【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

101 / 102
白の世界/トター

 ごうごうと大気がかき混ぜられ、氷の礫が木々に当たる音が壁を隔てて聴こえる。今日は一段と吹雪いているのか家が小さく悲鳴を上げて軋んでいた。冷気が忍び込んでこないようにと隙間を丹念に埋めた家だというのに、それでもまだ底冷えするような冷たさが入り込んでくる。

 しかしそれは火の前では別だ。暖炉の前では外の騒乱や寒さは遠く──穏やかな時を過ごせる。

 トターは暖炉に薪を放り込んで問題ないことをしばし観察して、ひとつ頷くと椅子に座り直した。

 この地域は冬によく吹雪く。こういうときは家でじっとしているほかない。無理をして外へ出たとて、真っ白な視界と暴力的なまでの寒さにすぐに家が恋しくなる。

 暖炉の上においたケトルがしゅんしゅんと白い湯気を吐き出している。トターはおもむろにそれを掴むとマグカップに注いだ。

 茶葉もなにも入れていないただの白湯。ふらりと立ち上がると壁に飾られていた酒瓶を手にとってほんの少しだけマグカップの中に垂らした。

 ふわりと匂い立つ香りを吸い込んで、ゆっくりと口の中に誘い入れる。横着をせずに、少しずつ。この地にたどり着いてすぐの頃は舌をよく火傷していたけれど、今はもう慣れたものだ。

 こくりと喉を鳴らして、ほうと満足の息を吐いた。

 都会の者たちが見れば質素で眉をひそめるかもしれない飲み物だが、トターにとっては冷えた体を温める飲み物といえばこれだった。茶葉を買い込むだけの金がないというのもそうだけれど、シンプルで手間のないこれが楽だった。

 椅子に深く腰掛けて、こくりこくりと温かな飲み物に口をつけながら、眼鏡をかけてひとつのノートを開いた。

 ノートには様々な形の雪の結晶の絵が描かれていた。はじめの方は拙く、ページが進むほどに線の迷いが消えて見られるようなものになっていく。いずれも、トターが描いたものだ。

 ノートの表面を撫でて、満足そうに笑みを浮かべる。数年前までは考えられなかった趣味だ。

 自身のウッドハウスにスノードームのためだけの部屋があり、相棒のクロスボウにも雪の結晶の飾りをつけるほど雪が好きなトターだったが、少し前まで遠視がひどくて文字すら読むのが難しかった。そんな有様だったので、当然ながら己の目で直接その形を確かめたことはない。

 しかし彼の場所──ロドスにてこれが作られ、渡されたことによって文字だけではなく、愛してやまない雪の形を確かめるすべを得た。

 もちろん、絵を描くとまでなるともっと精密な目が必要だ。だがそれもウッドハウスに戻る際の餞別にと、ドクターから顕微鏡をもらったことで解決した。──というより、顕微鏡のおかげで絵を描くようになったと言うべきだろうか。

 ……いや、道具の問題だけではない。彼らに出会う前のトターならば、手元に道具があったとしてもとてもそんな気にはならなかっただろう。

 

 トターは南の生まれだ。そこは暑く、雪など降らない土地だった。そんな場所にある商隊が雪の結晶の標本を手にやってきた。幼い頃のトターはすっかりと魅せられてしまった。

 そうして故郷を離れて、トターは傭兵団を立ち上げた。時と共に傭兵団は大きくなって──しかし事故と共にその大半を失った。トターもまた鉱石病に感染し、歩行能力を失った。そうして雪境近くの森にひとり閉じ込められてどれほど経ったか。

 心を、気力を、押しつぶし続けていた後悔はある日、ふっと軽くなった。

 なくなったわけではない。ただこの凍てつく大自然の中で悔い続けることが、もがき苦しみ続けることが、どれほどの意味があるのか気づいただけだ。

 それは諦めに似ていた。ただひとりひたすらに極寒の地に留まり続けた。親しくした友は遠く、いつしかトターの中には思い出という名の亡骸とトターしかいなくなった。トターに語りかける者はなく、トターが語りかけるのも過去と己自身だけになった。

 雪の中に埋もれるようにして残りの時間を終えても構わなかった。かつて光り輝く未来が待つと信じられていた頃のような気持ちはもはや遠い。だが、ずっとここに居続けて良いのだろうかと、己の場所は本当にここなのかと、諦念の雪が降り積もり覆われていく中でどうしても消えてくれなかった想いがあった。

 そうして極寒の冬から抜け出て、最後の仕事を請け負った。これを果たせば、あるいは道半ばで潰えてもそれなりの納得が訪れるだろうと思っていた。無事に終わればまたあの極寒の地で雪が降るようにして静かに残りの時間を過ごそうと。

 だが予想を外れて、今になっても時折、ロドスの外勤任務を請け負っている。

 任務もなくウッドハウスに引っ込んでも、〝次〟のことを考え、いつかの約束を握りしめている。

 ……トターが雪に埋もれて眠るのはまだ少し早いようだった。

 

 ◆◆◆

 

 その日はなんの憂いもなく終えられる任務のはずだった。だが未来をすべて予測することは難しい。突然荒れ始めた空はあっという間に鈍色の雲に覆われて自分の腕の先が見えないほどの吹雪となった。

 そんな中、トターとドクターは取り残された。

 周囲に人影はなく、通信機器は動かず、大自然の中にぽつんとふたり。慌ててはぐれぬように互いを紐で縛って、這々の体で洞窟を見つけて逃げ込んだ。

 逃げ込んだ当初こそ慌てたものの、火を起こして暖を取れる頃になると多少の心の余裕ができた。

 トターは一緒に逃げ込んだ相手をちらりと横目で見た。

 指揮官であるために戦闘のことを考えずともよいおかげで、トターよりも温かな装備に包まれてはいるが、寒さに慣れていないのかガタガタと震えている。もっと火の近くに来るように言いつつ、バックパックに入れていた金属製のコップに雪を詰めて火にかける。それを見て、ドクターも自分のコップを取り出して同じようにした。

 どこか拙く慣れていないその動きに、相手は野営をあまりしないのだろうなと当たりをつけた。

 別にそれが悪いとは思わない。相手は指揮官だ。戦闘員が手足であれば、指揮官は脳だ。脳は安全な頭蓋に守られて後方にいるべきだ。

 そもそもにして今のようにトターとふたりでいる方がおかしいのだ。指揮官だからというだけではなく、その地位ゆえだ。

 ドクター。ロドスのトップの三本指のうちのひとり。ロドスの脳。

 トターのようなぽっと出の一般隊員ではなく、上級隊員に守られてしかるべきだ。

 しかし今、この人間はトターと吹雪の中に閉じ込められている。

 この時点でトターは半ば腰が引けていた。必要があればやるが、必要なければそう大層な人間に近づきたくはない。……あの騒動の後、ロドスの人々の人となりを知って、彼らに助力しようと決めたとしても。

 カップの中の水がボコボコと沸騰したのを見て、ドクターに火傷をしないようにと言いながらトターはさっと火の中からカップを取り出してやった。

 しばし沈黙が場に横たわった。気まずいそれではなく、ただ単にどちらも温かな飲み物を飲み込むのに必死だったというだけだが。

 温かな液体が喉を伝って胃に落ちて、安心と共に体を温めていくのを感じる。

 鈍かった指先が暖かさを取り戻した頃、ずっと口をつぐんでいたドクターが「あ」となにかを思い出したように体を起こした。足元のバックパックをごそごそとしたかと思うと、スキットルを取り出した。

 キャップを開けて白湯の中になにかを入れる。そしてトターにもニコニコと手渡した。

 スキットルの中身は酒だった。いわく、以前に雪山で遭難した際に酒が役にたったとかで、今回も持ってきたのだとか。

 トターには白湯に酒を入れて飲む趣味はないが、勧められたのもあって同じようにしてみる。ふうふうと息を吹きかけなくとも飲める程度までほどよく温くなったそれを口に含む。

 トターの顔を見て、ドクターは笑った。何も言わずとも悪くはないと思ったことが分かったらしい。その笑い顔にトターの知らないうちに入っていた肩の力が抜けた。酒の力も借りて──とはいっても、大した量ではなかったけれど──ふたりはぽつぽつと話をした。

 まったく違う場所で生きてきたふたり──そのうちひとりは以前の記憶を失っていたりする──が意外と話は合った。トターにしては珍しいほど長く話をして、その日はひとかたまりになって寝た。

 

 翌日。静謐さを感じるほど静まり返った空間で目を覚ました。

 いまだ寝息を立てる相手を起こさぬように寝袋から抜け出て、外へ足を向けた。

 火と人間ふたりに温められた空気は洞窟の入り口に近づくほどに冷えていく。白い息を吐きながら、トターは外を見た。

 ──そこは白の世界だった。

 天高くからハラハラと雪の結晶が舞い落ちて、大地を静かに覆っていく。

 トターの愛する白。見るたびに心を撫で、しかし同時に苦痛と諦念を思い出す。故郷を飛び出た頃のまっさらな憧れの気持ちは月日の流れと共に汚れて変わってしまった。美しく、そして残酷なしろ。一時はその残酷さをひたすら見続け、そこに身を置くことで自らを罰し続けてきた。だが根底にある慕わしさを忘れることはできず──……。

 トターは時を忘れたようにその光景を魅入っていた。

 それからどれほど経ったか。肩を叩かれてそちらを見ると、ドクターがいた。ドクターは無言で、湯気のたったカップをトターに渡す。飲んでみると酒入りのそれ。会話はなかった。あるのは雪の降り積もる静けさだけ。

 そうしてふたり、ただひたすらに雪が降りしきるさまを眺めていた。

 その時、トターは己の中にある長い間の空席が埋まったのが分かった。

 

 ◆◆◆

 

 ロドスの任務を終え、離れる際にもらった餞別がいくつかある。

 それは長い冬の時間に暇を潰すための本だとか、ちょっとした嗜好品だとか。顕微鏡もそれに含まれる。

 だが、ドクターからはそれ以外にももらったものがある。──約束だ。

 ──冬の間のいつか。暇を見つけて訪ねるよ。

 その約束と餞別の品々を抱えて、トターは己の家に戻った。

 雪の結晶が描かれたノートを撫でる。彼の人が来るまでにあとどれほど描くことができるだろう。

 雪が好きだ。冷たく厳しい顔を知ってはいても、その美しさを喜ばずにはいられない。

 残酷で美しい静寂の世界で──トターはノックの音が聞こえるのを待っている。




次の話で完結です
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。