【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
昼下がりの庭園。柔らかく日差しを遮る木の上で、グラベルはくわりと欠伸をした。
今日は休みだ。この頃ずっとドクターの護衛として詰めていたから、たまには休めと言われたのだ。少しばかりの不安はあったものの、メリハリは大事だ。ほどよく力を抜くことによって、要所々々で上手く立ち回れるようになる。
が、降って湧いた休暇にやることがない。武器の手入れは終わってしまったし、おしゃれは嫌いではないが、あまりそういった格好で出歩く機会もないので箪笥の肥やしになってももったいない。はてさてなにをしようか、と悩んでいたところで、ドクターが歩いてくるのに気づいた。
わずかに身を乗り出してその人を見る。こんないい天気だというのに、ドクターはいつもの黒いフードをかぶっていた。熱中症にならないか、いささか心配だ。
グラベルはふわりと地面に降り立つと、ドクターに近づいた。気づいて立ち止まったドクターに、頬を近づける。そして相手のそれとこすり合わせた。グラベルの「挨拶」だ。はじめは随分と戸惑われたが、今ではドクターはすっかりされるがままに受け入れられていた。可愛らしく動揺するさまが見れなくなったことは少し残念だが、これほど気を許してもらっている事実はくすぐったかった。
と、グラベルは顔をしかめた。眉をひそめる。
「護衛はどうしたのかしら?」
「あー……、置いてきた」
バツが悪そうなドクターの申告に、片眉を上げた。自分の代わりに選出されたのは誰だったか──と考えて、頭の中のページをめくる。ロドスのトップ陣の一角であるこの人に、悪意のある相手は近づけられない。だがめぼしい相手は皆任務で、確かつけられたのは可もなく不可もない人物だ。一日くらいならば任せても問題ないと思っていたのだが、とんだ買いかぶりらしかった。
それはそれとして、ドクターも不用心だ。
「……悪いひと」
思わずたしなめると、ドクターは「すまない」と眉を下げた。謝らなければならないことと分かっているのであれば、はじめからやらないでほしいものだ。が、自分以上にこの人の護衛を完璧に勤め上げられる者ではなかったと思えば、なんとなく気分は良かった。
グラベルは「いいわ」と言って、軽やかにドクターの横に立った。君は休みだろう? という言葉をその人の唇に人差し指を添えることで黙らせる。
確かに休暇中だ。けれど、グラベルの主はこの目の前の人なのだ。自分が休んでいる間に、傷つけられることなどあってはならない。
また別の日に休めるように時間を作るよ、という主に、自分が任せられると思う人間が代わりとして護衛に入れる日にしてちょうだい、と返しておく。
グラベルは慣れた様子でドクターの斜め後ろに陣取った。
この人を己の主にしたいと思ったのはいつだったろう。
ロドスに入って、この人の護衛になってしばらくは、そんなつもりは全くなかった。グラベルはグラベルとして、己の職務を全うするつもりではあったけれど、そこまでの関係になるとは思っていなかった。
この人は記憶がなかった。身に宿した戦闘指揮の能力以外は、ほとんど全てを失っていた。人間は記憶を積み重ねることによって人格を作る。そういった意味では、彼の人は生まれたばかりの赤子と同じだった。
大人と同じように思考し、大人と同じように動けるけれど、その芯になるものは曖昧だった。
そんな相手に、グラベルは己を捧げられない。それほどグラベルは安くない。一匙の同情と、その能力への尊敬の念はあった。そして月日とともに彼の人は安定していき、能力にはますます磨きがかかった。そのことで尊敬の気持ちは深まっていった。けれど、それは偉大なる人物に抱く尊敬でしかなかった。グラベルの手を、足を、力を、全ての能力を捧げたいとは思わなかった。
ある時、ドクターはグラベルの腕にあるバーコードを何なのかと聞いてきたことがあった。本当にただの疑問だったのだろう。そこには揶揄する空気も、軽蔑の色もなかった。無知は罪であるが、あの質問で傷つく可能性があるという理由で、裁くのがグラベルなのであれば、罪としながらも罰はなにも求めなかっただろう。それほど嫌味のない口調だった。
グラベルが腕の印を指しながら、かつて「商品」だった証だと言うと、ドクターは絶句して顔を青くした。すまない、とかすれた声で謝られるのに、グラベルは気にすることはないと首を横に降った。グラベルはグラベルが歩んできた道を恥ずべきものではないと考えている。進んできた先に、今のグラベルがあるからだ。
同じ質問を何度もされたことがある。そしてグラベルはいつも同じように返し、相手の反応はいくつかのパターンに別れていた。戸惑いの表情で黙り込む者。興味に目を光らせる者。同情に顔を歪める者。あからさまに見下す者。
しかしドクターの態度は、そのいずれでもなかった。
その人は、グラベルの答えに「そうか」と頷いて、そしてどこか眩しそうにグラベルを見たのだ。もしかしたらその時かもしれない。グラベルがこの人の騎士になりたいと思ったのは。
困惑、興味、憐憫、驕慢……そんな今までさらされてきた視線とは、別のもの。ぐっと胸が熱くなった。──この人がいいと、そう思った。
今までの人生で、グラベルを似たような目で見た人はいた。グラベルが今まで歩いてきた道を知って、妙な感情を交えずにグラベルの有り様を理解してくれた人はいた。けれどその人は、今のドクターではない。同じように理解されなくても良いと思った。
グラベルははじめ、己の本心に気づかなかった。自分が、この人に全てを捧げたいと思っているとは知らなかった。だから一度冗談のように騎士の口調で話しかけてみて、彼の人に驚いた顔をされて、その時は笑って終わった。自分の心が向く方向を上手く捉えることができなかった。
けれどその気持ちは育った。水を入れれば入れるだけ大きくなる風船のように。
そして、名を捧げた。
「外に出るわけじゃないのに……」
しきりに首をひねってロドス内ならば護衛は必要ないのに、と零す主に苦笑する。「君だってせっかくの休みだろうに」と一度封じたはずの言葉が出てくる。それにグラベルは無言で笑みを深めた。
戦場ではあれほど鋭いのに、主はそれ以外では鈍いところがある。先程の言葉だって、グラベルを心配してのことだろう。久しぶりの休暇を邪魔したことが心苦しいらしい。
別にそんなに気にしなくていいのに、と思う。グラベルは確かに名を捧げたけれど、奴隷ではない。嫌だったら嫌だと言う。そう言わないということは、つまりはそういうことだ。
ドクターはきっと真の意味でグラベルの決意を理解していない。グラベルが名を告げる意味が分かっていない。薄々察してはいても、この先も、その底深くまでを理解することはないかもしれない。
けれどそれはきっと仕方がない。ドクターはグラベルではないのだ。そしてグラベルはドクターではない。グラベルは自身の有り様を理解できても、きっとドクターの、〝主〟のすべてを理解することはできない。グラベルの忠義をグラベルしか理解できないように、きっと主の喜びも、苦悩も、主にしか理解できない。
今はまだグラベルの忠義と同じ熱量のものは返ってこない。もしかしたらこの先も、返ってこないかもしれない。
それでも、グラベルはこの人に捧げたいと思った。「商品」だった自分を、騎士である自分を。そして、これからの自分を。
「……グラベル?」
「なあに?」
主の呼びかけに答える。呼ばれるのは捧げた本名ではないけれど、心をくすぐるものがある。
きっと今、グラベルの頬は赤くなっているだろう。感情が高ぶるとすぐに顔に熱がたまるのが、いくつかあるグラベルの特徴のひとつだ。恥ずかしいと思う時もあるけれど、今はまあ仕方がない。
グラベルの気持ちを表したような、柔らかな日差しが降り注ぐ。グラベルは軽い足取りで主の後を追った。