【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
「グレースロート、次は医療棟に行く」
ドクターから発せられたその言葉に、眉間に深く皺を寄せた。むっつりと黙り込んでいると、ドクターはなんの色も感じさせない声で「君はここで待っていてもいいが」と続けた。それに更に口元を曲げる。
「……私はあんたの護衛なんだから、そんなわけにいかないでしょ」
「そうか、それならよろしく頼む」
正直なところ、遠慮したい。だが自分で行ったとおり、そんなわけにもいかない。はあ、とため息を吐いてドクターに続く。
グレースロートは鉱石病を恐れている。源石に触れるのは恐ろしいし、それは感染者についても同じだった。それは幼い頃に植え付けられた恐怖だ。
両親は鉱石病の優秀な研究者だった。彼らは感染者の患者たちを助けてきた。グレースロートはそれを見て育った。
尊敬していた。両親は患者たちにも感謝されて、彼らを手伝うグレースロートも良い子だと頭を撫でられることもあった。友達もいた。診療所で出会った鉱石病の子だ。あの頃はこんなことになるとは思っていなかった。
辛いことがなかったわけではない。ただそれ以上の幸いがあって、躓くことがあれど、この先もこの道が続いていくのだと思っていた。
けれどある日、そんなグレースロートの幸せな世界は粉々に砕けた。
感染者たちが突如として暴徒と化し、暴れたのだ。混乱の中、手を繋いでいたはずの父は人波にのまれた。もう片方を繋いでいた母の手が、徐々に冷たくなっていったのを覚えている。彼女の顔は見れなかった。グレースロートの目には狂気に身を宿す感染者たちが見えていた。つい数日前まで、笑顔で自分と話していた相手がまるで狂ったように暴れている。「いい子だ」とグレースロートの頭を撫でた手で、人を殴っていた。友達だったあの子も、哄笑を上げて街を壊していた。
意味が分からなかった。理解できなかった。そして今もなお、咀嚼できずにいる。
生き残ったグレースロートは母に手を引かれて、ロドスに預けられた。母は去っていった。今は彼女がなにをしているのかは知らない。彼女の目に宿る狂気に、掛けるべき言葉を見つけられなかった。
ロドスに来たからといって、安寧が戻ることはなかった。グレースロートはあの化け物たちの記憶に苦しめられた。鉱石病が怖かった。感染者たちが恐ろしくてたまらなかった。どうしてここの人たちは彼らに恐れないのか、理解できなかった。
彼らが恐ろしいかと何度も聞かれたことがある。どうして恐れないことがあるのだろうか。誤って源石に触れただけで、手をえぐってしまいたくなるほど怖いのに。
医療棟に近づくにつれ、グレースロートの足は重くなった。しかし今日の自分の任務はドクターの護衛だ。遅れることは許されない。
これでも以前よりはずっとマシになった。ある任務を終えて、グレースロートは変わった。拒絶するばかりだった感染者と、会話をするようになった。彼らもまた自分と同じ人間なのだと、化け物ではないのだと知ったからだ。それでも恐怖は拭えなかったけれど。
今でも感染者の近くに寄れない。触れると手が震える。けれど話すことはできる。それは自分に必要なことだったとグレースロートは理解していた。
深く息を吐いて覚悟を決める。ちらりとドクターがグレースロートを振り返って、問題ないことを確認すると医療棟の扉を開けた。
医療棟での用事は思ったより呆気なく終わった。書類の引き渡しに、現状の共有、ちょっとした世間話。そのいずれもグレースロートは口を開くことなく、ドクターの後方で控えているだけでよかった。職員の目は友好的とは言い難かったが──グレースロートは鉱石病を研究するロドスに在籍しているのに関わらず、感染者を忌避するその尖った性格からあまり良い目で見られていなかった──、それを当然と無視できる程度にはグレースロートは図太かった。最近は少しずつ改善してきているとはいえ、やはりまだ風当たりは強い。
さあ帰るかとドクターに続いて部屋を出た時だった。
「ドクター……!」
ぱっと顔を輝かせた小さな子どもが駆けてきた。少女は白い検査衣を着いる。ここの患者なのだろう。彼女は嬉しそうにドクターの服をつまんだ。服から伸びる手首には石が突き出ていて、グレースロートは一瞬身じろぎをした。感染者だ。
ドクターの方も彼女に見覚えがあるのか、「どうした?」と笑顔でしゃがみこんで名を呼んだ。「えっとね、」と幼くまろい頬を紅く染めて、これと突き出したものにドクターは目を瞬かせたようだった。
それは紙で作られた鳥のようだった。極東の国で〝オリガミ〟と呼ばれるそれで、少女が言うにはペンギンらしい。確かに言われてみるとデフォルメされた海の狩人だ。
「へえ、どうしたの?」
「えへへ、作ったの」
どうやら少女は見舞いに来た職員のひとりに折り方を教わったらしい。暇にまかせて折っていたが周囲にあげてみると喜んでくれたから、と色々と種類を作ったのだという。
ドクターは礼を言って少女の頭を撫でた。くふくふと嬉しげに少女は笑う。グレースロートはそれをぼんやりと眺めていた。源石が突き出るほどの感染者に触れるドクターに少しの不安を感じたが、この程度の接触ならば問題ないと知識が教えてくれる。気づかれぬように息を吐いて、拳を握る。頭の片隅でこれが終わればここから出れると考えていた。だから、少女の言葉にとっさに反応できなかった。
「お姉さんも」
「……え?」
自分を見上げる子供を見つめ返す。きっとグレースロートの評判を誰からも聞いていないのだろう、純粋な目だった。
「どれがいい?」
少女は手に持つ袋から紙を取り出した。蝶にクジラに、ネズミ。色々な形のそれら。グレースロートは喉が乾くを感じた。緊張で体がこわばる。しかし期待に満ちた瞳を向ける子どもを拒絶することはできなかった。ドクターから気遣うような視線を感じる。グレースロートは大丈夫だと小さく頷いてみせて、息を吸った。
「じゃあ、これ……」
「ツバメね!」
なにが嬉しいのか少女は満面の笑みを浮かべると、「はい」と小さな手で渡してきた。それを受け取って、ぎこちなく笑みを浮かべると「よくできている」と褒めた。それだけで少女はきゃらきゃらと笑った。
息を吸う。息を吐く。
グレースロートは震える手を少女に伸ばした。きょとんとした顔の子どもの頭に手を置くと、慣れない手付きで動かす。頭を撫でるというよりも、髪に小さく触れるような密やかなそれ。けれど子どもはそれを喜んだ。
ひとしきりきゃっきゃと笑うと、来た時と同じ唐突さで「ばいばーい」と手を振って去っていった。それにドクターは同じように手を振って、グレースロートは引きつった笑みを浮かべて見送った。
「グレースロート」
ぽん、とドクターに背中を叩かれる。柔らかな目が自分を見ていた。その目に、先程の自分の対応が間違いではなかったとほっと息を吐いた。
少女を撫でた己の手はいまだ震えている。それでもあの行動は誰に強要されたわけではなく、グレースロートが選択したものだった。ぎゅう、と手を握りしめる。小さく振動するそれを感じながら、グレースロートはドクターの後を追った。
──その日、グレースロートの部屋のコルクボードに少女に手渡されたそれ──ツバメの形をオリガミが貼り付けられた。