【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

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逃げるが勝ち/イーサン

 静まり返った食堂のキッチンでイーサンは冷蔵庫を漁っていた。無意識のうちに体の色を変化させていたので、きっとキッチンを覗く者がいたならばひとりでに冷蔵庫の扉が開いたように見えただろう。

 コツコツと足音が聞こえて、イーサンは頭を上げた。冷気を漂わせる扉を締めて食堂の入り口を見る。

 しばらくして入ってきたのは、イーサンもよく知る人物だった。ロドスの戦闘指揮官──ドクターだ。

 ドクターはふらついていた。きっと仕事のせいだろう。食堂はとっくのとうに営業を終了している。まだ他の部屋もぽつぽつと明かりは点いているが、そう時が経たないうちに暗くなるだろう。まったく、こんな時間まで熱心なことだ。

 ドクターはイーサンに気付かずキッチンに入ってきた。きっと適当なものでも食べようとしているのだろう。

「よう、ドクター」

 ぽんっ、と冷蔵庫の取っ手に手をかけたドクターの肩を叩くと、声にならない悲鳴を上げて飛び上がった。そのまま色んな所に体をぶつけたので、流石に申し訳なくなる。

「あー、すまん。そんなに驚くとは」

「……い、イーサンか」

 よほど驚いたのか、尻餅をついているそのひとに手を伸ばして引き上げる。その際に「ありがとう」と言うものだから、思わず笑ってしまった。どちらかというと責められるべきは気配と姿を隠していたイーサンだと思うのだが、このひとは律儀に礼を言う。そういう奴なのだ。

 イーサンはまじまじとドクターの顔を見た。隈こそないものの、表情はげっそりとしていて生気に欠けている。表情も乏しい。知恵の最後の一滴まで出し尽くしたのか、常にある理知的な雰囲気はほとんどなかった。疲労で頭があまり回っていないのだろう。

「なんか作ってやろうか?」

「……いいのか?」

 イーサンの提案に、ドクターの顔が輝いた。じわじわと疲れ切った顔に笑みが浮かぶのを見ながら、イーサンは「おうよ」と頷いた。

 

 そう時間がかからないうちに出来た料理をテーブルに運んで、イーサンとドクターは対面に座った。作ったものはロドスに来てから教わったものだ。ひとりで食べるのも味気ないだろうと、イーサンの前にも量が少ないが同じ料理が並んでいる。夕飯はあまり食べなかったので、これくらいならば腹に収まる。

「うう、おいしい……」

 先に料理に手を付けたドクターが噛みしめるように言うのを聞いてから、イーサンも食べ始めた。口に放り込んだ肉団子が奥歯で押しつぶされて肉汁が溢れ出す。数度噛んで飲み込む。胃に落ちていく温かなそれに小さく笑みを浮かべた。

 自分で作ったにしては悪くない。料理それなりにできる。できるが、特別美味しいかと言われれば、きっとロドスにはもっと上手に作ってみせる者はたくさんいるだろう。

 イーサンは「おいしい、おいしい」と言いながらパクパクと食べていくドクターに目を細めた。

 だが、まあ腹が減っている時はなんだって美味しいものだ。お湯を注ぐだけの即席麺でも悪くはないが、できるならばそういう時は、温かく、かつ誰かが作ってくれたものならばますますいい。それがイーサンの持論だった。

 かつてを思う。かつて薄汚い路地裏で空腹にあえいぎながら、それでも抗議の声を上げようとしていた時を。そして自分を過信して、けれど結局目的を果たせずに路地裏よりも暗い穴の底へ沈んだ時のことを。

 イーサンはかつて他の感染者も救けてやろうと、闇に飛び込んだことがある。逃げるのならば得意だった。自分にならばできると思った。けれど──。

 イーサンは小さく頭を振った。

 人間、腹に何も入っていないと心が荒む。はじめは耐えられても、次第に神経が削られ、思考が鈍り、心を失っていく。大義を心に持っていたはずなのに、輝く光を持っていたはずなのに、むき出しの本能の前にそれらはただの食えない屑だった。輝きは鈍り、心は汚れ、目的を失っていく。

 温かな食事を食べならば、イーサンはかつてと今を比べた。

 あの時と比べたら、ここは随分と生きやすい。イーサンを本能だけの獣から人間へと戻してくれた。曇った大義を、また輝くように磨かせてくれた。逃げるだけではなく、立ち向かう方法も教えてもらった。

「……デザートも食うか?」

 食器を空にして、満足そうにしているドクターに言った。「あるのか?」とまた顔を輝かせだしたその人の前に、キッチンの奥に置いておいたものを出す。

「これ……」

「アンタの好物。前に言ってただろ?」

 イーサンはたまにドクターの部屋からお菓子を拝借する。まあ拝借したまま返すことはほとんどないのだが、以前に鍵付きの棚──ドクターは消えてほしくない菓子をそこに保管している──の鍵が開いていたせいでうっかり食べてしまい、ドクターの悲痛な嘆きと共に賠償として求められたのがこれだった。少々割高だが、手に入りやすい菓子。ドクターはケチではないが、食のことになると少しうるさい。特に気に入りの菓子については。

 てっきり喜んでくれるだろうと思っていたのに、しかしドクターの反応は鈍かった。

「……ふたつ?」

 イーサンとドクターの前に一つずつ置かれる菓子を見て首を傾げている。「そういえば、」と顔を上げた。

「料理もあの短時間で作れるものではないのような?」

 食事をして思考が回り始めたのか、ドクターは目に力を取り戻していた。イーサンはさり気なく椅子を後ろにずらした。これならばすぐに立ち上がることができる。

「……君はたまたまここにいたから食事を作ってくれたのだと思っていたけれど、そうだとすればなんでデザートがふたり分(・・・・)あるんだ? 君だけのものならひとつあれば足りるはずだ。しかも()の好物ときた」

 ドクターの推理を聞きながら、イーサンはやってしまったなあ、と心の中で頭をかいた。自分はこのひとほどは策謀に向いていない。元々は菓子を渡しておわりにするはずだったのだ。だがタイミングが掴めず数日経ち、賞味期限も危うくなってきた。そこで直接ドクターを捕まえてどうにかしようとしたのだが、今日は遅くまで仕事が入っているという。そういう日はいつも食堂に顔を出すことを知っていたイーサンは、せっかくならば料理も作ってやるかと思ったのだ。そんなに大げさなことではない。別に料理は多少手のかかるものの、それほどのものではないし、ちょっとした気持ちのつもりだった。普段の感謝をさり気なく返して、後日気付けば良し、気付かずとも良しの緩やかさだ。こんな早くにバレるとは思わなかった。

 どこか嬉しそうに見つめてくるドクターを見ながら、イーサンは足に力を込めた。「それで、」とドクターは続ける。

「もしかして今日、この時間に私が来ることが分かっていたんじゃないか?」

 確信をもって聞かれた言葉に、しかしそれに答えは返さない。

「……イーサン?」

 イーサンはするすると空気に溶けるようにして風景に同化した。

「イーサン!? え、イーサンッ!? おーい!」

 そういう目で見られるのはこそばゆい。ドクターの声を背後に、イーサンはわずかに熱を持った頬を感じながらさっさと退散することにした。

 

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