【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

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正義のカタチ/アブサント

 正義とはなんだろう。

 あの日、チェルノボーグから救い出されてからずっと、頭から離れない問いかけ。

 アブサントはこの執務室の主が部屋にやってくるまでの間に飲み物を用意しながら、これまでのことを思い返した。

 チェルノボーグの惨劇によって、アブサントの生活は大きく変わった。両親は亡くなり、信じていたはずのものを破壊された。そうして抱いていたはずの信念に疑いを抱いてしまった。

 かつてアブサントの正義の形は父の姿をしていた。警察官として市民を守り、家を守っていた父。いつかは自分も同じ制服に身に纏うことが夢だった。彼のようになりたいと思った。けれどそれもあの日々を経て、変わってしまった。

 レユニオンの侵略は唐突だった。アブサントは訳も分からないまま通っていた学校に閉じ込められて数日。痺れを切らして逃げ出した先で見たのは、破壊された街と、逃げ惑う人々。どこかから火の手が上がっているのか黒い煙が空を覆い、時折遠くに何かが炸裂する音が聞こえた。

 あれが悪夢の始まりだった。暴動が起こり、市民と警察が対立していた。敵はレユニオンであるはずなのに、守るべき市民が警察官を襲い、暴力をふるっていく。混乱のままに出会った知り合いに母の死を聞き、父の後を追い、そうしてたどり着いた先で見たものは──。

 市民は守るもので、暴力をふるってはいけなくて、物を盗んではならない。そう教えられて育った。アブサントもまた、その考えを己の身に浸透させ、疑うことなどなかった。けれどあの場所では、それは火事の前の一滴の水のようなものだった。全く意味のない、無価値なものだった。

 暴動によって破壊された街に天災が降り注ぎ、さらなる混沌を招いた。生き延びた人々は敵味方関係なく、命を繋ぐために食料を求めた。信念を抱いて生きていける場所ではなかった。人々はただ原始的な衝動で行動した。つまり、生きるために暴力や盗みを犯した。そしてそれはアブサントも例外ではない。

 あの時、己の持っていた大切だったはずのもののほとんどすべてが装飾だったのだと知った。極限の場所ではそれらは剥ぎ取られ、身につける道徳を持たない者は獣になる。協力しあえば、共に生き残れたかもしれなかった。あの時アブサントが持つ食料を分け与えていれば、相手には違う未来があったかもしれない。髪を掴まれ目を血走らせて食料を求める者に、与えるべきなのは切り取った髪の一片ではなく、懐に隠し持っていた食料の一欠片だったかもしれない。

 けれどそれも、もうすべてが遅い。

 空っぽの胃を抱えて、歩く力もなくただ空を見上げた。あの時思ったのはなんだっただろうか。もうここで終わるのだと目を閉じる瞬間に、ロドスに救われて、抱いたものは安堵だけではなかった。

 救出されて、あそこで終わるものだと思っていた道が思いがけず続いて、アブサントはそれならば何でもしてやろうと思った。自分などが生き残った意味を、せめてマイナスではなくゼロにできるように返そうと考えた。

 ロドスはあのチェルノボーグのそれとは違った。略奪は起きず、暴力に訴えられることはない。守るべき規律があり、職員たちは皆それを当然のように受け入れている。厳しい状況へ陥っても己の利益を求めるのではなく、従事している役目に忠実に行動する。その末に、信念の元に散る者は全職員に哀悼を持って見送られる。

 なんて場所だろう。まるで現実から隔離された理想の孤島のようだった。

 こんな場所が現実にあるなんて信じられなかった。だって、こんなものがあるならば、こういう人たちがいるのならばなぜ、チェルノボーグはああなったのだろう。父は死んでしまったのだろう。父の信念に意味がなかったために、ああなったのではなかったのか? アブサントがあの地獄で教え込まれた信念の意味を否定し、無意味だと断じる乾いた現実というものが、しかしここにはないようだった。

 アブサントがその事実を咀嚼するのには長い時間がかかった。目の前の現実が夢ではないのだと、たしかに存在するのだと理解して、そうしてしばらくして一度折られた心がうずいた。父は間違いだったのだと、信じて守っていたことは無意味だったのだと、現実に確かな証拠として教え込まれたはずだった。けれどこんな場所があるのならば。

 そうして今、アブサントはかつて無意味だと放り捨てようとしたものを抱いて立っていた。

「おはよう、アブサント」

「ドクター、おはよう」

 はい、これ、と用意していた飲み物を渡すと、微笑んだドクターが礼を言いながらくしゃくしゃとアブサントの頭を撫でる。髪が崩れたが、アブサントは甘んじてそれを受け入れた。かつては短く不揃いだった髪は、今は肩甲骨のあたりまで伸びて整えられている。

 ドクターは父ではない。けれどこのロドスで、父へと向けていた目線と同じものを向けている。

 このひとが言ったのだ。『アブサントが信じてきて守ってきたものは無駄ではない』と。父は間違ってなどいなかったと。ただひとりでは守れないものがあったのだと。

 その言葉を聞いて、アブサントは萎えた心が再び力を取り戻そうとするのを感じた。父の教えは、現実を前にして敗北した。けれど無意味ではなかったのかもしれない。生まれてからあの時まで信じ続けてきたものが、無駄ではなかったのかもしれない。あの時に体を貫く信念を抜かれて、自分の価値もなくなったように感じていた。──だけど。

 ドクターは父のように筋骨隆々というわけではない。むしろその逆だ。普通程度の運動神経はあるが、戦闘を行うには不足が目立つ。しかしドクターはその采配で人々を守る。その言葉でオペレーターたちが奮起する。

 アブサントにとって父は「正義の形」だった。対してドクターは「灯台」だった。道に迷わぬように行く先を照らす灯台。

 いまだ、あの時、どうすれば良かったのか分からない。現実に敗北したことも事実だ。けれど守ってきたものは無意味ではないと信じたい。父の信念は間違いではなかったと信じたい。アブサントの中で父は生きている。このロドスでそう思えた。

 一度疑念を持ってしまった身体を貫く信念に、再び芯を入れられた。曖昧だった地面の踏みしめ方を思い出した。いまだ悩むこともある。それでも前を見据えられるようになった。

 アブサントは窓から差し込む光の眩しさに目を細めた。

 

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