【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
饐えた匂いに混じって、血の匂いがする。ヴィグナは眉をひそめて鼻を鳴らした。
ヒリヒリと肌を刺すのは殺気だ。武器と武器がぶつかり合う音がそこかしこから聞こえる。ヴィグナの槍もまた、敵の剣とぶつかり耳障りな音を立てた。
場所はスラムの奥。不測の事態で敵が入り込み、被害を拡大させないためにここで食い止めなければならない。力は拮抗しているが、徐々にロドスに傾いてきている。ドクターの的確な指示のおかげだ。まだ油断はできないが、これまでの経験上、このままいけばそう遠くないうちに決着が付くだろう。
槍を振るう。軌道上にいた敵が避けきれずに傷を負った。その隙きを見逃さずに突く。おそらくこの敵はもう満足に動けまい。ちらりと一瞥して次の敵を探す。
が、混沌とした戦場に予想外のものが現れた。本来ならばいるはずのないもの。思わず目をむく。敵の剣を受け止めながら呻いた。
「な、んでッ、子供がっ!」
ボロ布を身にまとった幼い少女。おそらくスラムの住人だろう。その後ろを追う猟犬を見て、ヴィグナは盛大に顔をしかめた。
運悪く今までの戦闘でうち漏らした猟犬に追い立てられたのだろう。少女のむき出しの肌のあちこちに擦り傷があり、懸命に逃げてきたことが分かる。が、逃げ込んだ先が悪かった。ここは戦場だ。猟犬の牙以外にも、斬撃も、銃弾も飛んでくる。
「くっ!」
腕に力を込めて、槍を無理矢理に押し込んだ。目の前の敵は耐えきれずに倒れ込んだ。それを確認する暇もなく、少女に視線を移す。少女は悲痛に顔を歪めていた。猟犬の牙からかろうじて逃れながら、戦場で右往左往をしている。
と、そこに鈍く光る銀が見えた。少女に振り下ろされる剣の光だ。その剣で切られれば、小さく薄い少女の命など脆く消え去るだろう。
周囲を素早く確認するが、助けに行けそうな仲間はいない。誰もが目の前の敵の相手で精一杯のようだった。
反射のようなものだった。弾かれるようにヴィグナは駆け出した。背中から味方の呼ぶ声が聞こえる。戻ってこいと叫んでいる。けれど、でも。
ヴィグナは腕を伸ばした。無理な体制で槍を突き出す。わずかに剣の軌道が鈍る。が、それとは別に風切り音と共に矢が飛んできた。間に合わない。少女の肩に突き刺さる。次いで体制を立て直した敵が、また剣を光らせた。今度は間に合った。ヴィグナは敵と少女の間に体を割り込ませた。
「────っ!」
鮮血が舞う。腕を切られれた。──だが命はどちらも無事だ。
槍を握り直す。今の態勢から敵に攻撃は難しい。どうにか態勢を立て直さねば、助かった命も危うくなる。焦りで視野が狭くなる。抱きしめた少女の体から血が滴って、ヴィグナの手を濡らした。
三度目。剣が光る。
痛みを覚悟する。けれどただではやられるつもりはない。槍を強く握りしめる。──が。
キィン、と金属の甲高い音がして影が差した。その奥で敵が倒れている。
ヴィグナをかばうように立つのは味方だった。飛んでくる矢を器用に撃ち落として、振り返る。
「無事か?」
「っ、はいっ!」
腕を切られたが、戦えぬほどではない。返事をするとそのひとは一つ頷いて、別の場所を向いた。視線を追う。そして目を見開いた。
ヴィグナの抜けた穴から、敵が入り込んでいた。陣形が崩れ、味方たちは苦戦して苦しげな表情を浮かべている。このままでは押し負ける。それが分かった。
「その子は私が預かろう。行きなさい」
「っ、よろしくおねがいします!」
技量はヴィグナよりも相手の方が上だ。ヴィグナには少女を守りながらこの戦場を戦えるだけの力を持っていない。一瞬の逡巡の後、ヴィグナは走り出した。今はやれることをやらねばならない。まずはほころびた穴を埋めなければ。
間に合わないのでは、と脳裏に浮かんだ不安を考えないようにして、ヴィグナは地面を蹴った。
■ ■ ■
医務室の外。廊下に置かれた長椅子に腰掛けて、ヴィグナはぼんやりと蛍光灯を見上げていた。しばらくすると、がらりと医務室の扉が開き、ドクターが顔を出した。そのまま二言三言話した後、廊下へ出てくる。ドクターはヴィグナの視線を受けて安心させるように笑った。
「あの子は大丈夫だ。出血は酷かったが、数日治療を受ければ帰れるそうだ」
ヴィグナは強ばっていた体の力を少しだけ抜いた。安心はしたものの、気分は思ったほど上がらなかった。浮かない顔のまま、自分の腕の包帯に目をやる。
スラムでの戦闘は、辛勝だった。勝たねば後のない戦いで、なんとか勝利は掴めた。が、しかしその勝利の対価に多くの味方が傷を負った。皆、辛うじて立ってはいたものの、体のどこかしらからは血を滴らせていた。負傷者多数、重傷者数名。
損傷の原因はヴィグナだった。あの時ヴィグナが飛び出したから、戦線が崩れて陣形が崩壊した。
間違った選択はしていなかった、と今でも思う。次があってもヴィグナはきっとまた子供の前に飛び出すだろう。
けれど。ぎゅう、と包帯を巻いた腕を握る。じわりと血が滲み出した。
「あたしのせい……」
低い声が喉から漏れた。そうだ、これらの損害はヴィグナのせいだった。
ふう、と目の前に立つドクターが息を吐いて、ヴィグナはびくりと震えた。
「そうだな、あの時、君が持ち場から離れなければ、これほど多くの損害は出なかっただろう」
冷静で冷徹な声がヴィグナの胸を抉る。反論する気はなかった。心臓が痛い。けれどほっとしているのも確かだった。
ドクターにとって、ヴィグナは生意気なやつだろう。ドクターに対して、ヴィグナは出会った頃からあまり友好的に接しなかった。他の者には礼儀正しいのに、ドクター相手にはそうではない。牽制のようなつもりだった。一言でもヴィグナがサルカズであること、鉱石病であることを理由にひどいことを言ったならば、噛み付くつもりだった。仲間のためにも自分がそうするべきだと思っていたのだ。思い返すに失礼な態度だった。ヴィグナがドクターの立場だったならば、怒っていただろう。
けれどそんなヴィグナをドクターは苦笑して受け入れた。ヴィグナの光らせる目から、不信を拭っていった。信頼を勝ち取っていった。そしていつしかヴィグナは品行方正な外面を被り直す暇さえなく、ドクターと本音でやり取りするようになった。
ドクターは優しい。ヴィグナの望むものが分かっている。だから、言ってくれたのだ。責める言葉を。ヴィグナは誰かに責められたかった。君のせいだと。味方たちは肩を丸めるヴィグナの背を気にするなと言うように叩くばかりで、だれも責めてくれなかった。
「だが──」
ドクターの言葉に顔を上げる。
「だが、君の行いが間違っていたわけではない。君がああしなければ、あの子は死んでいただろう。我々はあの場で勝たねばならなかったが、だからといって失われて良い生命などない。君のせいではない。きっと君が動かなければ、別の誰かが動いていただろう。それに、そんなことを言うならば、私がもっと適切な指示を出せれば……」
「ドクターのせいじゃない!」
ドクターは精一杯のことをした。誰も失わずに帰ってこれたのは、ドクターの指揮のおかげだった。
噛み付くように言ったヴィグナの頭を、ドクターは分かっているじゃないか、というように撫でた。普段よりも荒い仕草だった。いつもならば背が伸びなくなると苦言を呈するヴィグナだったが、このときばかりはうつむいて肩を小さく震わせるだけだった。
他人の熱がひどく暖かかった。目頭が勝手に熱くなる。
「ドクター……」
「どうした?」
唇を噛みしめる。それでも嗚咽が漏れた。頭に乗るドクターの手の熱に背中を押されるようにして、喉奥から言葉を出した。
「ドクター、あたし、もっと強くなるから」
うつむいた目から熱い雫が落ちた。ズボンに染みができる。それがひとつ、ふたつと増えていく。
ヴィグナは勢いよく顔を上げた。濡れた顔をドクターに見られることになるが、そんなことは気にならなかった。ドクターを睨みつける。宣言するように吠えた。
「もっと、もっと、強くなるからッ!」
次にこんなことがあっても、護れるように。子供も、仲間も護れるように。
ヴィグナの宣言にドクターは目を細めると、ひとつ頷いた。そして「期待している」という言葉と共に、上着を脱いでヴィグナの頭から被せた。ヴィグナは泣き顔を他に見せたくないだろうと思ったのだろう。実際その通りだった。
ドクターは抱きしめも、慰めもせずに、ただヴィグナの隣に座った。けれどヴィグナはそれで良かった。それだけで十分だった。
ヴィグナはドクターに護ってもらうような存在じゃない。一緒に戦う存在だから。