらかがリヴァイだろう。

 

 ここでアッカーマンを殺せるなら大きい。そう判断したジークは、軽く喉を鳴らすように叫んだ。

 

 すると、巨人の檻の端に位置していた無垢の巨人が顔を上げた。ぼんやりと空を見ていたその目が、こちらへ向かってくる兵士へ向けられる。

 

 当然、兵士もその変化に気付いた。立体機動のアンカーを巨人の身体へ撃ち込み、うなじを取ろうと軌道を変える。

 

 それが大きな失態だった。

 

 射出されたワイヤーを、巨人の指が掴んだ。たったそれだけで兵士の軌道が歪む。巻き取りの最中、立体機動装置は自由に方向を変えられない。ライナー達から聞いていた話と、自分自身の戦闘経験から導いた通りだった。

 

 一人は遠心力に振り回され、地面へ叩きつけられた。もう一人は、引き寄せられるように巨人の掌へ収まった。

 

 なんとも、あっけない最期だった。本当にあのどちらかがリヴァイなのかと疑うほどだった。しかし違ったとしても大した問題ではない。リヴァイが突撃の中に紛れ込んでいるのなら、それはそれで構わない。 

 

「来るなら来いよ。こっちに近づく前に肉片にしてやる」

 

 即位式の一件で、ジークは立体機動装置の恐ろしさを嫌というほど思い知っていた。人の身でありながら巨人と対等に渡り合える、長い人類史を見渡しても稀な巨人狩りの兵器だ。

 

 だが、立体機動は致命的な欠点を抱えていた。先ほどのワイヤーの射出もそうだが、そもそも近寄らなければ真価を発揮できないのだ。飛び道具を使い、間合いの外から潰せば何も怖くない。

 

 再びジークが叫ぶと、それに呼応するように無垢の巨人たちが自分の口の中へ手を突っ込んだ。そのまま嫌な液体音を立てながら、強引に白い歯を引き抜いていく。痛覚を意に介さない巨人だからこそできる芸当だった。

 

 抜け落ちた巨人の歯は、時間が経てば肉と同じように蒸発して消える。だが、今この瞬間に投げる分には十分すぎた。巨人の歯は岩にも劣らぬ硬さを持ち、巨人の膂力で投げれば人間の身体など簡単に抉り取れる。即席の弾にしては、十分な殺傷能力を誇っていた。

 

 ジークは正面から迫る(アギト)と兵士の集団を見据えて投球モーションに入る。それに釣られるように、周囲の巨人達もぎこちなく獣の動きをまねた。片足を上げ、腕を引き、手の中の歯を振りかぶる。

 

「いっせーのーでっ!」

 

 軽い掛け声とともに、正面から岩が、左右から巨人の歯が一斉に投げ放たれた。

 

 正面からの投石だけを警戒していた調査兵団にとって、横合いから飛んでくる無数の白い塊は完全な想定外だったのだろう。彼らの多くがそれに気付いたのは、身体の一部を持っていかれた後だった。馬が倒れ、兵士が宙に舞い、緑の煙がぐちゃぐちゃに乱れていく。

 

 肝心の(アギト)の巨人は獣の一投をもろに受け、手足を吹き飛ばされていた。 

 四肢の断面から蒸気を噴き出しながら、それでも突撃の勢いは殺しきれず、(アギト)は前方へ達磨のように転がっていく。

 

 ジークは目を細め、(アギト)の巨人のうなじ、そして岩礫を受けてもなお欠けていない顎と牙を確認した。

 

 まともに礫を受けたはずなのに、口元を覆う硬質化は崩れていない。なるほど、(アギト)の名は伊達ではないというわけだ。

 

 殺さないよう調整した甲斐はあった。

 

 ただ、そのせいで想定より兵士達が生き残ってしまったのも事実だった。(アギト)を避けて力を散らした分、あらぬ方向に飛んでいった礫も少なくなかった。

 

(ま、もういいけど)

 

 もう一度投げれば終わる。先生を巻き込まないよう、兵士達がもう少し近寄ってきてから殺せばいい。 

 ジークは足元の岩を持ち上げた。巨人達も再び口の中へ手を突っ込み、残った歯を引き抜いていく。これで準備は万端だった。

 

「先生、これでようやく会えるね」

 

 涙が込み上げそうになるのを、ジークは奥歯を噛んで堪えた。獣が振りかぶる。すべての思いを乗せて腕を振り抜こうとした、その瞬間だった。

 

 再び巨人化の光が弾けた。

 

 最初はまたジルケが(アギト)になったのかと思った。だが、光の中から現れたそれは(アギト)とは似ても似つかない。

 

 金色の髪。15メートル級の巨体。無駄のない、しなやかな身体つき。見覚えのある戦士の輪郭がそこにあった。

 

 ジークは思わず叫んだ。

 

女型(アニちゃん)!?なんで!?」

 

 どういうことだ。まさかアニが裏切ったのか。

 

 いや、それはない。裏切ったとなれば、収容区に残してきた家族がただでは済まない。アニがそれを分かっていないはずがない。 

 ジルケの生存が発覚してから、ジーク自身もパラディ島へ亡命しようかと考えたことはある。それでも、故郷に残してきた者を捨てることはできなかったし、何よりそれはジルケの望みではない。

 

 だが、目の前にいるのは女型だ。女型であることだけは疑いようがない。

 

 思考が一拍、遅れた。

 

 アニか。違う。兵団の誰かに食われたのか。

 問いが頭の中で形になるより早く、女型はすでに(アギト)へ手を伸ばしていた。混乱は数秒にも満たなかった。しかし、戦闘においてはその数秒が致命的だった。

 

 女型は転がっていた(アギト)の頭部を髪ごと鷲掴みにし、獣の元へ猛然と突き進んでいた。

 

「ぐっ……女型を狙え!」

 

 獣は狙いを女型へ絞り、岩を投げ放った。巨人達もそれに続き、四方八方から歯を投げつける。

 

 しかし、女型もまた(アギト)を振りかぶって投じた。岩礫と、(アギト)が空中で交差する。

 

 直後、女型の周囲に投げつけられた歯と岩が降り注いだ。ジークの放った岩は、女型の頭部を正面から砕いた。あの損傷ならば、中の本体も無事では済まないはずだ。 

 さらに巨人達の歯が肩を、脇腹を、脚を抉っていく。ものの一瞬で、女型の肉体は自重に耐えきれぬほど崩れていた。

 

 だが、今気にすべきは、すぐ目の前まで飛んできた(アギト)だった。

 

 (アギト)の巨人が大きく口を開く。その奥からアンカーが射出され、獣の肩口へ突き刺さった。

 

「久しぶりだな、獣のクソ野郎が……!」

 

 最初に見えたのは、黒い点のような影だった。

 

 まだ距離はある。そうジークが判断した次の瞬間には、その優位は消えていた。影はワイヤーに引かれて獣の視界へ飛び込み、あり得ない速度で迫ってくる。

 

 ジークは反射的に腕を振り上げた。握り潰す必要はない。近づかれる前に、手の甲で虫のように叩き落とせばいい。

 だが、振り下ろしたはずの腕は、影の主であるリヴァイに触れる前に軌道を逸らされた。

 

 違う。逸らされたのではない。手首から先がすでに落ちていた。

 

 斬撃が見えない。刃の軌跡を目で追うより早く、指が飛び、手首が飛び、前腕が輪切りになって蒸気を噴いた。リヴァイは落ちていく肉片すら足場にするように身体を捻り、獣の腕の内側へ潜り込む。

 

(速すぎる……!)

 

 ジークはもう片方の腕を振ろうとした。だが、その動きも読まれていた。リヴァイのアンカーが獣の肩から頬へ、頬から首筋へと次々に打ち込まれ、身体の向きを変えるたびに刃が走る。目を裂かれ、獣の視界が蒸気と血で濁っていった。

 

(クソ、せめて硬質化で――)

 

 うなじを固める。そう判断した瞬間、獣の足元が大きく崩れた。

 

 (アギト)の巨人が獣の足首に食らいついていた。四肢を失ってなお噛みつき、硬い骨ごと砕いている。 

 痛みはない。だが、支えを失った事実だけははっきりと分かった。獣の巨体が傾き、硬質化へ向けた意識が一瞬だけ乱れる。

 

 その一瞬をリヴァイは逃さなかった。

 

 アンカーがうなじのすぐ横へ突き刺さる。蒸気の向こうから、小柄な身体が一直線に飛び込んでくる。ジークは残った腕で首筋を覆おうとしたが、肘から先を細切れにされ、守るべき場所まで届かなかった。

 

(駄目だ、間に合わない!)

 

 次の瞬間、背中に焼けるような痛みが走った。

 

「ごめん……先生、フェリス」

 

 視界がぐらりと揺れる。噴き上がる蒸気の中、ジークは獣の巨体から引きずり出された。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 エルヴィンから女型の継承を持ちかけられた時、王都はまだ獣の巨人による襲撃の傷跡を残していた。即位式の数日後のことである。

 

 瓦礫の撤去も、食い殺された遺体の処理も終わっていない。新王政は表面上こそ機能していたが、その内側では、誰もがマーレの脅威を現実のものとして理解していた。

 

 だからこそ、こちらも使える札を増やさなければならない。エルヴィンはそう言った。

 

 ストヘス区支部に拘束中のアニ・レオンハートを見に行った時、彼女は水晶の中に閉じこもっていた。鉄以上の硬度を誇るその結晶は壁内人類の技術では傷一つ付けられず、地下深くに封じたまま監視を続けることしかできなかった。

 

 だが、(アギト)ならば話は別だった。

 

 (アギト)の牙であれば、あの結晶を砕けるかもしれない。少なくとも試す価値はあった。水晶を砕き、アニから女型の力を奪えれば、兵団の戦力は大きく増す。

 

 そこまでは理解できた。だが、この作戦は根本のところで博打だった。

 

 水晶を砕けば、アニは確実に死ぬ。その上で力が継承される保証はない。砕いた瞬間に女型の力ごと失われるかもしれず、継承に失敗したエルヴィンが無垢の巨人に成り果てるかもしれない。

 

 その時は処分してくれて構わないと奴は言ったが、当たりが入っているかも分からない籤に指揮官の首を賭けるなど、正気の沙汰ではなかった。

 

「私が博打打ちなのは知っているだろう?」

 

 顔を顰める私とリヴァイに、奴は悪びれもせずそう言った。

 危険なら分かっている。それでも、なぜ余人ではなくエルヴィン自身が継がねばならないのか。

 

「指揮官が多少の負傷では死なないというだけでも、計り知れない恩恵がある。女型は突出した一芸で戦場を決める巨人ではないが、だからこそ都合がいい。硬質化、機動力、持久力のいずれも高い水準にあり、状況に応じて役割を変えられる。戦場全体を見ながら動くには、最も扱いやすい巨人だ。それに――」

 

 エルヴィンは滔々と継承の利を語った。しかし、私が聞きたいのはそんな理ではなかった。

 

 仮にだ。仮にすべてが上手く運んだとして――ユミルの呪いが恐ろしくないのか。

 巨人の力を継承した者は13年以内に必ず死ぬ。始祖ユミルすら曲げられぬ絶対の運命。そこに例外はない。 

 

 しかし奴は笑って首を振った。13年も生きていられると思って調査兵団を続けてきたわけではないと。  

 

 結局、女型の継承は調査兵団の幹部、総統、司令を含むごく一部の中枢だけで決定された。最初は皆当惑していたが、エルヴィンは指揮官としての必要性と戦略的価値を淡々と並べ立て、半ば押し切る形で了承を取り付けた。 

 

 最後までリヴァイは納得しなかったものの、エルヴィンの決意を折ることはできなかった。

 

 アニの身柄は極秘裏にストヘス区支部からトロスト区郊外の洞穴へ移された。記憶の中のシュタイナーが巨人化の訓練で極秘に使っていた場所だ。周囲を封鎖すれば、多少の爆発音や蒸気はごまかせた。

 

 巨人化した私の背中を捌いて得た脊髄液を、気化してしまう前にエルヴィンに摂取させる。その後、私とリヴァイで巨人化したエルヴィンの動きを封じ、ハンジ達の力も借りて口だけを大きく開けさせた状態で固定した。

 

 その真上で私はアニの水晶を咥えた。 

 水晶は思っていたよりあっさりと(アギト)の牙で砕けた。拍子抜けするほど容易く、女型の力はエルヴィンへ移った。

 

 砕け散る寸前、顔の半ばまでヒビに裂かれたアニの顔が妙に記憶にこびりついた。

 

「ようやく君と同じ場所に立てた」

 

 最初は継承直後の混濁による、譫言の類だと思った。この言葉の本当の意味を知るのは後のことになる。

 

 そこから奪還作戦まで来る日も来る日も巨人化実験に励んだ。

 

 エルヴィンは短期間で女型を制御した。

 もちろん完全ではなかった。硬質化の精度は粗く、持続時間にも限界があり、細かな動作にはまだぎこちなさが残っていた。それでも実戦で使うには十分だった。何より奴は巨人の身体を自分の延長としてではなく、戦場に置く一つの駒として捉えていた。

 

 自分の命さえ、奴にとっては作戦の一部でしかなかった。

 

 むろんエルヴィンとて完璧ではない。実験の中で幾度か理性を呑まれ、女型は私達へ牙を剥いた。その度にリヴァイと私で動きを封じてうなじから本体を引きずり出した。

 

「……悔いはないのか」

 

 蒸気を上げる肉塊からエルヴィンを掘り出す度、リヴァイが同じ問いを口にした。暴走の不始末についてなら奴は素直に頭を下げた。

 

 だが、己の選んだ運命について問われると、決まって「後悔なんてない」と返した。

 

 私がストヘス区で目を覚ましてから、まだそれほど日も経っていない。しかし、エルヴィンの申し出を超える衝撃なんてそうそうないだろうと思っていた――シガンシナ区決戦の最中、獣の投石が降りしきる中で私はそれを上回る衝撃を受けることになった。

 

「ジル、この戦いが終わったら結婚してくれないか?」

 

 私とリヴァイに作戦を伝え終えた直後、奴がそう言った。

 

 周囲では岩が大地を抉り、兵士達の悲鳴と馬のいななきが混じっていた。超大型は炎を撒き散らしながら壁へ迫り、獣の巨人は遠方から攻撃の手を緩めない。そんな状況で、エルヴィンは落ち着き払った声で私に結婚を申し込んできた。

 

 最初は聞き間違いだと思った。しかし、私の顔を見て何を思ったのか、エルヴィンはもう一度同じ言葉を繰り返した。あのリヴァイでさえ、しばし言葉を失っていた。それこそ私でも倒せそうなくらいには隙だらけだった。

 

 一目惚れだったらしい。そしてクーデターを画策したあの夜、私の夢を聞いて、その夢の中に自分も立ってみたいと思ったのだと、彼はあまりにも真面目な顔で言った。

 

 (エレン)が『進撃の巨人』を継承し、その力は今エレン・イェーガーの中にある。すなわち私の夫はもうこの世のどこにもいない。だから重婚にはあたらない――誰に求められたわけでもない補足を几帳面に付け加えてきた。

 

「答えは帰ってから聞かせてくれ」

 

 なぜ今答えを求めないのか。そんな疑問が顔に出ていたのだろう。エルヴィンは得意げに言った。

 

「結果を知らないままでは、とても死に切れないだろう?」

 

 その後、私はどこか夢現の中にいた。 

 獣への特攻を命じられ、新兵が恐怖に耐えかねて嘔吐する様も、巨人の檻を伝った奇襲を告げられ、ニファとナナバが押し殺した呼吸を続けているのも、すべて見えていた。

 

 特攻の直前、エルヴィンが私の肩を叩いた。そこでようやく、私は現実へ引き戻された気がした。

 

 なんで――こんなことを思い出しているのだろう。

 

 意識が揺れていた。獣の投石を受けた衝撃で、脳が揺さぶられたらしい。身体が重い。巨人の身体であるはずなのに、まるで水の底に沈んでいるようだった。

 

 手足はもうどこかへ吹き飛んでいる。断面から蒸気が噴き出し、再生しようと肉が蠢いている感覚だけがあった。

 

 だが、牙があれば十分だった。

 

 女型(エルヴィン)が私を放った。私を助けるためではなく、(アギト)を獣へ届かせるために。

 

 視界が回転する。空と地面が入れ替わり、巨人の檻と緑色の信煙弾がぐちゃぐちゃに混ざった。

 

 獣の投石がこちらへ迫る。完全には避けられない。いくつかは身体に当たり、残っていた肉をさらに削り取った。それでも致命傷ではない。

 

 私が大きく口を開くと、そこからリヴァイが飛び出した。「巨人の口の中なんて二度とごめんだ」と言っていた癖に、人生とは分からないものだ。

 

 飛び出したリヴァイの動きに迷いはなかった。ワイヤーが獣へ突き刺さり、小柄な身体が信じがたい速度で肉薄する。

 

 瞬く間に獣の腕が刻まれていく。

 

 すれ違いざまに礫を食らったせいで勢いが落ち、私は獣の手前に落下した。胴体と頭部だけが辛うじて残った状態で、ろくに前も見えなかった。

 片側が暗く潰れ、残った方の目も血で霞んでいる。巨人体の損傷というより、私本体の片目を先ほどの礫で抉られたのだろう。

 

 ただ、ここで這いつくばっているわけにはいかなかった。

 

 手足がないなら、残っているもので前へ進む。その一心で私は牙で地面を抉り、梃子の要領で跳ねた。獣の足元まで飛び、ありったけの力で顎を閉じた。

 

 骨が砕ける感触と共に、私の中から何かが溢れ出してきた。

 

『いいか、ジル。我々の復権の灯を絶やしてはならない。この力はその狼煙だ』

 

 (エレン)が掌の傷口から蒸気を立ち昇らせながら言う。

 

『ありがとうございます……先生は我々にとって神のような御方です』

 

 大勢のエルディア人負傷兵が私を取り囲んでいる。血と膿と薬品の臭いが鼻の奥にこびりつき、包帯を替える手の感覚だけが妙に生々しかった。

 

 私は獣の足首に噛みついているはずだった。シガンシナ区の地面に這いつくばり、四肢を失った(アギト)の身体で、リヴァイが獣のうなじへ届くための一瞬を稼いでいるはずだった――しかし、私が今いる場所はどこかの野営病院だった。

 

『私なんて生まれてこなければ――』

 

 違う。私は夜の病院の廊下にいた。

 

『優しくしてくれてありがとう、ジル先生。巨人になっても時々思い出すからね』

 

 違う。私は白亜の建物の陰にいた。

 

『あなたのような方が、マーレ軍にもいらっしゃるのですね』

 

 違う。私は古ぼけた診療所の前にいた。

 

『先生の大切な赤ちゃんは、私が必ず守ります』 

 

 違う。私はレベリオの自宅にいた。

 

 声が重なる。記憶と呼ぶにはあまりにも雑多で、夢と呼ぶにはあまりにも鮮明なものだった。

 

 懇願。感謝。懺悔。祈り。別れ。誰かの泣き声。誰かの笑い声。人の声が頭蓋の内側で木霊し、私という輪郭を内側から削っていく。

 

 王家の血は巨人の真価を発揮する。その言葉がなぜか頭をよぎった。

 

 種々の人間の姿が浮かんでは消えていく。着物を纏う東洋の女、厳しい顔をした軍人、キャッチボールをねだる子供、まだあどけなさの残る少年兵。

 

 人種、性別、身分、年齢関係なくあらゆる人間がそこにいて、私はその全員を知っていた。

 

 痛い。頭が割れるようだ。

 

 もう何も見たくない。何も聞きたくない。これ以上、アイツの人生で私を犯さないでくれ。

 

 そう願った瞬間、不意にすべての声が遠のいた。

 

 ざわめきが薄れていく。血の臭いも、薬品の臭いも消えて、代わりに鼻先をかすめたのはひどく懐かしい潮風の匂いだった。

 

 その静けさの中で、たった一つ幼い声だけがはっきりと響いた。

 

『ねぇ、ママ』

 

 ぶつん、と景色が変わった。 

 自分よりも遥かに低い目線から見える世界は、何もかもが途方もなく大きく見えた。

 

 視界いっぱいに広がっていたのは、どこまでも続く蒼の世界だった。砕けた陽光が宝石のように水面で煌めいている。寄せては返す波の音は優しい子守唄のようで、遥か彼方では鳥の鳴き声がした。

 

『海の向こうには悪魔がいるって……本当?』

 

 何にも縛られず、自由に空を駆ける鳥の姿を、幼い視線の主は特に感慨もなく見つめていた。

 

 ママと呼ばれた女には見覚えがあった。栗色のボブカットが、小動物のような愛らしい顔によく似合っている。

 私の知る彼女よりも年を重ねていて、頬の丸みは落ち、目元には薄い疲労の影があった。それでも、柔らかい笑みだけは記憶の中のままだった。

 

 彼女は問いに否定も肯定も返さなかった。 

 ただ、幼い視線の主の髪を撫でた。潮風に乱れた髪を指で梳き、困ったように微笑みながら、そっと名前を呼んで嗜めた。

 

 ああ、そうか。ようやくわかった。

 

 お前(わたし)が食べたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなただったのね――フェリシア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日はグライス家の命運が分かれる日だった。 

 朝から居ても立ってもいられず、ファルコ・グライスはレベリオ収容区の中をあてもなく歩き回っていた。靴底に伝わる石畳の硬さも、すれ違う住民の顔もいつもより遠く感じた。

 

 頭にあるのはただ一つ、兄のコルトのことだった。

 

 今日『九つの巨人』の次期継承権の通達が下される。兄がそれを得られるかどうか。グライス家にとって、それは家の命運そのものを問われる日だった。

 

 ファルコの生まれる前、まだ顔も知らない叔父が反体制組織に通じていた。当人はとうの昔に楽園へ送られ、それでも疑いの晴れない家族はマーレ軍にすべてを捧げるよりほかなかった。

 

 それでも一度裏切り者を出した家系を見る目は冷たいままだった。当局はもちろん、同胞達でさえグライス家への誹りをやめなかった。

 

 だからこそ、一家の望みは兄に懸けられていた。ここで巨人の継承権を得られれば、家族の人生は一変するのだから。

 

 ただファルコだけは、兄に無条件で「頑張れ」とは言えなかった。夜、トイレに駆け込んで吐いている兄の背を何度そっと撫でたことか。名誉あるマーレの戦士という言葉の裏で、兄がどれほど重いものを背負わされているのか、幼いなりに分かっていた。

 

 あの震える背中を思い出して、ファルコの顔がわずかに曇る。

 

(――だめだ。一番不安なのは兄さんのはずだ。せめて僕だけでも明るくしてなくちゃ)

 

 そんな決意などお構いなしに、背後から甲高い声が飛んできた。

 

「おーーーーい!!ファルコーーー!!」

 

 振り返ると新聞紙を握りしめたガビ・ブラウンが、大きく手を振りながら駆けてくる。

 

「なーーにトボトボ歩いてんのよ、みっともない!もっと堂々としなさいよ!」

 

「おい、迷惑だろ。こんな道のど真ん中で」

 

「知らないわよ、そんなの」

 

 ガビは既にレベリオ収容区の中でも有名人だった。従兄のライナー・ブラウンは『鎧の巨人』の継承者であり、5年前に始祖奪還作戦のため悪魔の島へ渡った。

 ガビ自身も戦士候補生として群を抜く成績を収めており、いずれ巨人の力を継ぐのではと噂されていた。

 

 一族から二人も戦士を出すなんて凄いな、とファルコは素直に思う。さすがは『神』に愛されたブラウン家とでも言うべきか。

 

「……で、何の用だよ。ガビ。やけに元気だな」

 

「は?あんた、まさか知らないの?」

 

「だから何の話だよ」

 

「うわー、相変わらずとろくさ。門の前であれだけ号外配ってたのに、よく素通りできたわね。本当に何も知らないの?」

 

 ファルコがこくりと頷くと、ガビはふっふっふと悪い笑顔を見せた。 

 裏切り者の血筋と後ろ指を差される彼にも、ガビだけは何の遠慮もなく話しかけてくる。その無神経なまでの明るさがファルコには眩しかった。

 

「ねぇ、ファルコ。良いニュースと、超良いニュース。どっちから聞きたい?」

 

「……相場は良いニュースと悪いニュースじゃないのか?」

 

「今日は悪いニュースなんてないから!」

 

 ファルコは戸惑いながらも、先に良いニュースを選んだ。

 

「コルトが巨人の継承権を獲得したのよ!さっき軍の人がグライス家に来てたわよ!」

 

「ほ、ほんとか!?」

 

「嘘つく理由なんてないでしょ。ま、これであんたの家も名誉マーレ人の仲間入りね!」

 

 その瞬間、ファルコの膝から力が抜けた。

 

「や、やった……」

 

 兄の努力がようやく報われた。自分たちの家もようやく日の下で堂々と生きられる。

 

 言葉にならない安堵を噛み締めていると、それを見たガビはさらに顔を輝かせた。

 他人事のはずなのに自分以上に喜ぶ彼女を見ると、妙に胸が騒いだ。その感情に名前を付けるには彼はまだ少し幼かった。

 

「で、超良いニュース!」

 

「おいおいおい、まだ気持ちの整理がついてないってのに……それに名誉マーレ人になれること以上に良いことなんて――」

 

「ライナーが帰ってきたのよ!」

 

「あ、悪魔の島からか!?」

 

「そ!しかも、ただ帰ってきただけじゃないの!」

 

 悪魔の島。収容区の子供達にとって、それはもはや地名というよりおとぎ話の舞台に近かった。

 

 悪いことをすれば島の悪魔が食べにくる。大人たちはそう言って、子供を躾けた。

 

 それに5年という歳月はファルコくらいの子供にとっては記憶のほとんど全部だ。物心ついた頃にはもうライナー・ブラウンは「世界の期待を一身に背負い、島の悪魔共の討伐に向かった英雄」であり、写真の中だけにいる人だった。

 

 その英雄が帰ってくる。それだけでも収容区を何日も沸かせるには十分すぎる報せだった。 

 しかしガビの握りしめた号外には、それ以上に信じがたい文字が躍っていた。

 

「じゃじゃん、これ見なさい!」

 

 そう言って突き出された号外には、確かにこう書かれていた。

 

 ――マーレは『始祖の巨人』を奪還した、と。




ずいぶん前から匂わせるだけ匂わせておいた伏線をようやく回収できて大変満足です。
次話以降また展開変わります。引き続きお付き合いください。



以下独自設定・展開に対する補足です。長いのでご注意を。

・アニちゃん殺す必要あった?
(アギト)が戦槌の結晶に傷を付ける場面を目撃していたとはいえ、所詮エレンでも思いつけたことです。エルヴィンやハンジが思い至らない方が不自然なので、アニちゃんには死んでもらいました。

ちなみに過去話でエルヴィンが「新兵や104期には黙っておこう」と言っていた件、リヴァイが「悔いはないのか」と尋ねていた件はいずれもこの継承の話です。

・巨人化薬なしで巨人化できるん?
⇒ 巨人の脊髄液を摂取すれば巨人化する、というのは原作で明言されています。なので、注射器(巨人化薬)を使わずとも、巨人体から採った脊髄液を直接摂取させれば無垢化は可能なのだろうと解釈しました。そもそも巨人化薬を精製する技術がなかった大昔は、どうやって無垢の巨人を発生させていたのかという疑問もあるので……(まあ、大昔は始祖の力でどうこうしてた気もしますが)

・新兵に特攻させる必要あった?
⇒本作のジークは一度アッカーマンの動きを目の当たりにし、警戒した上でケニーに敗北しています。つまり原作以上に立体機動やアッカーマンの存在を脅威に感じていた状態だったので、使える陽動はすべて使わないと勝てなかったとご理解ください。

・娘ちゃん殺す必要あった?
⇒芸術の為には必要な犠牲でした。

どっちの人格のオリ主が好き?(閑話の参考にします)

  • 転生ネキ(シュタイナー人格)
  • 頭復権派(クルーガー人格)
  • どっちも同じくらい
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