【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
穏やかな日差しが差し込む室内で、きゅ、きゅ、と布で何かをこする音が響く。
ここはノイルホーンの私室だ。久しぶりの休日に、思い立って収集したマスクの世話をすることにしたのだ。
開いた棚の中には、ぎっしりとマスクが詰め込まれている。この部屋に人を招いてこれを見せると、一体お前はいくつ顔を持っているのかと呆れられるのだが、ノイルホーンにとってマスクとは万人にとっての服のようなものだった。気分によって付け替えるもの。収納場所の都合さえどうにかなれば、あればあるだけ困ることはない。
同時にジンクスのようなものである。縁起担ぎとも言い替えられるが、良いマスクさえ付けていれば悪いことは起こらない。ノイルホーンはそんな風に思っていた。
ひとつのマスクを磨き終わって、次、と取り出したものを見て、ノイルホーンは一瞬手を止めた。じっとそれを見つめる。
マスクにはひとつひとつ来歴がある。賭けに勝った記念に買ったもの、仕事でミスが続いてそれを挽回できるのはと願いを込めて手に入れたもの、ただ単に気に入って買ったもの……。そのすべてを覚えているわけではないが、手元のマスクは特別印象深いものだった。
ノイルホーンはしばらくそれを見つめると、先ほどよりもずっと丁寧な所作で表面を磨き始めた。思い出される記憶に、自然と微笑みが浮ぶ。手を動かしながら、それに想いを馳せた。
■ ■ ■
某日。
「それ、欲しいのか?」
同行者であるドクターが指差すのは、商品の一つとして陳列されているマスクだ。
たまたまロドスが停泊した土地の市場の片隅。せっかくだからと出かけた先の蚤の市のような場所で見つけたものだった。
ノイルホーンが微動だにしないので、不審に思って近づいて来たらしい。そしてノイルホーンが目を奪われていたものを見て、出た言葉のようだった。
ドクターとノイルホーンの付き合いはそれなりに長い。ノイルホーンがマスクを熱心に収集しているのも知っていたし、マスクの下を見たい、見せないといつも挨拶替わりに言葉を交わす程度には仲が良かった。ちなみにまだマスクの下は見せていない。特に驚くものが隠されているわけではないのだが、なんだかんだなあなあにしていたらタイミングを外したのだ。秘密は人間の好奇心を刺激する。興味深そうな目でマスクの奥を見ようとするドクターとのやり取りは、まあ嫌いではなかった。
ノイルホーンはちらりとドクターを見た後、改めて陳列されているマスクに視線を移した。改めて見てもぐっと来るものがあった。ひと目見た瞬間、目を引かれたのだ。一目惚れのようなものだった。
──このマスクが欲しいのか?
その答えは決まっているようなものだった。
「──ああ、欲しい」
だがそうは簡単に進まない。欲しいと言って簡単に手に入りはしなかった。
マスクにはなにやらそれなりの由来のあるものらしく、値段が想像以上だったのだ。なんでそんなものがこんなところで売られているのか、とは思うが、まあ自分が惹かれたものだ、当然という思いもある。別に高価なものが良いものだとは限らないが、良いものは往々にして相応の値段がするものだ。
だが、当たり前だがノイルホーンの今の手持ちでは買えない。ロドスに戻れば用立てることもできるが、店主が言うには今日でここからは去るという。特別売りたいという気概もないようで、買わないのだったらさっさと去ってほしいと言わんばかりの態度だった。
欲しい。喉から手がでるほど欲しい。だが、買うための金が無い。ドクターの手持ちも聞いてみたが、足りそうになかった。
頭を抱えて百面相をしていると、ぽん、とドクターに肩を叩かれた。任せておけというように頷かれる。
その後は鮮やかだった。まるで一流の詐欺師の技を見ているようだった──と言えば語弊があるが。
ドクターはあれよあれよと店主を丸め込み、ふたりの手持ちで足りる値段にしてしまった。どこでそんな技術を、と聞くと、ちょっとな、と顔を逸らされた。ノイルホーンはそれ以上は聞くことができなかった。
ドクターの手にはマスクが入った袋。店から出た後、それを差し出されて反射的に受け取ろうとする。が、ドクターは手を離さなかった。
困惑をしていると、ドクターはいたずらをする猫のような顔で自分の頬を人差し指で叩いた。それで何を言いたいのか知る。ノイルホーンにマスクを外せと言っているのだ。
ずっと続けていたじゃれ合いの終わりをつけようということらしい。ノイルホーンは苦笑いをして、マスクに手をかけた。あのやりとりもこれで終わりかと思うと少しさびしいような気もしたが、これ以上引き伸ばす意味もない。
観念してマスクを外した。頬に外気を感じた。
「へえ……」
ドクターはまじまじとノイルホーンの素顔を見つめた。こうも真剣な表情で顔を見られることはそうないので、いささか恥ずかしい。頬を掻くと、マスクに隔てられない肌が指に触れた。
「……満足したか?」
「ああ」
ドクターは頷いてにこりと笑った。ノイルホーンに
「はあ!?」
思わず出した大声に、ドクターは驚いたように目を丸くさせる。いや、その表情は俺の方がしたい、とノイルホーンは思った。
缶コーヒーを奢られた程度ならば一言礼を言って終わりなのだが、これは桁が違う。そんな簡単に済ませられる額ではなかった。これ幸いと流すことも可能だったのだろうが、相手が悪徳上司ならばともかくドクターだ。尻の座りが悪い。
ノイルホーンが苦言を呈すると、なにを思ったのかドクターはカラカラと笑った。そして少しだけ困ったように眉を下げる。
「……君の素顔を見た対価、なんて言っても駄目なんだろ?」
「当たり前だ」
ノイルホーンの素顔はそんな上等に金が必要なものではない。ドクターは顎に手を当てて考え込んだ。「そうだな」とノイルホーンと目を合わせた。
「それじゃあ、投資ということにしよう。ノイルホーンはいいマスクがあれば、いい仕事ができるんだろう?」
それは常々ノイルホーンが言っていたことだった。黙ったノイルホーンにドクターは追い打ちのように言葉を重ねる。
「そして、いつか私を守る時の先払いだ」
──もしも
そうして笑われてしまえば、ノイルホーンに言えることはなかった。つまりはノイルホーンへの期待の表れで、信頼の証だというのだから。その上、盾として守った上で決して身代わりにはならず、生還せよとまで言ってくる。ひどい上司だった。
「ああっ、くそっ」
言葉遣いが悪いぞ、と笑ってくる元凶を睨む。しかしノイルホーンの口元はほころんでいた。常に覆われていた顔に今はマスクがなく、その表情をあるままに見せている。
ノイルホーンは照れ隠しに、外していたマスクを被った。
すぐにそれを笑うドクターの声が耳朶を打つ。気恥ずかしさを感じながらも、マスクに隠れるノイルホーンの口も弧を描いていた。
■ ■ ■
このマスクが手元にやってきたことを思い出して、感慨深く息を吐く。手入れを終えて、最後にくるくると回して問題がないことを確認した。あの日手渡されたそれは、被った自分の姿がすぐに浮かぶ程度には使われていた。
少し考え、再び収納することなく、立ち上がってベッド横の机に置く。そしてまた他のものの手入れに戻った。
残されたマスクの表面が、光に柔らかく反射する。
明日は、ドクターが指揮する戦場だった。