【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
息を吸って、吐く。
メランサの鼻孔をくすぐるのは慣れ親しんだ大好きな香りだ。これをまとっていれば、まだ頑張ろうと思える。本来ならば自室のような空気の流れの少ない密閉空間にいたほうが香りは長持ちするのだろうが、メランサはそうしなかった。きっと自室にいては、際限なく沈んでしまうと思ったからだ。人と接することはあまり得意ではないけれど、他人の目があるかもしれない場所にいた方が、まだ自分を律することができる。ここは人通りの少ない廊下だった。
肩口に手をやった。そこにはメランサを苦しめる一端が表出している。黒い結晶。鉱石病の結晶だ。自分を抱きしめるようにして腕を交差させ掴んでうつむいた。
「メランサ?」
聞こえた声にメランサはびくりと震えた。おずおずと顔を上げると、目の前に見慣れた人間がいた。ロドスの戦闘指揮官──ドクターだ。
「気分でも悪いのか?」
「いえ」
心配そうに覗き込むドクターに、メランサは小さく首を振った。次いで「……どうして」と呟いた言葉に、ドクターはメランサの意図を正しくくんで答えた。
「香りがしてね」
鼻を指差して、君のそれは〝元気にする効果がある香水〟なのだろう? と。
以前、ドクターに同じ香水をプレゼントしたことがある。実家から持ってきたもので、沈む度にメランサを浅瀬まで持ち上げてくれるもの。メランサに力を与えてくれる『元気になれる』香水。ぐったりと疲れた様子のそのひとの役に少しでも立てば良いと思ったのだ。
ドクターはどうやら逆に、〝元気にする効果がある香水〟を付けなければならない何かがメランサにあったと思ったようだ。
隣にいいかい、と聞かれたので頷いた。ギシリと長椅子が安上がりな音を上げる。
その場に沈黙が下りた。ドクターはメランサが話し始めるのを待っているのだろう。けれどなんだか口が重くて、なにかを話す気になれなかった。
先に沈黙を破ったのはドクターだった。
「なにを飲む?」
指差したのは自販機だ。昼間なのに薄暗い廊下で、煌々と光っていた。
「……その、ええと、紅茶を」
「了解」
ドクターは二度ボタンを押した。自販機から物が落ちる音が廊下に響いた。
はい、と渡されたそれを受け取る。温かなペットボトルがじんわりと熱を伝えてきて、ぶるりと体が震えた。そうなってはじめて、メランサは自分が寒いと感じていたことに気づいた。
蓋を開けて、こくりと中身を飲み込む。メランサの親しんできた紅茶の味とは異なるけれど、温かなそれに強ばっていた体の力がとける。気づけば口を開いていた。
「その……前よりも進行したらしいんです」
主語がなくともドクターには伝わったらしい。こくりと頷かれた。下手に声を出されるよりも楽で、メランサはぽつりぽつりと言葉を重ねた。
定期検診の折、鉱石病が進行していると言われたこと。それで少し怖くなったこと。また一歩死に近づいたこともそうだが、それ以外の色々なことも。
戦うこと、抗うこと、……生きること。
メランサが話している間、ドクターはなにも言わなかった。気休めでも「きっと治る」とは言わなかった。このひとはこういうときに、残酷なまでに誠実だ。あるいはメランサがもっと幼く考える頭も持たなかったならば、そうではなかったかもしれない。しかしドクターは知っているのだ、そんなことを言われてもメランサの悩みはなくならない、と。今必要なのは慰めではなかった。
メランサはドクターを見上げた。
「……ドクターは、どうして戦うのですか?」
「それが必要だと思っているからだ」
悩む間もなく返された言葉は力強かった。きっともう何度も考えて、自分の中で血肉となった問答なのだろう。
「それが、無意味かもしれなくても、ですか?」
「ああ、それが足を止める理由にはならない」
──未来はまだ決まっていないのだから。
メランサはつばを飲み込んだ。ぶるりと体が震える。寒さのためではない。ドクターの眼差しのせいだ。
遠くを睨みつけるようにして、まるでその光景が見えるとでも言うような強い、ひどく強い眼差しだった。
思わず背筋を伸ばした拍子にふわりと香りがして、メランサはふいに泣きたくなった。元気になれる、家から持ってきた香水。ロドスに来てから長い間実家との連絡を取っていない。『メランサ』というコードネームは実家を思い出させてくれる。けれどそれでも足りない時に、元気を与えてくれる香水。
そうだ、メランサは仲間のために、そして自分のために戦っている。いつか大手を振って両親に会いに行くのだ。
気付けば鬱々とした気持ちは消えていた。ドクターの熱に伝染したようにメランサの目にも力が宿る。
「私も、ご一緒させてください」
鉱石病は恐ろしい。ロドスの治療で随分と進行はゆっくりとなっているけれど、タイムリミットはいつか来る。それでもそれは、戦わない理由にはならない。
自分がどこまで力になれるか分からないが自分の力がみんなのための一歩になれるならば。一歩に満たずとも、前に進むための動力になれるならば。
メランサは恐怖に震えながらも、未来に進むために剣を取ることができる。