エレンの妻です   作:ホワイト3

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今話から他作品ネタが増えます。
苦手な方はご注意ください。


55:裁き

「あの子のいない故郷はどう?」

 

 ありえない。

 ジルケ・クルーガーはパラディ島にいるはずだった。どうやって海を渡り、厳重な警備を抜け、政府高官でも容易には使えない貴賓室で自分を待っていたのか。

 

 問いは次々に浮かんだが、どれ一つとして言葉にならなかった。

 

 あの子のいない故郷。その言葉へ触れようとした瞬間、頭の中で嫌な音が鳴った。

 

 ライナーに見つめられ続けたジルケは、手にしていた黒い眼鏡を机へそっと置くと、居心地悪そうに白い髪へ指を絡めた。

 

「……そんなに見ないでよ。変な見た目だってのはわかってるからさ」

 

 肩へ流れた髪を弄びながら、少し恥ずかしそうに笑う。

 

「四年前のシガンシナ区決戦で片目を吹き飛ばされてさ、巨人の力で再生してもこんな色になっちゃうのよ。髪まで真っ白になるし、はたから見たら金木くんのコスプレよね」

 

「……カネキ?」

 

「あ、でも年齢考えるとカカシ先生の方が近いか。ちょうど、みんなにも先生って呼ばれてるし」

 

 そこまで言って、ジルケは大きく息を吐いた。

 

「――なんて。おばさんが年甲斐もなくはしゃいで本当にごめんね。サングラスだって芸能人気取りみたいで本当はしたくないんだけど、しないと余計に目立つのよ。だからまあ……理解してもらえると助かるわ」

 

 間違いなく、彼女は共通語を話している。だというのに、その言葉の半分も理解できなかった。冗談を言われているらしいことは察せられたが、どこで笑えばよいのかすら分からなかった。

 

 困惑を隠せずにいるライナーを見ても、ジルケは説明する素振りもなく、向かいに置かれた椅子を示した。

 その際、手招きした指先に赤い粒が浮いていた。その粒が血であり、彼女が何を思って傷を作ったのかは瞬時に理解できた。

 

「座って、ライナー。話をしましょう」

 

 優しく、あやすような声だった。

 身体の震えを悟られまいと両脚へ力を込め、指示された椅子へ腰を下ろした。背中を汗が伝っていることに気付いたのは、その後だった。

 

 二人の間に置かれた机には、紫色の花と、無骨な黒い電話機が並んでいる。左手の窓からは、観客で埋め尽くされた会場と、中央にそびえる勝利の塔が見えた。

 

 壁に掛けられた時計の針が、広い部屋へ硬い音を響かせている。

 ジルケは何も言わなかった。赤と青の双眸が、真正面からライナーを捉えている。

 

 沈黙は一分にも満たなかったはずなのに、何時間も向かい合っていたような錯覚に陥った。

 

 やがて会場に設けられた拡声器から、ヴィリー・タイバーの声が響き始めた。

 

 百年にわたり公の場から遠ざかっていたタイバー家の当主が、自らの名を告げる。続いて、巨人の時代が終わりを迎えつつあること、人間の叡智が新たな時代を切り開くことを、集まった観衆へ語り始めた。

 

 窓の下から拍手が湧き上がる。ジルケはしばらく演説へ耳を傾けていたが、やがて感心した様子で口元を緩めた。

 

「順番が回ってきただけにしては、結構うまいこと喋るわね」

 

 口調に皮肉は混じっていたが、見下している響きはなかった。

 

「あの人なりに国のことは考えてるんでしょうね。どうでもよければ、家の看板まで引っ張り出して、あんな大舞台に立てないもの……国の舵取りなんて責任ばっかり重くて胃に穴が空くのに、よくやるわ」

 

 階下では、ヴィリーの声に再び大きな拍手が重なった。

 

「四年……」

 

「え?」

 

「この四年は、本当に大変だった」

 

 深く息を吐いた瞬間、ジルケの顔に濃い疲労が浮かんだ。背もたれへ身体を預け、天井を仰ぐ。

 

「大学の頃付き合ってた元カレの影響でさ、『HoI4』に一時期ドハマりしたのよね。アルバニアで世界征服するために、夏休みを丸ごと費やしちゃったことがあるの」

 

 また、意味の分からない言葉が始まった。

 

「でも、現実の国家はゲームの比じゃないわ。セーブもできないし、失敗したからって最初からやり直せるわけでもない。政権交代の心配がほとんどないあの島ですら、あれだけ大変だったんだもの」

 

 ライナーは返事に窮した。辛うじて理解できたのは、彼女がこの四年間、国政に根深く関与していたらしいことだけだった。

 ジルケはしばらく天井を見上げたあと、我に返ったように姿勢を戻した。

 

「ごめんなさい。あなたに愚痴を聞かせたいわけじゃなかった」

 

 むき出しの異色の瞳が、再びライナーへ向けられる。

 

「ねえ、ライナー。あなた、何も聞かないの?」

 

 口が半端に開いたまま止まった。

 

「ここにいないはずの人間が、目の前にいるのよ。気になることの一つもないわけ?」

 

 尋ねたいことなら、いくらでもあった。

 だが、どの問いから口にすればよいのか分からない。迷った末に、ようやく声を絞り出した。

 

「先生……どうやって、ここへ」

 

 ジルケが首を傾げて言う。

 

「最初に聞きたいのが、それなの?」

 

「……何をしに、ここへ」

 

「あなたと同じよ」

 

 その一言で、光景が一気に蘇った。超大型と鎧(じぶんたち)による壁の破壊。開いた穴から押し寄せる無垢の巨人。逃げ惑う人々、蹂躙される街。

 

「な、なんで……」

 

「あなたならわかるでしょう?『仕方なかった』ってやつよ」

 

 動悸が止まらない。吐き気も込み上げた。ライナーの顔つきを読み取ったらしく、ジルケは軽く手を振った。

 

「ああ、ごめんごめん。念のため伝えておくとね、壁を壊したことであなたを責めるつもりは全く無いわ」

 

 意外な言葉に、ライナーは顔を上げた。

 

「あなたたちがそうすることは最初から知っていたし、むしろ私はそうなる道を舗装した側。今さら被害者みたいな顔をして、被害者(あなたたち)を裁く資格なんて持ち合わせているわけがない」

 

 赦しでも慰めでもなかった。自分にも同じだけの責任があると、淡々と認めているように聞こえた。

 

「そもそも私が用があるのはあなたじゃなくて、あなたが抱えているであろうものの方よ。目的を達成するだけならね、あなたと言葉を交わす必要なんてない」

 

 そこで言葉を区切り、ジルケは慈しむように目を細めた。

 青い瞳がライナーに向けられる。否が応でも幼馴染を思い起こさせた。

 

「――それでもね。どうしても話がしたかった。ここまで言えば、ライナー。私が何を言いたいか分かるわよね?」

 

 喉が詰まった。分からないはずがなかった。

 ジルケは机の上で指を組み、長い間胸の内に抱えてきた問いを確かめるように、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「ずっと考えていた。四年前にジークと接触して、あの子の記憶を見てからずっと……あの子は、なんで死ななくちゃいけなかったのかって」

 

 それだけは、自分の口で答えなければならなかった。他の誰でもなく、この人には。

 そう思った途端、膝の上で握った拳に力が入った。

 

「マルセルが……治安当局の内偵だったことが軍にバレて……戦場で軍紀違反を犯したという名目で(アギト)を剥奪されたんです」

 

 爪が掌へ食い込み、鈍い痛みが走った。

 

「それで、フェリスが継承者に選ばれて……俺たちは始祖奪還作戦のために島へ向かって……。それでフェリスが……」

 

 その先を語ろうとしたが、言葉が出てこない。握り締めた拳から血が滲み、指の隙間を伝った一滴が絨毯へ落ちた。

 

「……そういうことか」

 

 僅かに息を吐くジルケ。憎々しげに呟いた。

 

「我ながらどうしようもないクソ野郎ね。半信半疑だったけど、これでようやく――」

 

 言葉を途中で切り、ジルケは顔を上げた。そして喉の奥でくぐもった笑い声を立てた。静かな部屋に不気味に響く。

 

「ねぇ、ライナー」

 

 笑いを収めたジルケが、改めてこちらを見る。

 

「マルセルの話は誰から聞いたの?」

 

「誰からって……そりゃあマルセルから……」

 

「いつ?」

 

「……え?」

 

「どこで、マルセル本人から聞いたの?」

 

 即答できるはずだった。実際口は開いたが、言葉は出てこなかった。

 マルセルがそう語っていた姿は、記憶の中にある。それなのに、いつ、どこで聞いたのかだけが思い出せなかった。

 

「そもそも治安当局の命令に従っていただけで、どうして軍がマルセルから(アギト)を取り上げるの?所属が違っても、どちらもマーレの組織でしょう。命令どおりに働いていた人間から、巨人を剥奪する理由なんてないじゃない」

 

「でも、マルセルは確かに言ったんです。治安当局に協力するしかなかったって……」

 

「ええ」

 

 ジルケは、あっさりと肯定した。

 

「確かに彼は、あの子にはそう言った」

 

 頭の中で何かが止まった。

 

「でも、それはマルセルがあの子についた嘘よ。そして、あなたが知っているはずのない話でもある」

 

 ジルケの声は穏やかだった。

 

「あの子も言ったでしょう。『その話なら、もう終わった』って。それなのに、どうして彼の嘘を知っているの?」

 

 覚えている。確かにフェリスはそう言った。

 反論の形を作ろうとした言葉が、途中で崩れた。

 マルセルが弟の名を口にしたことも、途中で声を震わせたことも、まるでその場にいたかのように思い出せる。

 

 だが、その記憶の中にライナー自身の姿が見つからない。

 見えているのは、マルセルの顔だった。それも、彼を見上げるようにして。

 

「違う……そんなはずは……」

 

「ねえ、ライナー」

 

 ジルケの声が、混乱の中へ静かに差し込まれた。

 

「本当はあの子が死んだ時のことを覚えてないよね?」

 

「……覚えて、います」

 

「なら、話してみて?」

 

「フェリスは……巨人に襲われて」

 

「何がきっかけで?」

 

「それは……」

 

「その時、あの子は何て言ったの?どんな顔をしていた?」

 

「……」

 

「どこに立っていたの?あなたは近くにいたの?」

 

 問いを重ねられるほど、記憶は遠ざかっていった。

 フェリスが死んだ。その事実だけを残して、最後に見た顔も、聞いた声も、自分の中にはなかった。

 

「俺は――」

 

 目の前が狭くなり、椅子の背へ縋るように身体を預けた。ジルケはなおもライナーを覗き込むように見つめた。

 

「無理矢理忘れたんでしょう?あの子が死んだ時のことを。思い出したら生きていけないから」

 

「そんなことは……」

 

「辛い過去も、消したい罪も何もかもから逃げ出して、ぽっかりと空いた穴には別の記憶(つくりばなし)で蓋をした……壁の中にいる間、あの子はずっとレベリオで元気にしていると思い込んでいたんだってね。羨ましい限りね、ほんと。もちろん褒めてないわよ」

 

 口元には笑みが残っている。それなのに、声からは冗談の温度だけが抜け落ちていた。

 

 視界の端で、暗い波が揺れる。

 月明かりの下、焚き火の向こう側で、銀を溶かしたような灰色の髪が夜風になびいた。

 

 少女が何かを話していた。声だけが遠く、内容を聞き取れない。

 

 呼吸がさらに浅くなり、椅子から立ち上がろうとしても脚に力が入らない。

 思い出してはいけないと、身体が奥から訴えていた。

 

 ジルケはゆっくりと席を立ち、身動きのできないライナーの傍らまで歩いてくる。白い髪が頬へ触れそうなほど近づき、耳元へ唇を寄せた。

 

「思い出させてあげる。あの子が死んだ日のことを」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 最初に蘇ったのはパラディ島の夜ではなく、ガリアード兄弟が何の前触れもなく姿を消した日のことだった。

 

 窓のない部屋に並ばされたのはライナー、ベルトルト、アニ、ピークの四人だけだった。マルセルもポルコもいない。前に立つ将校は、四人の顔を一度見渡してから口を開いた。

 

「マルセル・ガリアードは、先の作戦において重大な軍紀違反を犯した。軍は同人を『マーレの戦士』として不適格と判断し、(アギト)の継承権を剥奪した。なおガリアード家も同様に反乱因子として巨人兵器に加えられることとなった」

 

 何を言われたのか、しばらく理解できなかった。

 

 誰とでもすぐに打ち解け、揉め事が起きればマガトの雷が落ちる前に話をまとめてしまう。戦場でも常に仲間のことを考える――そんな男の隣に並ぶはずのない言葉だった。

 

 戦士達の問いはことごとく「知る必要はない」で切り捨てられ、代わりに次の継承者の名だけが告げられた。

 

 フェリシア・シュタイナー。

 

 その数日後、フェリスは(アギト)を継いだ。軍医の検査も終えて現れた彼女は、ライナーを見つけると、いつものように片手を上げた。

 

「何、その顔。幽霊でも見たみたい」

 

 銀色を帯びた灰色の髪も、やや不機嫌そうに細められた目も、いつも通りのフェリスだった。ただ、目の前にいるのに、どこか遠くにいるように見えた。

 

 ライナーは祝いの言葉を探した。

 フェリスが望み続けた夢に、ようやく手が届いたのだ。だが、その夢はマルセルがいなくなったから空いたものだった。喜べば、彼の死を踏みにじったようになる気がした。

 

「……おめでとう」

 

 ようやく口にすると、フェリスは少しだけ目を見開いたあと、ぎこちなく笑おうとした。

 

「ありがとう」

 

 ほどなくして、始祖奪還作戦の実施が正式に告げられた。島へ向かうのはライナー、ベルトルト、アニ、そしてフェリスの四人だった。

 

 始祖を奪って戻れば、自分たちは世界を救った英雄になる。離れて暮らす父も戻ってきて、今度こそ三人で家族になれる。そしてフェリスも、腕章の要らない場所で暮らせる――そう信じて夢を追ってきた二人が同じ任務の先で望んだものを掴む。そう思うと、俄かに喜びが込み上げた。

 

 だが船の中で、フェリスは日ごとに口数を減らしていった。呼びかけても反応が遅れ、食事にもほとんど手をつけない。夜になると、狭い船室の寝台で何度も目を覚ましていた。

 

「継承したばかりだから、色々疲れてるんじゃない?」

 

 アニはそう言って、深く追及しなかった。ライナーもそう思うことにした。

 

 島へ上陸した日の夜、四人は海岸から少し離れた草原で野営した。アニは早々に毛布へ潜り込み、焚き火から離れた場所で背を向けている。ベルトルトもその近くに横たわり、頭まで毛布を被っていた。

 

 眠れずに火の番をしていたライナーは、ふとフェリスの姿がないことに気づいた。

 

 立ち上がって周囲を探すと、火の明かりが辛うじて届く場所に膝を抱えて座る彼女を見つけた。銀がかった灰色の髪が月光を受けて淡く光り、その肩が小さく震えている。

 

「フェリス?」

 

 声をかけると、彼女は慌てて顔を背けた。それでも頬に残った涙の跡までは隠せていなかった。

 

「……何でもない」

 

「何でもない奴が、こんなところで泣くかよ」

 

「泣いてないから」

 

「嘘つくな」

 

 フェリスは跡を隠すように膝へ顔を埋め、それ以上答えようとしなかった。

 

「何で今さら泣いてるんだよ」

 

 思ったより強い声が出た。明日から壁を目指す。ここまで来るのにどれほど訓練を重ねたか、彼女自身が誰より分かっているはずだ。

 

「ようやく自由が手に入るかもしれねぇんだぞ。始祖を奪って帰れば、俺たちは世界を救った英雄になれる。お前だってずっとそれを望んでたんだろ」

 

 フェリスは静かに顔を上げ、濡れた瞳でライナーを見つめながら首を振った。それから指先で頬を拭い、焚き火へ視線を落とす。

 

「マルセルの記憶を見た」

 

 燃えた薪が崩れ、小さな火の粉が夜空へ舞い上がった。

 

「最初はなにがなんだか分からなかった。知らない場所にいる夢だと思ってた。でも船に乗ってから何度も同じ景色が出てきて……最後には、全部つながった」

 

「マルセルの記憶が?」

 

「うん」

 

 だがフェリスは唇を噛んだまま、なかなか次を言わなかった。

 

「……これから大作戦を始めようって時に、こんな話して何だけどさ。マルセルはね、復権派と繋がってたんだ」

 

「復権派って……あのエルディア復権派か!?」

 

「しーっ。声大きいって」

 

 ライナーは思わず身を乗り出した。

 

 各地の収容区内に潜み、無謀な革命活動に同胞を焚きつける危険組織。楽園送りの半分はあいつらのせいだと、大人たちが吐き捨てるのを何度も聞いてきた。マルセルと結びつく言葉ではなかった。

 

「待てよ。あいつは治安当局と関係を持っていたんじゃないのか?だからあの日、倉庫街で――」

 

「違うよ」

 

 彼女は静かに首を振った。

 

「あの男も復権派でね、当局に潜り込んでたの。マルセルは、あの男を通して復権派に協力していた」

 

 曰く、かつて復権派は自分たちの息がかかった子供――ジーク・イェーガーを『マーレの戦士』へ送り込もうとしたが、それはジークの密告により失敗に終わった。収容区でも、有名な話だった。

 

 しかし、その残党は諦めなかった。指導者を失ってなお、マーレ社会に同胞を送り続け、虎視眈々と『マーレの戦士』に自分達の息のかかった子供を据える機会をうかがっていたという。

 

「まだ戦士候補生ですらなかった頃、マルセルが偶然復権派の取引を目撃してしまった」

 

 もとは血液検査の結果を書き換えるところから始まった商売だった。ユミルの民を判じる検査が世界へ広まるにつれ、記録そのものを作り替える需要が裏市場で高まった。今では出生記録も居住記録も身分証も、金さえ払えば一式が揃う。

 

 それを手に入れれば、エルディア人でもマーレ人として収容区の外で生きていけるのだ。

 

「取引を見られた以上、復権派はマルセルをそのまま帰すわけがない。密告しても家族へ報復されるかもしれない。だからマルセルは――自分から取引を持ちかけたの」

 

「……取引?」

 

「自分を売り込んだんだよ。復権派からすれば、『マーレの戦士』を目指し、始祖奪還を見込めるだけの手駒が是が非でもほしいんじゃないかって読んで。結果、それは大当たりだった」

 

 そうやってマルセルは身の安全と、戦士になるための後ろ盾を一度に手に入れた。

 

 フェリスは少し肩を竦めて、皮肉交じりに言った。

 

「……ま、結局マルセルにそんな後ろ盾なんて必要なかったんだけどね。ライナーも知っての通り、あいつは優秀だった」

 

 皮肉にも弟の方も、と膝を抱えたまま火から目を離さず言った。

 

「ここで新たな問題が出てきた。自分が継承すればガリアード家も『名誉マーレ人』になれる。でもこのままじゃあ、自分だけでなくポルコまで巨人を継承しそうだった」

 

「まさか……」

 

「そう。マルセルは、復権派にポルコを候補から外すよう頼んだ。弟まで巨人にしたくなかったから」

 

 言葉の意味を呑み込むまで、少し時間がかかった。

 

 ポルコは元から態度が悪く、軍の命令に不満を漏らすこともあった。その欠点を大げさに誇張するだけでいい。

 成績の足りないものを持ち上げるよりも、選考から外すよう印象操作する方が余程容易だ、と復権派の男は語ったという。

 

 ――ポルコが自分より優秀だったことは、誰よりも分かっている。訓練でも座学でも、最後まで一度も勝てなかった。それなのに継承を告げられたのは自分で、彼は選ばれなかった。

 

(じゃあ、俺が鎧を継いだのは――)

 

 焚き火の爆ぜる音がやけに大きく聞こえた。

 

 自分が鎧を継げたのは、実力でも何でもない。兄が弟を守るために一人分の枠を空けて、そこへ勝手に転がり込んだだけだ。フェリスは言葉にこそしなかったが、そう突き付けられた気がした。

 

「……なあ」

 

 沈黙に耐えられなくなって、ライナーは口を開いた。

 

「もしかしてマルセルが、継承権を失ったのもそれが関係しているのか?」

 

 訊きながら、窓のない部屋で聞いた言葉が蘇っていた。ガリアード家も同様に反乱因子として巨人兵器に加えられる――弟に巨人を継がせまいとした企みの果てに、ポルコが無垢の巨人にされたとしたら。

 

 フェリスの肩がびくりと跳ねた。また目元に涙が浮かんだ。 

 だが彼女は袖でそれを乱暴に拭い、震える喉を無理やり押さえつけて口を開いた。

 

 マルセルの話をしている間だけは一滴も涙を零さない―そう決めているみたいだった。

 

「復権派は、国外にも勢力を広げている。この前の戦争でも敵国軍に協力者がいて、大まかな攻撃予定はマルセルへ流れていたの」

 

 だが、フェリスとポルコが配属された後方拠点を狙っていると伝わったのは、敵の進軍が始まる直前だったという。現地指揮官の判断による攻撃だったらしく、復権派の網にも掛からなかった。

 

「マルセルは最前線にいた」

 

 フェリスの声が、そこで一度だけ揺れた。

 

「間に合うかどうかも分からないのに、勝手に持ち場を離れたの。私とポルコを助けるために」

 

「……」

 

「戦争には勝った。でもね……マーレ軍も掴んでなかった襲撃を、あいつだけが知ってた。持ち場まで捨てて駆けつけて。上が疑うのも当然だった」

 

 調べは倉庫街の男にまで及んだものの、捕らえられたのは末端ばかりで、『フクロウ』をはじめとした上へは一人も届かなかったのだという。

 

「それと、軍が頭を悩ませたのはマルセルの処遇ね。『マーレの戦士』が復権派だったなんて、プライドの高い連中が認めるわけない。だから表向きは重大な軍紀違反ってことにして、全部隠した。ガリアード家も連座で処分されて、マルセルは(アギト)を剥奪された」

 

 軍本部で聞かされたものと、同じ言葉だった。あの短い一文の裏に、これだけのことが隠されていた。

 

「それで、他にすぐ継承できる候補がいなかったから、私が選ばれた」

 

 声が掠れていた。

 

「本当に、大嘘吐きだよね。あいつ」

 

 フェリスは膝を抱え直した。

 

「でも……最後に助けに来たことだけは、嘘じゃなかった。あの後、自分に疑いが向くことくらい、マルセルなら予想できたはずなのに」

 

 焚き火が小さくなり、赤く燃える薪の奥で、残り火が頼りなく揺れる。

 本当のマルセルはどちらだったのか。どちらも本物なのだと呑み込むには、一晩で知りすぎた。

 

「……あのね。マルセルが復権派に頼んでたこと、もう一つあるんだ」

 

「もう一つ?」

 

「私のことも、継承から外してほしいって」

 

 間の抜けた声が出た。

 

「は……?なんでだよ」

 

「私に巨人を継いでほしくなかったんだってさ。私、そんなこと頼んでないのにね」

 

 俯いたフェリスの頬が、赤らんで見えた。焚き火のせいだとライナーは思うことにした。

 

「でもね、それだけは約束できないって断られた」

 

「どういうことだよ……ポルコと同じくらい態度悪いんだし簡単なんじゃ」

 

「……今の復権派をまとめてる『フクロウ』って人がさ、私に『九つの巨人』を継がせたがってるんだって。私をオディハからレベリオの収容区へ送ったのも、その人の命令だったって」

 

 だから、そこだけは譲れなかったのだという。

 

「あの男も、フクロウが誰なのかは知らないって言ってた。ただ、私には手を出すな、継承者になる道から遠ざけるな。上からはそれだけ言われてたみたい」

 

 マルセルの願いが一つだけ通らなかった理由が、そこにあった。

 

「意味が分かんねぇ。なんで、お前なんだよ」

 

「……私の、本当のお母さん」

 

 フェリスはその名を口にするのにひどく時間をかけた。

 

「ジルケ・クルーガーって言うんだ」

 

 ライナーはその人物を知っていた――母カリナが何度も口にした『神』の名前だ。

 私たちは『神』に選ばれたのだと繰り返す母の首元で、その『神』から授かった首飾りがいつも光っていた。

 

 顔も知らない、物語の中の人物だと思っていた。

 

「マーレ人として世界中から脚光を浴びながら、裏でエルディア復権派を導いてた人なんだ。今でも復権派の中じゃ、伝説みたいに語られてるらしいよ」

 

 言葉が出なかった。

 

「じゃあ……セラさんは」

 

「うん。ママとは血が繋がってない。ママ、純粋なマーレ人なんだってさ。復権派の男もぼやいてたよ。なんでマーレ人なんかに『神の子』を育てさせてるのか理解できないって」

 

「待てよ。じゃあセラさんはなんで収容区なんかに……」

 

「私を一人にしないため」

 

 炎を映していた瞳から、再び涙が溢れた。

 

「ママがエルディア人だったから、収容区へ入れられたんだと思ってた。でも違った。ママは何も悪くなかった。私が入れられるって決まったから……自分から、腕章を巻いてくれた」

 

 フェリスがセラへ何を言ってきたかを、ライナーは知っていた。

 腕章のことも、自由のない収容区のことも、行き場のない苛立ちはいつも彼女へ向けられていた。あなたにだけは着けさせられたくない――そう言って走り去った背中も、まだ覚えている。

 

 それを黙って受け止めていた人が、本当は何を背負っていたのか。今になって、フェリスは思い知ったのだ。

 

「笑っちゃうよね。私は……自由を奪われたから自由になりたかった。その為なら十三年の寿命でも良かった。収容区の中で惨めに暮らすくらいなら、そっちの方がマシだって」

 

 フェリスは腕へ巻かれた布を強く掴んだ。

 

「で、蓋を開けたら――私から自由を奪った奴らは、私に巨人の力を継がせたがっていた。自分で選んだと思っていたのに、私は何一つ選んじゃいなかった。笑い話よね、自由が欲しいって喚いてた奴が、実は鳥籠の中に囚われていたって」

 

「違う!」

 

 思わず言葉が出た。これだけは否定しておかなくてはならないと、一瞬でわかったから。

 

「お前が自由になりたいと思ったことまで、誰かに決められたわけじゃないだろ!戦士を目指すって決めたのはお前だ。俺たちと一緒に訓練したのも、世界を救う英雄になると決意したのも……」

 

 それだけじゃない。収容区の隅で花見をしたことも、皆で海へ行ったことも。

 

「全部、お前が選んだことだろ。『フクロウ』ってやつが敷いた道だとしても、どう歩くかはお前の自由だ」

 

 気付けば膝の上の拳が固くなっていた。

 ライナーは次の言葉を探した。泣くなとも、大丈夫だとも違う気がする。

 

「――だから、フェリス。戦え。この作戦を成功させて、自由を勝ち取るんだ」

 

「戦う?」

 

「ああ、戦え。戦うんだ」

 

 焚き火を映した青い瞳が大きく瞬く。海の話をする時に見せる、皮肉の抜けた色だった。

 

「何それ。誰の真似?」

 

「……うるせぇな。他に思いつかなかったんだよ」

 

「……たまには良いこと言うじゃん。あの日も素直に褒めてくれたら、見直してたのにね」

 

「あの日?」

 

 誤魔化すように「とにかく!」と断ち切り、フェリスは続けた。

 

「ありがとね、ライナー。ちょっとは元気出た」

 

 返事をしそこねた。泣き腫らした目のまま歯を見せて笑う顔を、ライナーはただ見ていた。

 もう少しだけこの時間が続いてくれればいいのに。柄にもなく、そんなことを思った。

 

「ありがとう……か」

 

 熾火が音もなく崩れる。火はもう、ほとんど消えかけている。

 

「……おかしいよね。こんな短い言葉、いつでも言えたはずなのに」

 

 そう言ってから、フェリスは顔を上げて海のある方へ視線を投げた。夜の底では水平線も見えない。

 

「クサヴァーさんの言う通りだった。後悔するくらいなら、話せるうちに伝えておけばよかったんだ」

 

 ママにありがとうって。あのフェリスが、確かにそう言った。

 

「血がつながってないのに、ずっと私のママでいてくれたのに……私はずっと、酷いことばかり言ってた。もう二度と会えないかもしれないのに」

 

「何度も言わせんなよ!始祖を奪還して帰ればいいだけだろ。なっ!」

 

「……そうだね」

 

 フェリスは頷いた。頷いただけだった。

 

「でも、もう伝えられないこともある」

 

 声が震え、最後の言葉が小さく零れた。

 

「マルセルに」

 

「え――」

 

「好きだって言っておけばよかった」

 

 胸の奥へ、硬いものを押し込まれたような衝撃が走った。

 

 空き地で二人きりで訓練した時間も、海へ出かけた日も、それが自分だけに向けられたものだと思っていた。そう思いたかっただけなのだと、今になって分かった。

 

「後悔するくらいなら、ちゃんと言えばよかった」

 

 彼女が遺したあの言葉をライナーは思い出す。結局、自分も何一つ言えないまま終わったことも。




ライナーいじめはもうちっとだけ続きます。


また、今話は特に新情報と独自設定が多いので補足です(かなり長いです)
今後の展開に関わる直接的なネタバレは極力避けていますが、制作意図や展開の裏設定等に触れる箇所を多分に含みます。その点だけご留意ください。

・ジルケ、何があったん?
⇒彼女の心境は今後明らかにしていきますが、作劇的な話をすると、対話と相互理解を尊ぶ『進撃の巨人』において、理解してもらうことを完全に放棄した人間を置くという趣旨で描いています。
そのため彼女の心境が変化しない限り、このノリは続きます(苦手な方はすみません)

あと単純に、「何を言ってるんだ、こいつ。頭おかしいのか」と作中キャラをドン引きさせたいという意図も含まれています。

・マルセルの下り、結局どういうこと?
⇒後段で時系列に沿って事実を並べています。

なおマルセルは原作にて「軍に印象操作をした」と語っていましたが、実現性が低いことから、ネットでは「マルセルの工作は関係なく、実際はライナーの忠誠心が買われただけ」説が有力視されています。
本作は復権派の残党が相当数マーレ社会に潜んでいる設定なので、せっかくならマルセルの原作発言を何とか成立させてみたいという意図がありした。おかげで話がメチャクチャややこしくなりましたが……

ただ、マーレ軍の選考基準は依然として謎であるため、「マルセルの印象操作は確かに機能したし、その影響でポルコではなくライナーが継承権を獲得したが、その裏工作がなかった場合でもライナーが鎧に選ばれる可能性は十二分にあった」というのが私の解釈です。

・フェリス、ライナーと一番の仲良し感出してたのにマルセルが好きなん?
⇒彼女の性格を考えると、なにかと受け身がちな幼少期ライナーはどこまで行っても親友、あるいは良き理解者止まりであって、恋愛対象には入らないのかなと解釈しています。
あと、BSSでライナーの脳を破壊したかった。

【マルセルの下り】
①戦士候補生になる前、マルセルは偶然、復権派残党の裏取引(身分証の偽造)を目撃する。
②口封じされる前に「戦士を目指す手駒」として自分を売り込み、協力者になる。以後、治安当局に潜り込んだ復権派の男と接触するようになる
③フェリスに、②の男との関係を聞かれ「治安当局に協力している」と嘘をつく。
なお、なぜライナーがこの情報を知っているのかは今後明らかにできればと。
④このままでは自分だけでなく、弟も巨人を継承しそうだと悟る。それは避けたい一心で「ポルコを候補から外してほしい」と依頼。元々悪いポルコの素行を誇張する形で復権派工作し、これが通る。
⑤同じくフェリスも外すよう頼むが、こちらは拒否される。
なお、なぜ当初フェリスが継承から外れていたのかは今後明らかにできればと。
⑥始祖奪還作戦前の戦争中、復権派経由で敵軍の情報を得ていたが、フェリスとポルコのいる後方拠点への襲撃を寸前にキャッチする。最前線の持ち場を捨てて二人を助けに向かう。
⑦マーレ軍も知らない敵軍の襲撃をマルセルだけが知っていたため疑われる。調査の末に復権派との協力関係が露見する。
⑧「戦士が復権派だった」とは軍のプライドに賭けても公表できないため、表向きは軍紀違反として処理。(アギト)を剥奪され、ガリアード家は連座。
⑧繰り上がりでフェリスが(アギト)を継承し、そのまま島へ。
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