双影のヤタガラス   作:ファンの一人

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《リスの着ぐるみ》
 琥珀が開発局に無理を言って制作してもらった物。
 無惨な姿のまま開発局に戻ってきた。


第2話Scene3:Walnuts and pears you plant for your heirs.

 俺たちは【ウォールナット偽装死作戦】を終え、喫茶リコリコへと戻ってきた。外はすっかり暗くなり、街灯の橙色の光が窓ガラスに反射して、店内を温かく照らしている。夜の帳が降りた静寂の中、木製の床に響く俺たちの足音が、やけに大きく感じられた。空気には先ほどまで淹れていたコーヒーの芳醇な香りが残り、ミカさんが準備している団子の匂いが漂ってくる。疲れ切った心と体に、この慣れ親しんだ空間の安らぎが静かに浸透していく。

 

 ウォールナットからの先払い金はもちろん、ロボ太やリリベルの一派から支払われた金額の一部も、リコリコの売上としてしっかりと記録されている。ミズキが最終的な数字に更新すると、その結果に俺は思わず息を呑んだ。久しぶりに赤字から脱却できた喜びに、俺とミズキは目を合わせて、無言でハイタッチを交わした。手のひら同士のぶつかる音が店内に響き、その瞬間、今日という一日の成功の確かな感触が伝わってくる。テーブルの上で踊るソフトの数字が、まるで勝利の証のように光って見えた。

 

 しかし、その束の間の幸せは長く続かなかった。カウンターから、ミカさんの低く響く声が聞こえてきたのだ。

 

「クリーナー代はうち持ちらしいぞ」

 

 その一言は、静まり返った店内に冷たい波紋のように広がった。先ほどまでの高揚感が一気に吹き飛び、俺とミズキは揃って膝から力が抜け、思わずその場にへたり込む。天井の照明が悲しげに揺れているように見え、壁に映る自分たちの影が、まるで落ち込む二人を嘲笑うかのように長く伸びていた。

 

 仕方ない、別の道を探るか……。俺はそう自分に言い聞かせながら、重い腰を上げて居住スペースへの扉に向かった。

 

 障子戸をそっと開くと、畳の匂いと共にウォールナットの姿が目に入った。彼女は押し入れの中で、青白いモニターの光に照らされながら黙々と作業を続けている。狭い空間の中に、椅子やモニター、そして見たこともないような精密機器が、まるでパズルのピースのようにぴったりと収まっていた。コードの配線から小物の配置まで、すべてが計算し尽くされており、「元からこうでした」と言わんばかりの完璧なフィット感を醸し出している。押し入れという日本家屋の伝統的な収納空間が、いつの間にかハイテク機器に囲まれた近未来的な司令室へと変貌していた。

 

「何してんだ?」

 

 俺の問いかけに、ウォールナットは手を止めることなく振り返る。モニターの青白い光が彼女の小さな顔を照らし出し、いつもの人懐っこい表情に、どこか職人的な集中力が宿っているのが見て取れた。

 

「匿ってもらうんだ。自分用のスペースを整えるのは当然だろう」

 

 その手際の良さと完成度の高さには、正直感心せざるを得ない。俺は懐からスマホを取り出し、画面の明かりを頼りに本題へ入ることとする。ウォールナットは相変わらずキーボードを叩き続けており、軽快なタイピング音が和室の静寂を破っている。彼女の青い瞳は集中してモニターを見つめており、光の反射で瞳が揺らめいて、普段の軽口とは明らかに異なる鋭さを帯びていた。

 

「そうですか。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

「奇遇だな。ボクも聞きたいことがある。だけど命の恩人だ。先に質問してもいいぞ」

 

 ちょっと高飛車な言い方だが、今後もこいつには頼らざるを得ないだろう。ウォールナットに向き直り、慎重に言葉を選んだ。

 

「じゃあお先に。ラジアータの件なんだが」

 

 その瞬間、軽快に響いていたタイピング音が、まるで時が止まったかのようにピタリと止まった。押し入れの中の空気が、一瞬にして緊張に包まれる。

 

「3月にあったハッキング。アレお前だろ」

 

「な……何の事かさっぱりだ……」

 

ウォールナットの声が微かに震えている。彼女の小さな肩がわずかに揺れ、青白いモニターの光が額に浮かんだ汗の粒を照らし出していた。押し入れという狭い空間が、彼女の動揺をより一層際立たせている。

 

「武器取引事件のハックに沙保里さん……ああストーカー事件のドローン。全部お前か?」

 

 ウォールナットは沈黙する。必死に平静を装おうとしているが、その努力が逆に動揺の大きさを物語っている。モニターに映る文字が、彼女の震える指先と共に小刻みに揺れていた。

 

「ち、違う……ボクはただ……」

 

「否定はしないのか」

 

 肯定に等しい。はっきりした。ハッキングの犯人はコイツか。そりゃあ上層部で暗殺依頼が出るのも無理はない。

 

「それ他の奴ら知っているのか?」

 

 押し入れの中から問いただしてくる。その声には、これまで聞いたことのない切迫感が込められていた。

 

「安心しろ。犯人だということは僕しか知らない」

 

「そうか……」

 

 安堵の息が、押し入れの奥から漏れ聞こえた。その小さな吐息に、彼女がどれほど追い詰められていたかが窺える。

 

「で? 僕に質問ってのは?」

 

 しばしの沈黙が和室を支配した。ウォールナットの指がキーボードの上で完全に静止し、彼女がこちらを真っ直ぐに射抜いてくる。先ほどまでの冗談めかした調子とは明らかに違う、真剣そのものの眼差しだった。

 

「……打ち合わせの時に言った、ヨミガエリとはどういう意味だ」

 

 その問いかけと共に、和室の空気がひやりとした。俺は表情を変えず、いつもの淡々とした調子で返答した。

 

「ヨミガエリか。――いや、30年間に何度も死んで生き返るって、ほら、映画みたいな話だろ?」

 

 口調は崩さず、呼吸も乱さない。ウォールナットの鋭い視線を真正面から受け止め、ただ軽く笑ってみせる。心の奥では、わずかな緊張を必死に押し殺していた。彼女の直感の鋭さを、俺は改めて思い知らされる。

 

 その時、廊下から人の気配がした。背後から馴染みのある声が割り込み、襖が軽く揺れた。

 

「琥珀さん、ちょっと良いですか?」

 

 振り返ると、廊下でたきなが控えめに立っている。

 

「なに?」

 

「千束さんに座布団を持ってくるよう言われましたので」

 

 たきなが顔を出すと、それまで張り詰めていた和室の空気が不思議と和らいでいく。彼女の存在が場の雰囲気を変える力を持っているのか、それとも単純にタイミングが良かっただけなのか。照明の暖かな光が部屋全体を包み込み、先ほどまでの緊張感を優しく溶かしていった。

 

「ああ。悪い、邪魔したな」

 

 俺が一歩退くと、たきながウォールナットの下スペースに置かれている座布団を丁寧に引き抜く。彼女の動作は いつものように無駄がなく、几帳面そのものだった。

 

 そこへ、湯気の立つ団子を手にした千束もやってきた。甘い香りが和室に広がり、それまでの重苦しい雰囲気が一気に家庭的な温かさに変わる。

 

「なにみんなでコソコソ話してんの?」

 

 千束の明るい声が、まるで春風のように和室に吹き込んでくる。彼女の笑顔を見ていると、先ほどまでの重い話題が嘘のように思えてきた。

 

「別に。新入りの居住環境をチェックしていただけだ」

 

 俺は肩をすくめながら、そう答えた。押し入れの中の緊張感がゆっくりとほぐれていき、部屋にはいつものリコリコの、ほっとする空気が戻ってくる。窓の外に見える夜空も、いつの間にか穏やかに感じられるようになっていた。

 

「琥珀。言っちゃ駄目だよ。リリベルの人達に」

 

 千束が急に真剣な表情になり、俺に念を押した。その眼差しには、普段の明るさの奥に隠された、確かな責任感が宿っている。

 

「言う訳無いだろ。依頼人のプライバシー最優先だ」

 

 俺は安心させるように軽く笑いながら答えた。千束の心配そうな表情が、ほんの少しだけ和らぐのが見て取れる。

 

 カラン――。

 

 店の入り口で、馴染みのあるベルの音が響いた。

 

「おお。いらっしゃい」

 

 ミカさんの反応を聞く限り、おそらく吉松さんだろうか?今朝も店に立ち寄ったと聞いているが、俺は会わずじまいだった。久しぶりに会えるなら、男性の磨き方について教えを請いたいこともある。俺は和室を後にして、客席の方へと向かった。廊下を歩きながら、今夜もまた長い夜になりそうだと、そんな予感を抱いていた。




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