【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
その日、ドクターの機嫌はかつてなく良かった。執務机に置かれた書類を手際よくさばきながら、今にも鼻歌を歌いそうな上機嫌さだ。時折ちらりちらりと部屋の角──給湯室へ向かう。
ある程度切りの良いところまで仕事を進めると、もう待てないというように立ち上がった。机の上を手早く片付けて、一直線に給湯室へ入った。
その隅に置かれている一人用の小さな冷蔵庫の前にしゃがみ込んで、ゆっくりと開く。
中には、白い箱があった。表面には有名菓子店のロゴ。ドクターがずっと食べてみたいと思っていたシュークリームだ。それも二つ。
日々、脳を酷使するドクターは、仕事の合間に甘い菓子をよく食べる。始めはなんの変哲もない飴を舐めていたのだが、どうせならば美味しいものを食べたいと思うのも仕方がないことだろう。いつしか菓子に凝るようになった。
ドクターは冷蔵庫の中に確かに目的のものがあることを確認し満足気に頷くと、ぱたりと扉を締めた。これを食べるためには、それに相応しい紅茶を入れねばならない。
と、そんなドクターの肩を叩くものがあった。びくりと震える。
「!」
「ドクター」
平坦な声が呼ぶ。振り向いた先には、感情の灯らぬ表情の女性がいた。フィリオプシスだ。
「こちら、アクセス申請されていた書類です。許可が下りたため、フィリオプシスが持参しました」
淡々と差し出された書類を反射的に受け取って、ちらりと顔色を窺う。彼女はいつもと変らない無表情で、しかし心なしか目が輝いているように見える。
これはどちらだろうか。……見られたか? み、見られていないのか……!?
戦々恐々と慄くドクターをよそに、眉一つ動かさずフィリオプシスの口がまた開いた。
「ドクター、先程フィリオプシスの外部カメラが白い箱を捉えました。ロゴの形から砂糖を主とした高エネルギー補給食と推察されます」
ドクターはそこでそっと目を瞑った。どうやら祈りは通じなかったらしい。バッチリ、しっかり、見られていた。
「フィリオプシスの記録では、ドクターは過度の砂糖を主成分としたエネルギー摂取を制限されていたはずです」
そう、彼女の言う通りドクターは砂糖の取り過ぎを注意されていた。思考を回すためにブドウ糖を、と菓子を食べていたが、この間の健康診断で注意されたのだ。それから真面目に量は減らしていたのだが、今日用意した菓子は格別である。そして今日許された量はすでに食べ終えていた。しかし、取り上げられることだけは避けたい。
戦場もかくやというほど高速で思考を回し始めたドクターに、しかしフィリオプシスは予想外のことを言った。
「ところでドクター。フィリオプシスの演算能力の向上のため、現在エネルギー補給を推奨しています」
「──は?」
驚きで思わず彼女の顔をまじまじと見る。しかし変らずフィリオプシスの顔には表情が浮かんでいなかった。
自分は果たして何を言われているのかと、つい思考を止めたドクターに、彼女は流れる水のように声音に変化なく言葉を重ねる。
「箱の形状から、複数個入っていると推察されます。予測。その中の半数をフィリオプシスに移譲した場合、システムはエネルギー分解に多大なリソースが割かれるため、一時的に外部カメラの使用が停止されます」
「……それは、」
分ければこのことは目を瞑っていくれるということか? ドクターのその問いを、フィリオプシスは変わらぬ無表情で肯定した。
カップから立ち上る芳醇な香りが部屋へ広がる。ドクターとフィリオプシスは、紅茶とシュークリームが対で置かれた机を前に、互いに向かい合っていた。
彼女に時間があるかと聞いたところ、半時程度ならば問題ないとのことだったので、当初の予定通り紅茶を入れて、本格的にお菓子の時間を楽しむことにしたのだ。
ドクターはシュークリームを手にとって、ゆっくりと口に含んだ。硬めの皮に歯を立てると、ぽってりとしたクリームが顔をのぞかせた。数度噛むと口の中いっぱいに程よい甘みが広がり、バニラビーンズの香りが鼻を抜ける。
「……美味しい」
思わず称賛が口に出る。紅茶を一口飲んで、ほう、と息を吐いた。
向かいのフィリオプシスの様子を窺うと、彼女は変らず無表情なものの、かすかに頬が上気しているように見える。どうやらお気に召したらしい。
視線に気付いたのか、彼女がシュークリームを手に持ったまま顔を上げた。その頬を見て、ドクターは小さく笑う。
「フィリオプシス」
名を読んで、そして自分の頬をとんとんと叩いた。始めはキョトンとしていたフィリオプシスだが、数度瞬く内に自分の頬にクリームが付いていることに気付いた。そして何を思ったのか、ちろりと舌を伸ばすとそれを舐め取った。
彼女の思わぬ対応方法に、ドクターは目を丸くする。普通に手で取るか、ハンカチでも出して拭き取ると思っていた。あるいは指で拭うか。しかし、まさか子供のように横着に舌で舐め取るとは。
まったく、彼女には驚かされる。口止め料に菓子を要求してくるところだったり、こういった小さな仕草だったり。フィリオプシスの口調があまりにも平坦だから、その内実も同じように起伏がないのかと思いきや、そんなことはない。そういえば昇進直後に『ロドスのデータベースを初期化します』などと、中々に心臓が跳ねる冗談を言われたこともあった。彼女は意外とお茶目なところがあるのだ。
フィリオプシスのかつての言動を思い出して、ドクターは喉の奥で笑った。
そんなこんなで交わす言葉は少ないものの、和やかに菓子は互いの腹に収まった。会話があまりなかったのは、フィリオプシスが相手だったからというよりは、美味しいものの前では互いにあまり喋らずに目の前のものに集中する質というのが大きいが。
菓子を貰った礼にと、片付けを買って出たフィリオプシスに食器と空箱の証拠隠滅は任せた。特に空箱がこの部屋のゴミ箱から見つかるのは不味い。彼女がよしなにやってくれるだろう。
すべてを終えたらしい彼女が、退出の挨拶に来る。それに「書類をありがとう」と礼を言いつつ見送る。
扉から出る直前、言い忘れたものがあるとでもいうようにフィリオプシスはくるりと振り返った。
「ドクター、もしもまたエネルギー補給食の処分の予定がありましたら、フィリオプシスに連絡ください。協力できると推測されます」
「……ああ、そうだな、また」
フィリオプシスの目はきらりと光ったように見えた。そして一礼して去っていく。その足取りは心なしか軽いように感じる。
彼女の背を見送って、思わず小さく笑い声を上げた。どうやらフィリオプシスはドクターが思っていた以上に喜んでいたらしい。
せっかく彼女から次のお誘いを貰ったのだ。今日ほどのものは中々手に入らないだろうが、そのうちにまた何か良いものを見つけて、一緒に食べないかと誘おう。そう思った。