双影のヤタガラス   作:ファンの一人

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《殺人許可証(マーダーライセンス)》
 本証は、国家に代わり人命の処分を担う者に与えられる絶対権限である。
 等級は甲・乙・丙の三種に分かれ、リコリスの場合、サードには丙種、セカンドには乙種、ファーストには甲種の取得が必須とされる。リリベルにおいても同様に、隊員は丙種以上、隊長は甲種の所持が条件となる。
 なお、第一級の継承に際しては、現保有者との実戦を経て勝利することが不可欠である。



第3話Scene3:招かれざる背任者

 司令の会議が終わるまでの時間を、私は京都時代からの愛銃M&P9と共に過ごすことにした。その日の射撃訓練場は珍しく静寂に包まれていた。普段なら響いているはずのリコリスたちの声や銃声は今日はない。慣れ親しんだグリップが手の中に収まると、心が僅かに安らいだ。

 

 人型ターゲットに向けて放った弾丸は、胸部も頭部も寸分の狂いなく中央を射抜いていく。射撃の腕前については教官からも折り紙つきで、これだけは誰にも負けない自信があった。

 

 今の私の姿を見て、京都支部から関東本部へと推薦してくださった教官は何を思われるだろうか。任務も射撃も完璧にこなし、将来を嘱望されていた私に、どのような評価を下されるだろうか。不本意な転属命令を受けたあの日以来、この問いは私の心に重くのしかかっている。期待を裏切ったのか、信頼を失墜させたのか——そんな不安が胸の奥底で蠢いている。銃声が訓練場を震わせ、硝煙の匂いが鼻腔を刺激する。それでも弾丸は変わらず最高得点に集中し続ける。技術に変化はない。変わったのは、私を取り巻く状況だけだった。

 

「全弾急所命中。噂通りヤバいッスね」

 

 射撃結果を確認していた私の背後から、軽い調子の声が響いた。その声には好奇心と、どこか挑発的な響きが含まれている。振り返ると、茶色の髪を一部刈り上げた、セカンドリコリスが立っている。瞳には興味深そうな光が宿り、口元には薄い笑みを浮かべていた。その表情からは、何か面白いものを見つけたという満足感が伝わってくる。……やや気になる口調だった。どこの支部だろうか。

 

「どうも。乙女サクラッス」

 

 サクラと名乗った少女は、人懐っこい笑顔を浮かべながら片手を差し出してくる。握手に応じると、予想以上に力強く握り返され、彼女は距離を詰めてきた。その距離感は、初対面にしては明らかに近すぎる。馴れ馴れしい距離感に戸惑いながらも、組織の一員として礼儀を欠くわけにはいかない。

 

「命令無視の挙句、仲間にブッ放したってマジっスか!」

 

 事実を大幅に歪曲した物言いに、思わず眉根を寄せる。その言葉は、まるで針で刺すような鋭さを持っていた。手を強く振り払うと、彼女はそれを面白がるように更に畳み掛けてきた。彼女の瞳は輝いており、私の反応を楽しんでいるのが明らかだ。

 

「うわ〜、やっぱ本当なんスね!敵より味方撃った方が燃えるってやつ!……あっ、殺しの時しか笑わないんだっけ?」

「誰がそんな……」

 

 もはや誇張を通り越して完全なデマだった。本部棟の廊下でも似たような陰口を耳にしていたが、面と向かって言われると怒りが込み上げる。このような根も葉もない噂がどこまで拡散しているのか——考えただけで憂鬱になる。私は視線を逸らし、射撃場の壁に掛けられた安全標語に目を向けながら、感情を抑え込むことに集中した。

 

「いや〜、あーしは好きッスよ。映画の殺人鬼みたいでカッコいいッス!」

 

 サクラは「アハハ」と心底楽しそうに笑いながら手を叩いている。その屈託のない笑顔が、かえって私の胸を鋭く締め付ける。彼女にとっては単なる興味深い話題、娯楽の一種なのだろうが、私にとっては自分の存在意義に関わる切実な現実なのだ。ところが突然、彼女は私の顔を覗き込み、今度は真剣な眼差しを向けてきた。

 

「安心してくださいよ。先輩が空けた穴は、"後任"の私が埋めますから」

 

 「後任」——その言葉の意味するところは理解できた。その時、視界の端に千束の姿を捉える。髪が薄い光を反射させながら、いつものように軽やかな足音でこちらへ近づいてくる。サクラは私との会話に夢中で、千束の接近に全く気づいていないようだった。

 

「自分がフキさんのパートナーを務めるッス。アンタの居場所はもうないッスよ」

 

 手でしっしと追い払うような仕草を交えて挑発的に言い放つサクラ。その動作は、まるで邪魔な虫を払うかのような軽やかさがあった。その瞬間、背後に回り込んでいた千束が音もなく素早くサクラの襟首を掴んで引き寄せた。

 

「黙れ小僧」

 

 千束の声は低く、氷のような冷たさを帯びていた。千束の普段の人懐っこい表情とは一変した、鋭利な表情が印象的だった。

 

 その後、射撃場のドアが重々しい音を立てて開き、フキさんが入室してくる。続いて楠木司令と秘書も相次いで入室してきた。司令の存在感は圧倒的で、その場の空気が一瞬にして緊張に満ちたものへと変わる。

 

「銃取引に関する重要な証拠を提出しました。この成果ではDA復帰できませんか?」

 

 サクラの肩を意図的にぶつけながら、私は楠木司令に歩み寄った。その一歩一歩に、自分の命運を賭けた決意を込める。司令の表情は石のように硬く、読み取ることができない。

 

「復帰?何の話だ」

 

 司令の声は感情を排した、事務的なものだった。その冷たさが胸に突き刺さる。

 

「成果を上げればDAに復帰できると——」

 

「分かるだろ。お前はもうDAに必要無いんだよ。サクラ行くぞ」

 

 フキさんの言葉は、まるで死刑宣告のような重さを持っていた。その言葉と共に、私の希望は音を立てて崩れ落ちていく。組織にとって私はもはや必要のない存在ということなのか。遠ざかろうとするフキさんの腕を、思わず掴んでしまった。その腕は思っていたよりも細く、しかし筋肉質で、彼女の強さを物語っていた。

 

「離せ」

 

 フキさんは冷たく言い放ち、私の手を振り払った。その力は容赦なく、私はよろめいてしまう。

 

「なんだよ。殴られっぱなしで納得いかねぇってんなら相手になってやるよ」

 

 フキさんの声には、明らかな挑発が込められていた。その言葉は、私の最後のプライドを刺激する。

 

「先輩。あっちのヒーローも合わせてペア戦はどうッスか?」

 

 サクラが興味深そうに提案する。その提案には、単なる好奇心以上のものが感じられた。

 

「イイね!たきな。そいつらぶちのめしてやろうって……たきな!」

 

 千束が振り返った時、私はもうそこにはいなかった。射撃場の出口に向かって走り出していたのだ。足音が床に響き、心臓の鼓動が耳の中で太鼓のように鳴り響いている。

 

「アイツ逃げやがったよ!ビビってんスか~!」

 

 サクラの嘲笑が廊下を駆け抜ける私の背中に突き刺さる。しかし、もう振り返ることはできなかった。この屈辱を晴らす方法が、きっとあるはずなのだ。

 

「たきな……」 

 


 

「そこまで!」

 

 ブザーの電子音が鋭く響き渡ると同時に、楠木司令の終了宣告が熱い空気を切り裂いた。その声には絶対的な権威があり、戦闘を即座に停止させる力が込められている。キルハウス内に漂っていた硝煙と汗の匂いが、急に現実感を取り戻させる。私の荒い息遣いと心臓の激しい鼓動だけが、静寂の中に響いていた。

 

「後ろから撃てばいいのに突っ込んできて殴るなんて馬鹿げてる」

 

 フキさんが、右頬に赤く腫れ上がった打撲痕のある顔を苦痛に歪めながら言う。彼女は私を見下すような視線を向け続けている。

 

「これでお愛顧ですね」

 

 私は肩で息をしながら、できるだけ平静を装って答えた。

 

「っ!お前は使い物にならねぇリコリスだよ!二度と戻ってくんじゃねぇ!」

 

 すると何処からともなく、ゆったりとした拍手の音が響き始めた。その音はキルハウスの重苦しい静寂を破り、喝采のように空間全体に広がっていく。拍手のリズムは規則正しく、その一打一打が場の緊張を解きほぐしていくようだった。音の発生源を振り返ると、見慣れた人影がゆっくりと近づいてくるのが見えた。私の恩人が、いつものように背筋を伸ばし、毅然とした姿勢で歩いてくる。その歩き方には、長年の軍事訓練によって培われた威厳と品格が滲み出ている。

 

「さすがたきな。ペア戦とはいえ、私の目に狂いはなかったようだ。……フキは随分と偉くなったものだ」

 

 三山教官の声音には、普段の穏やかさの底に鋼鉄のような強靭さが潜んでいる。その言葉は表面的には称賛と皮肉を装っているが、実際には深い意味を含んでいた。教官の言葉の端々に込められた皮肉は、フキさんの傲慢な態度への無言の警告でもある。教官が一歩足を踏み入れるだけで、場の空気が劇的に変化し、まるで嵐の前の静けさのような緊張感が漂い始めた。

 

「三山教官!」

「三山先輩!」

 

 私もフキさんも、そしてサクラまでもが、まるで条件反射のように教官へ敬礼した。右手をこめかみに当て、背筋を完璧に伸ばし、踵をきっちりと揃える動作は、長年の厳しい鍛錬によって私たちの身体と魂に深く刻み込まれている。教官の威厳は絶対的で圧倒的、その存在感だけでその場にいる全員を自然と敬服させ、従わせる神秘的な力があった。

 

「教官?先輩……」

 

 この緊迫した場面で千束だけが状況を完全に把握しきれずにいるようで、首を小鳥のように傾げて困惑の表情を浮かべている。その純真無垢な表情は、周囲の緊張した空気とは対照的で、かえって他の全員を心配させるものだった。彼女の無邪気さが、この重い雰囲気の中で唯一の救いのように見える。

 

「久しぶりだな、錦木。敗者の名前など記憶にないか」

 

 教官の声は突如として氷点下まで冷え込み、聞く者の血液を文字通り凍らせるほどの鋭さを帯びた。その一言に込められた重みと敵意は、この場にいる全リコリスの背筋を震え上がらせ、足の先まで戦慄を走らせるに十分だった。空気中に漂う緊張は、まるで刃物のように鋭く、誰もが息をするのも憚られるような状況になる。

 

「あ。三山ユキ先輩!」

 

 千束がようやく記憶の底から引き上げるように声を上げた。その表情には、思い出したことによる純粋な驚きが現れている。

 

 教官の登場により、キルハウスの空気は完全に一変した。フキさんの先ほどまでの強気な態度も、一瞬にして影を潜める。この場を支配するのは、もはや戦闘の勝敗などではなく、三山教官という存在が持つ圧倒的な権威のみだった。

 


 

「商人を判断を仰がず殺したこと……あのときの行動はいただけない」

 

 教官の声は、いつもの穏やかな調子とは異なり、どこか重々しい響きを帯びていた。模擬訓練を終えて、フキさんやサクラ、見学していたリコリスたちは既に帰路についており、千束も迎えの車を呼びに訓練場を後にしていた。夕暮れ時の静寂に包まれた訓練場には、私と教官だけが残されている。

 

蛍光灯の白い光が、コンクリートの床に長い影を落としていた。教官の厳しい言葉が胸に重くのしかかり、私はただ背筋を伸ばして立ち、その言葉を静かに受け止めることしかできなかった。

 

「しかし……」

 

教官が一呼吸置いて、再び口を開いた。

 

「私人としてたきなに礼を言わせてもらおう。ありがとう——エリカを助けてくれて」

 

 その瞬間、教官の表情が劇的に変化した。先ほどまでの厳格な指導者の顔から、心からの感謝に満ちた、まるで父親のような穏やかで慈愛に溢れた表情へと変わる。

 

 教官がゆっくりと右手を差し出してくる。私も恐縮しながら、おずおずと自分の手を伸ばして応じた。「パン」と小気味よい音が訓練場の静寂を破り、力強い握手が交わされる。その握手は想像以上に温かく優しく、長年多くの部下を指導してきた教官の人柄の良さが、厚い掌を通じて直接私の心に伝わってくるようだった。

 

「ここにいる間にエリカに会っておきなさい。"生死不定"だ」

 

 教官の手が離されると同時に、その表情にかすかな陰りが差した。教官のモットーが私の心を動かす。かつてファーストを務め、今は教官として後進を育てる立場にある彼女の言葉は、重みが違っていた。

 

「たきな。帰りの車来たって~」

 

 その時、千束の軽やかで屈託のない声が訓練場の入口から響いてきた。

 

 いつまた会えるか分からない。そんな思いが胸を過ぎり、私は教官に別れの挨拶を告げようと口を開きかけたが、なぜか言葉が喉の奥で詰まってしまう。ふと教官の表情を見ると、その厳格な唇が僅かに震えているように見えた。下唇を軽く噛み締めているようにも見える。何か言い残したことがあるのだろうか、それとも言いたくても言えないことがあるのだろうか。

 

「また会える日を楽しみにしているよ。たきな」

 

 しかし一瞬のうちに、教官はいつもの穏やかで優しい、生徒たちに慕われる指導者の顔に戻った。その表情の切り替えの早さと自然さは、きっと指導経験と、数え切れないほどの別れを経験してきた証なのだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 私は教官への敬意と感謝の気持ちを込めて深く頭を下げ、その場で一礼した。それから振り返って、エリカがいるであろう寮の居住区画へと足を向ける。夕日に照らされた廊下を歩きながら、教官との最後の会話と温かい握手の感触を胸に刻み込んだ。

 




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