【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
ぼうっと無機質に部屋を照らす蛍光灯の明かりを見る。手にはとうに冷えた飲料の缶があり、中身は半分ほどしか減っていなかった。
数日前まで、寝る間もないような忙しい日々だった。今はそれが落ち着き、摩耗した諸々を回復するように大人しい。時期によっては遅くまで騒ぎ声が聞こえるこの食堂も、ただ今ばかりは静まり返っていた。
人気がなく、がらんとした部屋はどこか空々しい。時計の針が動く音と、自販機のたてる鈍い音が虚しく響くだけだ。
仕事も終わってあとは眠るばかりのはずだが、なぜだかそんな気持ちにならない。目の奥を刺すような鈍痛が睡眠の必要性を訴えかけてくるが、立ち上がるが億劫だった。
「あれ、ドクター?」
不意に、声が掛けられた。
ゆっくりとそちらを振り向くと、クーリエが立っていた。いつもの柔和な笑顔でそばまで寄ってきた。
「どうしたんです?」
静かな部屋に自分以外の人間が増えた。それだけでなんだか少しだけ、部屋が狭くなった気がした。
重い口を開くのも面倒だったが、無視するわけにはいかない。
「いや……、ただぼんやりとしていただけだ」
自分自身の声を聞いて、随分と疲れた音を出す、と苦笑した。こんな草臥れた声では、人の良いクーリエが放って置くはずがない。
その推測は正しく、クーリエは小さく眉根を寄せるとドクターの顔を覗き込んだ。なんとなくきまりが悪くて、目をそらす。
「気にせず部屋に帰ってくれていい。……私もしばらくしたら部屋に戻る」
さり気なく一人にしておいてくれ、と頼むが、しかしクーリエは一瞬真顔になった。それに怯んでいると、彼はにこりと笑って口を開いた。
「なにか、温かいものでも食べません?」
「は?」
「僕が作りますよ。ドクターは食べられないものって、ありましたっけ」
そう言って、彼はさっさとキッチンの方へ引っ込んだ。なにかを切って焼く音がする。
以前の彼ならば、今のドクターに出会っても、心配げを顔に貼って「早く寝てくださいね」と言って去っていっただろう。別に、彼が薄情だと言っているわけではない。ただ彼の第一はすでに捧げられていて、その誰かがロドスをビジネスの相手としているから、それに準じているのだ。ビジネス上のやり取りに、人の奥深くまで踏み込む必要はない。それは不作法で、互いの距離を見失わせる。
だから取引先の上司のプライベートに踏み込まない彼の対応は、ビジネス上の相手として適切なものだ。
彼は誰にでも気さくで優しい。話しやすく、近づきやすい。けれどその姿は偽りとまでは言えないまでも、いくらか装われたものだというのは感じていた。人懐こく近づいて見せて、その実、一線を踏み越えさせない。笑顔でするするとこちらに気付かせないように逃れてみせる。
それが変わったのはいつだったか。明確な区切りは覚えていないが、彼はドクターに笑顔以外の顔──ビジネス外の顔も見せるようになった。
勝手に居なくなることもできずに、手元の冷えた缶をちびりちびりと飲んでいると、顔を覗かせたクーリエが「あっ、こっちを飲んでてください」と声を上げて缶を取り上げると、代わりに温かな茶が入ったマグカップを渡される。なんだか子供扱いされているような気がする。しかし抗議するより先にクーリエはまたキッチンへ戻ってしまったので、仕方なしにそれを口に含んだ。
ほんのりと甘い、温かな液体が食道を通って胃に落ちる。冷たかった指先に、マグカップの熱が移っていく。無意識の内に息を吐いた。
気づけばマグカップの中は空になっていた。丁度タイミング良くクーリエが何かを持って戻ってくる。
「どうぞ」
目の前に置かれたのは、消化に良さそうな食材が放り込まれた粥のようなものだった。小さな器によそわれて、夜食然とした手軽さだ。クーリエは自分の前にもそれを置いて先に食べだす。一口食べて、ドクターも、と促された。
塩が程よく効いたそれは、思ったよりもすんなりと食べられた。いつもは場を和ますような話をするクーリエも無言で、ふたりはただ黙々と匙を動かした。
食べ終えて息をつくドクターに、クーリエは笑う。
「お口に合ったようで良かったです」
「……ああ、美味しかった」
先程までの重く沈んでいくような気分はいつの間にか消えていた。ささくれが丁寧に均されて、傷薬を塗られたようだった。根が生えたように動かせなかった腰だが、今はもうさっさと部屋に帰って寝てしまいたかった。
目を擦るドクターに、クーリエは喉を鳴らして目を細めた。
「なんとなく何もやりたくないと感じたら、ご飯を食べるんですよ。まずお腹を膨れさせましょう」
小さな子どもに言い聞かせるような声音だった。私は子供かと、少し不満な気持ちはあるが、馬鹿にしている訳ではないのは分かっていた。脳裏に浮かんだいくつか言葉から、一番気なるものを選んだ。
「……経験談か?」
「さあ、どうなんでしょうね?」
彼は人好きのする笑顔を見せた。相対するものの警戒を解くための笑顔でも、真意を悟らせない笑顔でもなく、今のそれはからかいの色を含んでいて、気安い相手へのそれだった。雪原を淡く照らす朝の陽光のように、静かで穏やかな眼差しも添えられている。
「また食べたくなったら言ってください。いつでも作りますよ」
「…………ありがとう」
クーリエの目の奥には、労いと、そして懐古の色があった。いつかの彼も、こんなふうにして誰かに労られたのかもしれない。
眠気に鈍くなっていく頭を手を当てながら、そのうちお返しをしなければならないな、と考える。つい先日、彼も好きそうな菓子を取り寄せたので、それでちょっとした茶会でもどうだろう。
ギブ・アンド・テイクはビジネスの基本だ。持ちつ持たれつ、と言い換えてもいい。それは友人と上手く付き合うコツでもあった。