《真島のアジト》
真島は、中型のコンテナ船を拠点として活動している。
当該船舶は外国籍で登録されており、東京湾岸部の一般公開されていない係留区域に長期間停泊中の休止船とされている。
船内は係留状態での滞在を前提に最低限の居住・作業設備が維持されており、外観から内部構造や使用実態を把握することは困難である。
銃の引き渡しから、四ヶ月が経過していた。最初の一ヶ月は解放感に浸れたが、二ヶ月目には飽き、三ヶ月目には苛立ち、そして今は――ただ腐っていくだけだった。
真島は、アジトという名の箱庭で、久しぶりの「自由」を満喫しているつもりだった。ここには、冷えたビールが無限にあり、レトルト食品が山のように備蓄されている。それ以外に欲しいものがあれば、外に出て力ずくで奪えば事足りる。文句を言う相手もいない。誰にも縛られない日々。だが、真島にとってそれは、耐え難い退屈以外の何物でもなかった。自由とは、制約があってこそ輝く。戦う相手がいてこそ意味を持つ。今の彼には、どちらも決定的に欠けていた。
ソファに寝そべり、プロジェクターで映されたニュースを眺める。相も変わらず、日本は平和そのものだ。他の国で何が起きているか、すべてが巧妙に隠蔽され、毒抜きされている。画面の中で微笑む人々は、誰もが満足そうで、誰もが幸福そうだ。
――気持ちが悪い。
真島はリモコンを握りつぶさんばかりに力を込めた。世界には光と影がある。善と悪がある。それらは本来、シーソーのように拮抗しているべきだ。しかし、この国はどうだ。影も悪も、すべてが分厚い闇に飲み込まれ、存在しないことにされている。誰かが裏で糸を引き、都合の悪い現実だけを的確に消し去っている。そんな歪な世界で息をすることに、真島は心底飽き飽きしていた。
その時だった。テーブルに放り出していた白いスマホが、無機質な電子音で短く鳴動した。画面には一通のメッセージ。送り主は、あの正体不明の依頼人だ。真島は身を起こし、メッセージを開いた。
『北押上駅を襲撃しろ』
たった一行の無慈悲なテキスト。その下には、詳細すぎるほどの作戦計画が添付されていた。 誰でも手に入るような駅構内のマップ、構内の一部を詳細化し線がつけ足された回路図、秒単位で区切られたタイムテーブルなど。どれもこれも、恐ろしいほど細かく書き込まれている。
「……親切すぎやしねぇか?」
真島は眉をひそめた。まるで物分かりの悪い子供に言い聞かせるような、過保護なマニュアル。真島のような男に、ここまで手取り足取り教える必要がどこにあるというのか。違和感だけが腹の底に渦巻く。だが、それでも構わなかった。真島が求めているのは、小綺麗な答えではなく、混沌とした過程そのものだ。この国の欺瞞に満ちた闇をこじ開けるためなら、それが罠であろうと喜んで飛び込む価値がある。それに、なにより――久しぶりの
「やっと動けるってわけだ」
真島は立ち上がり、部屋の隅に無造作に置いてあった大きなダッフルバッグを手に取った。中には、あの時引き渡された銃が鎮座している。PKM軽機関銃。ロシア製の、無骨で信頼できる相棒だ。それと、アジトには小さな小包が届いていた。開封すると、中にはスイッチが一つ。ボタンがぽつんと付いただけの、シンプルな起爆装置。 これを押せば何が起こるか。添付された回路図を見れば一目瞭然だった。北押上駅の地下構造、その天井に仕掛けられた爆弾。電車を蜂の巣にした後、このスイッチを押してホームごと吹き飛ばせというわけだ。
真島は肩をすくめた。あまりにも露骨で、あまりにも計画的だ。誰かが自分を試している。それとも、都合よく罠にはめようとしているのか。どちらでもいい。真島は、口端を吊り上げて笑った。
指定された時刻の十分前。真島は北押上駅の地上出入口に、堂々と立っていた。予想通り、駅の周辺は不自然なほどに静まり返っていた。人の気配がまるでない。仕事帰りのサラリーマンも、家路を急ぐ学生の姿も、どこにも見えない。煌々と光るはずのコンビニの明かりさえ、今日は消えている。まるで街ごと息を潜めているかのようだ。真島は躊躇なく駅の入口に足を踏み入れた。自動改札はすべて開放されている。駅員の姿も、警備員の姿も、もちろん見当たらない。真島はブーツの踵をわざと響かせながら、ゆっくりと階段を降りていった。誰かが聞いているなら、それでいい。隠れる気など毛頭なかった。地下へと続く殺風景な通路を進む。等間隔に並んだ蛍光灯が、青白い光を放っているだけ。他に音は一切ない。こんなにも静かな駅など、この東京で見たことがなかった。
「……気持ち悪ぃなぁ」
真島は独りごちた。通路を抜けると、だだっ広いホームが見えてきた。そこには、作業着を装った仲間たちがすでに展開を終えていた。皆、重そうなバッグを抱え、真島の到着を待っている。真島が姿を現すと、リーダー格の一人が無言で駆け寄ってきた。
「準備は?」
真島が短く尋ねると、仲間はこわばった顔で小さく頷いた。
「全員、配置についています」
「ご苦労さん。……やるぞ」
「ハイ!」
真島は受け取ったバッグをホームの中央に乱暴に置き、中からPKM軽機関銃を取り出した。ずっしりとした鋼鉄の重量が、掌に心地よく伝わる。これで電車を撃ち抜け、か。あまりにも幼稚で、あまりにも露骨な筋書きだ。
「臭うなぁ」
真島は鼻をすすり、呟いた。
「漂白された、除菌された、健康的で不健全な……嘘の臭いだ」
その時、トンネルの奥深くから、かすかな地響きが伝わってきた。 電車の走行音だ。
「来る。……来るぞ。はじまり、はじまり」
遠くから、電車の走行音が響いてきた。 それは次第に近づき、無慈悲な宣告のように地下空間の空気を震わせる。
「はぁじぃまぁりぃ! ハァァァ!」
真島はPKM軽機関銃を構え直し、その冷たい鉄の感触を確かめるように、引き金に指をかけた。仲間たちも同じように銃を構えた。彼らの顔には、この不自然なまでの静寂に対する戸惑いと、獲物を前にした猟犬のような歪んだ興奮が浮かんでいる。
やがて、半蔵門線の電車が、ホームに滑り込んできた。
ダダダダダッ!
停車するまでに、マガジンが空になるまで撃ち続ける。
甲高いブレーキ音が耳障りに鳴り響き、電車は静かに停車する。プシュ、と気の抜けたような音を立てて、穴だらけになった扉が開いた。
誰もいない。
「は?」
真島は思わず声を漏らした。 電車の中は、完全に空だった。座席も、通路も、吊り革さえもが整然と並んでいるだけで、誰一人として乗っていない。まるで入念に消毒され、この世の生けるものすべてを拒絶しているかのようだ。ゴーストトレイン。いや、これは、出来すぎた舞台装置だ。
その瞬間、電車の窓という窓から、無数の銃口が一斉に突き出された。そして、その引き金を引く、場違いなほど幼い少女たちの無表情な顔だった。
ダダダダダッ!
轟音が地下空間で反響し、鼓膜を暴力的に叩き潰す。閃光が明滅し、真島の仲間たちが、まるで操り人形の糸が切れたかのように次々と倒れていく。人体が弾け、血飛沫がホームのタイルを瞬く間に赤黒く染め上げた。電車の中から、ベージュ色の制服を着た少女たちが、人形めいた無表情で顔を出す。その小さな手で握られた拳銃が、容赦なく火を噴き続ける。彼女たちの瞳には何の感情も見えなかった。。ただ、淡々と、効率的に「掃除」を遂行しているだけだ。
罠だった。それも、実に悪趣味で、この国らしい、手の込んだ罠だった。
「そうか! お前らか!」
真島は嬉々とした表情で、ポケットから起爆スイッチを取り出した。これも計画のうちだ。いや、計画すらも、あの依頼人の掌の上だったというわけか。構うものか。指が、ためらいなくスイッチを押し込む。
次の瞬間、世界が音を失った。いや、音が飽和し、鼓膜がその意味を理解することを放棄したのだ。ホームの天井と壁が、内側から凄まじいエネルギーによって弾け飛んだ。
轟音。衝撃波が、真島の体に叩きつけられる。構内全体がきしみ、悲鳴を上げながら崩落し始める。巨大なコンクリートの塊が雨のように降り注ぎ、等間隔に並んでいた蛍光灯が火花を散らして砕け散る。黒煙と粉塵が瞬く間に立ち込め、視界は完全に奪われた。
この世の終わりの縮図のような混沌が、真島を包んだ。ただ生き残るためだけに、獣のように感覚を研ぎ澄ませる。煙が肺を焼き、砕けたコンクリートの粉が目に入り、涙が滲む。だが、彼は知っていた。この程度の地獄は、まだ序の口に過ぎないことを。彼は、隠れていた柱から滑るように、崩れ落ちるホームの縁からその下の暗闇へと、身を滑り込ませた。
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