【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
「っと、ごめん」
どん、と人とぶつかる。気の弱い相手だったのかあちらに非はないのに、ぺこぺこと頭を下げられた。それにロープも頭を下げ返した。なんでもない顔で別れたロープの手の中には袋に入った菓子──スタミナバーが握られていた。先ほどの相手から拝借したものだ。
「なんだこれ」
ぶつかった隙に懐を探って財布でも端末でもない妙な感触だから抜き取ってみたのだが、なんというか拍子抜けである。随分と草臥れた様子であったし、もしかしたら補給食だったのかもしれない。あの場で返せばよかったのだが、相手は人混みに紛れてもうどこに行ったか分からない。ロープはしばし考え込んだ後、捨てるのも忍びないため腹に収めることにした。証拠隠滅とも言う。
街を歩きながらかぶりつく。味は悪くない。銘柄を覚えておこう。そう考えながらも、ロープの視線は周囲の人々の様子を観察していた。
財布をどこにしまったか。意識がどこに向いているか。体つきはどうか。手を伸ばしやすい服装か。
瞬きの間に情報を収集して、こうすれば容易く盗れるというのをシミュレーションする。先ほどのようにぶつかって、あるいは別に意識が行っているうちに忍び寄って、あるいは笑顔で近づいて話をしている間に。
想像の中のロープは、あっという間に財布や、端末や、その他金目の物を盗み取った。重い戦利品たちをなんでもない顔で懐に収めている。
「……」
実際にロープの手の中にあるのは、食べ終わったスタミナバーの抜け殻だけ。ロープは白けた顔になるとぽいっと近くのゴミ箱にその屑を放り入れて、また歩き出した。今度はとっさに動いてしまうことを防ぐために、手をポケットに入れる。
物を盗むことはロープにとって、普通の人間が朝起きすぐ顔を洗うようなものだ。つまり当たり前のことだった。
ロープはロドスに入るまでスラムで暮らしていた。スラムでの暮らしは快適とは言い難いものだった。硬い寝床。気が休まらない日々。食事も、自分で調達しなければ。誰かが施してくれることはない。
ロープのような子供が生きていくためには、盗みを働くのが一番早かった。与えられないのならば、奪うしかない。そうしなければ生きていけなかった。
幸いと言っていいのか分からないが、ロープは器用だった。明らかにヤバいブツは避けたし、たまにヘマをして警察に捕まっても重い罰を受けるような物には手を出さない。それにロープは、牢屋は嫌いではなかった。安全な場所で、食事も出てくるから。思想教育をされるのだけは嫌だったけれど。
何度も警察の世話になって、ロープは彼らと顔馴染みになった。自分の盗みの技術はかなりのものだという自負もあった。いつか補佐として彼らにスカウトされるかもしれない、なんて思ったこともある。それでスラムから抜け出せるかもしれない、と。
けれど今、ロープはロドスにいる。顔馴染みだった警官の一人に、ロープは特殊な人材だとして「売られた」のだ。
今では分かる。ロープは警官の補佐になどなれなかった。警官は盗みをしてはならない。後ろ暗いところがあっては、市民の信頼を勝ち取れないからだ。けれどもしも裏の顔を持つ警官がいたとしたら、ロープの技術が望まれるのはそういった輩だろう。そうなったならばきっと、後ろ暗い仕事を任せられて、今頃冷たい路地裏に転がされていたかもしれない。
だからロドスに「売られた」のは、悪いことではなかった。馴染むまでに随分と時間は掛かったけれど。
ロドスでは、ロープの行いを嫌悪するものは少ない。無意識のうちに手を動かしてしまっても、お詫びと返却だけを要求される。正直に言うと、かなり戸惑った。
ロープの身につけた悪癖は、一般的に見て許されざるもので、嫌悪されるものである、という認識は持っている。ただ生きるために必要で、誰も自分を救ってくれないのならば、自分で自分を救うしかなかっただけで。
「あ、かわいい……」
ふと顔を向けたアクセサリーショップの店頭に、可愛らしい髪留めが陳列されているのが目に入った。無意識のうちに周囲を見回して、店員と客の位置を確認する。今ならば容易く盗むことができる。
しかしロープは髪留めを手に取ると、店内に入った。しっかりとそれを掴んだ手元を見せながら、他のものも物色する。
随分と前だが、ドクター──ロドスのトップのひとりだ──に、値札が付いたままのアクセサリーを渡したことがある。ロープの給料ではとても買えないような値段のものだ。賄賂のようなものだった。ちょっとしたお近づきのつもりだった。
けれどドクターは、それを受け取ると困ったような顔をして「返してくるんだ」と言った。「無理だったら、一緒に謝りに行こう」と。結局ロープは盗む時の何倍もの時間を掛けて、そのアクセサリーを店に戻した。そう報告すると「うん」と頷いて、優しげな目で、今までロープが向けられたことのないような目で見つめられた。なんだかむず痒くて頬に熱を持ったのを覚えている。
ロドスには、ロープの技術を買われたのだと思っていた。『盗み』の技術を。仲間にそれを使うのはいけないが、そうでないのであればむしろ望まれるのではと思っていた。が、そうではなかった。
ロドスに来てから、ロープは戸惑うことが多い。技術を買われてきたはずなのに、求められるのはロープからすれば真人間のような仕事だ。盗みが悪いことは知っている。糾弾されれば「そうしないと生きていけなかったから」と答えたけれど、その実、自分の技術に少なからずプライドもあったのだ。けれどロドスで盗むための技術は、戦うための技術に変わっていっている。かつて直接的に己の生命を救った技術が失われ変化していくのが恐ろしいような、そうでないような。〝普通〟に生きられるかもしれないことに、くすぐったさを感じる。〝普通〟のためには盗みの技術などない方がいいのは分かっているけれど、しかしこれが今まで自分を救ってくれたのは事実で。ロープの悪癖が完全になくなるのはまだまだ掛かりそうだった。──だが。
「これ、お願い」
店内を見回って、結局はじめのアクセサリーだけ、レジに出した。金額を提示されて、財布を取り出して支払う。包装紙に包まれたそれが、ロープの手元に渡った。じん、と胸がしびれるような心地がする。
これでもう、これはロープのものだ。
盗んだときとは違った充足が胸を支配する。後ろ暗さのないその所有に、ロープは小さく微笑んだ。
普通の女の子になるのは無理だと思っていた。ロープには似合わない。でも、ちょっとばかり変なことをしても、笑って受け入れてくれる人がいるから。
うっかりと落とさないように紙袋を懐の奥に入れて、足取り軽く店を出た。どうせだからドクターに菓子でも買って帰ろうと思う。医療部から菓子は制限されているようだけれど、ほんの少しだったら大丈夫だろう。今日買った髪留めを付けたら、あの人は気づくだろうか。