【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
「ドクター!」
横スライドのドアが開いた瞬間、弾丸のように入ってきた者がいた。呼ばれたそのひとはびくりと肩を揺らすと万年筆を持ちながら驚いたように目を瞬かせる。
「イフリータ?」
煌々と白く輝く蛍光灯が執務机に腰掛けるドクターと機嫌よく笑う勝ち気な少女を照らす。
ぴっちりと閉められたブラインドの外はとっくのとうに闇に沈んでいた。ロドスの中では大人たちはともかくとして、子どもたちはベッドに入り始める時間だ。食堂だってもう明かりを落としている。
「どうやって入ったんだ?」
入り口には護衛が立っていたはずである。止められなかったのだろうか。
言外に含まれた言葉を察してイフリータは口を開こうとした。が、答える前にまたドアが開いた。入ってきたのは先程イフリータが話したドクターの護衛だ。護衛はにこにこと笑って「今日はサイレンスさんが遅いらしいですよ」と言った。
イフリータはそのとおり、というように頷いてみせた。先程自分が話した内容だ。だからここに来た。護衛は一度はイフリータを阻んだが、きちんとなぜドクターを訪ねたかを話すと「どうぞ」と通れるように避けてくれたのだ。
「まだ執務中だ」
「そろそろ終わりにしませんと。明日は久しぶりに休暇を取って遊びに出るって言ってませんでした? 今のままじゃ、目をしょぼつかせて行くことになりますよ」
イフリータは自分がていのいい業務終了のダシに使われたことに気づかずに、早く小難しい話が終わらないだろうかとぴょこぴょことリズムよくつま先立ちになりながら待っていた。
しばらくの間、渋い顔で護衛を睨みつけていたドクターは、しかし相手が引かないことを理解すると諦めたように肩から力を抜いた。それが合図でぱっと顔を輝かせる。
「なあドクター! 本を読んでくれ!」
「はいはい」
イフリータはいつも寝る前に絵本を読んでもらう。いつもだったら保護者であるサイレンスがやってくれるのだが、今日のように彼女が遅いときにはドクターに頼んだりする。ドクターははいはい、と頷くと執務用の一人椅子から立ち上がりソファに座った。ぽんぽんと隣を叩く。促されるままにイフリータはそこに座った。少しだけ空いていた隙間を埋めるように尻をスライドさせてぴっとりとくっつく。ドクターは苦笑するとイフリータの頭をかき混ぜた。
「それじゃあ……」
そう言ってなぜだかイフリータが持ってきた絵本とは別の紙を手に取る。イフリータも覗き込むがまだ習ってない文字がいくつもあって読めない。ドクターはごほん、とわざとらしく咳をして口を開いた。
「〝XXXX年XX月XX日。6:30 a.m.〟」
「?」
「〝朝/荒野。天候/晴れ。敵勢力の──〟」
「!! それ書類だろ! ちげぇよ! こっちだ!」
しれっと仕事の続きをしようとしたドクターにイフリータは絵本を手に掲げる。ぽこぽこと叩くとドクターは「悪い悪い」とまったく悪く思っていなさそうな顔で書類を机に置いて絵本を受け取った。ドクターはこうやって時折ふざけてからかうのだから、油断ならない。むーっと頬を膨らませているとまた頭を撫でられる。それで癇癪の芽はしゅるしゅるとしぼんだ。ドクターは改めて絵本を手に取ると、口を開いた。イフリータは期待に目を輝かせる。
イフリータはこくりこくりと船を漕ぎながら、暖かな腕に頬をこすりつけた。ドクターの声がどこか遠くに聞こえる。絵本はもう五周目だ。一度だけでは満足できずに「もう一度」を数度繰り返した。はじめは目をランランとさせて聞いていたけれど、次第にまぶたが重くなってくる。
ドクターの腕にぐりぐりと頭を押し付ける。気づいたドクターが髪を梳かすようにして頭を撫でた。いつものぐりぐりとするような──イフリータは度々「縮むから、体重をかけるな!」と怒る──それでない。このままでは眠ってしまう。それが嫌で眉間に皺を寄せるが、ふっと息を吐くように笑われると指で丁寧に伸ばされた。「ゔ~……」唸る。それでもドクターの手は離れない。
ひたひたと足の爪先から暖かなものに浸っていく心地がする。ここ──ロドスに来るまではほんの一滴さえも手にすることが難しかったものだ。以前はもっとひりひりとするような日常だった。
けれどそれははじめからそうだったわけではない。
ここにたどり着いた当初は、イフリータは何度も怒られた。挨拶をしろ、物を壊すな、言うことを聞け。サイレンスがそうしてほしいと望むから、なるべくそうした。ただ、できないことも多くあったけれど。
だって、何もかも無条件に言うことを聞いていたら嫌なことをされる。「すごいすごい」と褒めそやすくせに、どこか冷めた目でイフリータを見つめる白衣の者たち。「いやだ」と言うのに、無理矢理に行われること。先程イフリータを称賛した人が、今度はやりたくないと言うイフリータに怒鳴る。
彼らは敵だった。イフリータの味方は片手で数えられるほど。それも次々と欠けていって、最後にはサイレンスしか残らなかった。彼女に手を引かれてたどり着いたロドスでも同じだと思っていた。以前のところよりもマシだけれど、いつ同じようになるか分からなかった。でも、そうならなかった。
『よくやった』
駄目だと言われたこと──不必要なものを燃やさない、自分の判断だけで先走らない、無理をしない──を守って大きな怪我なく帰ってきたイフリータにそう言って、頭を撫でたのはドクターだった。
ずっと、羨ましいと思っていた。イフリータと同じくらい幼いオペレーターたちがねだってドクターに撫でられているのを。
けれど、そう思いながらもドクターを信じきれなかったのはイフリータだ。このひともあの白衣たちと同じく、イフリータにひどいことをするかもしれないと警戒していた。事あるごとに突っかかり、暴言や暴力が飛んでこないか試した。結果、ドクターはそんなことをしなかった。だからこのひとは違うのかもしれない、と思った。でも、最初にひどい態度を取ったのはイフリータだ。イフリータは〝ごめんなさい〟の方法も、〝仲直り〟の方法も知らなかった。
うんうんと悩むイフリータの頭を、しかしドクターは撫でた。『よくやった』。嬉しかった。他の人が言う、口先だけのそれではなくて、しっかりと目を合わせてイフリータをイフリータとして認めて言われた言葉。ぐっと胃の腑が熱くなった。自身の発火現象とはなにか別のものだ。腹の底で火がついた。すべてを燃やし尽くすような業火ではなく、暖かで優しい火だ。
またほしいと思った。このひとに、他の白衣たちのような目を向けられたくないと思った。
ドクターは時にイフリータを叱る。研究施設で育ったイフリータは常識が足りないことがある。いけないと思っても調子に乗ってはしゃいでしまうことがある。ドクターはそのひとつひとつに、どうしてダメなのかを懇切丁寧に教えた。イフリータは半泣きになったり、ふてくされながらそれを聞く。その過程で〝ごめんなさい〟の方法も、〝仲直り〟の方法も教わった。
そうしているうちに、ロドスでの生活は今までになく楽しいものになっていた。同い年くらいの友達もできた。はじめはイフリータを白い目で見てきた白衣たちはやはり苦手だが、前ほどではない。
まぶたが重い。体を支えることができない。ぐらりと傾いだのをそのままに、ドクターにもたれかかる。
笑ったような声が聞こえて、たぶんイフリータを横にしようとしてくれているのだろう。離れようとしてドクターの上着をぎゅっと掴む。戸惑ったような衣擦れの音がして、伸びてきた手が、暖かな手がイフリータの頭を撫でた。無意識にすり寄るように手のひらに押し付ける。
夢の世界の入り口がもう見えている。しばらくもしないうちにその手に甘やかされて、イフリータの意識は溶けて消えた。