【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
ひんやりとした空気が頬を撫でる。言われたとおりに着込んできたが、もしかしたらこれでも寒いかもしれない。ドクターは肩をすぼませながら白い息を吐いた。と、後から来たマゼランが背中を押した。
「はーい、止まってないで入ってね」
ぐいぐいと背中を押すマゼランの手に吊り下がっているのはスケート靴だ。ドクターの手にも同じものがある。そして目の前は一面の氷──スケートのリンクがあった。今日がなんの催しもない平日のせいか、人はまばらだ。
前々からマゼランに度々言われていた「スケートに行こう」というのを聞いた結果だ。なにかと常に忙しく外出もままならなかったのだが、ちょうど時間が取れ、なおかつ少しばかり運動をしましょうね、と医療スタッフからそれとなく言われたため、ふたりでスケートをすることになったのだ。
靴の履き方からすべてマゼランに教えてもらい、恐る恐るリンクに足を下ろす。意外といける、と思った瞬間、つるりと滑った。とっさに手すりに掴まったが心臓がバクバクと音を立てた。想像していた以上に難しそうだ。
青い顔でマゼランの方を向くと、誰だってはじめはそうだよ、と言いそうな顔で苦笑いをしていた。がっちりと柵を掴んだまま離さないドクターに、彼女ははい、と手を差し出す。正直なところ、その手を取りたくない。できることならばこのまま柵とお友達のままでいたい。が、そうも言っていられずに、しぶしぶ彼女の手を取った。
「ゆっくり行くよー」
両手をつないだまま、向かい合って引っ張られる。彼女は進行方向とは逆向きにいるはずなのに慣れた様子だった。ドクターはへっぴり腰になりながら手を引かれて進んだ。
ただ引っ張られているだけだというのに、うっかりすると転びそうになる。ドクターは生まれたての子鹿のように足を震わせて、引かれるままに前に進んだ。もしかしたらこの服では寒いかもなんて言っていたのに、あっという間にむしろ熱くなった。
足の力の入れ方はこれで合っているのか? 立つことさえおぼつかないのは欠陥では?
「摩擦が恋しい……」
「あはははは」
「地面の上に帰りたい……」
「あっはっは」
泣き言はマゼランに笑われて終わった。
ドクターが氷の上を歩き始めたばかり──いや知ったばかりの赤ん坊だとしたら、マゼランは自分が氷の上を歩いているなど意識しないほど慣れ親しんだ大人だろう。マゼランは地面を歩くのと同じくらい、あるいはそれ以上に滑らかさだった。彼女の冒険の遍歴を感じさせる。
しばらくすると、手を引かれなくとも進めるようになった。と言っても、ころころと度々転ぶが。それでもドクターの運動神経を考えれば良く出来たほうだ。
と思っているうちにまた転んだ。
打ち付けた腰を擦りながら近くに寄ってきたマゼランを見上げる。ドクターが転ぶ度にマゼランは手を差し出して起き上がらせてくれる。今回も同じだろうと見上げていたのだが、なぜか彼女もしゃがみ込んだ。そしてドクターと目線を合わせる。
「ね、ドクター」
きゅっと唇の両端を押し上げてキラキラとした顔で言う。
「色々なことが片付いたら、一緒に冒険に行こうよ!」
はじめは心配したけどスケートだって上手くなってきているし、一緒に北の方の誰も見てない風景を見に行かない? もちろん実験とかも色々やってさ。ドクターだったらすぐに器具の動かし方を覚えちゃうだろうし。
にこにこと笑う彼女は楽しげだった。
その提案は、前々から彼女にも言われたことがあることだ。けれどその度に明言を避けるように濁してきた。答えられなかったからだ。彼女がそう信じているような輝く未来を掴めると断言はできない。そこにたどり着けるか分からないのだ。
いつもと同じように「そうなればいいな」と曖昧に笑うと、いつもは仕方がないなという顔をするマゼランが、しかしむっとした顔をした。彼女は子供を叱るように指を突きつける。腰に手まで当てて、まさに『怒っています』という体勢だ。
「こういう時は、嘘でも『うん』って言うの!」
「……嘘はいけないだろう?」
彼女は賢い。ドクターが何を思ってのらりくらりと躱しているのかは分かっているだろうに。眉を下げて笑う。
しかしマゼランは首を振る。「いけなくないよ」そして一呼吸置いて、続けた。
「だってそうすれば、嘘にならないように、頑張れるでしょ」
彼女の経験に裏打ちされた言葉のようだった。目には信念の輝きがあった。
違う?、と首をかしげるマゼランを、ドクターはまぶしげに見た。その考え方は彼女らしい。言葉を返さないでいると、マゼランは一転して不安げにドクターを覗き込んだ。
「私と冒険行くの、嫌なわけじゃないんだよね?」
「ああ」
そういうことではない。彼女はぱっと顔を輝かせた。
「じゃあさ、もう一度」
しゃがみ込んでいた体を起こした。そうして、こほん、と咳払いをして、座り込んだままのドクターに手を差し出す。
「色々なことが片付いたら、一緒に冒険に行こう!」
「……ああ」
戸惑いながらもマゼランの手に手を重ねる。ぎゅっと握られ、引っ張り上げられる。キラキラとした目を向けられた。
「約束だよ!」
「ああ」
今度はしっかりと頷く。たとえ未来で嘘になるとしても、しっかりと。
マゼランはそれに嬉しそうに笑うと、ぐいぐいと手を引っ張った。感情のままにスピードを出して、しかし初心者のドクターにはついていけずにコーナーで曲がりきれずに壁にぶつかった。
カエルの潰れたような声を出したドクターに、マゼランは焦った顔をして謝った。ドクターはそれに手を振った。後頭部を掻きながら、彼女を見上げて笑う。
「冒険に行くには、もうすこし練習しないといけないな」
マゼランは一瞬きょとんとした後、笑みをこぼした。
「練習、付き合うよ」
「ああ、よろしく頼む」
ぐい、とまたマゼランに引っ張り上げられた。顔を合わせてどちらともなく笑い出す。不思議そうな顔で通り過ぎていく他の客を横目に、ふたりはしばらくの間、くすくすと笑って合っていた。