【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
「ケオベ? なにをしているんだ?」
ちょっとした散歩の帰りだった。
うららかな午後の日差しが世界を光で埋めている。日陰の下はそれほどではないが、遮るもののない場所ではちりちりと太陽が肌を焼くようだった。首筋を流れる汗に不快を感じながら、ドクターは中庭で地面にしゃがみ込んでいる少女に声をかけた。
一瞬、具合でも悪いのかと思ったが、近づけば違うことが分かった。顔には楽しげな笑みが浮かんでおり、ペッローの特徴的な尖った耳は機嫌が良さそうにピルピルと動いている。
近くに影ができたことで分かったのか、ケオベは顔をあげた。そしてドクターを認めると嬉しげに尻尾を振る。「ドクター!」喜色に溢れた声に、呼んだ方もつい相好を崩してしまう。
「それで? なにをしているんだ?」
「これ、見てる」
「これ?」
「アリのギョウレツ」
ケオベが指差した先には、黒い糸のようなものがあった。蟻の列だ。どうやら蟻の巣の近くに誰かが食べ物を落としたらしい。パンか何かだろうか? もうほとんど元の形が分からないほど崩されている。黒々とした蟻たちは蠢きながら、せっせと巣に食べ物を運んでいた。
ケオベの隣にしゃがみ込む。太陽に焼かれた地面の上を、蟻たちはそんなものは意に介さないとでもいうように行き来していた。体を動かすことを楽しむ傾向にある彼女が、こんなふうにひとところにじっとしているとは。そうするだけの魅力がそれにはあるようだった。
じいっ、と黒い行列を見つめる。人々の喧騒は遠く、気だるい午後の安寧がある。刺すような日差しに滲む汗は不快だが、ときおり風が鳴らす葉擦れの音は心地よかった。瞬きの間にもほとんど進まない行列は、しかし確実に動いていた。
「これは……永遠に見てられるな……」
例えるならば雲を見上げるような、あるいは振り子時計を眺めるようなそれ。時間が引き伸ばされ、頭を悩ませていた瑣末事が消える。ドクターの言葉に、隣のケオベがうんうんと頷いた。
そうしてどれくらい経っただろうか。ドクターが来た時点でほとんど消えていた行列の先の「宝」がなくなった。蟻たちはかつてそれがあった場所をうろうろとするが、目当てのものが見つからずに行列は解けるようにぎくしゃくとしたものになる。このままでいればそう時間も経たずに行列は解散するだろう。
惜しく思う。そしてそれはケオベも同じだったのか、「おかわり」はないかぱたぱたと服を探った。出てきたのは白い袋。かつては膨らんでいただろうそれは、今はぺったりとしぼんでいる。覗き込んだ中には彼女の好物のはちみつクッキーがひとつあった。
それを「おかわり」にするのかと思ったが、しかしケオベは難しい顔で黙り込んだ。そうして袋の中を覗き込んで百面相をする。ドクターは思わず吹き出しそうになった。
口に出されずとも彼女の考えはなんとなく分かる。彼女は自分の好物を蟻に差し出すのが惜しいのだろう。
ケオベは大概のものを「おいしい」と言って食べる。他には不評なドクターのゲテモノおやつ──蠍のミイラや蛙の揚げ物──も同じく「おいしい」と食す。が、ただひとつ、彼女が強いこだわりを持つ食べ物があった。それがこの「はちみつクッキー」だ。
なぜか彼女は特定のオペレーター──ラヴァ、ヴァルカン、そしてマッターホルン──が焼いたはちみつクッキーしか食べない。同じ材料で支援部の凄腕シェフが焼いたものでも、一口すら口にしないのだ。ほかはなんでも美味しいと食べるのに。
つまりそんなこだわる大切な好物を楽しみとはいえ、自分以外の、しかも蟻に与えるのは惜しいと考えているのだろう。袋の中に手を入れて、でも、というようになにも掴まずに手を出す。むっと眉間に皺を寄せるケオベを見て、ドクターは微笑ましく思った。そして自分の懐を探る。さて、なにかなかっただろうか。
つい先程ストックしていた菓子を食べてしまったから、期待できないかもしれない。だがドクターの指はかさり、となにかを引っ掻いた。取り出してみるとそれはいったいいつから入っていたのか分からない飴玉だった。包装はくしゃくしゃになっていて、おそらく中の飴も溶けている。しかし蟻はそんなことは気にしないだろう。ドクターはケオベに飴を渡した。
「ありがとう!」
彼女はにっこりと受け取ると、さっそく中身を取り出して粉々にする。そうして地面へ置く。
散り始めていた蟻たちは「おかわり」の存在に気づくと、再び収束するように列を作り始めた。それを確認すると、ケオベはドクターに目を合わせた。
「お礼にこれあげる!」
そうして差し出されたのは半分に割られたはちみつクッキー。もう半分をぱくりと口に放り込んでひどく嬉しそうに笑う。ドクターも同じように口に入れて「おいしい」と呟くと、彼女の表情はますます明るくなった。
その様子にドクターは喉の奥で笑った。蟻にくれてやるには惜しくて、自分に渡す分にはそうではないらしい。くすくすと笑うドクターを不思議そうに見るケオベの頭を撫でて、おもむろに自分の被っていた帽子──外に出るならと渡されたもの──をその上に乗せた。ドクターの休憩時間はそろそろ終わりだ。
「ちゃんと水分もとるんだぞ」
日はまだ高い。額に滲む汗を拭いながら、ドクターは立ち上がった。ケオベはその言葉に頷くと、また地面の黒い行列に目を落とす。
建物に入る前にもう一度振り返る。今度は別の職員に話しかけられているようだった。しばらくすると、その職員も先程のドクターのようにケオベの隣にしゃがみ込む。それは先程の引き写しのようで、ドクターは思わず口を開けて笑った。