現代DA史 丙種試験範囲
Q. 「電波塔事件」後、DAは運営方針と組織構造の見直しを迫られました。この時期、職員の生存率を飛躍的に向上させる技術を開発し、さらに被災地支援にも尽力して一般社会の教科書にその名が記されることとなった人物は誰か。
A. 御子柴晶
雨粒が窓ガラスを斜めに流れ落ち、車輪がレールを刻むリズムが一定の振動となって胸に響く。外の景色は雨に煙り、自然の輪郭がぼやけて見える。電車に乗る際にスーツの袖が少し濡れてしまい、今でも冷たい感触が肌に残っている。
斜め前の座席に座るたきなは、DA支給の黒い手帳にペンを走らせ、楠木司令への言葉をどう切り出すべきか考えることに没頭している。普段の凛とした表情とは違い、眉間に小さく皺を寄せ、思案している様子が見て取れる。手帳のページを何度もめくり、書いては消し、また書くという作業を繰り返している。
隣に座る千束は、片肘を窓の縁に置いて頬杖をつき、雨に霞む景色を眺めている。
俺は手持ち無沙汰になり、ネクタイの結び目を軽く引っ張って締め直す。絹の感触が指先に馴染み、襟元がきちんと整う。だが、すぐにまた緩んでいるような気がして、もう一度調整する。
「琥珀。飴いる?」
千束が顔を向け、カバンから紙に包まれた飴を取り出す。たきなから糖分について指摘され、舐めることができなくなった飴を、少し申し訳なさそうに差し出してくる。透明な包み紙越しに、ピンク色の飴が見える。
「ありがとう」
とりあえず受け取ったが……今舐めても電車が到着した後、送迎の車内でやることがなくなるので、スーツのポケットに仕舞い込む。
「なぜスーツなんですか?」
たきなが手帳から視線を上げ、首を僅かに傾げながら質問してくる。彼女の大きな瞳には純粋な疑問の色が浮かんでいた。
「リリベル隊服でリコリスに会ったら問題だからな。スーツであれば一般職員に変装できる」
俺はたきなのリコリス制服を眺めながら答える。リリベル隊服はどんなに頑張っても戦闘服にしか見えず、一般社会に溶け込むことは不可能に近い。それに関東本部にリリベル隊服で入場しようものなら、単独だとしても問答無用で排除されても文句は言えない。
「リリベルについて把握して良いのはファーストだけらしいから」
千束の声は電車の走行音に少し掻き消されそうになる。彼女も頬杖から手を離し、真面目な表情で会話に参加している。普段の屈託のない笑顔とは対照的な、責任感に満ちた表情だった。
「それもまた組織の複雑さですね……」
たきなの声には諦めにも似た響きが含まれていた。組織の複雑な事情に、彼女も次第に気付き始めているのかもしれない。手帳を膝の上に置き、深いため息をつく。
「まあ、そういうものだ」
俺は肩をすくめて答える。組織の階層構造や機密レベルについて説明するには、この場所は適切ではなかった。電車という公共の場では、どんな耳が聞いているか分からない。慎重さが求められる環境なのだ。
電車は雨の中を走り続け、やがて目的地へと近づいていく。車窓の向こうで、雲に隠れがちな富士山が姿を現していた。雨にかすんだその姿は、どこか神秘的で荘厳な印象を与えていた。
「お待たせいたしました。錦木様、井ノ上様」
プラットホームに降り立つと、DAユニフォームの運転手が大きな傘を差して待っている。雨脚は先ほどよりも強くなっており、アスファルトに激しく叩きつける音が響いていた。俺の名前が呼ばれなかったため、たきなが困惑したように振り返る。
俺は軽く手を挙げ、後続に控えている別の車を指差してそちらに乗ることを示すと、たきなは納得したような表情を見せる。組織の事情を理解した彼女の表情には、プロとしての割り切りが見て取れた。
彼女は小さく会釈をしてから、千束と共にリコリス用の送迎車の後部座席に滑り込む。車は静かに発進し、雨の中へ消えていった。二人の姿が見えなくなるまで見送る。
入れ替わるように、後続の車が正面に停車する。ボンネットに雨粒が弾ける音が小気味よく響いている。助手席のドアが開き、スーツ姿の女性が傘を持って雨の中を歩いてくる。濡れることを意に介さない様子で近づいてくる。
「待った?琥珀」
「今来たところですよ、三山さん」
そう答えると、三山さんは傘を差し掛けながら俺の横に並び、車まで付き添ってくれる。助手席のドアを開けてもらい乗り込むと、彼女は傘を閉じて運転席へ収まった。車内には微かにラベンダーの香りが漂っている。
「ゆっくりめに行くよ」
「お願いします」
三山さんがハンドルを握りながら言う。その声には、配慮が込められている。車が動き出すと、雨粒がフロントガラスに叩きつけられ、ワイパーが左右に動く。車内は暖房が効いており、外の冷たい雨とは対照的な温もりに包まれる。ポケットに入れていた飴を取り出した。
「その飴いつ貰ったの?」
「さっき貰いました」
答えると「ふ〜ん」と返事して、車を雨の中進ませる。三山さんの運転は丁寧で安定している。俺は飴を口の中に入れる。いちごミルクの味で、ほんのりとした甘さが口の中に広がる。
車体が緩やかな坂を上るたび、窓の外に濃い緑が流れていく。夏の始まりを迎えた山梨の森は、雨に洗われて瑞々しさを増している。森を抜けると、急に視界が開けた。周囲には監視カメラが林立し、厳重な警備体制が敷かれているのが一目で分かる。まさに要塞のような佇まいで、近づく者を威圧している。
富士山の麓にこんなものをわざわざ作るのだから、税金の使い道に文句を言いたい連中もいるだろう。だが文句を言えるのは、ここに近づける立場の人間だけだ。一般市民には知られることのない、秘密の世界がそこにあった。
「帰りもお願いします」
「私もここに用があるから大丈夫よ」
車を降りる前に言うと、三山さんが微笑みながら答える。彼女もまた、何らかの業務でここを訪れているのだろう。その表情には職務に対する真摯さが表れていた。スペアキーを受け取り、ここで別れることにした。
「それでは後ほど」
「お疲れ様」
空気中に漂う雨の匂いが、森林の香りと混じり合って独特な芳香を作り出している。DA関東本部の威圧的な建物が目の前にそびえ立ち、その異様さを改めて実感する。表向きは活火山研究施設だが、実際に見れば普通の研究所ではないことが分かる。コンクリートの壁面は要塞のように厚く、窓はすべて防弾ガラスで覆われている。建物全体から放たれる威圧感は、近づく者を萎縮させるに十分だった。
「御子柴局長は現在、楠木司令と会議にご同席でございます」
X線検査と顔認証を通過し、一般職員用のIDカードを提示すると、受付の女性職員はすでに事情を把握していたらしく、丁寧に一礼して告げた。
「分かりました。会議はそろそろ終わると伺っておりますので、直接向かわせていただきます」
俺はカードを受け取り、「ありがとうございます」と礼を述べながらカードケースに仕舞い込む。
「かしこまりました。本部棟の特別会議室でございます」
丁寧に頭を下げ、エレベーターで会議室へと向かう。扉が静かに閉まり、上昇していく。
会議室へ向かう途中、角を曲がった先で楠木司令と出くわした。司令は秘書と共に歩いていたが、俺の姿を見ると足を止めた。その眼光は鋭く、まるで全てを見透かすような威圧感があった。
「お久しぶりです。楠木司令」
敬礼をすると司令は軽く目を細め、低く、しかし確かな威圧感を伴う声で告げた。
「なぜお前がここに居るのか。見逃す事にしよう。ウォールナット殺害、ご苦労だった」
その声には感謝と同時に、任務の重大性への理解も込められているように感じられた。司令は軽く頷き、秘書に目配せすると、再び歩き出す。その後ろ姿は、組織を背負う責任感に満ちている。
俺はその背を見送り、深呼吸ひとつで背筋を伸ばすと、会議室の重厚な扉へと足を進めた。
「琥珀ちゃあん!」「先生!」
会議室の扉を開くと、御子柴さんがキラキラの笑顔で両手を広げ、抱きついてくる。漢らしい骨格の影に、まるで舞台のライトを浴びたかのようなきらめきがあり、思わず笑みがこぼれた。
「先生、苦しいですよ」
熱烈な抱擁に少し困惑しながら呟いた。彼の力強い腕に包まれて、息がしにくくなっていた。だが、その温かさには心からの歓迎が込められている。
「あら。ごめんね」
御子柴さんは慌てたように俺から離れ、いつもの人懐っこい笑みを浮かべながら謝る。その仕草は母親のような温かさと、少し茶目っ気のある表情が混在していて、緊張していた気持ちが自然とほぐれていく。
この温かい歓迎は心に染みる。部屋を見回すと、窓の外にはリコリス用のキルハウスが見え、天井にはモニターが吊り下げられている。テーブルの上には、開かれたノートPCとペットボトルのお茶が置かれている。楠木司令と御子柴局長だけがここに居たのだろう。DAも今やオンライン会議が主流……。
「琥珀ちゃん。いくら仕事中の顔だからってジロジロ見すぎよ」
御子柴さんが軽やかな口調で指摘する。部屋の様子を観察していたのを見透かされていたようだ。この人の観察眼は本当に鋭い。
「やっぱり分かりますか……会議はどうでした?」
俺は苦笑いを浮かべながら答える。この人には隠し事は通用しないようだ。
PCが置いてある席の反対側、御子柴さんと対面する形で座る。椅子は高級そうな革張りで、座り心地が良い。すると彼はカバンからペットボトルを取り出し、テーブルを転がして俺の方へ届け「口つけてないわよ」と指差しながら言う。キャップがカチカチと鳴るのを確認し、封を切ってお茶を飲んだ。緑茶が喉を潤し、飴を舐めたあとの渇きが少し和らぐ。
「どうでしたも何も、ラジアータの改修依頼だの、技術の進捗だの、テロリストの始末だのの話よ」
椅子に深く腰掛けながら、少し疲れた表情で答える。その口調からは、長時間の会議による疲労が窺えた。
「……とすると情報局や作戦局も会議に参加ですか?」
「ピンポーン。ほぼ上層部会議ね」
指をピンと立てて答え、いたずらっぽい笑みを浮かべる。だが、その表情の奥には深刻な案件を扱った疲労の色も見える。組織の重要事項を決定する会議の重圧を、彼女なりに感じているのだろう。
大層な会議だったに違いない。組織の幹部が一堂に会するということは、それだけ重要な議題があったということだ。
「ウォールナットのアレ凄かったわね。私からもお捻りあげたいところだけど、立場上出来ないからこれで良いかしら……」
話しながら御子柴さんは手帳を小さく破り、ペンを取り出して何か書いている。その手つきは慣れたもので、おそらく以前にも同じようなことをしたことがあるのだろう。手を伸ばして届けられた紙には【黙っといてあげる】と書かれていた。文字は丁寧だが、どこか親しみやすい筆跡だった。
「ありがとうございます。リコリコの皆も喜びますよ」
俺は紙を受け取りながら答える。御子柴さんの配慮に心から感謝していた。組織の規則と人情の間で板挟みになりがちな立場の人だからこそ、この温かさが身に染みる。
「リコリコ!皆にまた会いたいわぁ。アタシ。テレビにも出たりするからお店に行くと目立っちゃうのよね」
御子柴さんは目を輝かせながら言う。その表情は純粋で、まるで友人に会いたがる少年のようだった。組織の重責を背負いながらも、彼女の中には純真さが残っている。表舞台では10年前の英雄として振る舞い、時にテレビにも出演している。二つの顔を持つことの大変さは、俺にも少し理解できた。
「今度こっそり変装して行ってみたらどうですか?」
「それいいわね!アナタのウィッグでも借りようかしら?」
御子柴さんは手をポンと叩いて喜ぶ。その無邪気な反応に、俺も思わず笑ってしまう。
「……それにしても3月以降DAの空気悪いわね。ここは一段と悪いけどぉ」
急に御子柴さんの表情が曇る。三山さんの用はそれか?だとすると少々面倒だ。
「千束の性格ならそろそろ……」
『
アナウンスが響いた瞬間、予感が的中したことを確信した。やっぱりか。「見ていきますか」と俺が言うと、御子柴さんはモニターの電源をつけ、そちらでも見られるようにした。モニターが明るく点灯し、キルハウスの様子が映し出される。
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