【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
「失礼します、ドクター」
ドアのセンサーがアーミヤを認識して音もなく開いた。
白を基調とした簡素だった部屋は、かつての面影はすでに遠く、混沌と物が散乱している。研究資料から、今後のロドスのプロジェクトに関するプレゼン資料。開発部からのものらしき用途の分からない試作品。その他にも誰から渡されたのか、小説に漫画、などなど。
部屋の主によれば一定の法則があるらしいが、残念ながらアーミヤにはその法則は見い出せない。分かるのはどうしようもなく煩雑だということだけ。
一週間に一回は掃除をしているのだが──ドクターにはそのままにしておいてくれと懇願されるが、無視してやる──、数日経てば元に戻ってしまう。
「まったく、ドクターは……」
困った人ですね、と続けようとして、しかし、アーミヤの舌は凝ったように固まった。
アーミヤの視線の先、書類や器具の山を押しのけて、ぽっかりと開いたそこ。そこに、彼女の目的の人は倒れていた。書類の箱のせいで顔は見えない。しかし四肢はまるでそこで力尽きたとでもいうように投げ出されていた。
持っていた書類が床に落ちた。喉奥が引きつる。頭が真っ白になった。
たとえ仲間の窮地だろうと、熱く燃えた激情の中で冷静に思考を回すように教育された。それなのに、その時のアーミヤはなにも考えられなかった。
心臓に死神の凍えた手のひらを当てられたかように身震いする。ざっと音を立てて血の気が引いた。
「ドクターッ……!」
アーミヤは周囲のものを蹴飛ばして、駆け寄った。途中、転がっていたペンに足を取られてる。考える間もなく、体が馴染んだ動きで受け身を取ろうとするが、一歩でもドクターに近づこうと思ったせいで動きがちぐはぐになり、無様に転んだ。
「いたっ!」
反射的に涙が浮かぶ。しかし今はそんなことにかまっている時間はない。ドクター、ドクターを……!
だが。
「……──ドクター?」
覗き込んだ視線の先で、彼の人はくうくうと寝息を立てていた。
「あっ、」
それを認識した途端、どっと安堵が全身を巡る。
半ば這いずるようにして近づいた体の力が抜ける。アーミヤは放心して、その場に座り込んだ。
それでもまだ凍える心地が体の奥に残っていて、アーミヤは迷った末に、震える手を、ドクターの鼻の上にかざした。
──息が、生きている証が、アーミヤの手を密やかにくすぐる。
そこでやっと最後の緊張が消えた。肩の力を抜いて、まじまじとそのひとの顔を覗き込む。
アーミヤもドクターもこのロドスの重要人物だ。日に何度も顔を合わせる。けれど、これほどじっくりと見たのは久しぶりだった。
「…………、くま」
ドクターの目の下には濃い隈があった。近くに大規模な作戦が予定されていてるから、そのせいだろう。
疲労のせいか顔色は青白いが、眠る姿は穏やかだ。
起こそうと手を上げかけて、しかしアーミヤはその手を下ろした。音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、毛布を持ってくる。それをドクターの上に掛けて、また隣に座りこんだ。
「ドクター……」
規則的に胸を上下させて、死んだように眠るそのひとを見つめる。アーミヤはかつてを思い出すようにして、まぶたを閉じた。
かつてのドクターが持っていた記憶は、今のこのひとにはない。アーミヤとは、二度目の「はじめまして」から始まった。
それが悲しくて、寂しかった。けれど──。
ゆっくりと目を開ける。
視界いっぱいにそのひとが広がって、気付かずに詰めていた息を吐き出した。
アーミヤがかつて何度かこのひとの寝顔を見たことがある。はじめは普通だった。穏やかな眠り。けれど、後になるほどにその顔は険しくなっていった。なにかに苦しむようにして眉間に皺が寄っていた。眠りの中でさえ、このひとには安寧はなかった。それが今は。
アーミヤは、眉尻を下げた。けれど、と思う。
今だって、良い状況とは言えない。今はまだこんなふうに穏やかに眠っているけれど、きっとこのひとは苦しむことになる。このひとを必要としている戦場はいくつもあるのだ。そしてそんな戦場へと送り込んだのはアーミヤだった。
ドクターの手を握る。冷たいアーミヤの手に反応したのか、相手は小さく唸った。しかし覚醒まではいたらなかったらしく、目を覚ますことはなかった。
じわりとドクターの熱がアーミヤへ移る。その手は、温かかった。
──…………ヤ。……ミヤ。
誰かが呼んでいる。でも、あともう少し。もう少しだけ。
ぬるま湯に漂うような心地よさがある。声は確かに耳に届いているのだが、それが脳へ辿り着くほど思考が回らない。相手は痺れを切らしたのか、ついにアーミヤの体をゆすり始めた。夢現に漂っていた意識が、徐々に浮上してくる。
「──アーミヤ」
「っ、はいっ! …………あれ?」
ぱちりと目を開けて、身を起こした。目の前にはドクター。アーミヤの勢いにぶつかりそうになったそのひとは、「おっと」と身を引いた。あと少し遅かったならば、キスをしてしまっていたかもしれない。その事実に頬が熱くなった。誤魔化すようにきょろきょろと周囲を見て、やっと自分の状況を把握した。
そうだ、ドクターの寝顔を眺めていて、自分も眠ってしまったのだ。
「っすみません!」
ぺこぺこと頭を下げるアーミヤに、ドクターは気にするなと笑って書類を差し出した。アーミヤが持ってきたものだ。渡されたそれは、すでにドクターの捺印は済んでいた。
「アーミヤも、疲れていたんだろう。起こすのもどうかと思ったんだがね、床で寝るよりもきちんとした寝床で寝たほうがいい」
そういう私も床で寝てしまっていたんだが、と笑うドクターの顔を見上げる。アーミヤを見つめる瞳には、かつてのような色はない。出会ってしばらくの、ここロドスでは親しくしている少女。そんな相手に向ける程度の親しみしかなかった。
眉を下げたアーミヤが、叱られて落ち込んだと思ったのか、ドクターは手を伸ばしてきた。そしてアーミヤの頭の上に乗せる。
「おつかれさま」
そんな言葉と共に、ゆっくりと撫でられた。温かい。瞳の色はかつてと比べるとずっと他人行儀だけれど、頭を撫でるその手付きは、当時のままだった。
──ああ、
噛みしめるようにして目を閉じる。
ドクター。アーミヤの先生。そしてこれから、アーミヤが苦しませるかもしれないひと。
罪悪感は腹の底にまだくすぶっている。けれど、それ以上の喜びが体を巡った。
──私のいちばん大切な人は生きて、此処にいる。