羽音は誰にも届かず   作:パピヨン

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第2話「風は気まぐれに」

昼休みの聖華学園中等部。

 

陽光はゆるやかに差し、緑の揺れる中庭を照らしていた。

 

静けさとざわめきの狭間にあるような空気の中で、白崎透花はベンチに腰を下ろしていた。

 

 

手には、文庫本。タイトルは『変身』。

 

フランツ・カフカ。誰かに薦められたわけではない。ただ、その言葉に惹かれた。

 

 

(……変わるって、どういうことなんだろ)

 

 

ページをめくる指先が、ふと止まる。

 

空気の流れが変わった。風が一瞬、逆巻くように巻き込んだ気がした。

 

 

(……いや)

 

 

目を閉じて、静かに息を吐く。

 

風は、気まぐれに吹くだけだ。

 

意味なんて、あるわけじゃない。……たぶん。

 

 

「ほら、もっと腕伸ばして! 天道流・絶品弁当のためには、体力づくりからだって言ったでしょ!」

 

 

校舎裏手の木陰。明るい声が響く。

 

天道樹花がクラスメイトを引き連れて、筋トレをしていた。

 

 

「うわあ、また始まった……」

 

「天道さんマジで本気だよね……」

 

 

周囲の女子たちはやや引き気味に見守っていたが、樹花は意に介していない。

 

その姿を、透花は本を閉じながら見つめていた。

 

 

(ああいう強さ……羨ましい)

 

 

誰かを巻き込むほどのエネルギー。

 

それは、透花にはないものだ。

 

 

(私は……選ばれただけ)

 

 

戦うことも、自分で望んだわけじゃない。

 

ただ、「見過ごせなかった」だけ。

 

あの時、目撃してしまったから。

 

 

自分だけが知ってしまった“世界の裏側”。

 

 

そして——

 

そのとき現れたのが、“それ”だった。

 

 

 

 

ひときわ強い風が吹いた。

 

透花の髪飾りが、カチリと鳴る。

 

まるで、微かな警鐘。

 

 

(……来てる)

 

 

日常の音に紛れるようにして、異質な気配が近づいていた。

 

空気が震える。

 

視線を巡らせると、校舎の裏門へと続くフェンスの向こうに、人影があった。

 

 

掃除道具を引いた年配の男性。

 

だが、その歩き方は不自然だった。

 

足音がない。重力を無視するような、滑るような足取り。

 

 

(また……ワーム)

 

 

透花は静かに立ち上がった。

 

遠くから、樹花が手を振っている。

 

 

「とーか! 一緒に戻ろ!」

 

 

「……ごめん、ノート……提出し忘れてたの。先に戻ってて」

 

 

「えっ? ……あ、うん、了解〜」

 

 

ごく自然に交わされた会話。

 

けれどその裏で、透花はもう“覚悟”を決めていた。

 

学園裏手。通用門のそば。

 

木立の陰で、さきほどの「清掃員」が立ち止まった。

 

 

その姿は、すでに“人間”の皮を脱ぎかけていた。

 

皮膚が裂け、甲殻が覗く。

 

そして——視線が、こちらを見た。

 

 

だがその瞬間。

 

金属の蝶が空からひとひら舞い降りるように現れ、透花の頭上を一周旋回した。

 

 

バタフライゼクター——擬態を解き、戦うために飛来してきた小さな相棒。

 

その羽音が、静寂を切り裂く合図になる。

 

 

[Stand by]

 

「変身」

 

透花の表情は変わらないまま、頭部にゼクターが止まり、白と紫の装甲が身体を包んでいく。

 

 

変身完了。仮面ライダーリュミエール・マスクドフォーム。

 

地面を踏みしめる音すら、静かだった。

 

 

対峙するのは、すでに“皮”を脱いだ完全な戦闘体のワーム。

 

灰色の甲殻。鋭利に伸びた四肢。

 

空気を舐めるように身構え、低くうなりを上げる。

 

 

そのまま、跳ねた。

 

 

踏み込みからの突進。

 

振り下ろされる爪を、リュミエールは身体を反らして回避。

 

すぐさま腕を振るい、重厚な装甲のまま一撃を返す。

 

 

だが——鈍い金属音。弾かれる。

 

敵の甲殻は厚く、マスクドフォームの攻撃では決定打にならない。

 

 

透花は後方へと一歩退いた。

 

 

地面を滑る爪。足元に刻まれる爪痕。

 

ワームはさらに跳躍。壁を蹴って斜め上から襲いかかってくる。

 

 

その動きに、透花は反応する。

 

左腕を盾に構え、右腕の装甲を展開——衝撃を受け止め、受け流す。

 

 

反撃の猶予はない。敵の攻撃は止まらない。

 

スピードと重量を併せ持つその一撃一撃を、リュミエールはギリギリでかわし続ける。

 

 

「……キャストオフ」

 

 

かすかに息を吐きながら、彼女はそう告げた。

 

肩口のゼクターが青白い光を発し、装甲が爆ぜる。

 

 

[Change Butterfly]

 

 

光の羽が弾け、軽量かつ鋭利なライダーフォームへと変化する。

 

背から展開される半透明の羽根は、まるで本物の蝶のように空気を揺らしていた。

 

 

その瞬間、ワームが再び突っ込んできた。

 

地面を抉るような勢い。振り上げられる爪。反応の猶予は少ない。

 

 

透花の指先が、ゼクターに触れる。

 

 

[Clock Up]

 

 

空気がひしゃげるような音と共に、世界が変わる。

 

木の葉が空中で止まり、車の音が遠のき、すべてが緩やかになる。

 

 

だが——ワームもまた、動く。

 

 

敵の爪が、鈍く、しかし確実に迫る。

 

クロックアップに対応する能力を持った個体。

 

透花の動きに合わせて、微細な動きで応じてきた。

 

 

(こいつ……この速度に、慣れてる……)

 

 

間合いが詰まる。

 

リュミエールは小さく姿勢を落とし、真横に回避。

 

ワームの腕が空を裂き、外壁を粉砕する。

 

 

その間隙に、透花は切り込んだ。

 

左腕でワームの脚を払いつつ、右腕でウィングブレードを展開。

 

素早く繰り出した刃が、敵の肩甲に食い込む。

 

 

ギィ、と金属がこすれる音。

 

完全に貫けなかった。

 

 

次の瞬間、ワームが反転してカウンターを繰り出す。

 

咄嗟に地面を蹴り、跳び下がる。背後の壁に後頭部をかすめる衝撃。

 

 

(焦らない……まだ、焦らない)

 

 

呼吸を整える。心拍を落ち着ける。

 

敵の攻撃パターンは読めた。リズムも見えてきた。

 

 

ふたたびワームが仕掛けてくる。

 

斜め下からの跳躍。振り下ろす爪。振り回す尾。

 

その一つ一つを、最小限の動きで受け流す。

 

 

そして——

 

 

敵の一撃がわずかに甘くなった、その瞬間。

 

 

(……今)

 

 

背中の羽根が開く。蝶の光が集束する。

 

空を裂く軌跡が、彼女の周囲に広がっていく。

 

 

「ライダーウィング」

 

 

蝶の軌道を描くような光刃が、ワームの身体を縦に裂いた。

 

 

時間が元に戻ると同時に、遅れて炸裂する爆発。

 

熱と灰が巻き上がり、敵の姿は音もなく霧散していった。

 

 

 

 

静寂。

 

闘争の気配が消え、透花は装甲を解除する。

 

 

ゼクターは、どこからともなく滑空し、再び透花の掌に舞い降りた。

 

少女はそっとそれを受け止め、髪に装着し直す。

 

 

「……ありがとう」

 

 

風が抜ける。

 

羽音だけを残して、戦いは終わった。

 

 

 

 

 

放課後。学園前。

 

 

「透花ーっ! 遅かったねー」

 

 

門の前で樹花が手を振っていた。

 

透花は息を整えながら、いつもの調子で歩み寄った。

 

 

「ノート……先生に渡すの、ちょっと待たされちゃって」

 

 

「そっかそっか〜。先生、話長いもんね!」

 

 

樹花はすぐに笑って受け入れてくれる。

 

その優しさが、今は少しだけ苦しかった。

 

 

彼女はまだ知らない。

 

この学園に、世界に、どれだけ“異質”が潜んでいるのか。

 

 

でもだからこそ、守りたい。

 

 

「……帰ろうか」

 

 

「うんっ!」

 

 

夕暮れの道を、二人並んで歩いていく。

 

どこにでもあるような、ありふれた帰り道。

 

その時間のかけがえのなさを、透花は誰よりも知っていた。

 

 

仮面の裏に、決意を宿して——

 

少女は再び、羽ばたき始める。

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