【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

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香りと感情/パフューマー

 温室の入り口近くで、ふわりと嗅ぎ慣れた匂いがした。パフューマーは一瞬足を止め、しかしすぐに笑みを浮かべて動き出した。パフューマーの鼻は特別製で、離れた場所の相手の匂いも嗅ぎ分けられた。

 匂いの主──あの人がここに来るのはいつぶりだろうか。最近は忙しいらしく、方々を走り回っていたのを知っていた。今日は久しぶりに時間が取れたのだろうか。

 温室の奥に進むと、思った通りの相手がいた。時折、仕事の合間にふらりとやってきて、お茶を飲んで帰っていく。その相手がいつしか専用のようになった椅子に腰掛けて、すうすうと寝息を立てていた。

 パフューマーがブランケットをかけようと近づく。と、相手はうっすらと目を開けた。

「ラナ……?」

「ええそうよ」

 ぼんやりとこちらを見る。『ラナ』とはパフューマーの本名だ。コードネームとして『パフューマー』と名乗っているが、こちらで呼ばれることを好んでいるせいか、あまりコードネームを呼ばれることはない。この相手も例に漏れず私的な場では本名で呼んだ。

「お疲れみたいね、ドクターくん」

「ああ……」

 ドクター。ロドスのトップのひとり。そして時に、パフューマーの患者にもなる相手。

 そのひとは眠気がいくばくか遠ざかったのか、目をこすって椅子に座り直した。目の下のくまは濃く、寝ていても構わないと言ったのだが、しばらくしたら仕事があるから、と断られた。今眠ると起きられる気がしないと苦笑していた。

 パフューマーがハーブティーを手渡すと、礼を言って口に含む。ゆるゆると相手の肩の力が抜けていくのを見ながら、パフューマーも対面の椅子に座った。久しぶりの時間なのだ。眠らないのであれば、せっかくだからお喋りをしたい。

 近況報告からはじめて、いつものように他愛のない話──共通の知り合いの話や、植物の育成について──を交わす。特に植物の話は弾んだ。はじめは知識のなかったドクターもパフューマーの話を聞くうちに理解を深め、今では専門書を読むほどになっているらしい。

 息継ぎのように生まれた空白の後に、ドクターは思わずというように言った。

「ここに来ると、なんだかリラックスできる」

 なんでだろうなあ、と続いた言葉に、パフューマーは目を瞬かせた。

 いくつか理由は思い浮かぶ。

 第一に、医療庭園の一角にあるここは、そうなるように作られている。

 第二に、ドクターがリラックスしたいと思ってここに来ているから。

 第三に、そういう香りを使っているから。

 どうやって説明しようかと思考を巡らせて、自分の目の前にいる相手が研究者であることを思い出した。ならば少し専門的な話をしても問題ないだろう。

「ねえ、ドクターくん。なにかの香りを嗅いで、唐突に過去を思い出したことはある?」

「…………プルースト効果か」

 しばしの沈黙の後、返ってきた言葉に笑みを浮かべた。さすが、話が早い。

 プルースト効果とは、特定のにおいが、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象のことを言う。

 脳には感情や本能を司る「大脳辺縁系」と、理性的な思考を司る「大脳新皮質」の二つがあり、五感の中で唯一匂いだけが感情・本能に関わる「大脳辺縁系」に直接伝達される。そこには記憶に関連する「海馬」という器官がある。匂いはその伝達方法によって、感情を伴った記憶を想起させる。

 つまり、香りは本能的な行動や感情に直接作用するのだ。

「この温室の香りは、気持ちが落ち着くと言われているものなの。リラックスできるように他にも色々な工夫はしているけれど、一度ここで気持ちを落ち着けられれば、その感情と共にこの匂いが記憶される。また来たときも同じ気持ちになりやすい、ってことね」

「へぇ」

 パフューマーの説明に、ドクターは感心したように頷いた。そしてなにか思いついたように顔を上げる。

「それじゃあ、執務の時間はこれ、休憩中はこれ、と香りを決めておけば色々と捗るだろうか?」

 まったく熱心なことだ。「可能性はある」と返すと、ドクターは目を輝かせた。

「それなら、なにか見繕ってみようかな」

「よければ私が作りましょうか?」

「……いいのか?」

「ええ、もちろん」

 むしろ市販のものを選ぶより、パフューマーが作ったほうがドクターに似合う香りになるだろう。

 パフューマーが自分の仕事の話になって、少しばかり顔を引き締める。調香するにあたって、相手の好みを知るのは大切だ。普段の様子から検討がつかないこともないが、こういったことはきちんと聞いたほうが良い。

 嫌いな香り、好きな香り。どんな風なものが良いか。

 問診のようなそれが終わったころに、ドクターの持っていた端末が鳴った。どうやら休憩はこれで終わりらしい。

「また来る」

 ドクターはそう言って次の約束をして温室を出て行った。その後姿を見送ってから、パフューマーは椅子に座り直した。そうしてドクターの好みを書き付けたバインダーを胸に抱いて、彼の人が纏う香りについて思いを馳せる。

 仕事用とプライベート用と言っていたから、数種類作ってみよう。そして──。

 ──せっかくなら。そう、せっかくだから。

 香りには相性がある。どうしたって合わないものがあるように、合わさればより良いものになるものもある。人間同士のようなものだ。似た性質の人間を合わせてみても、上手く仕事が進まないこともあれば、一見合わなそうな者たちが、試してみれば意外と相性が良かったりする。

 そしてせっかく彼の人が纏う香りを己が調香できるのであれば、パフューマーのそれとドクターのそれが合わさっても、良い香りになるものにしたい。

 パフューマーはドクターの香りが嫌いではない。むしろ好きだ。嗅ぐとなんだかほっとできた。それが香りのおかげなのか、ドクターに与えられた感情が、その香りで想起するためなのかはわからないけれど。

 しかしそんな匂いに、さらに自分の好みを加えられたならば。今よりももっとそれを強く感じるだろう。そしてできるのならば、彼の人にも同じ気持ちになってほしい。

 ──自身が感じる安心を、あのひとにも。

 あのひとをそう思うように、あのひとにもパフューマーをそう思ってほしい。そんなふうに思って、パフューマーは小さく笑みを浮かべた。

 なによりも自分好みの匂いを作る。それは調香師の特権だった。

 

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