双影のヤタガラス   作:ファンの一人

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《ヤブミ》
 純日本製のSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)アプリ。
 メッセージ・電話・スタンプ・グループなど多くの機能を有している。
 DA組織内のやり取りは全てこのアプリ上で行われるが、
 安全性の高いアプリとして民間でも利用されている。
 街の声:「ヤブミ来た」「ヤブミ無視された」


第1話Scene2:冷たい光・温かな影

【リコリコ地下】琥珀Side

 夜の帳が東京の街並みを静かに包み込み、リコリコの窓から漏れる暖かなオレンジ色の光が外の冷たい闇をわずかに照らし出す。その頃、一条琥珀は地下の武器庫にいた。上階では時折、カラン、コロンとドアベルが来客を告げる音が響いているが、ここ地下は重く冷たい静寂に満ちていた。まるで地上とは別世界のような、音が吸い込まれてしまう空間だった。

 

 武器庫兼射撃場であるリコリコの地下施設は、リリベル支部のそれと比べれば決して広くはないが、住宅街という立地を考えれば十分すぎる規模と設備を誇っていた。天井は低く、蛍光灯の白い光が冷たくコンクリートの壁を照らしている。部屋に整然と並んだ金属製のラックには、用途別に分類された数々の火器が専用ケースに収められて陳列されている。琥珀が一歩足を踏み入れるたびに、革製の戦闘靴が硬いコンクリートの床を叩く音が、地下空間に乾いた響きを残していく。

 

 琥珀は今日の任務で使用しなかった手榴弾を、ウレタン製のクッションが敷かれたケース内に丁寧に収めると、ふと手を止めて振り返った。任務の緊張から解放された今、ようやく他のことに意識を向ける余裕が生まれる。

 

 ――そういえば、納品物の確認、やってなかったな。

 

 思い立ったように、棚の奥から分厚いバインダーで綴じられた記録簿と、項目がびっしりと印刷されたチェックリストを引き出す。紙の匂いとインクの匂いが鼻をくすぐった。マガジンの数、弾薬の種類と在庫数、光学機器の動作状態、保守点検の記録。指先が滑らかに冷たい金属表面をなぞり、熟練した手つきで一つ一つの項目を確認していく。チェックマークを入れる鉛筆の音だけが、静寂を小さく破っていた。

 

 その確認作業の中で、非殺傷弾の納品箱を開けたとき、琥珀の手が止まった。弾薬の下に、小さく折りたたまれた紙片が隠れるように入っていたのだ。それは明らかに正規の納品書類ではない、個人的なメモのようなものだった。

 

 紙を広げると、丸い文字で書かれたメッセージが目に飛び込んできた。

 

「愛を込めて♡御子柴」

 

 琥珀の表情が微かに歪む。眉間に小さなしわが寄り、口元がかすかに引きつった。

 その瞬間、ポケットに入れていたスマートフォンが小刻みに震えた。ヤブミの着信通知だ。画面には〈虎杖司令〉の文字が表示されている。

 

「はい。琥珀です」

 

 通話ボタンをタップすると、受話口から落ち着いた、しかしどこか緊張を含んだ声が響いてくる。

 

『琥珀。今は一人か?』

 

「一人です。地下なので、用がない限り邪魔は入りません」

 

 琥珀は、先ほどの手紙を無意識に握りつぶしながら返事をした。紙がくしゃくしゃと音を立て、手のひらの中で小さく丸められていく。御子柴という名前に対する複雑な感情が、その握りしめる力に現れていた。

 

『そうか……。ラジアータのハッキング件は知っているか?』

 

「報告書を読みました。情報局は火消しに必死らしいですね」

 

 琥珀は苦笑した。上層部は軽微なトラブルとして処理しようと躍起になっているが、バレるのは時間の問題だろう。

 

『その件でウォールナットの殺害任務を検討している』

 

「ウォールナット……」琥珀は一呼吸置いた。

 

「そういえば、情報局の一部に熱狂的なファンがいましたね」

 

『だとしても我々DAにとって最大級の脅威だ。もしリリベルとしての個人任務であれば、受けるか?』

 

「私個人の任務であれば、千束も文句はないでしょう」

 

 琥珀の声には、微かな興味の色が滲んでいた。ウォールナットにゲームを仕掛けても面白そうだ。

 

『なら良い……。ところで、転属してきた者に会ったか?』

 

「今朝は任務に出ていたので、まだ顔を合わせていません。どのような人物ですか?」

 

 虎杖は電話の向こうで短く息を吐いた。その溜息には、何かしらの懸念が込められているように聞こえる。まるで頭痛の種が増えたというような、疲れた響きだった。

 

『元エリート候補生らしいが……少し扱いに注意が必要かもしれん』

 

 その時、地下への扉が勢いよく開かれた。金属製のドアが壁にぶつかる音が地下室に響く。階段を駆け下りてきたのは、ミズキだった。彼女の表情は明らかに不機嫌で、その足音からも苛立ちが伝わってくる。

 

「千束がいなくなったんだけど!っていうか急に泊まりに行った!」

 

 ミズキの声は地下室に響き渡り、その怒りが手に取るように分かる。普段からアルコールに頼りがちな彼女にとって、予定外の勤務は相当なストレスなのだろう。

 

「知らねえよ」

 

 琥珀は冷たく返し、電話に向かって続けた。

 

「失礼しました。他に何かありますか?」

 

『あ……ああ。武器取引の証人について情報局から話が来ていてな――』

 

「あたしが交代で店番になるのよ!そうすると夜の一杯が飲めないじゃない!」

 

「お前はいつでも飲んでるだろうが!何が一杯だ!一升瓶の間違いじゃねえのか?」

 

『重要な話なんだ。琥珀……聞いてほしい――』

 

 ミズキの不満の声がさらにボリュームを上げ、地下室の壁に反響し始めた瞬間、琥珀は無表情で通話終了ボタンを押した。電子音が一度だけ響き、再び地下室に静寂が戻る。しかし、その静寂はミズキの存在によって完全に破られてしまっていた。

 

 結局千束のシフトは自分が変わることになった。ミズキは酒を浴びるように飲んでは悪態をついていた。

 ――DA管轄の依存症治療機関へ送ってやろうか。きっと酒を断つことができるだろう。

 

 

【リコリコ前】千束Side

 

 

 朝の空気って、眠気をぶっ飛ばすにはちょうどいい冷たさだと思う。頬を撫でる風が心地よくて、普通なら気持ちよく目が覚めるはずなんだけど……でも今日の私は、まだ完全には覚醒してない。頭の中に薄いもやがかかったような感じで、足取りも少しふらついている。

 

 理由は簡単、昨夜――いや、ほぼ明け方の3時まで、沙保里さんの部屋でパジャマパーティーをしていたからだ。女子高生らしい他愛もない話から、恋愛相談まで。時間を忘れて話し込んでしまった。

 

 たきなは相変わらず淡々としてたけど、ときどき危険すぎる発言をポロっとこぼして、沙保里さんを「?」な顔にさせていた。「前のバイトに戻りたい」から「銃声が聞こえて」につながるかね。あれはリコリス、バレしかけたよね。私は必死で話題を逸らして「アハハ、たきなって面白いこと言うよね〜映画の見すぎだよ〜」なんてフォローしたけど、背中はもう冷や汗でびっしょりだった。

 

「千束ちゃんとたきなちゃんって、なんか秘密がありそうよね」なんて沙保里さんに言われた時は、心臓が止まるかと思った。

 

 そんなこんなで、私とたきなは並んでリコリコの前まで戻ってきた。

 

 扉を開けると、カラン――とベルが鳴り響く。店内は静かで、コーヒーの香りがふわりと漂っていた。カウンターには黒髪ショートの琥珀が一人、無表情でコーヒー豆を補充している。まるで絵画のように静的で美しいが、どこか近寄りがたい雰囲気もまとっていた。

 

 琥珀は豆を補充しながら視線だけこちらに寄越した。その目は相変わらず感情を読み取らせない。

 

「おはよう、千束」

 

 その声は低く、普段通りなんだけど……なんというか、いつもより冷たい気がする。けど私の胸の奥には、まだ昨晩の不安が残っているせいか、すべてが疑心暗鬼に感じられてしまう。

 

「おはよう、琥珀」

 

 私は短く返事をした。

 

 琥珀の視線がたきなに移った。

 

「……新しい子?」

 

「はい。井ノ上たきなです」

 

 たきなが軽く頭を下げると、琥珀は短く名乗った。キャニスターをもとに戻し、こちらに向き直る。

 

「僕は一条琥珀。ここでは手伝いをしている。よろしく」

 

 無駄のない自己紹介。感情の起伏がほとんどないのに、何かを企んでいるような、値踏みされているような気がする。

 

「よろしくお願いします」

 

 たきなも怯まず返す。この子、こういう場面では案外肝が据わってる。むしろ私の方が動揺してるかも。

 

「じゃ、たきな。着替えよっか。制服のサイズ、合ってるかチェックしなきゃ」

 

 肩を軽く押して奥の更衣室に向かおうとすると――

 

「千束」

 

 背後から呼ばれ、足が止まる。その声には有無を言わさぬ響きがあった。振り返れば、琥珀がグラスを置き、じっと私を射抜くように見ていた。まるで見透かされているような、居心地の悪さを感じる。

 

「……何か、言うことないかな?」

 

 あ、やっぱり気付いてる。昨日の任務のこと、もう報告が上がってるんだ。

 

 冷たい汗が背中を伝った。たきなも不安そうに私を見ている。

 

「え、えーっと……何のことかなぁ」

 

 私は慌てたように視線を泳がせた。どこから話せばいいのか、何を隠せるのか、頭の中が混乱している。

 

 

【リコリコ店内】琥珀Side

 

 

 ……何も言わない、か。

 

 千束をまっすぐ見る。やましいことがある人間ほど、目を逸らすものだ。心理学の基本だ。案の定、千束は落ち着きなく視線を泳がせ、手をもじもじと動かした。額にも薄っすらと汗が浮かんでいる。

 

「まずは、井ノ上たきな」

「はい」

 

 呼ばれたたきなが背筋を正し、琥珀の方を向く。

 

「昨日の任務について、いくつか指摘がある」

 

 琥珀は淡々とした口調で続ける。

 

「護衛対象を囮にした件。あれは、事前の了承もなしにやっていい判断じゃない。民間人を危険に晒すリスクを軽視している。それと――」

 

 間を置き、より厳しい口調で続ける。

 

「相手が求めているのはデータだけだと誤認したこと。人質を取った時点で、証人は必ず消されると考えて行動するべきだ」

 

 言葉に棘はない。ただ、報告書を読み上げるのと同じ調子で事実だけを突きつける。だが、その冷静さが逆に重みを持っている。たきなは何も言い返さず、わずかに眉を寄せて唇を噛んだだけだった。反論したい気持ちはあるが、言い返せない。それが悔しそうな表情に現れている。

 

「で、千束」

 

 視線を移すと、千束は肩をすくめて小さく身を縮めていた。まるで怒られるのを覚悟している子供のような仕草だ。

 

「転属初日のたきなを、一人にしたこと。任務中に新人を孤立させるのは論外だ。チームワークを無視した単独行動は、作戦失敗の原因になる」

 

 千束の口が何か言いかけて止まる。「でも、それは……」という言葉が口の端まで出かかって、飲み込まれた。

 

「それから――住宅街で銃声を出したこと。不審なドローンや襲撃者を牽制するためだったのは理解できる。状況的にはやむを得ない判断だった。しかし、周囲への通報リスクを考えれば、もっと最小限で抑えるべきだった。近隣住民からの110番通報が3件入っている」

 

 静かな店内に、冷えた空気が落ちる。千束の顔が青ざめ、たきなも困ったような表情を浮かべている。

 

 二人の表情を見比べていると、後ろから声がかかった。

 

「琥珀。それぐらいにしておけ」

 

 ミカが杖をつきながら奥から現れ、助け舟を出す。その優しい声を聞いた千束は、パッと顔を明るくした。

 

「そうだよね、先生!琥珀はいちいち細かすぎるの!もう少し大目に見てくれてもいいじゃない!」

 

 千束が不満そうに頬を膨らませる。

 

「後始末をする者たちのことも考えてほしいんだがな」

 

 琥珀は冷静に返した。

 

「今回のカバーストーリーが何かわかるか? 『打ち上げ花火』だぞ。迷惑な奴もいたものだ」

 

 ラジアータが出力するカバーストーリーも、レパートリーが無くなってきたのではないか?それを周辺住民に説明して回るクリーナーにも同情する。

 

「ま、まぁ……夜になったら花火くらい上げるよ。ていうか、なんで琥珀がそんなこと知ってんの」

 

 千束が不審そうに眉をひそめる。

 

「クリーナーから詳細な報告が上がってる。請求書も届いたら見せてやるよ。さぞ美しい数字だろうな」

 

 琥珀の口元に、皮肉めいた笑みが浮かんだ。

 

 千束との問答を聞いているたきなは、申し訳なさそうに困った顔をしている。自分のせいで千束が叱られていると感じているのだろう。

 

「すみません。私が未熟だったばかりに……」

 

 たきなが頭を下げると、琥珀は少し表情を緩めながら続けた。

 

「君がエリート候補生だったことは知っている。優秀な人材だということも」

 

 琥珀の視線が千束に移る。

 

「だからこそ、千束は君を一人にしても大丈夫だと踏んだのだろう。エリートなら単独でも何とかできる、と」

 

 その言葉は千束への批判であると同時に、たきなへの評価でもあった。千束が少し居心地悪そうに肩をすくめる。

 

「改めて自己紹介をしよう。俺は一条琥珀。一応リリベルに所属している。君たちとは立場が違うが、ここでは同僚だ。よろしく頼む」

 

 その言葉には、先ほどまでの厳しさはなく、むしろ歓迎の意味が込められていた。




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