【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

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暴かれる者の心/イースチナ

 虚構の話を読むのが好きだ。物語の世界に耽溺して、煩わしい(うつつ)を忘れて揺蕩う。イースチナはそこから他者の感情を知り、自分の持つものとは異なる価値観を知り、世界を知った。本は娯楽であり、教科書であった。

 今日も本を開いている。ドクターの執務室から拝借したものだ。ドクターが不在であってもこの区画ならば自由に持っていっていい、と言われたためにいくつか選んで持ってきたのだ。

 古い本独特の、どこか甘い匂いが鼻腔をかすめる。ずっと読みたいと思っていたものの、縁がなかった古い探偵小説。読みやすいように改訂を重ねられた子供用のものならば読んだことがあったが、原本──それも初版を読むのは初めてだ。古いだけあってやはり言葉遣いが古臭いが、その時代の匂いが感じられてイースチナは好きだった。

 紙の上で探偵が証拠をひとつひとつ積み重ねて、犯人を追い詰めている。イースチナは動機もトリックもすでに知っていたが、高揚感は変わらずあった。しかし最初の時と違って、思考に余裕がある。ページをめくりながら、別のことを考えていた。

 ──探偵に秘密を暴かれる犯人は、いったいどんな気持ちなのだろう。

 誰にも見つからないように必死に隠してきたものを、白日の下に晒される心境というものは。

 犯人が犯行を犯す理由はいくつかある。

 以前から殺意を持って計画的に行ったもの。そんなつもりはなかったが、やむを得ず手を下したもの。完全に事故のようなもので、気づけば相手が死んでいたもの。

 死体を隠し、凶器を隠し、心も隠す。自分と相手にはなにもなかったのだと、殺意などなかったのだと、不幸にも潰えた命などしなかったのだと、周囲に欺くためにそう演じる、振る舞う。けれど完全に消し去ることはできない。〝殺した〟という事実が、記憶があるために言動が矛盾し、探偵が真実を見抜く糸口を与えることになる。そうして罪が暴かれる。

 完膚なきまでに己の犯行を詳らかにされると、犯人たちは憤ったり、悄然としたり、罪を犯してなお己が正しかったのだと開き直ったりする。あるいは──救われたりもする。長年抱え続けた重い石をやっと下ろすことができたとでもいうように。

 ふと、イースチナは自分はどうだろう、と考えた。探偵に暴かれたとしたら、己はいったいどんな風になるのだろう、と。

 チェルノボーグ事変での出来事は今もなおイースチナを苦しめている。

 あそこで清廉潔白なまま生きられた者はいない。外部からの脅威はなかった代わりに、内部で無理矢理に完結させられていた。レユニオンは学生たちに危害は与えなかったが、学園から出ることを許さなかった。減っていく食料、消える物資。はじめは揃っていた足並みも、追い詰められれば乱れていく。疑心の鬼が巣食い、数日前までは笑い合っていた友に牙をむく。誰もが生きるために必死になって、そのためならばなんでもやるようになる。虚飾なくむき出しになった──されてしまった感情がいかに鋭く醜いものなのかを知った。

 イースチナも例外ではない。あそこではなにもかもが極限で、なにが正解かも分からなかった。ただ選ばされた選択を〝正しかった〟とは今でも言えない。それしか選べなかった。けれどそれは〝正しいこと〟ではなかった。そうして友の命は失われた。

 ロドスに来てからカウンセリングは受けたけれど、そこでイースチナは我が身に起きたことの詳細は口に出さなかった。あの時点ではロドスが信用できなかったのもある。けれどそれだけではない。イースチナには()()()()()()

 それをひとに話すには、準備ができていなかった。口にすることさえおぞましく、言葉にするだけで心臓にある傷口に直接指を入れられるような痛みを覚えるだろう。そしてあのことを話すのならば、()()()()()()()()()()()も話さねばならない。それはイースチナだけではなく、仲間の秘密も──彼らの心臓をもえぐることになる。

 そんなことはできなかった。できなかったのだ。

 けれど、ロドスでの生活に慣れて、あの地獄のようなかつてを、以前よりはずっと落ち着いて思い出せるようになって。ふと夢想することがある。

 ──私たちの秘密が白日の下に晒されたならば。

 そうすればこの背負い込んだ十字架を下ろすことができるだろうか。

 その十字架は支えることすら重く、歩くことさえ困難で、それでもイースチナは歩いた。足元が血で汚れていたとしても。誰にも話せなかったそれに『罪』という名前を与えて、贖うことができるだろうか。それは信じられないほど苦しくて、きっと信じられないほど清々しいことだろう。

 イースチナの目はもう文字を追っていなかった。思考の海に潜って、現実から遠ざかっていた。

「イースチナ」

 だからだろう。近づいてくるドクターに気づかなかった。名を呼ばれて顔を上げて、

「君だったのか」

 イースチナは大げさなほど息を詰めた。本に添えられた指先が震え、白く冷たくなる。

 ドクターのその言葉を探偵による断罪だと勘違いをした。思考の海から浮上する前に考えていたことが起こったのだと、ありえない結論に達した。

 はく、はく、と必死に酸素を求める魚のように口を開け締めする。

 違う、仕方がなかった/仕方がなかった? そんなのは言い訳だ/知られたくない/ああ、やっと言われた!/苦しい/嬉しい/嫌だ!

 嵐のように感情が吹き荒れる。千々としたそれらは矛盾し、無秩序で、しかし確かにイースチナの心だった。

 急に顔色を変えたイースチナに仰天したドクターが近づいてくる。「どうした!?」と声を掛けられて、それでやっと少しだけ冷静さが戻ってきた。

「……ドクター、〝君だったのか〟とは?」

「ああ、それは──」

 ドクターが語ったのはまったくイースチナが考えたものとは違った。

 曰く、本の間に重要な書類を栞として挟んでいた。読み終わったら抜き取るつもりですっかり忘れていた。本棚にないので誰かが借りていったのだろうと心当たりの者たちを探していたのだと。そして探し回った末にイースチナがその本を手にしているのを見て声を掛けたのだと。

 イースチナは無言で本のページをぱらぱらと捲った。そうして確かにドクターの語る書類はそこにあった。

「っふ」

 思わず息を漏らす。イースチナは己の呆れるほど愚かな勘違いにくすくすと笑った。しかしそれはしばらくすると徐々に小さくなっていった。

「イースチナ?」

 心配そうに身をかがめてこちらを覗き込むドクターを見て、ぱちんと何かが弾ける。ぽろり、とひとつ転がり落ちれば、箍が外れたように涙が溢れた。ひくひくと震えていた喉はすぐに声を押し殺せなくなった。

 たぶん、今、この瞬間でなければならなかった。これより前ならば、イースチナはこのひとの前で明らかな弱さを見せたくなかったし、後ならば、こうまで心をかき混ぜられなかった。加えて、対峙したのがドクターでなければ、ここまで無防備にはならなかった。

 この日、イースチナははじめて仲間以外の前で涙を見せた。

 それは産声に似た音をしていた。

 

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