【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
ぱらぱらと空から落ちてきた液体にエクシアは目を瞬かせた。そうしている間にもぱちり、とまた肌で弾ける。その冷たさに肩をすくませた。
「あれれ、降ってきちゃったか~」
そういえば拠点を出る前に、今日は昼過ぎに雨が降るかもしれないから気をつけて、と言われた気がする。予定ではそれより前に仕事が終わるはずであったから、あまり気にしていなかった。
きょろきょろと見回して、良さげな軒先を探す。そうしているうちにも冷たい雨が服を重くした。
ようやく見つけたときには、だいぶ濡れていた。同じく避難してきた仲間と一緒に座り込んで、空を見上げる。
遠いところは明るいから、通り雨だろう。しばらく休んでいれば通り過ぎる。
水の滴る髪をぶるぶると振ると、仲間から抗議の声が上がった。そして思い出したように「お前、そういえばハンカチ持っていただろう」と言われた言葉に、エクシアは「あー……」と曖昧な声を返した。
「懐にしまって、たまに眺めてるだろう。使わないのか?」
「うーん、でも、あれ、あたしのじゃないしなぁ」
「お前のではない? 借り物か?」
「んー、まあね!」
いつか返せたらと思うんだけど、と続けた言葉に、そうか、とそっけない声が返って、そこでその話題は終わった。その淡白さに物足りなさと、気楽さを覚える。
(まあ、別に秘密ってわけでもないけど、説明するほどでもないしな……)
その微妙な思いが相手にも伝わったのだろう。あるいは、そもそもそれほど興味もなかったのかもしれない。
いくつか言葉を交わした後、ふつりと会話が途切れる。いつもならばエクシアがなんてことのない話を続けるのだが、今日はなんとなくそんな気分ではない。沈黙が落ちるが、そこは気心の知れた相手、別に苦でもなかった。
ぼんやりと雨粒が地面を叩くのを見つめる。単調な音が眠気を誘った。
エクシアは懐にそっと手を当てた。そこには件のハンカチが入っている。
ふわあ、とあくびをして、かつてそれを受け取った時のことに、ぼんやりと想いを馳せた。
■ ■ ■
その戦闘は特に問題が発生することなく、こちらの圧勝という形で終了した。敵はすべて駆逐され、味方に損害はなし。花丸の結果だ。
エクシアはぐっと手を上に組んで背中を伸ばした。思ったよりもずっと楽に終わった。功労者である黒いフードをかぶる人間をちらりと見やる。
ドクター。最近ロドスに復帰したという戦闘指揮の天才。エクシアとは数回任務を共にしているが、たしかに聞いていた通り優秀であるようだった。
しかし、彼の人は過去の記憶を失っている、らしい。
エクシアも直接そのことを聞いたわけではないが、彼の人の昔馴染がそう零していたらしいと噂に聞いた。つまりは又聞きの、さらに又聞きである。が、どうやらそれは間違いではないらしい。
ドクターは大きなフードで表情を隠しているが、それに相対する人間の表情はよく見える。ロドスの代表であるウサギの彼女が、彼の人と話している場面は何度か見た。ドクターは彼女を付き合いは浅いものの特別優秀な部下のように扱うのに対して、彼女はドクターに対して己の人生の師のように接していた。
互いに有効な関係ではあるが、その密度に齟齬がある。その差がぎくしゃくとした空気になり、結果としてウサギの彼女に少しだけ寂しげな顔をさせる。しかしドクターはそれに気づいて彼女の頭を撫でるので、彼女の顔に浮かんだ寂寥は消えるのだけれど。
エクシアはそれをなんだか微笑ましいもののように見ていた。なんであれ、仲がいいのは良いことだ。
「おつかれ~」
せっかくなので自分も親しくしようと思う。
エクシアが所属するペンギン急行はロドスと契約を結んでいる。そして自分はロドスへと派遣されている。つまり相手は取引先の上役なのだ。親しくして損はないし、エクシアたちを指揮するリーダーでもある。ボスの思考を知り、ボスは部下の思考を知るのも大切だろう。
記憶がないせいか、あるいは顔がフードに隠れて見えないせいか──エクシアとしては後者が大きいと思っている──、ドクターは得体のしれなさがある。戦闘中には鋭い指揮を飛ばすのに、それ以外ではあまり声を出さないために、動と静のギャップがあるというのも理由のひとつだろう。
ぽん、と肩を叩くと顔がこちらに向く。
「やあ──」
しかし声はそれ以上を続かなかった。
物陰から飛び出してきた人間に気づいたからだ。服は先程まで相手をしていた敵のもの。得物は剣。あと数歩でエクシアたちに届く。
──けれど、エクシアの方が早い。
エクシアはドクターを引っ張って自分の後ろへやると同時に、瞬きの間に銃を掴む。息を吸うような滑らかさで、トリガーを引いた。
──一、二、三。
コンマ数秒の差で、手、胸、頭へと着弾する。赤い華が咲いた。
敵は一歩踏み出して、しかし糸が切れたように地面に崩れた。取り落した剣が滑ってきて、コツンと靴に当たる。エクシアはそれを蹴り飛ばした。
数秒間観察して、もう動き出さないことを確認する。視界の端から慌てたように仲間たちが駆け寄ってくる。それに問題ないと手を振って答えた。
くるりと後ろを向くと、ドクターが立っている。顔を覆うフードの中を覗き込むようにして言う。
「──ねえ、気づいてたんじゃないの?」
エクシアは戦闘中、ドクターが物陰を気にしているのに気づいていた。しかしそこから敵が現れることはなく、先程まではそのことを忘れていた。
睨むようにして見た先で、しかし相手の表情にあっけに取られた。ドクターはフードの下で、バツの悪そうな、まるで叱られた子供のような顔をしていた。
その人は言った。いるかも知れないと思っていたが、確証がなかったのだと。すまなかった、助かった。
「ありがとう」
てらいのないその口調に、完全に毒気を抜かれてしまった。
「……次からは言ってね」
だからエクシアはそう言うしかない。そんな彼女にドクターは苦笑した。
「そうだな、そうすれば君も汚れずにすむ」
「えっ?」
ドクターは懐から取り出したハンカチで、驚くエクシアの顔を拭った。真っ白いそれは、敵の血で赤く色づく。
「アンタも、汚れてる」
「ん? そうか」
どう反応すればいいのか分からずに、エクシアは見たままのことを告げた。
エクシアとドクターの距離は近かった。エクシアが敵の血で汚れるならば、ドクターもまたそうなっていない道理はない。
しかしドクターは自分のものを拭く前に、他の人に呼ばれてしまった。「すまない、後は自分で」とエクシアに己のハンカチを渡すと、自分はコードの端で粗雑に顔を拭った。そして足早に呼ばれた方に駆けていく。
ぽかんとするエクシアの手の中には、ハンカチが残っていた。
考えること数秒。
「……わっかんないなぁ」
エクシアの口から漏れたのは、呆れたような声だった。
恐ろしいほど鋭い指示で敵を殲滅していくのに、あんな顔をする。敵の返り血に濡れたエクシアに、ハンカチを差し出してみせる。
「いやぁ、わっかんないや!」
けれど嫌いではない。結構親しくなれるかもな、なんてことを思った。
■ ■ ■
あのとき渡されたハンカチは今、エクシアの懐にある。仲間にシミ抜きの方法を教えてもらったけれど、ついた血のすべては落とせなかった。
あれから随分と経った。いまだ分からないところもあれど、ドクターとはあのとき直感した以上に親しくしている。ただの仕事関係の上司部下ではなく、エクシアはエクシアとしてドクターを尊敬していた。
服の上からそっと、懐のハンカチに手を置く。
──これはドクターに返すものだから、使えない。
あのときのように、けれど今度はエクシアがドクターへ手渡すのだ。
それで拭くのは、敵の血か、あるいは予想外に涙ということもあり得るかもしれない。そんなことを考えて小さく笑った。
けれど。
けれど決して、ドクター自身の血となることはないだろう。
なぜなら──彼の人は、エクシアが最期のときまで護るのだから。