【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
チカチカと端末が光り、集中していた意識が、ふっと浮上した。瞼を開閉すると目がゴロゴロとする。仕事にのめり込みすぎて瞬きを忘れていたらしい。
チェンは走らせていた万年筆をちらりと見た。文の途中で止まっている。切りのいいところまで終わらせるまでに、あとどれくらいかかるかを頭の中ではじき出す。少なくとも五、六分はかかるだろう。
ため息を吐くと、名残惜しく思いながらも万年筆から手を離した。これで「良いところまで」と進めようとすれば、そこで止められずに「終わるまで」となって、結局いつまで経っても手を止められないことになる。
机の隅に置かれているガラス瓶に手を伸ばす。そこには色とりどりの飴が入っていた。パッケージから何からバラバラで、子供の好むものもあれば、大人が好きそうな味もある。大きさも様々なその中から、チェンは小さめのものを取り出した。
袋を破って口に放り込む。水分を取ることも忘れていた舌に、じん、と甘い味が広がって反射的に唾液が出た。
コロコロと舌で転がす。
──きちんと最後まで舐めるんだ。噛み砕いてはならない。
言われたことを思い出す。無意識の内に歯と歯の隙間に挟んだそれを、ぎこちなく元の位置へ戻した。
こんなことをして意味があるのかと自問する気持ちと、いずれにせよ一度了承したのだから守らなくてはという気持ちがせめぎ合う。結局、天秤は後者へ傾いた。
効果がまったくないわけではない。
ふっと、頬が緩んだ。自嘲とも呆れとも取れない笑いをこぼす。
だが、それでも嫌だとは思っていない。きっとそれが答えなのだろう。
チェンは飴入りのガラス瓶がこの執務室に置かれた、あの時のことを思い返した。
■ ■ ■
「ずっと上を見上げるのは疲れないか?」
ドクターの執務室に提出すべき書類を持って行った時だった。軽くこの後の予定について話していて、チェンが「鍛錬」と答えた際に言われた言葉だ。
正直、またかと思った。
チェンに、こういったことを言う者は少なくない。書類の山を片付けていたと思えば、いつの間にか終えて家に帰って映画を見ている。唐突に休暇を取ったと思えば、気づけば職場にいて指揮を執っている。仕事の合間に余暇を取り、余暇の間に仕事をする。
チェンは仕事も趣味も、一分一秒だって無駄にせずに過ごしている。
──無理をしていませんか?
──無論だ。
その様子を見て、幾度か繰り返された問答だった。
そしてドクターのそれも、その問答に近い。もしもその声に、憐憫や揶揄があればチェンは気を悪くしただろう。虫の居所によっては噛み付くこともあったかもしれない。しかし彼の人の言葉にあったのは、ただただ純粋な疑問で、その上そこには心配がのぞいていた。なによりその人が、〝識っている〟目をしていたから。チェンと同じ場所に立ったことのある人間の目。
だから、いつものように返すことができずに、言葉に詰まった。
数秒の沈黙の後、なぜか滑らかに動かない舌を動かして答える。
「……別に、できるからやっているだけだ」
「ああ、たしかに君は〝できる〟んだろうな」
肯定の言葉。ドクターは「しかし」と続けた。
──走り続けるには適切な息継ぎが必要だ。それをしなければいつかは呼吸が苦しくなり、倒れてしまう。持久力があっても、いつかは足が止まる。止まらなければ、回復不可能な損傷を体に与えてしまうことになる。失ったものを取り戻すのは不可能だ。
子供に話しかけるような柔らかな口調だった。むくむくと湧いていた反論の言葉が、口の中に留まる。割って入ってはならないような空気だった。
君はきっと持久力が人一倍あるんだろう、それに類まれな努力家だ。にこりと微笑まれた。しかしその笑みはすぐに苦いものに変わる。
「それでも、走り続けるためには休息が、跳躍するためには、溜めが必要だ」
「……私は子供じゃない」
「ああ、分かっている。私が言わずとも理解しているだろう」
反論せずにはいられなかった。だが反論と呼ぶには些か弱々しい言葉で、そして声だった。ドクターは軽く受け流してみせる。更に言い募ることは、チェンには〝子供〟のようでできなかった。
むっつりと黙り込むチェンに、ドクターは机の上を探る。そして、そんな君にこれをあげよう、と手渡されたのはガラス瓶。ずしりと重く硬質な瓶が手のひらに乗る。透明なそれの中には、様々な種類のパッケージに包まれた飴が入っていた。
「タバコだと健康に悪いからな。一日一度、これを舐め終わるまではなにもしてはならない。書類をしながら舐めるなんてダメだよ」
柔らかな声がチェンの耳朶を打つ。
まるで自分が子供のようじゃないか、と表には出さないものの不満を持つチェンを、ドクターは見透かしたように笑った。
「チェンは『子供じゃない』んだろう? なら、できるよな?」
「──ああ」
気づけば頷いていた。チェンのそれは、〝子供のような〟不貞腐れた声だった。それでも、頷いてしまったのだ。
■ ■ ■
ころころと、舌の上で飴を転がす。
先程まで手にしていた仕事のことも考えず、これからのことも考えない。ぽっかりと空いた空白の時間。チェンが唯一、動かし続ける足を止める時間だ。
チェンはゆっくりと瞼を閉じた。
今まで無理をしてきたつもりはない。自分にできると思ったから、やっていただけ。これからもずっと続けていくつもりだった。未来という、果てしない長い道のりを考えると足が竦むことがないわけではない。けれどチェンはできると思っていた。自分は目的のために走り続けることができるのだと。
今でもその考えは変わらない。自分はずっと走っていられる。こんなものがなくても。
これは甘やかしだと、そう思う。自分からはやろうとも考えなかっただろう。しかしドクターからのそれは、受け取った。受け取ってしまった。
舌に感じる甘味とは別に、胸にじんと滲む甘さがある。それをチェンは目を閉じて噛み締めた。
甘やかな砂糖の塊は口の中で徐々に小さくなっていく。それはチェンの体がそれを取り込むということと同義で。
チェンは最後の一欠片が溶けて消えるのを、ただ静かに待った。
ルビの変換がうまく行っていないことにいまさら気づきました。
とりあえず投稿分は対応したつもりですが、できていなかったらすみません。
気づいたら、誤字修正をしてもらえるとありがたいです。