羽音は誰にも届かず   作:パピヨン

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第16話「再起動」

朝の教室は、ざわめきとともにいつもの空気を取り戻しつつあった。だが、白崎透花の心は、まだどこか引き裂かれたまま、音のない静寂に沈んでいた。

 

 ──助けられなかった命。

 

あの旧校舎での戦い、救えなかった生徒。あの子のことを思い出すたびに、胸の奥に重い石が落ちるようだった。

 

「……ごめん」

 

透花は小さく呟き、視線を落とした。教室の喧噪の中で、その声を拾う者は誰もいない。

 

そんな透花に、加賀美との言葉がふとよぎる。

 

 ――「お前があの場に駆けつけたことが、誰かを守る一歩だったって、俺は信じてる」

 

 そして天道の、あの真っ直ぐすぎる視線も。

 

 ――「お前は、誰かのために動いた。その意味を忘れるな」

 

ゆっくりと息を吸い、吐く。

 

心の奥の痛みを完全に消すことはできない。でも、それでも――動かなければ、何も変わらない。

 

そんなとき、クラスの女子が声をひそめながら話しているのが耳に入った。

 

「ねえ、聞いた? また近くの中学生が行方不明になったって……」

 

「○○中の子でしょ? しかも、先々週も似たような失踪事件あったって……」

 

透花の目が、微かに見開かれた。

失踪事件。近隣で起きている不可解な出来事。しかも、それが複数回。何かがおかしい。

 

目線を本に向けるふりをしながら、透花は耳を澄ませる。場所は学園からそう遠くない、駅近くの雑居ビル周辺。目撃情報も曖昧で、保護者の間では心配の声が広がっているという。

 

透花は思い出していた。かつて、冴子の真実を調べると決めた日を。そして、樹花との平穏を守るために戦うと決めた日々を。

 

その原点を、もう一度見つめ直すべきなのかもしれない。

 

「……行こう」

 

教室を出て、職員室に向かう。放課後に外出するための許可を取り、駅前へ向かう算段を立てる。

 

誰かの命を背負うことに、もう怯えたくない。

 

 ──自分の中にある「恐れ」に打ち克つために。

 

 透花は、再び動き出した。

 

 

 

雑居ビル周辺を一通り歩き、人気のない路地に立ったまま、透花は空を見上げていた。

 

 手がかりはなかった。妙な胸騒ぎだけが、消えない。

 

「……焦っても、仕方ないよね」

 

 唇を引き結び、歩き出す。

 

 ちょうど通りに出たところで、目に入ったのは小さなレストランの看板だった。

 

 Bistro La Salle(ビストロ・サル)──趣のある外観と、柔らかな灯り。

 

扉の前には、手書きのメニュー看板。その中には「本日のおすすめ:鯖のみそ煮定食」の文字が目立つように書かれている。

 

(たしか、加賀美さんがバイトしてるって言ってたっけ……)

 

透花はふと、加賀美から聞いた言葉を思い出す。

 

以前の雑談の中で、「あそこの鯖みそ、マジでうまいから」と加賀美が熱弁していたのを思い出し、透花は小さく笑ってしまった。

 

午後も遅くなったこともあり、少しだけ休もうと扉を押す。

 

店内に入ると、落ち着いた照明と温かみのある内装が迎えてくれた。カウンターの奥では、店員らしき女性が黙々と作業をしている。その繊細な横顔に、透花はふと目を留めた。

 

(……綺麗な人)

 

「いらっしゃいませ。ご注文は」

 

エプロン姿の先ほどの女性。少しぶっきらぼうな声と、どこか静謐な雰囲気を持ったその人に、透花は思わず目を奪われた。

 

「あ……じゃあおすすめの鯖みそでお願いします」

 

「かしこまりました。こちらどうぞ」

 

 それだけ言うと、少女は黙って水を置き、注文を取りに戻っていった。

 

(なんだろう……どこか、似てる)

 

透花は、少女の背を見送りながら思った。言葉が少なくても、伝わるものがある。それは天道にも通じるものだった。

 

やがて運ばれてきた定食は、丁寧に盛り付けられていて、香りも見た目も食欲をそそるものだった。

 

一口、口に運ぶ。

 

(……おいしい)

 

素朴だけど、優しさのある味。誰かに「食べてほしい」と願って作られた、そんな料理だった。

 

料理を口に運びながら、ふとカウンター奥に目をやると、厨房にはエプロンを着けた天道総司の姿。変わらぬ無駄のない所作で、黙々と料理を仕上げていた。

天道はこちらを一瞥しただけで、特に声をかけてくるわけでもなく、再び作業へと戻った。

 

 誰に見せるでもなく、誰に媚びるでもなく。

 

 ただ、自分のなすべきことを完璧にやりきる男の姿がそこにあった。

 

 (……この人は、変わらない。どこでも、誰の前でも)

 

 それが、透花にはまぶしかった。

 

 自分は、少しのことで揺れてしまう。迷って、後悔して、それでもまた立ち止まってしまう。

 

 でも、彼は違う。

 

 (――どんな恐ろしいことがあっても、常に前を向いている)

 

 その背中を、透花は黙って見つめた。

 

 目の前に運ばれた料理の湯気が、ほんの少し心をほぐしていく。

 

 厨房からふと顔を上げた天道と視線が合い、無言のまま頷かれた。

 

 それだけで、何かを認められたような気がして、透花の心にひと筋の光が射し込む。

 

 (……わたしも、やるよ)

 

 恐れはまだある。傷も、完全には癒えていない。

 

 けれど、だからこそ。

 

 堂々と前を向いて立つ者が、すぐそこにいる。

 

 その背中を見て、透花は、もう一度だけ拳を握った。

 

 

 

 

(……そういえば、なんであの人ここにいるんだろう)

 

 

それはそれとして、天道という人間の謎がまた深まったような気がした。

 

 

 




(ひよりの鯖みそはうまいだろう。わかるぞ)

全然違うことを考えていた天道。イケメンはただ頷くだけで様になる。


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