穏林高校 怪奇譚   作:山下敬雄

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第21話 戯言

「良かったよ。お前らみたいなつまらんのがおるから、俺はまだプロの芸人やれてるんやーー!! って再確認、いや再確定! できて。ありがとうな、漬物くん」

 

「……なんだ、あんた?」

 

 いきなり耳元至近で浴びせられたそのとてつもない囁きの意味が、金閣寺には分からなかった。

 

 グレーのTシャツを掴んでいたその男芸人の右手が離れた今、ぶつぶつとつづけ付け足された言葉も、まったく意味が分からない。

 

 その引っ張られた跡のついた自分のTシャツをぼんやりと見下げ、金閣寺はまた顔を上げて目の合ったニシナナに、静かなトーンで問うていた。

 

「なんだもなにもそのままや。ばちーーーーんビンタしておかんみたいにやさしぃく膝枕してごっっそり耳掃除したろか?」

 

 そのままの意味──コイツが自分の何を知り何を自分に言いたいのかそれでも金閣寺は分からない。いくら頭の中で熟考し咀嚼せど、その男芸人の攻撃性のある言葉にくすりと笑えるようなユーモアを感じることはできなかった。その芸人のいつもの芸風の延長と言われればそれまでだが、素人と称される自分たち、学生の昼休みの戯れにまでいきなり敵意を向けられるいわれはない。

 

「ええか、キミの友達のアベカナちゃんおるやろ。そうそうちょうどこの辺でや、そいつ俺の前でなんて言ったか知ってる?」

 

「?」

 

 ニシナナは楽屋の赤いドアの向かいの壁に立ち位置を変えながら、また言いたがりなそのにやけた面を隠そうとしない。

 

「ソイツ、俺の前で芸人なりたいなんてぬかしおってん。ふふふふふ」

 

「阿部なら……言いそうなことだけど? それがなんだ」

 

 確かにニシナナの軽い口先から明かされた言葉には少し驚いたが、金閣寺は阿部加奈が無類のお笑い好きなのを知っている。お忍びでお笑いライブに行っていることもグループのみんなには明かさずにいたが、金閣寺だけには彼女はなんとなく教えていたのだ。

 

 金閣寺はそれほど感情的に反論したわけではない。当たり前のことを笑い言う目の前の男芸人に首を傾げてみせた。

 

 そんな茶髪の素人の反応までも織り込み済みか、男芸人は飽きずに話をつづけた。

 

「ははは、まぁ百歩ゆずって芸人なんてんなもん養成所通えばなんぼでもなれるわ。会社の稼ぎぶちの一つやから、芸人になれんなんて言ったら誰もこんからな。おもしろいヤツらを広告塔にした、ぼやけたいかにもな肩書き売ってる夢商売や」

 

 それはそうだろう。芸人は誰でもなれるが、誰でも売れるようになるとはかぎらないのは、金閣寺も知っている。

 

「だがぁ!! アベカナちゃんが頑張って頑張って振り絞って言ったキラキラするセリフん中で、ひとつ間違い犯したとすればそれは……『わたし、ニシナナさんみたいなとびっきりおもしろい芸人になりたいですぅっ!』 ──って言ったことや。はぁ?? この俺に? この一握りに。ふるいおちてく底の底の方の砂粒のこれが!?? おどれがぁ!??」

 

 ニシナナは足音を怒らせながらまた金閣寺の元へと迫る。ずけずけずけずけと足音を立て、腹の底から沸き立つような五月蝿いその声で、また顔と顔が交差した。

 

『なれるわけないやろがボケぇ』

 

 男芸人はまたわざわざ近づいた金閣寺の耳元でそう汚く囁いた。

 

「ま、そこんとこ謙遜ツッコミの得意なキミや。わかるやろ、プロと素人のちがい。えっげつないねん。プロって言っても肩書きさんのことやないよ、ニシナナのことや。その基準な! どうやった?」

 

 そのまま腕を回し肩を組みながら、面を隣り合わせに並べたそいつは金閣寺の肩を揺らし言う。

 

「まぁまぁ、あぁいうのも嫌いやないで。学校のノリってやつ。身内だけでバカ笑いするやつ」

 

「なんで俺にそんなことを、わざわざ言いだがるんだ。必死に──」

 

 金閣寺は勝手に肩を組むその芸人の手をゆっくりとどけながら、面と向かいそう言ってやった。

 

 しかしそいつは、手をぷらぷらと揺らす痛そうなジェスチャーをしながら、悪びれることもなく──

 

「言いたがるんだ、必死に……! はぁ? んなん当たり前やろ。かわいい女の子ファンに直接ボケぇなんて強い言葉、言えるわけないやろ? だからいじられ役でみんなの人気者のなんでも必死に!受けて返してくれそうなキミにわざわざ言ってんねん、キぃぃンカクジくーーーーーーん!!! はぁーーーースッキリしたわ!!! 見てくれだけのでっっかい祭りの綿菓子食った後のような甘ったるい胸のもやもや! なんやそれ、うれしすぎて例えが全然ピンとこんなぁーーーー! あぁーー、下手やなーー、ちょっとおもんないの移ってもうたんかなーーーーじぶん! はははは!!!」

 

 そいつは壇上でやってみせたように大袈裟に叫んだ。しかしそれよりも笑えない。その叫び方は、何も面白くないドス黒い悪意を孕んでいるからだ。

 

「なんやそのオセロの裏みたいな目? それともなんや、直接がつーーん言ったれってか? はぁ……ノンノンノンノン、ノンロマンチックやそんなん。本音で語り合う、嘘偽りない世界こそが美しい、それってほんまか? 毎朝洗面所の鏡見ながら、はかない夢見る素人の少女、学校いきながらしょーもないノリでわちゃわちゃしてたまの休日は好きな芸人のライブに足運んで、わたしもこの人みたいになりたい! って、その前向きな希望すら奪えなんて────お前、残酷なヤツやな。ふふふっ」

 

 こいつの弁は狂っている。自分にそんなことを包み隠さず告げるのも理解ができないとも金閣寺は思った。だが、阿部加奈へとその悪意が直接向かってしまうこともそいつが言うように間違っているようにも思えた。第三者である自分に、そいつに向けて返すべき気の利いた言葉などなかった。

 

 その芸人は言いたいだけいい胸の内がよほどスッキリしたのか。そのまま背を見せ帰ろうとした。

 

「あんた、ヤなヤツだな! きっと道ですれ違うどんなヤツより!」

 

 金閣寺は道化のように染まったそのピンク色の背に向かい、声を張り上げ驚かした。

 

「──はは、なんやキミ。そんな大声出せたんか? ははははは。いきなり、聞いたことない少女漫画みたいな台詞、なんやそれ? ──ちょっと傷付くやん」

 

 金閣寺はこの後に及んでユーモアを含めそいつを笑わせようなどと思わない。ただ一言、【ヤなヤツ】だと鋭い言葉を突きつけた。

 

 笑いでは返せない──そんな高校生から浴びせられた言葉に、笑みを浮かべたニシナナも笑いで返そうとはしなかった。

 

「まぁ、これ、俺が実は【ヤなヤツ】ってのもくるめて、アベカナちゃんに伝えるも伝えんもキミにまかすわ。ま、その場合? 彼女が信じるか信じないかもセットやけどな、ははは。あ、それとも、一緒にお笑い芸人にでもなって見返すか? ははは、それもおもろい筋書きやけど」

 

 その場で起こった始終を伝えれるはずもない。そうとでも言いたいのか、ニシナナはここまでの筋書きを全てを見越していたかのように嫌味な言葉を吐き続ける。

 

「だがぁ!!! ────お笑いってのは、ただの残酷な【言葉の暴力】や。それ、忘れたあかんで」

 

 また茶髪の若者の耳元で口先から爆発していく、ひっそりと囁くこともやめた男芸人の勝手な矜持、勝手な持論。狂気じみた信念。

 

「おもろいヤツだけが、生き残る。次から次に天才(ひと)様の敷いた美しいコンベア上に流れてくる、まがいもの──見えてて捨てんヤツおらんやろ? これ、サービスや」

 

 しゃべり飽きた芸人ニシナナはついに去っていった。

 

 どこかから取り出されわざわざ音を立ててかじられた、食べかけのきゅうりを金閣寺は手渡された。そいつが食べたきゅうりだ。不自然にひん曲がっている。その状態は、何も面白くはない。

 

 金閣寺は、ご機嫌な仕草で手を振り廊下を遠のいていくニシナナの背に、それ以上は何も返さない。返せない。いや、返せなかった──。

 

 ただ湿ったその余りの手で、不恰好に崩されていた己の茶髪をやり場なくかいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 17時05分発の渋い紫色の電車は、賑やかな大阪の劇場前の駅から、府外にある穏林市へと向かう。

 

「どうだった?」

 

 阿部加奈が聞いてきた『どうだった?』とは、一緒に観終えたお笑いライブの感想ではなく、あの出待ちの一件のことしかないだろう。プレミアムチケットを託された金閣寺が、舞台裏の楽屋でニシナナに会った時の感想とその始終やり取りを彼女は気になっているようだ、それも当然だ。

 

「あぁー、なんかあのやってた芸風どおりの人だったよ」

 

 人の少ない車両内のシートで、茶髪を少しかきながら、阿部の隣に座る金閣寺はそう答えた。

 

「ん? てことは、何か言われた?」

 

 壇上の芸風どおりであれば、お得意の辛口とユーモアで、ニシナナに厳しく何かをツッコまれてしまったのだろう。阿部はそう予想してか、もう一度問い直していた。

 

「あぁー、なんかさ……いま話すのも恥ずかしくなるやつなんだが、本人の前であのなんつぅか、ちょっとしたモノマネをしたらさ。全然似てないってガチのダメだしされた」

 

「え、それ無謀すぎない。69点で? きんきん?」

 

 隣の彼から返ってきたのは突拍子もない答えだった。てっきりモノマネなど、行きの電車内で封印したものだと思っていたからだ。

 

「ははは。てんぱってしまって、やっちゃったな。『まっこと、おもんなかったなーー』ってやつ。はは」

 

「ふふっ。なにそれ、おかしい」

 

 ネタをしめる時にお決まりで言うニシナナの台詞を懲りずに拝借して、金閣寺は自虐しながら笑った。

 

 阿部もプロの芸人に挑んだそんな無謀な彼の挑戦をくすりと笑い返した。

 

「はぁ────ごめんな、せっかく譲ってくれたチケット無駄にしちまった」

 

「うーん。いいよ。────ぎり」

 

「おぉ、さんきゅー。ってぎりかよ。はは」

 

 金閣寺歩はこれでいいのか、息を落ち着かせるように一つ前へと吐いた。

 

 舞台裏のいざこざから、今やっと元の日常に少し戻れた気がした。何もかき乱す必要はない。男芸人の挑発には乗らなかった。悪意をなるべく隠すことを選択した。自分には何を告げる権利もない。悪意は隠れていれば、それは悪意とは言えないのかもしれない。自分もその男芸人の最悪にも憎たらしくも最良にも思えるアイデアに沿うように、加担するしかなかった。

 

 

 

⬜︎PINEメッセージ

漬物くん、なんかおもてたヤツとちがうかったわ。

【ニシナナ】

⬜︎

 

 

 

 ふと、彼女は自然な仕草でスマホの画面を見る。

 

 そして、その画面に映るメッセージの意味を答え合わせして、安心している自分がいた。と同時にその先のレールがなくなっていることにも、以前尊敬する芸人から告げられた言葉を思い出した阿部加奈は気付いてしまった。

 

 

 それでも進みゆく、帰りゆく電車。

 

 見慣れたいつもの景色が、午後の薄暗い光に揺蕩い照らされ、車窓に流れて近づいてくる。

 

 進むことはできない、煌びやかなスポットライトもささない、四角く切り取られた狭いその鉄のハコに預けたその身は、『ガタゴト』、いつも耳に聞くようなリズムに揺られ、戻ってゆく。

 

 彼女も彼も一緒の向かいの窓枠を、並び座るとなりで眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⬜︎PINEメッセージ

 

ご存知、スクールマンザイロック、通称SMR。

 

養成所に入れん中学生高校生、お笑いの道を貪欲に目指す若者たちのために設けられたそこそこ権威あるネタ一本一発勝負の大会や。

 

養成所入る入らんの前に、興味あるんならそこで一つ腕試しやってみるとええわ。……ただしのだがぁ!! あのお経みたいなネタ帳以外の、新鮮なネタでな?

 

ははは、そんな勝手にハードル上げんなってなぁ?

 

やるもやらんも自由やけど。俺、そこでまぁ、自慢やないけど高校生んときばっちり優勝してるから。

 

だがぁの……だからぁ!! アベカナちゃんもニシナナの敷いたそのレールの上つづいてみたら、今の宙ぶらりんの立ち位置からも、なんか見えるかもなぁーなんて、おもてみたり?

 

ニシナナ、優勝したそん時のダチと組んでたコンビは秒で解散してるんやけど。ははははは。アタリのくじ、アレどうやって引くんやろなぁ? と、職業ピン芸人は愚痴ってますけども。(ズルはできんもんやな)

 

ま、せやから今どれぐらい、自分が「お笑い防御力」持ってるか、えせお笑い評論家どものべんろりっっ舌なめずりかましてるとこで、確かめてみるのも大事ちゃうかぁー?

 

あ、そうそう。なんやったら、心細いんなら例の漬物くんと組んで出てもええで? 前みたいにシャレオツに誘ったら案外けっこうノってくれるんちゃう? カレ?

 

ま、結果あかんかっても、時間あったら後でばちーーーーん厳しく慰めたるわ、なーんて。はははは。

【ニシナナ】

⬜︎

 

 

 

 彼女はPINEでメッセージをやり取りしている、あの憧れの芸人と。

 

 自宅の自分の部屋のベッドに腰掛け、暗がりに小さく光るスマホ画面に見る──。そんな気まぐれに誘う雲の上の存在、今をときめく男芸人のメッセージは、まだ何者でもない不慣れな高校生の彼女にとって頼りであり、大きな道標のように思えた。

 

 それと同時に、この奇妙に築き上がったニシナナとの関係性が飽きられて失われてしまう、そんな泡のように簡単に弾けてしまうようなどうしようもない恐怖も、彼女は予感してしまう。

 

 独りの夜、一人で抱え込む交錯する感情を、落ち着かせることは難しい。

 

 この昂る感情は、期待か、それとも──

 

「スクールマンザイロック、SMR…………きんきんは、どう言ってくれるかな────うーうん……ネタ帳にない新しいネタ、考えないと。ニシナナみたいな、おもしろい──」

 

 その長ったらしいメッセージにかけられているのは期待か煽りか誘いか何か、少女には分からない。

 

 ただ、掻き立てられ動き出した少女の感情は立ち止まることはできなかった。

 

 くしゃついたベッドの上、大の字寝転んだ細身は起き上がる。

 

 指先に押しかけたアプリ上に並んだ一つ。立派に輝き、やがてくすんで見えたその友人の名前は、触れられず。

 

 スマホの電源をそっと落とす。

 

 軽い足音のあとに暗い部屋に、新たな明かりが点った。

 

 深夜2時、学習机前の椅子に座り集中する。面白くない学校の教科書を横に横に積み上げながら片していく。

 

 高校1年生、阿部加奈は、ちいさな光に照らされたまっさらなノートを開く。

 

 わずかにも元にもどろうとするその第0ページ目の表紙の裏に、真っ直ぐな折り目をつけた────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山成(やまなり)市、弓の神様の憩うという百中(ひゃくちゅう)神社にて──

 

 穏やかな春風が去り、本格的な夏も近づきつつある季節。大阪府で近々開かれるというお笑い賞レースSMRに向けたネタ集めのために、一人、穏林の近くの市にあるあまり馴染みのない神社の夜祭に阿部加奈は来ていた。

 

 彼女は浴衣ではなく目立たない黒の私服姿で、スマホを片手に屋台をめぐりながら、この夜祭にくすくす笑い隠れ潜むおかしなことがないかを調査していた。

 

 

 百発百中のお祭りマスターパパと自称する父役に扮したアベカナは、今、200円で借りた玩具のボウガンを手にコントの世界に入り、一人二役の娘のために、狙いの的を探す。

 

⬜︎

 

 

⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎

 

「お父さん、お父さんアレほしい!」

 

「おっ、アレはクマのぬいぐるみか……だがクマさんを撃つのはかわいそうだ。静かに森に帰るのを待とう」

 

「じゃあアレ! あのお菓子食べたい!」

 

「うーむ、このご時世、食べ物を粗末にしちゃいけない。あの緑とイチゴチョコ豊かな、かまぼこの里を荒らしたくはないだろう、別のにしなさい」

 

「ええ、じゃああの赤いツノ付きのお面! とってぇ!」

 

「鬼の目にも涙、人の顔を目掛けて撃っては──」

 

「はよ撃てえええええ!!! なにをごちゃごちゃ言ってんねん! お前はコンプライアンスこまごま人間か! クマがかわいそうやら、食べ物を粗末にするなやら、かまぼこの里やらごぼてんの海やらそんなん言ってたらなんも撃てんくなるわ! 景品や景品、撃たれるためにみんなそこにだまぁっって突っ立ってんねん! しかも、人やなくて鬼や赤鬼や! 撃っちまええ!!」

 

「でも鬼さんの目にも金棒が」

 

「やかましいわ、目に金棒ツッコんでどうすんねん! さん付けもいらんねん! ……あぁー、ええから、じゃああの端っこにあるクックルプレイカード、それ撃ってちょうだい。それでゲームの限定ガチャの足しにするから」

 

「お父さんそういえば、金魚すくいの方が得意だったかなぁーー?」

 

「もうええわ! 代わってやるから、あっこのベビーカステラ買ってきてぇー。くぅー、当たらん! はぁ、倒れん! あぁ、むかつく!」

 

「はぁーーい! ──お父さん行列はちょっと苦手かなぁーー」

 

「んなら焼きそば買ってこおおおおい! は!? 当たった、当たった、おとうさーーーん!!!」

 

⬜︎⬜︎

 

 

 

⬜︎

 

 

 

 心の中でしっかりと呟いたネタ。

 

 しかし、こんなありふれたネタで本当に誰か笑ってくれるのだろうか。

 

 浮かない顔で睨みつけ、段と段に詰められ置かれた滑稽な顔ぶれをめぐっていく。だが、そんな並ぶおもちゃたちが、何も変わらない嘘めいた表情をした観客のように見えてしまった。

 

 段に整列する真っ赤なだるまたちが、黒い眼を向け彼女を見ている。心の中で呟き披露したそのネタは、そんなに笑えなかったのだろうか。

 

 おもちゃのボウガンを向けて脅しても、誰も何も言わない。だるまたちは拍手をしない。

 

 そんな見つめる真っ赤な衣装を纏った群れの中に、ふと、阿部加奈は、真っ白な服をきた色白のだるまを一つ見つけた。

 

 その白だるまには黒目はなく、表情も他の赤だるまより薄く、生気なく見えた。

 

 そんな塗装し忘れたような未完成品の白だるまを、彼女がボウガン片手にじっと見つめていると──

 

「この白だるま、タワゴエ様いうてね、人のたわごとを聞いてくれるっていうねん」

 

 横から静かな足音と共に近づいてきたのは、1人の巫女さん。白と赤の見慣れた巫女装束を纏っていた。お祭りに来てくれた人たちに、甘酒を歩きながら配り振る舞っていたようだ。

 

 そのいきなり隣に現れた巫女の言う言葉が、阿部は分からず。とりあえず今向けていた玩具のボウガンを下げた。

 

 射的屋の前で出会った巫女の話に耳を傾けていくうちに、塗装忘れのその白だるまのことを少し知ることができた。

 

 人が白だるまに向けて呟いた戯言が叶うかは、その人の望む思いの強さによるらしい。

 

 だが、阿部は話を聞いてもまだ分からない。その願う戯言というものが、果たしてどの程度まで許されるものなのか。そんなことが気になってしまった。

 

「たとえば、それは、夢みたいなことでも?」

 

 阿部は巫女さんに聞き直した。そのタワゴエ様なる白だるまの霊験がいかほどのものなのか。

 

「あぁ、そうね。そのだるまな、まっしろな肌してるけど、お化粧し忘れた訳じゃないの。願いの叶う、言うたらパーセンテージに応じてある日勝手にメが付いたりすんねん」

 

 夢のパーセンテージに応じて、目が灯り、塗装されてゆく。そして願を掛けた持ち主の夢が叶ったとき、その白だるまが完全に色付いたように見えるらしい。

 

 やはりその巫女さんに話を深く聞いてみても、ネタにもできないようなオカルト満載の嘘めいたものだった。それこそこのうかがった何分かの巫女さんの話自体が戯言そのものであると、阿部は思った。

 

 糸目で微笑む巫女さんが、朱塗りの小椀にいれた甘酒を阿部に向けて一つ差し出した。

 

 戯言話を聞いて少し喉の渇いていた阿部加奈は、その小椀を手に取り、ゆっくりと飲み干した。

 

 温かくて甘い。それでいて味わったことのない大人の匂いが、口内に広がった気がした。

 

 甘酒を飲み終えると、やがて下げていた玩具のボウガンを、阿部加奈は構え直した。

 

 そして、酔った気分を演じながら小さな矢を弓にセットした。

 

 巫女のしたあの実のないフリートークに一矢ツッコんでやろうとでも思ったのか、段に悠々と憩う面子に向けて狙いを絞る。

 

 阿部加奈がいま目を凝らした赤い光景に並びあるその白いだるまが、かすかに彼女の視界に澱み、微笑ったような気がした────。

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